Ep.1 銃使いの章

「ああ……どうしよう……」
 
 時刻は草木も眠る丑三つ時。
 壊れかけた街灯が照らす人気の無い路地を歩きながら、青年は一人途方に暮れていた。
 青年の名前はジェレマイア。ある特異な能力を持つ以外はごく普通の――その能力を持つ時点で普通と言えるかは怪しいが――少し気弱な学生である。

 ことの始まりは数時間前。大学の友人と共に、試験明けの飲み会をしようとなり、居酒屋をはしごしていた時だった。友人の1人が、南エリアに良い店があるからそこに行こうと言い出した。
 ジェレマイアたちが住んでいるのは中立都市と呼ばれる街の中にある東エリアで、南エリアは彼らのいる場所から少し距離があった。歩いて行けない距離では無いものの、南エリアは東エリアと違って治安が悪いことで有名だった。そんな所に行って大丈夫なのかと。ジェレマイア含め友人たちは難色を示したが、言い出した本人は自信満々に大丈夫だと言うものだから、その言葉を信じて案内されるまま南エリアへと向かった。
 酔いが回って気が大きくなっていたのもあるだろう。明らかに自分たちが入れる身分ではなさそうな高級店に入り、調子に乗って飲んで騒いで、請求された金額に青ざめた。全員の財布の中身をかき集めても到底足りない。どんなに目を凝らして見てもゼロの数が2つは違った。
 すみません、お金無いです。そう言うと、店員の態度が一変した。今までずっとにこやかに、酔っぱらい特有のうざったい絡みをしても嫌な顔ひとつしなかった彼らが、鬼の形相となり、ジェレマイアたちを取り囲んだ。彼らは口々に言った。なんで払えないんだ。払えないのにこの店に入ったのか。ふざけるな。何としても払え。払うまでは帰さないぞ。
 それは完全に恫喝で、ここに来て初めてジェレマイアたちは入ってはいけない店に入ってしまったことに気づいた。

「ぼ、暴力で物事を解決しようとするのは良くないですよ!」

 友人の胸ぐらを掴み、威圧する店員を見て、ジェレマイアは思わず叫んだ。この後の展開は大体想像できる。全員ボコボコにされる――ならまだ良い。下手をすれば身ぐるみ剥がされるか、最悪殺される。ただの学生が抵抗したところで何とかなるとは思えない。だが、ジェレマイアは唯一、『ただの学生』ではなかった。

「なんだ兄ちゃん、随分強気じゃねえか」

 見た目はひょろくて軟弱そのもの。そんな青年が、いかつい男たち相手に何が出来るのか。友人の胸ぐらを掴んだまま、店員はせせら笑う。それを見た別の友人が、ジェレマイアの素性を明かした。

「ジェレマイアは魔法使いなんだ! 風の力でお前らなんかばーっとふっ飛ばしちまうぜ!」

 魔法使い。
 それは精霊に愛された者しかなることの出来ない、稀有な存在。
 この世には自然界の力を行使する術が2つあり、それぞれ魔術、魔法と区別されている。魔術を扱う存在は魔術師、魔法を扱う存在は魔法使いと呼ばれ、魔術師は精霊に力を『借り』、魔法使いは『操る』存在とされる。
 自然界において、精霊はヒトよりも高位の存在であり、ヒトに力を貸すことはあっても、自らヒトの下につくことは滅多に無い。精霊に存在を認められ、寵愛を受けることで初めて、ヒトは魔法を扱える。誰でもなれる訳ではなく、魔術師に比べ数は極端に少ない。しかしそれ故に個々の力は強大で、魔法使いの存在そのものが災厄と呼ばれることもある。
 ジェレマイアは、『風』の精霊に愛された魔法使いだった。

