Ep.2 風使いの章
「さて、貴公がここに残るよう言われた理由は分かるかね?」
講義室に残ったーーもとい残されたジェレマイアに、講師は単刀直入に訊ねて来た。
「あー……ええと、その……」
分かりません。そう言おうとして、ジェレマイアは言葉を飲み込む。
本当は分かっていた。この前の試験の結果だ。勉強は全くと言って良いほどしていなかったが、参考書の持ち込みが許可されていたため、何とかなるだろうと高を括っていた。
しかし実際の試験内容はかなり難しく、参考書に目を通してもジェレマイアにはほとんど理解できなかった。取り敢えずそれっぽい回答を記入し、祈るように提出して。後日通知された結果に安堵したのを覚えている。
結論から言えば及第点。ただ、点数を見ると落第寸前だった。それでも赤点ラインは超えていたので、再試験をせずに単位を貰えると思っていた。
そんなジェレマイアの考えが、この講師ーーユリシーズは気に入らなかったのだろう。
「……本気で卒業する気があるのかね?」
「いや、それはありますけど」
「先日の試験の結果は本当に酷かった。私に慈悲の心が無ければ、完全に落としていたところだ」
「で、でも一応合格ラインだったじゃないですか」
「あの科目は、な? 貴公に限った話ではないが、最近の生徒は試験を甘く見過ぎている。持ち込みを許可したのがいけなかったのかも知れないね。参考書があれば勉強をしなくても何とかなると思ったのだろう? ……全く、舐められたものだ」
「…………」
言葉の中に散りばめられた棘がちくちくとジェレマイアを刺す。一見微笑んでいるように見える顔も、良く見ると目元が全く笑っていない。
ユリシーズのこういう所がジェレマイアは苦手だった。彼はいつもジェレマイアを邪険にする。そして何かとジェレマイアの粗を探しては、重箱の隅を突くように小言や嫌味をねちねちと重ね、困っている姿を見て楽しんでいる。本人にそのつもりがあるかは分からないが、少なくともジェレマイアにはそう受け取れた。
嫌われているのは分かっていた。大学に入り、講義を受け始めた当初はまだ厳しいながらも普通に接してくれていたと思う。態度が変わったのは、ジェレマイアが魔法使いであることをユリシーズが知ってからだった。
昼休みの食堂で、友人の前で見せた風の力を、ユリシーズが偶然目撃した。その瞬間にユリシーズが浮かべた表情は、今でも忘れられない。驚愕、憤慨、そして嫉妬ーーそれらの感情がない交ぜになった、複雑で歪な顔。彼がどうしてそんな表情を浮かべたのか、当時のジェレマイアには分からなかった。
「聞けば他の科目もいくつか落第寸前のものがあるそうだね?」
「え……ど、どこでその情報を……」
「クラインヴァルト教授が嘆いていたよ。風の精霊に愛されながら、魔術への関心が低すぎる。せっかく素晴らしい力を持っているのに、このままではその力が腐ってしまうとね」
ユリシーズの言う通り、彼の科目だけでなく、他の必修科目でも赤点になりそうだった分野が複数ある。今し方ユリシーズが口にした人物の担当する科目も苦手な部類で、試験中に問題の意味が全く分からなくて気が狂いそうになった。あれで良く単位を落とさなかったものだと。ジェレマイアは密かに胸をなでおろした。
「これでも今回の試験はかなり易しくしたのだよ? 実際、平均点は例年よりも高かった。参考書に頼らずとも普段の講義をしっかり聴いて、その日の内に軽く復習していれば分かる内容だった筈だが」
「はあ、そうですか……」
「貴公のことだ。持ち込みが許可されたことに安堵して、ろくに勉強もせず遊び歩いていたのだろう?」
「う゛……ッ!?」
図星を突かれ、言葉が詰まった。けれどあの試験内容は、本当に日々の振り返りをしていれば解けたのかと聞きたくなるほど難しかった。平均点が高かったと言われても、とても信じられなかった。
ジェレマイアの反応を見て、ユリシーズはあからさまな溜息を零し、頭を振った。
「やれやれ。随分と大学生活を謳歌しているようだが……留年してしまっては元も子もないだろうに。確か貴公は留年出来なかった筈では?」
「…………ッ」
