副官の恋人

 近衛連隊長とその副官がふたりで彼女の執務室に
いるときのことだった。

開け放たれた窓の
日除けの薄いカーテンが風にふわりと舞い上がったかと思うと
そこに黒い猫がいた。


黒い猫は窓枠からトンと床に降り立つと、すぐに優雅に頭を上げ
その金色の瞳でしばらく、あたりを睥睨していたが
やがて、ゆったりとした足取りで
彼らの近くにやって来た。


そして副官の足元にくるりと纏わりついたかと思うと
鏡のように磨きこまれた軍靴に、顔を摺り寄せたりしたのに
副官は追い払おうともしなかったので
近衛連隊長は、それを面白そうに眺めた。



やがて猫は


────飽きた


と言わんばかりに、ついと離れると


再び、尊大な態度で窓の側まで歩いて行き
カーテンが風に舞い上がった刹那
その素晴らしいバネを彼らに見せびらかすかのように
窓枠に飛び載ったかと思うと
もう彼らの視界から消えていた。


ふたりは、ほとんど一緒にため息をついた。


「・・・まるで
幻を見ているようだったな・・・」


「ええ・・本当に・・・


わたしは、ふと
ローマの武将の寝所に現れたという
エジプトの女王の故事を思い出しておりました」


「ああ、クレオパトラのことか!!
贈り物の寝具に巻かれてローマの武将の寝所に
忍んできたという・・・大尉は、猫好きだったのか?」


と、近衛連隊長がその副官に問うと


「はい・・・好きです。

挑むような、それでいて少しも下品ではない
あの眼差し・・・。
先細りのしなやかな筋肉が見せる
流れるような歩みや
跳躍するときのバネの粘り
優美な身体の線・・・

それでいて
一旦、この腕の中に抱き込んでしまえば
くたくたと自在に形を変えてしまう
頼りなくて柔らかな肉。
そして宝石のような色艶に
ビロードのような手触り・・・
この世で最も美しい生き物の一つだと
思っております・・・」


と、普段はあまり感情の起伏を映さない端整で柔和な顔を
蕩ける様な笑みに綻ばせながら
彼にしては饒舌な答えを返してきたので

彼の上官は少し驚いて


「ほお・・・
大尉はなかなかの詩人だな~
道を間違えたのではないのか?
軍人なんかにして置くのがもったいない
詩人になればよかったのに」


と揶揄する口調で言うと


「恐れながら・・・
自分では軍人を天職と心得ておりますが」

と、やんわり
言い返されてしまったので


「おや失礼、口が過ぎた。許してくれ」


と、素直に謝った。


「大尉は、そそっかしい人でもないのに
よく手の甲に引っかき傷を作っているから
何故だろうと思っていたのだけれど
それは愛猫の仕業だったのだね。

わたしは、どちらかといえば犬派かな~
毎日、屋敷の門をくぐると、一目散に駆けてくるぞ。
わたしの顔を見ると狂ったように尾を振ってくれるんだ。
馬鹿正直で律儀で義理堅いところが、いじらしいんだ。
猫も嫌いじゃないけれど・・・
あの、しんねりむっつりした性格が、ちょっと苦手で・・・」


「その一筋縄ではいかない気難しさと気まぐれ
何ものにも感謝もしない
受ける物は当然といった顔をしている気位の高さ。
それでいて、いつも愛撫を強請っているような風情・・・
それも、また、魅力なのです」


「へええ!!
もう、ぞっこんなんだね。
この世で、最も美しい生き物の一つか・・・
大尉にそのように言われると
そうかもしれないという気がしてくるから不思議だなあ」


「恐れ入ります」


「大尉は女嫌いだって評判だけれど
それは猫のせいだったのだね。
なるほどなあ~
猫に較べたら人間の女なんて
さぞ、みすぼらしく映るのだろうね」


窓から差し込む日の光を浴びて艶やかに輝く金色の前髪の下の
ふたつの青い瞳が、無邪気に彼を見上げ
少年めいた薄い唇が揶揄するように微笑んでいる。
その顔が、一瞬
凄艶な猫のそれにも見えて


彼は言葉に詰まってしまった。


                    副官の恋人 おわり

                    2014.2.25
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