アルゴスの目

 「夕べの貴婦人のことを考えていらっしゃるの?」


長椅子に、しどけなく身体を投げ出し
夜会明けの眠そうな目を、ぼんやりと宙に据えているお兄様に
声を掛けた。

「ああ・・・
無口な女だった・・・にこりともしない
素っ気無い女だった・・・。

それなのに、何故かあの青い瞳が忘れられない。
淑やかで内気そうなのに、ときおり、一瞬
謎めいた、何か得たいのしれない
大胆不敵な色が、流れるんだ・・・」


「ふふ・・・つまりお兄様はあの貴婦人に恋をしたのね。
あんな恥をかかされたのに」


『恋多き~』と呼ばれる男の面目躍如ね。


 あの貴婦人は、突然、お兄様の腕を乱暴に振り切って
走り去ってしまった。

それは上品な夜会と上品な貴婦人に突然起こった乱調だった。

そして、お兄様は広間の中央にひとり取り残される形になり
恥をかかされたのだけれど
お兄様は、その事をかえって喜んでいらっしゃるご様子だ。


「『美人と見れば見境なく無礼を働く軽薄な浮気男』とでも映れば
それもいいのさ。
これで世間は、あの方とわたしのことを
しばらくは忘れてくれるだろうしな」


お兄様は、すこし照れくさそうに笑ってから


「それにしても、男の心に一瞬で余情を残して去る・・・
フランスの女は、そういう手練手管については世界一だな。
憎らしいくらいだ」


とおっしゃった。


「あら、あの方は外国から来た伯爵夫人という触れ込みでは
ございませんでしたっけ?」


「ああ・・・そうだった!!我ながら可笑しい!!
何故、フランスの女だと思ったのか・・・」



 お兄様があの方にダンスを申し込んだとき
側にいたわたしが扇をお預かりした。

しかし、あの貴婦人は広間から忽然と消えてしまったので
困ったわたしは、お暇する前にご挨拶を兼ねて
控えの間でご休息を取っていらっしゃるという
主催のC・・・大公妃を、ひとり訪ねた。

  
C・・・大公妃は

薔薇色の繻子の夜会服の思い切って開いた胸元に
ダイヤの首飾りを下げた初老の貴婦人の堂々たる威厳を
辺りに放っていらっしゃったけれど
さすがに白粉では隠せない目尻の皺に言いしがたい
やさしげな表情を浮かべながら


「あら、そうですの、伯爵様の妹さん・・・
お噂にたがわず、清楚で、おうつくしい方ね」


とおっしゃった。


『お噂にたがわず、おうつくしい』

は、嘘だと思った。

意地悪か、それとも慰めか、とっさに判断しかねた。



 聞こえよがしの「田舎臭い」「垢抜けない」という嘲笑が
さざ波のようにこちらに寄せて来た、あの初めて宮廷に
上がった日のことは
気にするまいと、自分に言い聞かせてみても
やはり、忘れられない。

平静を装っていながらも、よけいな感情を入り込ませまいと
気負っていたせいか、足に力が入っていたのかも
しれない・・・。

だけど、見かねて腕を貸してくれた
目も醒めるような美男の近衛士官の気のやさしさは嬉しかった。


嬉しかったのに


「あなたのような方は
早く、王妃様のお側に、お戻りにならなければ
なりませんわ」

なんて、素っ気無い言葉を投げつけてしまった。

我ながら、つくづく素直な女ではないわね・・・。



 初老の貴婦人は、さらに

「北欧の方は、いいわね・・・
自然のままの白金の髪と、雪のような肌をお持ちね。
羨ましいわ」


と誉めてくださった。
髪と肌は、自分でも秘かに自慢に思っていることなので
素直に嬉しかった。


「わかりましたわ。この扇は、わたくしから
お返しして置きましょう」


「外国からいらっしゃった方だと聞きましたが
奥様は、あの方を、よくご存じでいらっしゃるのですか?」


わたしが問うと


「ええ、古い知り合いなの。

実はね、若くして外国に嫁がれた方なの。
故あってここでは、ご身分を伏せなければならない方なのよ。

折角のお里帰りなのに閉じこもってばかりいらっしゃるから
せめてもの気晴らしにと、お誘いしましたの」


と、おっしゃった。


「しかし、わたくしは
わたくしの知っているある方に、とてもよく似ていると
思いました。
よく似ているというか、生き写しで・・・」


貴婦人の灰色がかった青い瞳が一瞬、きらりと光ったけれど


「あら、そう。
でも、それはきっと、他人のそら似ね」


と、素っ気無くおっしゃった。

それから貴婦人は、ゆったりとした高雅な仕草で
子卓から孔雀の羽団扇を取り上げると、眺めながら
何か考えていらっしゃるご様子だったけれど
ふと、お顔を上げて


「孔雀は、お好き?」


と、わたしに問われた。


「さあ・・・よく解りませんわ。
でも、うつくしい鳥だと思います」


と、わたしが答えると、貴婦人は言った。


「そうね、とても、うつくしい鳥ね。

華麗で、しかも威厳があるものを喩えて『孔雀のような』と
言うほどですものね。
でも、実は、わたくしは苦手なの。

ねえ、あなた、こんなお話をご存じ?

孔雀はヘラの飼い鳥だったそうよ。

そして、アルゴスが死んだとき
その何でも見通すという100の目をくりぬいて
丹念に自分の孔雀の羽に貼り付けたのだそうよ。

その話を聞いたときから、なんだか気味が悪くなってしまって
苦手になってしまったの・・・。


あら、まあ!!
わたくしったら・・・ごめんなさい。


わたくしの悪いクセなのよ。
どうでも良いようなことをね、気がつけば口にしているの。

どうか、お忘れになってね」
1/2ページ
スキ