ユリシーズの指摘にジェレマイアはぎくりと身を震わせた。
ジェレマイアの学費は、12歳の時から大学に入るまで世話になっていた施設が負担してくれている。しかしそれはあくまでも大学を『予定通り』卒業するまでで、留年すると学費は自分で払わなければならない。ただでさえ普段の生活費をアルバイトで稼いでギリギリなのに、そこに学費が加わったら破綻してしまう。そうなれば大学に通うことは出来なくなる。留年は退学と同義だった。
「……まあ、仮に卒業出来たとしてもだ。今の貴公では就職先も見つかるか怪しいところだね」
ユリシーズは容赦なく言葉を続ける。
「魔法使いの素質はあるが、魔術の知識や技量は話にならない。かと言って他の科目も特段優れている訳でもなく、魔法以外に秀でた能力も無いように見える。そのような状態で社会人として自立した生活が送れるのか……」
「…………っ」
正直、限界だった。
正論ではあるが言い方が気に入らない。執拗で陰湿。ジェレマイアの精神を少しずつ削ぎ落とすように投げかけて来る言葉の数々。もう耐えられない。
ユリシーズの言葉が切れるタイミングで、ジェレマイアは思い切って声を上げた。
「ず、随分と言いたい放題言ってくれてますけど! 僕、もう就職先は決まってますから!」
「……ほう?」
ユリシーズが抱いている懸念を払拭することが出来れば、これ以上何かを言われることは無い筈だと。ジェレマイアは反撃を試みた。
ジェレマイアが言い返して来ると思わなかったのか、ユリシーズは意外そうに瞳を瞬かせ、首を傾げる。その姿を見て、ジェレマイアは更に言葉を続けた。
「卒業したら、僕は彼女と……えっと、パートナーと事業を立ち上げるんです! そのための準備を今してるんですから!」
「それは初耳だね。遊び歩いていたわけでは無いと?」
「え、ええ! ええ! ちゃーんと将来のことを考えて動いてたんですよ! こう見えて!」
数ヶ月前。ある事件をきっかけに出会い、意気投合した女性。
ジェレマイアは大学を卒業するのと同時に、その女性と起業することになっていた。起業するための書類の手続き等、難しいところは全て彼女が受け持つと言ってくれた。そのため、ジェレマイアは特に準備する作業も無く、今は開業する日を待つだけの状態である。
そう、進路は決まっているのだ。ここ数年は景気や『情勢』が良くないのか、学歴があってもなかなか就職先を見つけることが出来ないと言われている。そんな中、ジェレマイアは働き口を見つけることが出来た。
自分よりも成績優秀で、引く手数多だろう友人たちも未だ卒業後の進路に悩んだり焦ったりしている。性格が悪いと言われてしまうかも知れないが、必死になっている彼らを見ていると何とも言えない優越感に浸れた。
「だから、貴方にとやかく言われる筋合いは無いんです! 僕のことはほっといて下さい!」
啖呵を切る勢いで言葉を紡ぎ、一息吐く。これだけ言えば文句も出ないだろうと。そう思ったが、まだ不安はあった。何しろ、相手は論戦好きで知られるユリシーズだ。更に何か言ってくるかも知れない。
「…………」
ユリシーズは黙ってジェレマイアを見詰めていたが、しばらくすると眼鏡のフレームを片手で持ち上げながら静かに口を開いた。
「……成程。どうやら私の心配は杞憂だったようだね」
あまり納得しているようには見えないが、深く追求するつもりも無いらしい。
あのユリシーズが何も言ってこない。いつも意地悪く自分にあれこれ言ってくるユリシーズを、黙らせることが出来た。言い負かすことが出来たのだと思い込んだジェレマイアは、安堵すると同時に、調子に乗ってしまった。
それが、いけなかった。
「ふっ……ふふ! そうですよ。魔法が使えないどっかの頭でっかちな万年魔術師な誰かさんと違って、僕はいそがしーー……」
そこまで言ったところで、室内に凄まじい殺気が満ち、ジェレマイアは言葉を失い、息を飲んだ。
「…………ぁ」
声が出る代わりにひゅ、と喉が鳴る。
しまった、と思った。
ユリシーズはその顔から一切の感情を無くし、無の表情でジェレマイアを見詰めている。否、睨み付けていると言った方が良いかもしれない。
