師団パーティまで
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「さあカンナちゃん! 女の子同士、一緒に自分たちの『魅力』を磨きに行きましょう!」
「ちょっと待ってくださいエリザベッタお姉さま、服の袖を引っ張らないでください。私はそんな破廉恥な授業に興味はありません」
処刑玉砲の熱戦から数日後。
バビルスでは各自の特性に合わせた『選択授業』が始まっていた。
私は1人でゴリゴリの肉弾戦ができる授業を選ぶつもりだったのだが、問題児クラスのお姉さま、イクス・エリザベッタの圧倒的な美貌とハグ、クララの「カンナちんもいっしょにいこー!」というゼロ距離突撃に押し切られ、気がつけば私は、甘い吐息のような香煙が立ち込める『誘惑授業』の教室へと引きずり込まれていた。
この授業は完全な女子限定の極秘レッスン。男悪魔たちの立ち入りは一切禁じられた、女の子たちだけの秘密の園だ。
「エロスとは、育てるもの」
教壇の前で妖艶にポーズを決めながら授業を進めるサキュバス(魅了)の権威であるライム先生。
「サキュバスは相手好みに姿を変えるけど、最も重要なのは相手を落とす技・術(テク)♡」
そう説明しながらライム先生は家系能力『審美眼(イロケスコープ)』で各生徒のエロ度を確認して、それに合ったテキストを配り始めた。
「あら、有名な特待生のカンナちゃんじゃない。個人的に貴女のこと、気になってたのよね〜♡どれ、今の魅力度(エロ度)を測ってあげるわ」
ライム先生の審美眼が弾き出した数値は――『51%』だった。
「 まぁ!ケロリちゃんと同じ数値ね!」
「意外ですね、カンナさん。普段はツンツンしているのに……!」
ケロリやエリザベッタお姉さまが歓声を上げる。しかし、ライム先生はニヤリと挑発的な笑みを浮かべた。
「ふむ、ベースの魅力は文句なしね。……でも、少し低めね。貴女のポテンシャル的にはもう少し上かと思ってたんだけど…ねえ、カンナちゃん。次の授業までに、その数値を『60%以上』に上げてみなさい。それができたら、私の誘惑授業、受けなくてもいいわよ♡」
「……」
男悪魔を魅了するフェロモンなど、ただの脳内麻薬の撒き散らし。そんな生ぬるいもので男が完全に支配できると思っているなら、随分と底が浅い。
私の胸の奥で、戦場育ちのプライドが、ピキリと不敵に鎌首をもたげた。
宇宙最強の傭兵部族、夜兎。
私は3歳から実戦の殺戮訓練を叩き込まれてきたが、同時に10歳からは、あらゆる惑星の重鎮の懐へ潜り込むための『房術(色仕掛け)』の知識と技術を、狂ったような英才教育で完璧にマスターさせられていた。
標的の呼吸の乱れを読み、視線の交差だけで脳の理性を狂わせ、指先ひとつの接触で心臓の鼓動を支配する、冷徹な暗殺の応用技術。
私は冷ややかな琥珀色の瞳をライム先生に向けた。
「分かりました。その安っぽい喧嘩、買いましょう。男を骨抜きにするなど、骨格の構造を知っていれば簡単な計算問題です。すぐに数値を塗り替えて見せますよ」
私はそう言い残し、静かに教室を後にした。
◇
廊下に出ると、私の脳内はすでに「誰を標的にして、房術を叩き込むか」のシミュレーションで埋まっていた。やるからには、中途半端な男悪魔ではつまらない。
しかし、廊下を歩きながら思い浮かべた「房術の手順」を脳内でトレースした瞬間、私の身体の奥から、悍ましい『過去の記憶』がどろりと濁流のように溢れ出してきた。
(……あ、く……っ)
春雨の任務で、実際にこの技術を駆使して男を陥れたのは、これまでに3回。
自らの歪んだ欲を吐き出すために、私をただの幼い『玩具』として扱い、平手打ちを浴びせ、私の首を無遠慮に、強く締め上げて悦に浸っていた標的たちの、反吐が出るほど醜悪な手付きと感触。
貞操だけは、自身のプライドと生存本能にかけて絶対に守り抜いてきた。一線を越えられる前に、私は必ずその男たちの息の根を冷徹に止めてきた。
いつしかそういった任務は神威に目をつけられてから遠ざかっていたので忘れられていた。
だけど、相手に主導権を握られ、一方的に暴力を振るわれ、首を締め上げられた時の、あの呼吸が止まるような生々しい恐怖と窒息感の記憶だけは、今でも私の身体の芯にこびりついて離れない。
私は急激な吐き気と目まぐるしい目まいに襲われた。
「っ、は……、ふ……ぅ……」
視界が歪む。私は冷や汗を流しながら、壁に手をつき、その場にへなへなと蹲りそうになった。
胸が苦しい。血の匂いのしないこの平和なバビルスの廊下で、私はかつての戦場の、歪んだ大人たちに植え付けられた呪縛に、一人で押し潰されそうになっていた。
