ここにいる俺に望むこと


事後描写と前戯。都合のいい媚薬と肉体の変化ネタ。


 ごわついたアームカバーに腕を通し、上衣のファスナーを引き上げる。
 僅かな気だるさに細めた目を寝台の上に落とせば、力の入らない指でもどかしげに掛布を引き寄せた男と目があった。太い下肢がうごめいて、薄い布の下に屈強な肢体が潜りこんでいく。壁際にぴたりと寄せられた寝台が軋んだ音を上げた。
 即座に逸らされた視線は追わず、脱力した体躯の形に沿って膨らんだ布地を見つめる。
 緩やかに上下する胸から、つい先程まで散々に弄んだ下腹部へ至るまでを丹念に銀の両目でなぞっていけば――当惑混じりの視線が右頬へと投げかけられたのに気づいた。素知らぬ素振りでしばらくそのままにさせておき、寝台の端に腰掛けたままゆったりと伸びをする。背中に幾筋も残された爪痕が、ひりひりと控えめに存在を主張してきた。
 くつろいだ所作で足を組み替えたところで目を合わせ、軽く首を傾げてみせる。そこでようやく相手の視線に気づいたかのように。
 怪訝な色を隠そうともしない目つきは、いささか不躾でもあった。険しくひそめられた眉の下、釣りがちな瞼に縁どられた青い瞳が、探るようにこちらを見上げている。
「どうかしたのか」
 尋ねれば、それを訊きたいのはこちらだと、かすかに歪められた表情が伝えてくる。不可解そうな視線を受け止めながら、サーフは淡く微笑んだ。バロンはぴくりとも笑わなかった。
 笑みを深くし、おもむろに腰を上げる。視界の隅、肘でわずかに上体を持ち上げた男の目元に、ようやくか、と安堵がよぎるのを見逃さない。
 出ていこうとする途中で思い出したように体の向きを変える。扉とは反対の方向に歩を進めていきながら、警戒に満ちた視線が背中に突き刺さるのを愉しむ。
「喉が渇いたんじゃないか」
「……お前の世話など」がさがさにかすれた声を遮るように、騒がしく音を立てて冷蔵庫の扉を開ける。
「ちょうど冷えてるのがある」
 今日入れたボトルがぬるいままなのを指先で確認しながら、首だけを回してバロンを振り返る。垂れ落ちてきた前髪を撫でつけた姿勢のまま、男がさっと顔を強張らせたのがわかった。サーフは眉を上げる。
「前来たときに持ってきた分だな。飲まなかったのか?」
 応えはなかったが、己が残していったものに口をつけるわけなどないと知っていた。そういう遊びは前にやっている。
 あれは心底よかった、とサーフはボトルを手に腰を上げる。
 部屋中に満ちていた、ままならぬ体に対する怯えの気配。脂汗にまみれて、隅で身を縮めていたバロン。近づこうとすれば怯えた声を上げ、部屋にあるものを片端から燃やして接触を拒んだこと。朦朧として動けなくなるまでの攻防。ようやく縋りついてきた指先の震え、まつげが頬に落としていた影の形まで、克明に思い出すことができた。がちがちに張り詰めて布地を先走りで湿らせていた箇所を撫で上げたときに溢れさせた声色。散々に吐き出させた白濁と汗にまみれて、喉が枯れるまで繰り返された懇願。心地よく耳朶を刺激したそれらを思い起こせば、無意識に喉が鳴った。もう少しで楽になるからと言い聞かせ、この男が意識の綱を手放すまでまぐわい続けたのは記憶に新しい。
 それ以降は食事を運んでも、目の前で食べてみせなければ手をつける気配もないと報告を受けている。
 黙したままこちらを睨めつける青い瞳を見返しながら、見せつけるようにボトルの蓋を開けた。
 冷えた水を一口あおる。喉をすべり落ちていく清涼な感触に、深く息をついた。口腔から鼻腔に抜けていく匂いが想定通りであるのを確かめて、もう一口。
 錆の浮いた壁を視線で軽く撫で、落ち着かない様子でこちらをうかがっている男に注意を戻した。
 視線をさまよわせ、おそらく無意識に掛布の下で足を揺すっている。動揺しているのは明白だった。無理もない、とサーフは切れ長の目を細める。
 あれから十数サイクル。遅々と進まぬ塔の攻略と、縄張りに寄せてくるニュービーを蹴散らす合間の気晴らし。
 ことが済んだあと、この部屋にだらだらと居座ったためしはない。
 だが、と更に水を口の中へ流し入れる。今日だけは、すぐに立ち去って安心させてやるつもりなどなかった。
 確かめたいことがある。
 半分ほど中身を減らしたボトルを、これならどうだとばかりに顔の横で振ってみせる。「飲むか?」