ジェレマイアは激しく後悔した。ユリシーズに対し、絶対に言ってはいけない言葉を言ってしまった。特大の地雷を、思い切り踏み抜いた。
ユリシーズは非常に優秀な魔術師であり、持っている知識や技術で言えば魔法使いのジェレマイアよりも遙かに上だ。けれど彼は魔法使いでは無い。本人はその事に強いコンプレックスを抱いており、魔法使いを目の敵にしている。第三者が下手に指摘し、弄ればどうなるか。大学関係者ならば誰もが知っている、暗黙の了解だった。
「えっと……あの、その……」
分かっていたのに。ジェレマイアは言ってしまった。日頃の鬱憤が溜まっていたのは、ある。それでも、越えてはいけない一線を越えてしまった。
激昂してくれた方がまだ良かったかも知れない。沈黙が恐怖を倍増させている。室内の空気は例えるならば絶対零度。言葉を発するどころか、息をするのすら許されないような雰囲気だった。
「そ、そそそういう訳なので……ッ、話は終わりってことで良いですよねっ? 僕はこれでッ……し、し失礼します!」
恐怖で気がどうかしてしまいそうだった。それでも、逃げようという生存本能が辛うじて働いてくれた。
早口で言い残すと踵をを返して講堂の出口に向かい、走り出す。振り返ってはいけない。例え、呼び止められたとしても。立ち止まってはいけない。一刻も早く、この場から去らなければーー殺される。そう思うほどの殺気を、ユリシーズは放っていた。
そうしてジェレマイアは全速力で講堂を後にした。
++++
「…………」
ユリシーズは何も言わず、ジェレマイアが出て行った扉の先をしばらく見詰めていた。言いたいことは少なからずあるものの、わざわざ追いかけて捕まえ、言うことでも無い。腹が立つなんて生ぬるい心情では無かったが、ここで教え子に手を出したとなれば自らの沽券に関わる。
「……はあ、本当に就職出来れば良いのだがね」
懇々と湧き上がる憤怒と怨恨を押さえつける為に、どれだけの間そうしていただろうか。 やがてユリシーズは頭を振りながら溜息を吐き、参考書を抱えて自らも講堂を後にした。
講義室に残ったーーもとい残されたジェレマイアに、講師は単刀直入に訊ねて来た。
「あー……ええと、その……」
分かりません。そう言おうとして、ジェレマイアは言葉を飲み込む。
本当は分かっていた。この前の試験の結果だ。勉強は全くと言って良いほどしていなかったが、参考書の持ち込みが許可されていたため、何とかなるだろうと高を括っていた。
しかし実際の試験内容はかなり難しく、参考書に目を通してもジェレマイアにはほとんど理解できなかった。取り敢えずそれっぽい回答を記入し、祈るように提出して。後日通知された結果に安堵したのを覚えている。
結論から言えば及第点。ただ、点数を見ると落第寸前だった。それでも赤点ラインは超えていたので、再試験をせずに単位を貰えると思っていた。
そんなジェレマイアの考えが、この講師ーーユリシーズは気に入らなかったのだろう。
「……本気で卒業する気があるのかね?」
「いや、それはありますけど」
「先日の試験の結果は本当に酷かった。私に慈悲の心が無ければ、完全に落としていたところだ」
「で、でも一応合格ラインだったじゃないですか」
「あの科目は、な? 貴公に限った話ではないが、最近の生徒は試験を甘く見過ぎている。持ち込みを許可したのがいけなかったのかも知れないね。参考書があれば勉強をしなくても何とかなると思ったのだろう? ……全く、舐められたものだ」
「…………」
言葉の中に散りばめられた棘がちくちくとジェレマイアを刺す。一見微笑んでいるように見える顔も、良く見ると目元が全く笑っていない。
ユリシーズのこういう所がジェレマイアは苦手だった。彼はいつもジェレマイアを邪険にする。そして何かとジェレマイアの粗を探しては、重箱の隅を突くように小言や嫌味をねちねちと重ね、困っている姿を見て楽しんでいる。本人にそのつもりがあるかは分からないが、少なくともジェレマイアにはそう受け取れた。