「魔法使いだと?」

 友人の言葉を聞き、店員たちに明らかな動揺が走る。ここで暴力沙汰を起こし、被害を被るのは誰なのか。魔法使いがいるというだけで、状況は一気に変わる。並の魔術師や、南エリアに良くいる『異端者』を相手にするのとは話が違う。
 先程とは違った微妙な空気がその場に流れた。どうする、解放するか。支払いはして貰わないと困る。だが魔法使いの相手はしたくない。ひそひそと囁かれる言葉を聞き、ジェレマイアたちもまた、この後にどうすべきなのか、互いの顔を見合っては困惑の表情を見せた。とりあえず、最悪の事態は回避できた様に見えるが、状況が好転したかと言われればそうでもなく。

「おやおや、これは一体どんな状況ですか?」

 これからどうしたものか。誰もが考えあぐねる中、フロア内に新たな声が響き渡った。一同がはっとし、声のした方へ視線を向けると、そこには長い白髪の男が立っていた。白髪、と言っても年寄りではない。壮年と言うほどではないが少し歳の行った、身の細い男性。黒いシャツに青のベストとタイ、その上からシルバーのフロックコート。それだけ見ればフォーマルな装いだが、顔にかけるモノクルと頭に乗るシルクハット、手に持つステッキが何とも言えない胡散臭さを醸し出している。

「オーナー!」
「……オーナー?」

 男の一人が彼を見てそう呼んだ。オーナー。つまり彼は、この店の経営者――お偉いさんになる。言われてみれば、それっぽい雰囲気を持っている様な気がしなくもない。

「オーナー。すみません、コイツ等なんですが……」

 近くにいた男の一人が、オーナーに事情を説明する。店に入って飲み食いしたが、支払いが出来ず、説得をしようとしたらその内の一人が自分は魔法使いだと脅してきた。簡単に纏めるとそんな説明だった。ジェレマイア側からしたら、脅してきたのはそちらだろうと。ツッコミを入れたい気持ちでいっぱいだった。だがここで何か言えば、事態は余計にこじれる気がした為、ぐっと堪える。

「ふぅむ、支払いが出来ず困っていると」

 とんとん、と。オーナーは自身のステッキで床を叩きながら片手を顎に添え、考え込む仕草を見せる。見た目は怪しいが、男たちに比べればまだ話が出来そうな人物である。どうか穏便に済ませたい。そう願っていると、オーナーはジェレマイアの方を見て、口を開いた。

「ならばこうしましょう」

 人の良さそうな笑みを浮かべているが、良く見るとモノクルの奥の瞳は笑っていない。それに気づいたジェレマイアは、嫌な予感がした。

「魔法使いさん、明日の夜まで期限を設けます。それまでに代金をお支払いください。誰かに借りるでも良いですし、ご自身で稼いで来ても構いません。大丈夫。この南エリアなら、いくらでもお金を得る術がありますから。手段は問いません。魔法使いの貴方さまなら、どうとでもなるでしょう」
「……はい?」

 手段は問わない、と言われても現時点でジェレマイアには支払いに必要な額を集める術が浮かばない。戸惑っていると、オーナーの男は更に言葉を続けた。

「因みにご友人の方々はこちらで預かります。悪いようにはしませんよ。貴方が逃げたり、期限までに代金を支払わなかったりしなければ、ですが」
「ひっ……!」

 気づけば、友人たちの傍にいた店員が彼らの首元にナイフらしき刃物を突きつけていた。もしジェレマイアが一人で逃げたり、支払いが出来なかった場合、彼らがどうなってしまうのか。想像するのは容易い。

「え、えっと、あの……その……」
「さあさあ、どうぞお気をつけて。お困りでしたら、月桂樹というバーを訪ねてみると良いでしょう。あそこのマスターなら、きっと貴方を助けてくれると思いますよ」
 
 穏やかであるが、有無を言わさぬ口調。店員たちによる無言の圧。そして彼らに刃物を突きつけられ、顔面蒼白で泣きそうな友人たち。

「あー……はい、わかり……まし、た……」

 ジェレマイアに拒否権はなかった。

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