Ep.2 風使いの章

「……さて、今日の講義は以上となる。各自、復習を忘れない様に」

 翌日。
 ジェレマイアは大学の講義に朝から参加していた。だが、昨日の一件もあり、講義の内容はまともに入ってこない。ぼんやりと正面を見詰め、どうやって500万の借金を返すかをひたすら考えていた。
 このような状況でも講義に出ているのは、受け入れがたい現実から逃れるためなのか。ジェレマイア自身にも分からなかった。

「ああ、それと」

 講義終了の合図と共に他の学生たちは席を立ち、講堂を後にする。ジェレマイアもそれに続こうと立ち上がりかけたところで、ユリシーズが声を上げた。

「今から呼ぶ番号の者は、この後ここに残るように」
「……は?」

 それはジェレマイアの番号だった。
 何故、また。試験の結果と進路に関する説教は昨日されたばかりだ。
 もしかして、昨日のジェレマイアの失言を根に持っているのか。そうなると昨日以上にねちねちと小言を言われそうだーーというか、あれだけユリシーズを怒らせた後で、小言だけで済むのだろうか。ジェレマイアには分からない。半殺しにされるかもしれない。


「……はあ」


 行きたくないと思っても、行かないという選択肢は無い。ジェレマイアは深い溜息を吐き、早く終わることを祈ってユリシーズの元へ向かった。



++++



「貴公、私の話を全く聴いていなかったね?」

 昨日と同じように講堂に残ったジェレマイアに、ユリシーズは単刀直入に訊ねた。

「え、いや……そんなことは」

 率直な質問に、ジェレマイアはたじろぐ。あれだけ大勢の生徒がいる中で、良くジェレマイアの変化に気付いたものだ。意識して見なければ気付かないだろうに。否、昨日の件があるからこそ、意識して見ていたのかもしれない。

「やる気がなくて聴く気が無いと言うよりは、気がかりなことがあって集中できない……そのように見えたが」
「…………」

 どうしてこの講師はこんなに察しが良いのだろうか。
 ユリシーズの言う通り、ジェレマイアは突然背負わされた借金のことで頭がいっぱいだった。とても講義なんて受けていられる状態ではない。生きるか死ぬかの瀬戸際。どうすれば今の状況を打破できるのか。講義中もずっとそのことを考えていた。

「私の講義を全く聴いていないのも気に入らないが。何があったのかね?」
「…………」

 彼に相談するのは気が引けたーーと言うより、期待できなかった。この講師がジェレマイアの助けになるとは思えなかった。
 それでも、他に頼れる人は居ない。気付けば頭を下げていた。 

「あの……た、助けて下さい!」

 なりふり構っていられなかった。
 このままだと大学卒業ではなく、人生を卒業してしまう。
 ジェレマイアはユリシーズに全て話した。パートナーだと思っていた女性に裏切られ、多額の借金を押しつけられたこと。更にその借金を1ヶ月以内に返済しなければならないこと。自分一人では到底支払えないこと。払えなければ内臓を売られてしまうこと。

「僕に出来ることなら何でもします。だから、その……ッ!」
「…………」

 ユリシーズは黙ってジェレマイアの話を聞いていた。話し終わる頃には眉間に深い皺を刻み、こめかみ部分を押さえていた。完全に呆れているのが分かった。

「貴公の事情は理解した。それで、その借金の額はいくらだね?」
「……500万です」
「…………」

 ユリシーズは再度沈黙し、じっとジェレマイアを見詰める。その眼差しが全身に突き刺さり、とても痛い。

「一時的に立て替えることは出来るが……」
「本当ですか!?」

 ユリシーズの呟くような言葉に、ジェレマイアは思わず声を上げた。500万という大金を立て替えられるなんて、一体どれだけ稼いでいるのか。流石大学講師、それも次期教授筆頭候補と言うべきか。
 期待に満ちた眼差しを向けるジェレマイアに対し、ユリシーズは「だが」と続けた。

「貴公に返済能力があるのかね?」
「えっ」
「卒業後の進路も白紙になってしまったのだろう? 今から就職先を見つけられるかも怪しいだろうに。その上、奨学金を貰っているとも聞いた。 ……返せるのかね?」
「あ、う……」

 返す言葉が見つからなかった。
 卒業したら子供の頃から世話になった施設の援助は完全に無くなり、自分で稼いで生計を立てなければならない。それに加えて、4年分の奨学金も返す必要がある。
 就職先を失った今、ユリシーズの言うとおり、稼げる気がしない。一時的に立て替えてもらって、その後どうすれば良いのか。皆目見当がつかなかった。

「……そう言えば、貴公は先程何でもすると言ったね?」
「え……あ、はい」

 唐突な質問にジェレマイアは戸惑いつつ頷く。するとユリシーズは「それならば」と、言葉を続けた。

「南エリアに知己がいてね。彼に頼めば稼ぎの良い仕事を紹介してくれると思うが……」
 
 また、南エリア。
 二ヶ月前の出来事が脳裏を過ぎる。あの時は運良く助かったが、あんな治安の悪いところにいたら命がいくつあっても足りない。
 正直、行きたくなかった。

「あ、怪しい仕事じゃないですよね?」
「安心したまえ。彼は信用できる男だ」
「……本当に稼げる仕事を紹介してもらえるんですか?」
「それは貴公の能力次第だ」
「なんか……怪しいというか……信用しにくいと言うか……」
「おや、そんなことを言える立場かね? 貴公のような落ちこぼれを採用して、更に生計を立てながら奨学金と借金を返済するだけの給料を出してくれる企業……今から探すとなると相当厳しいだろうに」
「ぐ……」

 言い方に腹が立ったが、正論過ぎて反論の余地がなかった。
 実際、ジェレマイアは落ちこぼれだ。勉強嫌いで、講義をサボるのは日常茶飯事。出席しても真面目に取り組むことは無い。単位は落としそうで落とさないギリギリのライン。
 そもそも大学に進学したのも施設の推薦があったからーーと言うのは建前で、本音はまだ働きたくない、もう少し遊んでいたいという怠惰な考えだった。施設の恩師には口が裂けても言えない。否、もしかしたら既に察していて、敢えて何も言わずに見守ってくれているのかもしれない。
 平々凡々。取り柄と言えば、風の魔法を使えることくらい。だがそれが役に立ったことが今までに何度あっただろうか。

「さて、貴公は如何する? その気があるなら、紹介状は書いてやれるが」
「…………」

 それでも、行かないという選択肢は無かった。

「……お願いします」

 他に助かる道は無い。
 ジェレマイアは泣きそうになるのを堪えつつ、ユリシーズに向けて深々と頭を下げた。

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