嫌われているのは分かっていた。大学に入り、講義を受け始めた当初はまだ厳しいながらも普通に接してくれていたと思う。態度が変わったのは、ジェレマイアが魔法使いであることをユリシーズが知ってからだった。
昼休みの食堂で、友人の前で見せた風の力を、ユリシーズが偶然目撃した。その瞬間にユリシーズが浮かべた表情は、今でも忘れられない。驚愕、憤慨、そして嫉妬ーーそれらの感情がない交ぜになった、複雑で歪な顔。彼がどうしてそんな表情を浮かべたのか、当時のジェレマイアには分からなかった。
「聞けば他の科目もいくつか落第寸前のものがあるそうだね?」
「え……ど、どこでその情報を……」
「クラインヴァルト教授が嘆いていたよ。風の精霊に愛されながら、魔術への関心が低すぎる。せっかく素晴らしい力を持っているのに、このままではその力が腐ってしまうとね」
ユリシーズの言う通り、彼の科目だけでなく、他の必修科目でも赤点になりそうだった分野が複数ある。今し方ユリシーズが口にした人物の担当する科目も苦手な部類で、試験中に問題の意味が全く分からなくて気が狂いそうになった。あれで良く単位を落とさなかったものだと。ジェレマイアは密かに胸をなでおろした。
「これでも今回の試験はかなり易しくしたのだよ? 実際、平均点は例年よりも高かった。参考書に頼らずとも普段の講義をしっかり聴いて、その日の内に軽く復習していれば分かる内容だった筈だが」
「はあ、そうですか……」
「貴公のことだ。持ち込みが許可されたことに安堵して、ろくに勉強もせず遊び歩いていたのだろう?」
「う゛……ッ!?」
図星を突かれ、言葉が詰まった。けれどあの試験内容は、本当に日々の振り返りをしていれば解けたのかと聞きたくなるほど難しかった。平均点が高かったと言われても、とても信じられなかった。
ジェレマイアの反応を見て、ユリシーズはあからさまな溜息を零し、頭を振った。
「やれやれ。随分と大学生活を謳歌しているようだが……留年してしまっては元も子もないだろうに。確か貴公は留年出来なかった筈では?」
「…………ッ」
ユリシーズの指摘にジェレマイアはぎくりと身を震わせた。
ジェレマイアの学費は、12歳の時から大学に入るまで世話になっていた施設が負担してくれている。しかしそれはあくまでも大学を『予定通り』卒業するまでで、留年すると学費は自分で払わなければならない。ただでさえ普段の生活費をアルバイトで稼いでギリギリなのに、そこに学費が加わったら破綻してしまう。そうなれば大学に通うことは出来なくなる。留年は退学と同義だった。
「……まあ、仮に卒業出来たとしてもだ。今の貴公では就職先も見つかるか怪しいところだね」
ユリシーズは容赦なく言葉を続ける。
「魔法使いの素質はあるが、魔術の知識や技量は話にならない。かと言って他の科目も特段優れている訳でもなく、魔法以外に秀でた能力も無いように見える。そのような状態で社会人として自立した生活が送れるのか……」
「…………っ」
正直、限界だった。
正論ではあるが言い方が気に入らない。執拗で陰湿。ジェレマイアの精神を少しずつ削ぎ落とすように投げかけて来る言葉の数々。もう耐えられない。
ユリシーズの言葉が切れるタイミングで、ジェレマイアは思い切って声を上げた。
「ず、随分と言いたい放題言ってくれてますけど! 僕、もう就職先は決まってますから!」
「……ほう?」
ユリシーズが抱いている懸念を払拭することが出来れば、これ以上何かを言われることは無い筈だと。ジェレマイアは反撃を試みた。
ジェレマイアが言い返して来ると思わなかったのか、ユリシーズは意外そうに瞳を瞬かせ、首を傾げる。その姿を見て、ジェレマイアは更に言葉を続けた。
「卒業したら、僕は彼女と……えっと、パートナーと事業を立ち上げるんです! そのための準備を今してるんですから!」
「それは初耳だね。遊び歩いていたわけでは無いと?」
「え、ええ! ええ! ちゃーんと将来のことを考えて動いてたんですよ! こう見えて!」
数ヶ月前。ある事件をきっかけに出会い、意気投合した女性。
