恋バナ
彼女と年上の貴婦人は、宮殿内の貴婦人の居室で寛いでいた。
初老の貴婦人の方は長椅子にゆったりと座って
手紙を読んでいる。
耳の前で垂らした銀色の巻き毛が、薔薇色の紅を掃いた頬に
柔らかく掛かる。
クリーム色のブレードで縁取った藤色の木目織のドレスの胸元で
三重の真珠の首飾りが、息づくたびにかすかに上下している。
その、艶やかで貫禄のある姿に見とれていると
年上の女は、丁寧に手紙を畳み封筒に戻した。
それから、その封筒に静かに胸に押し当て、目を閉じ
大きくため息をついたので
「大切な方からの手紙だったのですか?」
と、彼女は声を掛けた。
「ええ・・・年に一度だけお会いする方なの。
毎年、同じ日に、同じ場所でお会いすることにしているのよ。
そのお誘いの手紙が、今年も無事、届いたの」
初老の貫禄のある貴婦人の顔が、一瞬、若い娘のように
初々しく見えた。
「事情があって一緒になれなかった人・・・
今では、孫もいらっしゃる方よ。
偶然、再会して・・・それからこの習慣が始まったの。
もう長年、続いているわ。
わたくしも、まだ、少女と言っても良い年だったわ。
ふたりして涙にくれながら最後の夜を過ごした・・・
その思い出の海辺の城で毎年一晩だけ、一緒に過ごすことに
しているの。それだけの間柄の人」
「でも、永遠の恋人・・・なのですね」
「うふふ・・おかしいでしょう!?
男の愛人も女の愛人も大勢持っているこのわたくしが
いまだにそんなセンチメンタルな思い出を後生大事に
しているだなんて・・・」
「・・・いいえ、ちっとも。
かなわなかった恋も、恋は恋です。過ぎ去ってしまえば
それも人生をやさしく彩ってくれるもののひとつだったと
思います」
若い女も、微笑みながら言った。
「そうね・・・
いっそ一緒に死のうか、海に飛び込もうかと
抱き合って嘆いていたふたりが
今ではすっかり、いいおじいちゃんとおばあちゃんになって
穏やかに語らっているの。
いつの間にかお互いの孫の自慢なんぞしているのよ。
あの時の嘆きも、いつの間にか
懐かしく美しい思い出話に変わってしまった。
時の流れというものは残酷ではあるけれど
ときにはやさしく、ありがたいものね。
・・・まあ!!それにしても、あなたったら
年寄りくさいことを言うわね!!
では、あなたの、かなわなかった恋も
今では、美しい思い出に変わったというわけね!?」
「ふふ・・・そうですね・・・
あの頃の自分の事を思い出すと稚く、恥ずかしく
ほろ苦く・・・
だけど、そういう事も人生の彩であったと
今では思えるのです。
それに、誰がなんと噂しようとも
わたくしには今でも誇りに思える人ですから。
それに、たぶん最初から、かなわぬ相手だと
納得してはおりました」
「あら、そう・・・!?
わたしは、実は、あのときね。
いっそ、あなたもあの方の、数ある愛人の一人にでも
加えて貰えばいいじゃないの~なんて思っていたのよ。
うぶな娘が色恋の手ほどきを受けるには恰好のお相手では
ないかしらってね。
あの方だって、満更ではなかったのではないのかしら」
「ご冗談を・・・
そのような柄ではありません。
それに、その他大勢のうちのひとりなんて嫌です。
わたくしは、生涯かけて自分ひとりを愛してくれるような
男ではないと我慢できないと思います」
「おやおや・・・では、あなたは今、金の鉱脈でも
見つけたつもりでいらっしゃるのね。
でも、気をつけなさい。
女はね、愛されている状態に知らず知らずのうちに
慣れてしまう生き物なのよ。
反対に男はね、女に愛されたと知った男は
もう次の獲物を狙い始めるわ。そういう生き物なのよ。
・・・あら、あなた・・・なんだか少し痩せたみたい?
お顔の色も、なんだか良くないわ。
もしかして、恋わずらい?」
「・・・いいえ、そのようなことは、恐らくございません。
ご心配、痛み入ります。
それにしても、男とは、しょうがない生き物なのですね。
たしかに、わたくし、ここのところ愛されていることに
慣れきってしまっていたかも、しれません」
「ま~ご馳走様!!
