鳥の巣

 ふたりの貴公子は
待たせておいた小型馬車に乗り込んだ。


紋章も装飾もなくて外からは簡素に見えたのに
内部は紺を基調とした金華山織で張られ
その滑らかな感触や抱きとめられるような坐り心地に
彼女はほ・・とため息をついた。

ミンクのひざ掛けから香る麝香と白檀の香りにも
疲れが癒されるような気がする。



「今日はなんだか、元気がありませんね。
あなたが黙り込んでいると馬車まで重くなるようです。
今日中にベルサイユにたどり着けるかどうか
・・・何か、心配事でも?」


「いや・・心配事と言うわけでは
ないのだけれど
ひとつ疑問にとらわれていて・・・


あの、ひとつ聞いてもいいかな?」



「わたしで、答えられることでしたら
なんなりと」


彼は微笑みながら左右の手を膝の上で重ねると
微かに頭を傾げ、彼女の言葉を畏まって待つ
ポーズをとった。


「今日は知り合いの夫婦を訪ねたのだけれど
ご亭主の方は旅行中だったんだ。

大恋愛の末に結ばれた、仲むつまじい夫婦だと
思っていたのだけれど
奥方の方はひとりで家に居たんだ。

奥方はいくつになっても少女のような
可憐な女で、わたしが、もし夫だったとしたら
そんな妻をひとりで家になど置いて
旅に出るなど、考えられないと思うのだけれど
それは、わたしが女だからそう思うのかな?
男だったら、妻には家で待っていて欲しい
と思う方が自然なのかな?」


「さあ・・・どうでしょうか
わたしはまだ、ひとり身ですから
想像するほかはないのですが・・・


それにしても

愛しい女と一緒になるということは
男の人生において
どれほどの愉悦でしょうね・・・
わたしだったら
見栄も外聞も気取りも捨てて
毎晩、我が家に駆けて帰るでしょうね。


ですから地方に駐屯、などということにでも
んれば、大変でしょうね。

1時間毎に手紙を書き2時間毎に使いを出して
妻の様子を見にやらせる・・・などということになるかも
しれません。

いや、使いの者とて信用できぬと
もう仕事も手につかなくなってしまって
とうとうしまいには辞表を出さなければ
ならなくなるやもしれません。


だから、妻を置いて旅に出るなど
考えられないことですね」



彼は、先ほどから


『なるほど、どのようなことがあったか
想像はつく。

それにしても人の気持ちを、全く知らないわけでもあるまいに
何という事を聞いてくるのだ。ひどい女だ。
嫌味のひとつも言ってやらないと気がすまない』


と思っていたのに
彼女の瞳がしだいに翳って行くのを見ると
可愛そうになってしまった。


「まあ、わたしは、ひとり身ですから
想像するよりほかは、ないのですけれど

しかし、男が安心して出かけて行けるのも
それは帰るべき巣を、持ったからなのかも
しれませんね。

世の中の男たちは平然と
そのようにしているわけですから。

男は狩に出かけ、女は竈を守る、それは
我々の先祖が洞穴に住んでいた時代からの
変わらない本能なのかもしれません」



「ふ~ん、そう思うか」


彼女の瞳に安堵の光が宿る。
それがまた憎らしい。それに


『どうして、わたしが、憎い恋敵の弁護をしてやらねば
ならんのだ!!』


と、自分の心に悪態をつきたくなる。


『そう言えば
一度巣を持つことを覚えた雄の鳥の中には、あちらこちらに
巣を持ち始めるものも、いるようですよ』


とでも言ってやろうと思ったが、彼は止めた。

彼女の瞳が再び翳ったりしたら
自分が後悔するということは解っていた。



彼女はもう外の景色を眺めながら、小さく鼻歌を歌っている。

そのボッティチェリの天使のような無邪気な横顔に見とれながら


『本当に憎らしい女だ。
ひどく素直なくせに
薄情で
無神経で
だけど困ったことに
どうしても嫌いになれない・・・』


と、心のなかで、つぶやいていた。




「お屋敷が見えてまいりました。
この少し先で、止めさせましょう」


「寄って行かないのか?」

「元婚約者が、いまだに出入りしている
などと噂が立っては
あまり体裁が良いものではないでしょう」


「ああ、それもそうだな。
今日はありがとう。楽しかった。
少佐は本当に良い人だな」


「はあ・・・女性に良い人だ
などと言われてしまっては
男もおしまいです」


「何か言ったか?」


「いいえ・・・光栄です」



片手に菓子の箱を抱え
反対側の手には本の包みをさげ
薄暗闇の中を門に向って歩いて行く
その後姿を見守りながら


────やっぱり今日の彼女は
平衡感覚を欠いた人に見える



と、彼はそっとつぶやいて、笑った。





                鳥の巣 おわり

                   2013.2.14
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