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夢の旅人

紫色の空。

日はまだ昇らずじっとしている。

背の低い草原の中を1台のバイクが
走っていた。

バイクは大きなエンジン音を轟かせている。

乗っている男はまだ10代程の
青年に見えた。

「まだ着かないのかい?」
荷台から何かが話しかける。
「もうそろそろだと思うけど」
青年は悠長ゆうちょうに答えた。
青年の顔はゴーグルでよく見えない。

しばらく走っていると道の向こうに
村のような建物が見えてきた。
「見えてきたぞ」
青年はバイクのハンドルを握り直す。

「やっとだねえ」
また荷台から何かが答えた。

村のように見えた建物群は
近付くとボロボロに崩れた廃虚だった。

石畳の道や壁にはこけが生え、
つたが張り巡らされている。
木材は腐り果て、今にも落下しそうだ。

「こりゃ酷いな」

青年は荷台に積まれた麻の籠をゆっくり
と開けた。
すると中から黒い影が勢い良く飛び出した。

「ふう~、久々の外だあ~!」

荷台からの声は、この黒猫だった。

「久々って、さっき野宿で外に居たろ」

青年は自分の荷物を準備しながら答える。

「てか、外が見える籠は無いのかねえ?」

「見つけたら、な」

青年は麻の鞄を肩に下げ、
バイクの荷台に固定された
マスケット銃を持ち出した。

「そんじゃ、行きますか」

緑の草原から突き出した遺品たちは
既に数百年は経っているだろうと
思わせる趣きを持っていた。

木造の屋根は腐り、煉瓦は割れている。
家の中には壊れた机や椅子、
錆びた調理器具が散乱していた。

そんな家々を見ながら青年と猫は
草原を歩いていく。

「すごい散らかりようだな…」

青年は窓とも言えぬ窓から家の中を
のぞき込んだ。
黒猫は草原の中を淡々と歩いている。

「シイロ」

──シイロ。
その声に振り向いたのは、青年だった。

「原因はこれだよ、きっと」

岩の上に座る黒猫が小さな桃色の鼻を
クイッと向ける。

その先には、
家々や地面に突き刺さった剣。
緑に犯された戦車。
そして転がる、白い骸の山。

「…戦争、か」

シイロは頭に付けたゴーグルを直した。
戦場には似つかぬ爽やかな風が
全身を包み、通り抜ける。

「ジェード、あれを探してみよう
何か分かるかもしれない」

「はいよー」

ジェードと呼ばれた黒猫は
草原に飛び込み跳ねながら、
シイロを先導する。


日の出が近付く。
空は東雲色に染まり始めるが
遺された建物達は平然と時を待っている。

「シイロー!あったよー」

遠くからジェードが鳴いた。
シイロはすぐさま駆けつけに行った。

ジェードの足元にあったのは
人間の物であろう頭蓋骨。
その頭蓋骨からは不思議なことに
微弱な心拍音を感じた。

「…夢水晶だ」

「じゃ、やるよシイロ」

ジェードはエメラルドの瞳を
輝かせる。
心拍音は確実に、大きく、はっきり
聞こえるまでになっていた。

夢水晶──。
それは全てのモノに宿る記憶。

優しい記憶、血塗れた記憶。
そのモノの全てを記した水晶。

夢水晶の記憶を見るには
ヒトならざる者達の力を
借りなければならない。

自身の──を代償に。

「頼むよ、ジェード」

シイロが頭蓋骨に手をかざすと
頭蓋骨は7色の光を帯び始める。

次第に光の中から
読めもしない謎の文字が描かれた
魔法陣が数段現れた。

「君の──を代償に夢水晶を開くよ」

ジェードはニヤリと口角を上げ、
エメラルドの瞳を見開いた。

シイロとジェードが光に飲まれていく。


…空が暗い。
先程までの夜明けとは違う暗さ。

よく見ると空は鉛色の雲に覆われていた。

たちまち音が大きくなる。

何重にも重なる銃声。
剣と剣がぶつかり合う音。

そして、嗚咽の混ざった助けを求める悲鳴。

「……これ、全部人間なの?」

濡れ羽色の髪の青年が問う。
疑惑と期待の混じった紫色の瞳は
青年の足元に向けられた。

「そうだよ。人間だよ」

エメラルドの瞳を持った黒猫が答える。
その少年のような声は
軽々しくも、重々しかった。

目の前で繰り広げられる悲劇は
負の感情からやがて傍観を呼び寄せる。

「…なぜ戦うんだろう?」

「戦争の発端は子供の喧嘩と同じさ。
領土の奪い合いや貧富の差、人種差別
とか色々ね」

「ふうん…」

その悲劇の中に1人、気になる奴がいた。

ボロボロになりながら村の住人達を
遠くへ逃がそうとしていた兵士だ。

敵軍は撃ち殺し、住人と味方を守る。
その目には涙が浮かんでいた。

「さあ、そろそろ戻らなきゃ。
夢に長居は禁物だよ」

黒猫は背後の闇に向かって
歩き始めた。

青年はその兵士を見つめたまま動かない。

「何やってんのさ、置いてっちゃうよ?」

「…あ、ああ。行くよ」

青年が闇に向かおうと背を向けると
少し立ち止まり、振り返った。

「大事な人が居るって、羨ましい事だよ…」

血塗れで倒れた兵士の手には
妻子と思わしき写真が握られていた。

視界が闇に覆われる。


目を開けると、ちょうど
太陽が顔を出し始めた瞬間だった。

「やあ、気がついた?」

「…ジェード」

上半身をゆっくり起こすと
あの頭蓋骨は光の粉となって
風に攫われてしまった。

「大事な人って何なのかな…」

シイロの唐突な質問にジェードは
思わず笑いだした。

「急にどうしたのさ、らしくないなあ」

「別に良いだろ」

ジェードは日の出に照らされ、
草原に大きなシルエットを作り出す。

「大事な人が居るってのは幸せだと思う。
けど、時にそれが足枷となる。
面倒だけど、それが人間だろ?」

「そうなのかもな」

シイロが歩き始めるとジェードも
ぴったり着いてきた。

「人間は愚かだよ。
自分の為に奪い、貪り、満悦する」

「人はみんな自己中心的なんだよ、多分」

「君もその1人だからね」

「そっか」

「本当に愚かだよ、君は…」

ジェードは怒っていたのか、
哀しかったのか分からないが
きっと両方だと思う。

"夢水晶の記憶を見るには
ヒトならざる者達の力を
借りなければならない。

自身の{魂}を代償に。"

「ジェード?どうした?」

シイロの紫色の瞳は
朝に塗り替えられた夜空の紫に
似て、とても美しかった。

「なんでもないよ」

ジェードはバイクに乗せた籠へ飛び入った。
静寂の村にエンジン音が響き渡る。

朝焼けは、廃れた記憶を鮮明に
照らし出していた。
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