あなたったら、涼しい顔して惚気てくれるわね。
本当に憎らしい人ね!!でも、本当に、油断は禁物よ」
「本当に、気をつけないといけませんね。
わたくしも、前々から気づいてはおりましたが
その男が『可愛い、美人だ』と誉める女は
大抵、わたくしとは全く違う・・・というか
むしろ正反対のタイプで
褐色の髪、濃い色の瞳、ぽってりとした唇の
小柄なグラマーばかりなのですよ」
若い女が大真面目な顔で、応えてきたのを
初老の貴婦人は可笑しそうに聞いていたが、いきなり
「~冬にはふくよかな女がたまらない
夏には痩せた女が最適
大柄な女にゃ威厳があるし
小柄な女にゃ可愛げがある~」
と、太い男の声色を真似て歌いだしたので
若い女の方はふき出してしまった。
「それはモーツアルトですね」
「ふふ・・・女の数だけ、女の魅力はあるのだそうよ。
確かにドン・ジョバンニは可愛い男だわね。
浮気な男には可愛げがあるから始末が悪いわね。
でも、あなたとこんなお話をする日が来るなんてね!!
・・・でも、女はね
愛されることに慣れてしまう代わりに
愛されてもいない状態にも慣れてしまうものよ」
「愛されていない状態にも慣れてしまう・・・!?」
「そうよ、女は慣れてしまう生き物なの。
自分の心と現実との折り合いをつけて何とか生きていくわ。
案外、逞しくてしたたかな生き物なのね」
「・・・そうでしょうか!?」
「ええ、そうよ。
だけど、男の方は深刻だわ。
かなわぬ恋の苦悩と恍惚の罠に陥った若い男ほど
悲壮なものはないわね。
男の性というものが、一旦、火がつけば
上りつめるしかないという性質を持つものだから
かしらね・・・」
貴婦人は足元に近寄ってきた彼女の愛猫を抱き上げ
膝に載せた。
「しかし、理性のある男なら、その想いを
いずれは何かに昇華させるものよ。
恋は可憐な乙女を妖艶な女にするだけじゃないのよ。
恋は、ただの若造を深い男に成長させるのよ」
白いペルシャ猫の毛並みをほっそりと枯れた指で
やさしく撫でてやりながら、初老の貴婦人は
ふっと、遠い目をした。
初老の貴婦人の方は長椅子にゆったりと座って
手紙を読んでいる。
耳の前で垂らした銀色の巻き毛が、薔薇色の紅を掃いた頬に
柔らかく掛かる。
クリーム色のブレードで縁取った藤色の木目織のドレスの胸元で
三重の真珠の首飾りが、息づくたびにかすかに上下している。
その、艶やかで貫禄のある姿に見とれていると
年上の女は、丁寧に手紙を畳み封筒に戻した。
それから、その封筒に静かに胸に押し当て、目を閉じ
大きくため息をついたので
「大切な方からの手紙だったのですか?」
と、彼女は声を掛けた。
「ええ・・・年に一度だけお会いする方なの。
毎年、同じ日に、同じ場所でお会いすることにしているのよ。
そのお誘いの手紙が、今年も無事、届いたの」
初老の貫禄のある貴婦人の顔が、一瞬、若い娘のように
初々しく見えた。
「事情があって一緒になれなかった人・・・
今では、孫もいらっしゃる方よ。
偶然、再会して・・・それからこの習慣が始まったの。
もう長年、続いているわ。
わたくしも、まだ、少女と言っても良い年だったわ。
ふたりして涙にくれながら最後の夜を過ごした・・・
その思い出の海辺の城で毎年一晩だけ、一緒に過ごすことに
しているの。それだけの間柄の人」
「でも、永遠の恋人・・・なのですね」
「うふふ・・おかしいでしょう!?
男の愛人も女の愛人も大勢持っているこのわたくしが
いまだにそんなセンチメンタルな思い出を後生大事に
しているだなんて・・・」
「・・・いいえ、ちっとも。
かなわなかった恋も、恋は恋です。過ぎ去ってしまえば
それも人生をやさしく彩ってくれるもののひとつだったと
思います」
若い女も、微笑みながら言った。
「そうね・・・
いっそ一緒に死のうか、海に飛び込もうかと
抱き合って嘆いていたふたりが
今ではすっかり、いいおじいちゃんとおばあちゃんになって
穏やかに語らっているの。
いつの間にかお互いの孫の自慢なんぞしているのよ。
あの時の嘆きも、いつの間にか
懐かしく美しい思い出話に変わってしまった。
時の流れというものは残酷ではあるけれど
ときにはやさしく、ありがたいものね。
・・・まあ!!それにしても、あなたったら
年寄りくさいことを言うわね!!