「……」
 ちゃぷりと音を立てたそれを胡乱げに見上げた男の喉が、わずかに上下したのがわかった。
 寝台の脇へ回りこんだこちらの動きを、青い両目が用心深く追いかけてくる。
 微かな緊張の気配が空気に漂った。掛布の下で下肢が蠢き、身構えているのが伝わってくる。逃げ場などどこにもないのに。
 喜悦が腹の底をくすぐっていく。
 ためらいがちに伸びてきた指が、サーフの手を避けるようにボトルに触れ、むしりとっていった。
 なおも警戒をあらわに、こちらをうかがいながら水に口をつけようとする。
 ボトルが傾き、冷えた水が厚みのある唇に向けて降りていく。
 その様を横合いから眺めながら、目を細める。
 透明な液体を口に含んだ男の表情が、次の瞬間固まった。素早く寝台の上に身を乗り出し、投げ出されかけたボトルを奪う。
 もう一方の手のひらで顎をすくい、ためらいなく唇を塞いだ。
 くぐもった呻きをこぼしたバロンの両目を、凍えた灰色の目で覗きこむ。喉元を指でくすぐってやりながら。
 寝台の上で総身をこわばらせ――やがて力なく目を伏せた男が、口内に含んだものを飲み下した。
 荒々しく上下する肩に指先をすべらせて、サーフは艶然と微笑む。
「覚えていたのか。鼻が利くんだな」
 バロンの視線が険を含んだものになる。形のいい唇から控えめな笑声をこぼして、サーフは体を起こした。
 乱れた掛布を直してやり、残った水を一息に飲み干す。
 空のボトルをダストボックスに向けて放ったところで、男が信じられないものを見る目で己を見上げていることに気づいた。
「ああ、その反応が見たかった」サーフは濡れた唇を舐めて応じる。「期待通りだ。自分じゃ飲まないと思ったか?」
「ばかな。あんなものを……」
「今日はもう少しつきあってもらうつもりだったからな」
 こともなげに告げて、隣に体を横たえらせる。
 わずかに体を引こうとしたバロンの手首を掴み、もぞもぞと掛布の下に潜りこむ。
 薄く保温性の高い布の下に隠れていた、汗ばんだ肢体が眼前に晒される。湿った体臭。混じり合う、互いの汗と体液の匂いがこもっている。
 居心地悪そうに身じろぎした腰に腕を回して、ぴたりと体を寄り添わせる。左耳を胸板に押し当てると、駆け足になった脈動が耳朶を叩いた。
「持ってきたときには、そうだな。お前に飲ませるつもりだった。だけど――」
 指先をむき出しの胸へ、浅く上下する腹部へとすべらせていく。息を詰めて身を固くするのに気をよくして、肘で体を少しだけ起こす。
 鼻先を突き合わせるように顔を寄せ、微笑んだ。「もう必要ないだろ、お前には」
 探るような目つきが差し向けられてくる。手のひらを胸元に置けば、先程よりも一層速くなった脈を感じる。
「知っているはずがない、そう思っている顔だな」
 ささやきかければ、わかりやすすぎるほどに目が泳ぐ。応えない唇を自身のそれでやんわりとくすぐり、うなじの方へ左手を巡らせ、青い髪に指を絡めた。
「実際、知らなかったんだ。今日ここに来る前までは」
 広く張った肩を丸めて、生唾を飲み下す男。その目元が血の気を失っているのを見てとり、なるべく優しい声で続きを紡ぐ。
「お前があんな声で俺の名を呼ぶなんて、思いもしなかった」
 鋭く息を呑む音。焦燥が心地よく香り立ち、鼻腔を甘く刺激してくる。
「すまなかったな」もたつきながら距離をとろうとするのを許さず、足を絡めて抑えこむ。「肝心なときに、そばにいてやれなくて」
 決定的な一言。
 すっかり血の気の引いた顔の中で、青い瞳が落ち着きなく周囲を探っている。この部屋にしかけたマイクを探しているのだとすぐにわかった。
 だから、笑みを浮かべてべつのことを口にしてやる。
「心配しなくても、俺以外には見られないように鍵をかけてある」
 色を失くした相貌が、ぎこちなくこちらを向いた。
「……見た、だと。あれを、あんな――」
「そう聞こえなかったか」
「……ッ」
 互いの体の間に太い腕が割りこんできた。乱暴に押しやられる。絡めていた脚が振りほどかれ、掛布が乱れた。淡い照明の下に、一糸まとわぬ男の肢体がさらけ出される。それでも構わずにもがき、寝台の済へと逃れたあと――バロンはかすれた声を吐き出した。
「出ていけ、今すぐに!」
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