その時、頭上から、地獄の底から響くような低い声が降ってきた。
「――おい。貴様、そこで何をしている」
黒いマントの上から腕を組んでこちらを鋭い三白眼で見下ろしていたのは、担任のカルエゴ先生だった。
「カルエゴ、先生……っ」
「あ? ……貴様、顔色が最悪だぞ。なぜそんな所で、無様なツラを晒して――」
不機嫌そうに眉間を深く刻む陰湿教師。
私は、自分のこの無様な姿を、最も見られたくない厳格な担任教師に知られるわけにはいかないと、混濁する意識の中で強烈に身構えた。
体調不良を誤魔化すため、そして触れられる恐怖からこの鋭い番犬を力技で遠ざけるため、私は咄嗟に、無理な強がりを込めて、『誘惑術(房術)』を先生に向けて剥き出しに発動させた。
「……ちょうどいいところに、来ましたね」
私はフッと、唇の端だけを妖しく歪めた。
一歩。
いつもなら絶対に近づかない、カルエゴ先生のパーソナルスペースの内側へと、よろめく身体を隠しながら、音もなく滑り込むように足を踏み出す。
「おい……? 貴様、何だその距離は。下がれ」
カルエゴ先生が微かに眉を潜め、私を押し戻そうとした、その刹那。
私は持っていた番傘をわずかに傾け、カルエゴ先生と私の二人の顔を、周囲から完全に隠すようにして遮光の闇を作った。
至近距離。先生の大きな身体の影が私を覆う。私はゆっくりと瞼を持ち上げ、湿った琥珀色の妖艶な瞳で、カルエゴ先生の三白眼を真っ正面から、至近距離で見つめ返した。
私の白く華奢な指先をすっと伸ばし、カルエゴ先生の黒いマントの襟首に、愛おしむようにそっと触れた。指の腹が、先生の硬い胸元から、ゆっくりときっちりと閉じた首元へ滑らせる。
至近距離で、私の唇が微かに開く。甘く、冷たく、魂を毟り取るような吐息を囁いた。
「……ねえ、カルエゴ先生。そんなに怖い顔ばかりして、いつも私のことばかり見つめて……。そんなに私のことが、気になって仕方ないのですか?」
私の指先が、制服の襟を強引に引き寄せようとした。
これで先生が狼狽えてくれれば、その隙に逃げられる――そのはずだった。
――ガシィッ!!!
「っ……!?」
突如、私の手首に、鉄錠のようにつかみかかる強靭な力がかかった。
カルエゴ先生の大きな手が、私の華奢な手首を完璧な力加減で、しかし絶対に逃がさない強さで、一瞬で掴み取ったのだ。
カシャン、と番傘が落ちる音が響く。
「――舐めるなよ、小娘が」
上空から降ってきたのは、いつもの怒声ではない。
鼓膜をじりと灼くような、低く、冷徹で、そして圧倒的な『大人の悪魔』の声音だった。
カルエゴ先生の鋭い三白眼が、私が仕掛けた暗闇の奥で、ギラリと猛獣のように妖しく明滅していた。
「っ……、離せ……先生……っ」
「……貴様、強がって色仕掛けの真似事などしているが、指先がガタガタに震えているぞ。呼吸も浅い。……そんな状態で籠絡できると思ったか」
私の指先、呼吸の乱れからカルエゴ先生はクッと奥歯を噛み締めると、掴んだ私の手首を強引に引き寄せ、今度は先生自身の分厚い黒いマントを大きく翻し、私をさらに深い闇の中へと力強く引きずり込んだ。
壁と先生の分厚い胸板の間に、私の華奢な身体が完全に閉じ込められる。密着した身体から、カルエゴ先生の体温と、コーヒーのようなビターな香りが津波のように押し寄せてきた。
カルエゴ先生の大きな手が、私の顎をグイと強引に持ち上げる。
至近距離で交差する視線。先生の唇が、私の耳元へと容赦なく近づき、低く、色っぽい声音を囁いた。
「いいか、カンナ。……本物の『誘惑』というのはな、何かに怯えながら、小手先の指先や呼吸で飾るものではない。一度足を踏み入れたら二度と忘れられないよう記憶に植え付け、相手の魂の底までを榧め取り、支配する。……絶対に手に入れたいと思わせるほど『執着』させるのだ」
先生の低い声音が鼓膜をじりと灼くのと、同時だった。
顎を捉えていた先生の大きな指先が、私の後頭部へと音もなく回り込んだ。
そして、私のネイビーの髪をきつく縛り上げていたポニーテールの髪留めを、驚くほど鮮やかな手つきでスルリと解いたのだ。
「っ……、あ……」
はらり、と髪留めが床に落ちる。
束縛を失った私のネイビーの髪が、ふわりと、静かに肩の上へと零れ落ちて広がった。
「普段はそうやって、虚勢を張っているくせに……。そんなボロボロのツラで、私に勝てると思うな。」
至近距離で、解かれた髪の隙間から、カルエゴ先生の熱い視線が私の露わになった首筋へと注がれる。