では、あなたの、かなわなかった恋も
今では、美しい思い出に変わったというわけね!?」
「ふふ・・・そうですね・・・
あの頃の自分の事を思い出すと稚く、恥ずかしく
ほろ苦く・・・
だけど、そういう事も人生の彩であったと
今では思えるのです。
それに、誰がなんと噂しようとも
わたくしには今でも誇りに思える人ですから。
それに、たぶん最初から、かなわぬ相手だと
納得してはおりました」
「あら、そう・・・!?
わたしは、実は、あのときね。
いっそ、あなたもあの方の、数ある愛人の一人にでも
加えて貰えばいいじゃないの~なんて思っていたのよ。
うぶな娘が色恋の手ほどきを受けるには恰好のお相手では
ないかしらってね。
あの方だって、満更ではなかったのではないのかしら」
「ご冗談を・・・
そのような柄ではありません。
それに、その他大勢のうちのひとりなんて嫌です。
わたくしは、生涯かけて自分ひとりを愛してくれるような
男ではないと我慢できないと思います」
「おやおや・・・では、あなたは今、金の鉱脈でも
見つけたつもりでいらっしゃるのね。
でも、気をつけなさい。
女はね、愛されている状態に知らず知らずのうちに
慣れてしまう生き物なのよ。
反対に男はね、女に愛されたと知った男は
もう次の獲物を狙い始めるわ。そういう生き物なのよ。
・・・あら、あなた・・・なんだか少し痩せたみたい?
お顔の色も、なんだか良くないわ。
もしかして、恋わずらい?」
「・・・いいえ、そのようなことは、恐らくございません。
ご心配、痛み入ります。
それにしても、男とは、しょうがない生き物なのですね。
たしかに、わたくし、ここのところ愛されていることに
慣れきってしまっていたかも、しれません」
「ま~ご馳走様!!
あなたったら、涼しい顔して惚気てくれるわね。
本当に憎らしい人ね!!でも、本当に、油断は禁物よ」
「本当に、気をつけないといけませんね。
わたくしも、前々から気づいてはおりましたが
その男が『可愛い、美人だ』と誉める女は
大抵、わたくしとは全く違う・・・というか
むしろ正反対のタイプで
褐色の髪、濃い色の瞳、ぽってりとした唇の
小柄なグラマーばかりなのですよ」
若い女が大真面目な顔で、応えてきたのを
初老の貴婦人は可笑しそうに聞いていたが、いきなり
「~冬にはふくよかな女がたまらない
夏には痩せた女が最適
大柄な女にゃ威厳があるし
小柄な女にゃ可愛げがある~」
と、太い男の声色を真似て歌いだしたので
若い女の方はふき出してしまった。
「それはモーツアルトですね」
「ふふ・・・女の数だけ、女の魅力はあるのだそうよ。
確かにドン・ジョバンニは可愛い男だわね。
浮気な男には可愛げがあるから始末が悪いわね。
でも、あなたとこんなお話をする日が来るなんてね!!
・・・でも、女はね
愛されることに慣れてしまう代わりに
愛されてもいない状態にも慣れてしまうものよ」
「愛されていない状態にも慣れてしまう・・・!?」
「そうよ、女は慣れてしまう生き物なの。
自分の心と現実との折り合いをつけて何とか生きていくわ。
案外、逞しくてしたたかな生き物なのね」
「・・・そうでしょうか!?」
「ええ、そうよ。
だけど、男の方は深刻だわ。
かなわぬ恋の苦悩と恍惚の罠に陥った若い男ほど
悲壮なものはないわね。
男の性というものが、一旦、火がつけば
上りつめるしかないという性質を持つものだから
かしらね・・・」
貴婦人は足元に近寄ってきた彼女の愛猫を抱き上げ
膝に載せた。
「しかし、理性のある男なら、その想いを
いずれは何かに昇華させるものよ。
恋は可憐な乙女を妖艶な女にするだけじゃないのよ。
恋は、ただの若造を深い男に成長させるのよ」
白いペルシャ猫の毛並みをほっそりと枯れた指で
やさしく撫でてやりながら、初老の貴婦人は
ふっと、遠い目をした。
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