ここにいる俺に望むこと

 それで凄んでいるつもりか、と思わず笑いが溢れた。ゆったりと寝台の上で寝返りをうち、下腹のあたりをさすって見せる。「聞くわけないだろ。このあとどうなるかもわかっているんだ」
 厳密にいえば――先刻飲んだのは、かつて眼前の男が口にした時よりもだいぶ薄めた状態のものだが――胃の腑から腸管を通り、全身に行き渡っていくそれがどんな作用をもたらすか、想像はついている。
「知ったことか、お前が勝手に――」
「なら、外出の許可を出してやろうか」
 未だ猜疑に満ちた縄張りの中で、己の目の届く場所以外での自由を許されたことのない男には、喉から手が出るほど欲しいはずのもの。それをぶら下げてやったというのに、バロンの顔は固く強張ったままだった。
 薄っすらと立てていた仮説に筋が通るのを覚えて、サーフは満足げな吐息をこぼす。
 幾分重だるくなってきた体をゆっくりと起こし、掛布に手を伸ばした男の方へ膝を進める。
 まだ気がすまないのか、と硬い声が押し出されるのを耳にした。後退る体躯を壁際へと追いこんで、汗の浮いた額にそっと唇を落とす。
「当たり前だろ」と応じた自身の声も、熱でかすれているのを自覚した。「まだ、一番見たいものを見ていない」
 覆いかぶさろうとする自身の体を押し返そうと、手が伸びてくる。だが、持ち主が期待するほどの力はこもっていなかった。ぎり、と奥歯をきつく噛みしめる音がする。
 それでも虚勢を張って己を睨みつけたままの男に、仄暗い欲が腹の中で暴れ出す。
「うれしいよ、まだそんな目ができるんだな」
 肩で息をして、怒りを押さえつけようとする男を、間近で見下ろす。駆け巡っていく血で色素の薄い皮膚が色づいていく様を眺める。
「だけど、いつまでその身体の主導権を握っていられる?」熱っぽい声で告げながら、しなやかな指先を左手首から二の腕にかけてすべらせ、上腕でほのかに自己を主張するアートマシンボルに触れた。
 息を呑んだバロンの体が弾かれたように跳ね、右手が互いの体の間に割りこんでくる。
 抵抗をやすやすと抑えこみ、体をぴったりと寄り添わせた。下肢を絡めて下腹部を押し当てると、微かな怯えをはらんだ呼気が耳のつけ根あたりをくすぐっていく。
「あのときのこと覚えてるか。お前は部屋の隅の方で姿を隠していたけど、匂いまでは消せていなかった」
 なぜそんな話を始める、と視線が問いかけてくる。途方に暮れたような色が、青いペイントの施された頬を横切っていった。
「俺がどうしてあれを飲んだと思う」ついばむように頬や額に口づけながら問いかける。吐き出される息が湿った気配を帯びていくのに気をよくして、再び左の二の腕をさする。
「教えてやるためだ 俺が傍にいるということを、はっきりと。お前のアートマに」
 厚みのある手のひらが互いの顔の間に割りこんでくる。拒絶はかたちだけのもので、壁の方へ背けられた目はすっかり熱にとろけていた。肌はやけどしてしまいそうなくらい熱く、指先が首筋や胸や腰、鼠径部をかすめるだけで、たまらなさそうに身を捩る。それでもまだ逃げを打ち、弱々しい抵抗をみせる。
「突き飛ばしてみればいい」とサーフは笑った。「お前も知っているはずだ。たいして力が入らない」
 なにかを耐えるように寄せられた眉が震える様が見えた。今この場で逃れること、それから、後のことを天秤にかけている。
 一糸まとわぬ臀部に、ゆっくりと手のひらをすべらせる。怯えをはらんだ瞳がそれを追いかけてきた。手首を掴んだ手のひらは熱く、こめられた力はあっさりと無視できる程度のものだった。
 どうやら、たいして力が入らないのはお互い様らしい。
 人差し指と薬指で引き締まった肉を割り開き、中指の腹ですぼまった場所をするりと撫でる。
 余裕のない吐息に混じって、制止の懇願。もう十分つき合っただろうと、熱でかすれた声が告げてくる。そういうのもいいが、いま聞きたいのはそんな言葉じゃない。
「俺の名を呼びながら、たまらなそうにここをかき回していただろ。なら、ここにいる俺に望むことがあるはずだ」
 入口の周りを指先でこね回しながら問えば、弱々しく頭を振る。
「強情だな。どのくらいもつか、試してみるか」
 後孔から尾骨にかけてを指先でゆるくさすりつつ、血の気の引いた頬から首筋にかけて左の掌をすべらせていく。すくめられた首の後ろでしばらく指先を遊ばせて、後頭部を引き寄せる。
 口唇をついばむように刺激する。観念したように薄く開いたところへ舌を潜らせれば、震える瞼をきつく伏せたのが見えた。
