噂
「逢引の現場を、衛兵に見咎められて
しまったのですって?」
夜着の上から纏った淡い藤色の繻子のガウンの前を
掻き合せながら現われた初老の貴婦人は
卓に茶菓を並べた侍女を立ち去らせてしまうと
待ちかねたかのように士官服姿の若い男に向って声を掛けた。
「見せ付けるかのように熱い抱擁を交わしていたそうじゃないの。
あなたのお部屋で、一夜を過ごしたという妙齢の美女の噂で
控えの間はもちきりだそうよ。
その方は、いったい、どなただったのかしら~」
うっすらと朝の化粧を施しただけの初老の女の
目尻の下がったいつもはやさしげな表情をたたえている瞳が
一瞬、きらりと光る。
士官服姿の若い男は、苦笑しつつ言った。
「それは言えません。その方の名誉に、かかわりますから。
それにしても、腑に落ちませんね。
奥様は、そのように詮索好きな方でしたでしょうか?」
貴婦人も苦笑しつつ答えた。
「ええ、大いに腑に落ちないと思っているの。
あなたは女の部屋に通うのが専門で
女を招き入れるタチではないと思っていたから
実は、わたくしの知らないところでは
そうでは、ないのかしら!?って」
「ほう・・・
自分では、そのような主義を貫いている
つもりはサラサラないのですが
その様に、思われておりましたか!!
しかし、その様に言われてみれば・・・
なるほど、おっしゃるとおりです」
「ほほほ・・・
それから、あなたと一夜を過ごしたことを
吹聴して回りもしなければ
名誉だとも感じていないらしいという
そのお嬢さんにも、大いに興味があるわ」
若い男は、苦笑しつつ言った。
「彼女は、名誉だとも不名誉だとも思っていないでしょうが
その女性を、好奇の目に晒したくないというのは
わたくしの一方的な気持です」
「まあ、よほど、いい女だったのね」
「・・・正直に申し上げますと
その女性には、珍しく心引かれるところがありました」
「正常な食欲をお感じになったの?」
「いえ・・・
そのような感覚とは、また違ったものであった
と思うのですが」
「どのような方?」
「率直で、飾り気なくて素朴かと思えば
一瞬で本質を見抜いてしまうかのような鋭さもあって・・・」
────欧州一はなやかな、と謳われるこの宮廷で洗練を競う
あまり、幾重にも虚栄の衣を纏い
そのせいで、かえってみすぼらしい裸をお互いに想像しあっている。
そんな我々フランスの貴族とは全く別の性格を
あの北欧の女は、持っているように思った。
────自分の流儀、生き方を貫こうとしている
と言うよりは
木が、枝を広げながら上へ上へと伸びていくように
己の精神をこの世界に向って自由に伸ばしていく
そのような生き方を模索している
その事こそを、生き方にしているように思えた。
「もしかして、その方は外国の方?
そして、あなた方は何か秘密を共有していらっしゃるとか
あるいは、協力して、他のどなたかを
庇っていらっしゃるのでは?」
「・・・さあ・・・どうでしょうか・・・」
若い男は曖昧に笑って見せながら心の中で下を巻いた。
『女は、男よりもずっと敏感な生き物だ』
と、彼は思う。
────あなた方、男性はたとえ憎い恋敵であったとしても
庇い合うのね。
その、あなた方の結束力がうらやましいわ・・・・
若い女は、感嘆とも、からかいとも
つかない口調で、彼に言ったのだった。
「あなたと一夜を過ごした女は、よほど良い女だったようね
お顔に書いてあるわ。
そのお顔をわたくしに見せるために
わざわざ訪ねてくだすったのね。本当に嫌な人ねえ・・・」
茶器を差し出しながら
初老の貴婦人は若い男に向って
揶揄する口調で、言った。
「・・・ところで、人は男の要素と女の要素を
併せ持っているものだとよく、言われるけれど
これは、わたくしの持論なのだけれど
いい男というものは、幾分女の要素が勝っていて
いい女というものは、幾分男の要素が勝っているのでは
ないかしら。
でも、さらにその中に女々しさも、雄雄しさも
恐らく普通より、過剰に持ち合わせている
ごく僅かな人たちがいるような気がしているのよ。
彼らは、そのせいで、運命の相手を
この広い世界から見つけ出すことが出来るの。
でも、そのために運命を踏み外したりもする。
そういう人々たちを、世間は『愛に生きる人たち』と
呼んでいるのではないかしら」
士官服姿の若い男が、彼の上官の
近衛連隊長の執務室の部屋の扉を叩こうとしたとき
中から、その幼なじみの、いかにも気軽な声が
聞こえてきたので、その手を止めた。
「おい、知っているか?
大尉が自室に謎の美女を連れ込んだという噂で
今、宮殿はもち切りなのだそうだ。
それにしても驚いたな~女嫌いで評判の大尉が」
「驚くほどのことか!?
それに、彼が女嫌いだと言うのは
単なる噂に過ぎないのだそうだ。
わたしは、本人の口から直接聞いたのだぞ。
そのとき、それは気の毒なことだな、と思って
『そのような噂を耳にするような機会でもあれば
わたしから訂正しておこうか?』
と言ったのだが
『それには及ばない』と言われた。
その様に世間に思わせて置くのも
実は戦術なのだそうだ。
戦力温存のための偽装だそうだ」
「戦力温存かあ・・・へえ、モテる男も
なかなか苦労しているのものなのだな」
「まったくだな!!