ジェレマイアは大学を卒業するのと同時に、その女性と起業することになっていた。起業するための書類の手続き等、難しいところは全て彼女が受け持つと言ってくれた。そのため、ジェレマイアは特に準備する作業も無く、今は開業する日を待つだけの状態である。
そう、進路は決まっているのだ。ここ数年は景気や『情勢』が良くないのか、学歴があってもなかなか就職先を見つけることが出来ないと言われている。そんな中、ジェレマイアは働き口を見つけることが出来た。
自分よりも成績優秀で、引く手数多だろう友人たちも未だ卒業後の進路に悩んだり焦ったりしている。性格が悪いと言われてしまうかも知れないが、必死になっている彼らを見ていると何とも言えない優越感に浸れた。
「だから、貴方にとやかく言われる筋合いは無いんです! 僕のことはほっといて下さい!」
啖呵を切る勢いで言葉を紡ぎ、一息吐く。これだけ言えば文句も出ないだろうと。そう思ったが、まだ不安はあった。何しろ、相手は論戦好きで知られるユリシーズだ。更に何か言ってくるかも知れない。
「…………」
ユリシーズは黙ってジェレマイアを見詰めていたが、しばらくすると眼鏡のフレームを片手で持ち上げながら静かに口を開いた。
「……成程。どうやら私の心配は杞憂だったようだね」
あまり納得しているようには見えないが、深く追求するつもりも無いらしい。
あのユリシーズが何も言ってこない。いつも意地悪く自分にあれこれ言ってくるユリシーズを、黙らせることが出来た。言い負かすことが出来たのだと思い込んだジェレマイアは、安堵すると同時に、調子に乗ってしまった。
それが、いけなかった。
「ふっ……ふふ! そうですよ。魔法が使えないどっかの頭でっかちな万年魔術師な誰かさんと違って、僕はいそがしーー……」
そこまで言ったところで、室内に凄まじい殺気が満ち、ジェレマイアは言葉を失い、息を飲んだ。
「…………ぁ」
声が出る代わりにひゅ、と喉が鳴る。
しまった、と思った。
ユリシーズはその顔から一切の感情を無くし、無の表情でジェレマイアを見詰めている。否、睨み付けていると言った方が良いかもしれない。
ジェレマイアは激しく後悔した。ユリシーズに対し、絶対に言ってはいけない言葉を言ってしまった。特大の地雷を、思い切り踏み抜いた。
ユリシーズは非常に優秀な魔術師であり、持っている知識や技術で言えば魔法使いのジェレマイアよりも遙かに上だ。けれど彼は魔法使いでは無い。本人はその事に強いコンプレックスを抱いており、魔法使いを目の敵にしている。第三者が下手に指摘し、弄ればどうなるか。大学関係者ならば誰もが知っている、暗黙の了解だった。
「えっと……あの、その……」
分かっていたのに。ジェレマイアは言ってしまった。日頃の鬱憤が溜まっていたのは、ある。それでも、越えてはいけない一線を越えてしまった。
激昂してくれた方がまだ良かったかも知れない。沈黙が恐怖を倍増させている。室内の空気は例えるならば絶対零度。言葉を発するどころか、息をするのすら許されないような雰囲気だった。
「そ、そそそういう訳なので……ッ、話は終わりってことで良いですよねっ? 僕はこれでッ……し、し失礼します!」
恐怖で気がどうかしてしまいそうだった。それでも、逃げようという生存本能が辛うじて働いてくれた。
早口で言い残すと踵をを返して講堂の出口に向かい、走り出す。振り返ってはいけない。例え、呼び止められたとしても。立ち止まってはいけない。一刻も早く、この場から去らなければーー殺される。そう思うほどの殺気を、ユリシーズは放っていた。
そうしてジェレマイアは全速力で講堂を後にした。
++++
「…………」
ユリシーズは何も言わず、ジェレマイアが出て行った扉の先をしばらく見詰めていた。言いたいことは少なからずあるものの、わざわざ追いかけて捕まえ、言うことでも無い。腹が立つなんて生ぬるい心情では無かったが、ここで教え子に手を出したとなれば自らの沽券に関わる。
「……はあ、本当に就職出来れば良いのだがね」
懇々と湧き上がる憤怒と怨恨を押さえつける為に、どれだけの間そうしていただろうか。 やがてユリシーズは頭を振りながら溜息を吐き、参考書を抱えて自らも講堂を後にした。