 数拍後、薄く開いた青色の瞳に欲情の気配を嗅ぎとる。気をよくしながら、向かい合うような形で寝台の上へ引き倒した。
 恐れるように両目を見開いた舌をきつく吸い上げながら、後ろの孔に右手の中指を潜らせる。根本まであっさりと飲みこんだそこは、熱く熟れ、湿っていた。
 その前の行為で塗りこんだ潤滑剤とは異なる粘度。吟味するようにゆっくり抜き挿しすれば、いやらしく湿った音が耳元まで響いてくる。
 足をもう少し曲げるように、なるべく穏やかな声で告げた。わずかにためらいを見せたが、バロンは大人しく従った。さっきよりも手の方へ突き出される形になった孔へと、今度は三本の指を忍ばせていく。
 全身を緊張させる後頭部をなだめるように撫で、先程よりもねっとりと絡みつく中の感触を楽しむ。たまらなさそうにこぼれたため息が頬をくすぐった。引き抜いた指にまとわりついたぬめりを親指で確かめながら、今日もここに出していない、とぼんやり思う。潤滑剤はさほど長持ちしない。では、これはなにか。
 濡れた音を立てて出し入れするたびに、寝台の上で厚い筋肉の塊が跳ねた。合わせた唇から、甘さを帯びたくぐもった声が漏れ出てくる。細められた目から険しさが溶け去っていくのが見てとれた。
 頭の隅で弾けた着想に笑みを深くして、顔を離す。互いの舌先から唾液が糸を引いた。
「こんな風になるのは、いつから?」
 すっかり熱に屈して、放心したような表情をさらした男が、それでもためらう素振りを見せる。目が泳ぎ、部屋の中をさまよった。
「教えてくれないのか」と浅いところをかき回し、もどかしげに腰を揺すった男にいたずらっぽく微笑みかける。ゆるく勃ちあがった前も少し擦り上げてやると――糸が切れたように敷布の上へ総身を沈めたバロンが、ようやく白状する。
 曰く、気づいたのは前回己が立ち去ったあと。つまり二度目ということになる。
「原因にも心当たりがあるだろ」
 おそらく同じことを考えている。唇を噛み、バロンは不本意そうに顎を引く。
 中に出されると調子が悪くなる。そう告げられたのが前回の訪問時。
 そのときはそういうものかと受け入れたが、結果として今の状況がある。
 互いの体内に宿るアートマは、獲物の血肉と体液を際限なく求める。これまでの行為で肚の中に吐き出してきた白濁が、それらの代わりになっていたとすれば筋が通る。
 快楽と結びついた食事の代用。身を危険にさらすことなく、アートマが力を維持するために必要とする要素を取り入れるための行為として、受け入れられようとしている。
 細めた目で、薄明かりの下に晒された裸体を丹念になぞっていく。居心地悪そうに掛布へ伸びた左の手首を掴み、耳元へ口を寄せた。
「これまでこんな風になったことはない。変わったんだ」後孔を指先で弄びながら、声に喜色がにじむのを止められない。「俺を受け入れるために、お前の体が――」
 指の届く限り奥の方をかき回してやるうちに、筋肉質な腕が己の肩をきつく抱きしめた。湿った喘鳴に混じって、切なく名を呼ぶ声がする。ノイズの乗った映像の音声で聴いたのと同じ響き。
 三本の指を根本までくわえこんだ腰が蠢き、ずちゅずちゅといやらしい水音が鼓膜にすべりこんでくる。熱っぽいため息とともに、くり返し自身の名がこぼれ落ち、頬をかすめていく。
「わかってる。指だけじゃ足りないよな」
 弱々しく何度も頷く男の頬に口づけてから、湿った孔の中で忙しくしているのとは反対の手で、もたもたとアームカバーを外しにかかる。
 熱に濁った瞳が手の動きを追いかけてくるのがわかった。すぐにでも欲しいのに、叶わない。当人には自覚がないであろう失意が双眸をよぎるのを見てとって、腹の奥の方をくすぐられる気分になる。
「少し待ってくれるか」急かされてやるつもりは毛頭なく、軽く肩を竦めてみせる。「見ての通り、片手しか使えない」
 もどかしげに顔を歪めた男の指が伸びて、両腕のアームカバーをあっさりとむしりとった。
 手にしたそれを放り投げ、荒く息をついたバロンの両目が妙に据わっている。サーフは思わず笑みをこぼした。
 互いの体の間に割りこんだ手が、今度は上衣のファスナーを引き下ろしにかかる。
「早く欲しいんだな」コルセットを固定するバックルに伸びた手を喜ばしく受け入れながら、バロンの頬をやんわりと撫でた。
 いささか乱暴に金具の弾ける音が、その応えだった。
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