だから、その部屋に引き入れたという女性こそは
本命なのだと、思うぞ。
しかし、ちと興味はあるな。
あのクールで美男の大尉が必死で庇っているという
女性だからな~。
さぞかし、臈たけた佳人なのだろうな!!」
2015.8.7
しまったのですって?」
夜着の上から纏った淡い藤色の繻子のガウンの前を
掻き合せながら現われた初老の貴婦人は
卓に茶菓を並べた侍女を立ち去らせてしまうと
待ちかねたかのように士官服姿の若い男に向って声を掛けた。
「見せ付けるかのように熱い抱擁を交わしていたそうじゃないの。
あなたのお部屋で、一夜を過ごしたという妙齢の美女の噂で
控えの間はもちきりだそうよ。
その方は、いったい、どなただったのかしら~」
うっすらと朝の化粧を施しただけの初老の女の
目尻の下がったいつもはやさしげな表情をたたえている瞳が
一瞬、きらりと光る。
士官服姿の若い男は、苦笑しつつ言った。
「それは言えません。その方の名誉に、かかわりますから。
それにしても、腑に落ちませんね。
奥様は、そのように詮索好きな方でしたでしょうか?」
貴婦人も苦笑しつつ答えた。
「ええ、大いに腑に落ちないと思っているの。
あなたは女の部屋に通うのが専門で
女を招き入れるタチではないと思っていたから
実は、わたくしの知らないところでは
そうでは、ないのかしら!?って」
「ほう・・・
自分では、そのような主義を貫いている
つもりはサラサラないのですが
その様に、思われておりましたか!!
しかし、その様に言われてみれば・・・
なるほど、おっしゃるとおりです」
「ほほほ・・・
それから、あなたと一夜を過ごしたことを
吹聴して回りもしなければ
名誉だとも感じていないらしいという
そのお嬢さんにも、大いに興味があるわ」
若い男は、苦笑しつつ言った。
「彼女は、名誉だとも不名誉だとも思っていないでしょうが
その女性を、好奇の目に晒したくないというのは
わたくしの一方的な気持です」
「まあ、よほど、いい女だったのね」
「・・・正直に申し上げますと
その女性には、珍しく心引かれるところがありました」
「正常な食欲をお感じになったの?」
「いえ・・・
そのような感覚とは、また違ったものであった
と思うのですが」
「どのような方?」
「率直で、飾り気なくて素朴かと思えば
一瞬で本質を見抜いてしまうかのような鋭さもあって・・・」
────欧州一はなやかな、と謳われるこの宮廷で洗練を競う
あまり、幾重にも虚栄の衣を纏い
そのせいで、かえってみすぼらしい裸をお互いに想像しあっている。
そんな我々フランスの貴族とは全く別の性格を
あの北欧の女は、持っているように思った。
────自分の流儀、生き方を貫こうとしている
と言うよりは
木が、枝を広げながら上へ上へと伸びていくように
己の精神をこの世界に向って自由に伸ばしていく
そのような生き方を模索している
その事こそを、生き方にしているように思えた。
「もしかして、その方は外国の方?
そして、あなた方は何か秘密を共有していらっしゃるとか
あるいは、協力して、他のどなたかを
庇っていらっしゃるのでは?」
「・・・さあ・・・どうでしょうか・・・」
若い男は曖昧に笑って見せながら心の中で下を巻いた。
『女は、男よりもずっと敏感な生き物だ』
と、彼は思う。
────あなた方、男性はたとえ憎い恋敵であったとしても
庇い合うのね。
その、あなた方の結束力がうらやましいわ・・・・
若い女は、感嘆とも、からかいとも
つかない口調で、彼に言ったのだった。
「あなたと一夜を過ごした女は、よほど良い女だったようね
お顔に書いてあるわ。
そのお顔をわたくしに見せるために
わざわざ訪ねてくだすったのね。本当に嫌な人ねえ・・・」
茶器を差し出しながら
初老の貴婦人は若い男に向って
揶揄する口調で、言った。
「・・・ところで、人は男の要素と女の要素を
併せ持っているものだとよく、言われるけれど
これは、わたくしの持論なのだけれど
いい男というものは、幾分女の要素が勝っていて
いい女というものは、幾分男の要素が勝っているのでは
ないかしら。
でも、さらにその中に女々しさも、雄雄しさも
恐らく普通より、過剰に持ち合わせている
ごく僅かな人たちがいるような気がしているのよ。
彼らは、そのせいで、運命の相手を
この広い世界から見つけ出すことが出来るの。
でも、そのために運命を踏み外したりもする。
そういう人々たちを、世間は『愛に生きる人たち』と
呼んでいるのではないかしら」
士官服姿の若い男が、彼の上官の
近衛連隊長の執務室の部屋の扉を叩こうとしたとき
中から、その幼なじみの、いかにも気軽な声が
聞こえてきたので、その手を止めた。
「おい、知っているか?
大尉が自室に謎の美女を連れ込んだという噂で
今、宮殿はもち切りなのだそうだ。
それにしても驚いたな~女嫌いで評判の大尉が」
「驚くほどのことか!?
それに、彼が女嫌いだと言うのは
単なる噂に過ぎないのだそうだ。
わたしは、本人の口から直接聞いたのだぞ。
そのとき、それは気の毒なことだな、と思って
『そのような噂を耳にするような機会でもあれば
わたしから訂正しておこうか?』
と言ったのだが
『それには及ばない』と言われた。
その様に世間に思わせて置くのも
実は戦術なのだそうだ。
戦力温存のための偽装だそうだ」
「戦力温存かあ・・・へえ、モテる男も
なかなか苦労しているのものなのだな」
「まったくだな!!
だから、その部屋に引き入れたという女性こそは
本命なのだと、思うぞ。
しかし、ちと興味はあるな。
あのクールで美男の大尉が必死で庇っているという
女性だからな~。
さぞかし、臈たけた佳人なのだろうな!!」
2015.8.7
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