Ep.2 風使いの章

 まさか再び、この南エリアに立ち入る日が来ることになろうとは。
 日が沈み、夜の帳が下りる刻。暗くなりつつある空を見つつ、ジェレマイアはユリシーズに渡されたメモを片手に歩いていた。
 この街の治安の悪さは相変わらずで、街にはピリついた雰囲気が漂っていた。この地ではジェレマイアのような人間の方がかえって目立つ。道行く人々の視線が幾度も自身に注がれているのを感じ、何とも言えない居心地の悪さを覚えた。

「…………」

 ユリシーズの話に乗って来たは良いものの、ジェレマイアは既に後悔していた。借金を返すためとは言え、わざわざ南エリアに来る必要があったのか。魔法使いという肩書きがあれば、他のエリアでも稼ぎの良い仕事があったのではないか。そんな考えがずっと頭の中で浮かんでは消えている。しかしここまで来て戻るのも如何なものか。戻ったところで、ユリシーズに対しどう言い訳をすれば良いかも分からない。

「……はあ」

 取り敢えず、言われた場所に行ってみて、仕事が難しそうなら断ってみようと。ジェレマイアは溜息と共にパーカーのフードを目深にかぶり、やや早足でその場所を目指した。



++++

「……あれ、この住所って」

 目的の場所に近付くにつれて、見覚えのある風景が視界に入ってきた。数週間前にも、この道を歩いた記憶がある。
 まさか。いやひょっとして。思考を巡らす内にジェレマイアはある店の前で足を止めた。

「……やっぱり」

ーー月桂樹。
 以前、ぼったくりバーのオーナーが紹介した場所。あの日窮地に陥っていたジェレマイアを救ってくれた店だ。
 ユリシーズはここのマスターと知り合いなのか。彼らの繋がりが分からない。一体どこで、どうやって繋がったのか。頭の中が疑問符だらけになる。

「…………」

 思うことはそれなりにあるが、今は目の前の問題に向き合わねば。緊張する心を落ち着かせようとジェレマイアは深呼吸をし、ゆっくりと扉を開いた。
 からんからん。以前と同様にドアベルが軽やかな音を立て、店の主に来訪を伝える。
 まだ開店したばかりの店内には客の姿が無く、カウンターの奥でマスターが一人で作業をしていた。

「……何しに来た」

 ジェレマイアの姿を見たマスターが僅かに眉を顰め、訊ねてくる。

「二度とここには近付くなと忠告した筈だが」
「あ、えっと……その」

 明らかに歓迎されていない。予想はしていたが、マスターの圧が強くてそれだけで怯んでしまう。
 鋭い眼差しで見詰められ、ジェレマイアが用意していた筈の言葉はどこかへ飛んでいってしまった。何か言おうと口元を動かすも、マスターから放たれるプレッシャーで息が詰まりそうになった。

「冷やかしか? それならさっさと帰るんだな」
「いえ……冷やかしじゃなくてですね……」
「なら何だ、はっきり言え」

 淡々とした言葉の一つ一つが重くのし掛かる。悪い人ではない事は分かっているが、それでも威圧感で萎縮してしまう。
 やっぱり帰ろうか。そう思う気持ちを必死に押さえ込みながら、ジェレマイアは肩に掛けていたバッグから白い封筒を取り出し、声を上げた。

「……し、仕事を紹介して下さい! 今日は紹介状を持って来ました!」

 紹介状。その単語にマスターはぴくりと反応した。

「……見せてみろ」

 ジェレマイアはカウンターに向かい、紹介状が入っている封筒をおずおずとマスターに差し出した。
 マスターが黙ってそれを受け取ると封を切り、中に入っている紙を取り出して内容に目を通す。

「…………」
「…………」

 マスターが紹介状を読んでいる間の沈黙が気まずかった。ユリシーズが書いたものだからおかしな事は書いていないと思うが。否、もしかしたら先日の件を根に持っていて、とんでもない事を書いている可能性もゼロではない。

「……事情は分かった」

 長い沈黙を終え、マスターはジェレマイアの方を見やった。

「ユリシーズの頼みなら、断るわけにも行かん。仕事を紹介してやる」
「本当ですか!?」

 正に地獄に仏。マスターの言葉を聞き、ジェレマイアの口元が安堵により少しだけ緩んだ。仕事の内容はまだ分からないが、以前のような危険なものでなければ何でも良い。借金を返しつつ、それなりの生活が出来る程度に稼ぐことが出来れば。昨日からどん底だった気持ちが、ここでようやく浮上し始めた。

「それじゃあ、早速紹介して下さる仕事について……」
「まあ、待て」

 食い気味に聞いて来るジェレマイアをマスターが片手で制した。

「奴がそろそろ来る筈だ。そうしたら一緒に話す」
「……奴?」

 心当たりの無い存在を挙げられ、ジェレマイアは首を傾げた。一体誰の事を言っているのだろうか。まるでジェレマイアもその人物を知っているような物言いだ。

「マスター、いつもの酒と、適当に晩飯を……ーー」

 ジェレマイアが考えていると入り口のドアベルが鳴り、黒衣の男が店内に入って来た。

「……え?」

 全身を黒で統一したコーディネートに、腰まで届く長い銀色の髪。それだけで、誰が入って来たのかジェレマイアはすぐに分かった。

「……何でテメエが此処にいるんだ?」
「ひっ……!?」

 やって来たのは、以前請け負った仕事に同行したーー奪われた顧客リストを取り戻す為に共闘した男、ニュクスだった。
 ニュクスはジェレマイアの姿を見るなり顔を顰め、顎をしゃくりながら睨み付けた。相変わらずガラが悪く、不遜な態度だ。失礼な、と言いたいところだが、ジェレマイアにはそこまで言い返す度胸が無かった。

「ああ、ニュクス。丁度良い。次の仕事はこいつと行け」
「は?」
「えっ?」

 そして、不幸にもと言うべきか。マスターが待っていた人物はニュクスだったらしく、マスターは彼に向けてとんでもない提案を投げ付けた。
 ニュクスもジェレマイアも、その言葉は完全に予想外で、お互いに信じられないと言わんばかりに互いの顔を見遣る。

「依頼人に二人以上で来いと言われてるだろう。今はリュウトもヘルゲも他の仕事で出払ってる。こいつの実力は、この前の仕事で分かっただろ」
「冗談じゃねえ、誰がこんなポンコツヘタレと行くかよ」
「ポ、ポンコツヘタレ……」

 マスターの要求にニュクスはジェレマイアを指さし、容赦なく固辞して見せた。自らを罵倒する言葉に、すぐに反論の言葉が出せない。ただ、ジェレマイアとしても、そりの合わなそうなニュクスと仕事に行くのは拒否したいところだ。

「今回の仕事の期限、何時までだったか忘れてないだろうな?」
「……明日まで」
「ああ、そうだ。それで、他に同行出来る人間が今から見つけられるのか?」
「……それ、は」
「今回の件、この間の依頼ほど危険な内容ではない。同行させても問題ないと思うが?」
「…………」
 
 マスター、説得しなくて大丈夫です。他の仕事を紹介してください。そう言いたい気持ちを必死に堪え、ジェレマイアは二人のやり取りを見詰めていた。

「……ちっ、わーったよ。行けば良いんだろ、そのヘタレと」

 ニュクスはしばらく渋い表情で黙り込んでいたが、やがて後頭部を乱雑に搔きながらマスターの提案を呑む意思を示して見せた。
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