ドクン、と、私の心臓が、生まれて初めて恐怖とは違う理由で激しく跳ね上がった。
先生の放つそれは魔術ではない。彼がこれまでの人生で積み上げてきた、『男としての格、強者の覇気、そして圧倒的な大人の色気。』
結び目を解かれ、視界を覆うように広がった自分の長い髪の毛の香りと、先生の濃厚な気配に脳内を直接ハッキングされ、さっきまでの「歪んだ大人たちに首を絞められ、平手打ちをされた」醜悪な記憶が、先生の圧倒的な熱量と大きな手の温もりによって、綺麗に上書きされ、灼き尽くされていく。
完全に、返り討ちだ。
私の顔が顔面から火が出るほど真っ赤に染まっていくのを自覚した。足の力が抜け、へなへなと崩れ落ちそうになるのを、先生の手が強引に、けれど優しく支えている。
カルエゴ先生は、私のその無様な大赤面と狼狽えっぷりを見下ろすと、私の呼吸が落ち着いたのを確かめてから、フッと鼻を鳴らして手を離した。
「……フン。顔が真っ赤だぞ、大馬鹿者が。そんな生ぬるい仕上がりで、よくも私に仕掛けようとしたものだ。……出直してこい」
カルエゴ先生はマントをバサリと開き、私を暗闇から解放すると、いつもの不機嫌な顔に戻って腕を組んだ。
「貴様は今すぐ教室へ戻って頭を冷やしてこい。次の授業に遅れたら、ただでは済まんぞ」
「……っ、偏屈老け顔教師のくせに、意地が悪すぎます。……大嫌いです、先生」
私は手首をさすりながら、消え入りそうなほどの蚊の鳴くような声で精一杯の毒舌を吐き捨てた。しかし、さっきまでの吐き気や気分の悪さは、先生のあの逞しい腕の温もりのおかげで、嘘のようにすっきりと消え去っていた。
私は顔の赤さを隠すように落ちた番傘を慌てて拾い、顔を隠し、足早に廊下を走り去った。
遠ざかる私の背中を、カルエゴ先生が、ほんの少しだけその三白眼を細め、いつもより深く、熱い視線で静かに見送っていた。
廊下を走りきった私は、壁に背中を預けてハァハァと荒い息を吐き出した。
身体の芯が、まだ先生のあの低い声の熱量で痺れている。
(……なんなの、あの悪魔。……あんなの、計算の範囲外。……悔しい。)
私は自分の胸元をぎゅっと掴み、生まれて初めて敗北した『房術の失敗』の悔しさと、胸の奥の甘やかな疼きに、きつく唇を噛み締めるのだった。
ちなみに。
後日、授業でライム先生が、『審美眼(エロスコープ)』で再び覗き込んだ瞬間、『66%』という数値を叩き出していた。
「……カンナちゃん、貴女、この短期間で一体誰にそこまで色気を『開花』させられたの!?」とライム先生がキラキラした目で迫ってきたが、私は無表情のまま、「ただの計算ミスです」と冷たく突き放し、先生の課題はクリアしてるものの悔しさのあまり自ら授業の継続を行うカンナであった。
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「……何をムキになっているのだ、私は」
番傘で顔を隠し、足早に廊下を走り去っていくカンナの、まだ耳まで真っ赤に染まった後ろ姿を見送りながら。
ナベリウス・カルエゴは、組んだ腕をほどくこともせず、静まり返った廊下でただ一人、自身の呼吸を整えていた。
「……チッ」
小さく吐き捨てた舌打ちの音すら、いつもより低く、酷く掠れている。
カンナを強引にマントへ引きずり込み、そのポニーテールを解いた自身の大きな右手のひらには、未だにサラリと指先を滑り落ちたネイビーの髪の残熱が、悍ましいほどの存在感で残り続けていた。
(……ただの、小娘の悪戯だ)
そう、自分に言い聞かせる。
ライム先生の誘惑授業に影響され、少しばかり知恵をつけた生意気な問題児が、よりにもよって担任である自分を標的に、浅薄な色仕掛けを試してきた。だから教師として、大人の悪魔としての『格の違い』を分からせ、二度とそんな舐めた真似をさせないために、完膚なきまでにねじ伏せてやった。
教育として、至極当然の、厳格な対応。……そのはずだった。
(だが、何だ……あの『違和感』は)
カルエゴの鋭い三白眼が、暗がりの奥で、昏く、じっと細められる。
マントの闇の中で、至近距離で交差した、カンナのあの湿った琥珀色の瞳。
衣服の擦れる音を小さく響かせながら、己の襟元を正確に引き寄せてきたあの華奢な指先の、淀みのない迷いなき軌道。
――あれは、男を誘惑するためだけの動きではない。
(……あの小娘、襟を引くフリをして、私の『頸動脈』の位置を確認していた。)
背筋を冷たいものが駆け抜ける。
カルエゴはバビルスの番犬であり、戦いにおいては一瞬の隙も許さないプロだ。だからこそ、カンナが至近距離まで肉薄し、マントに触れ、ネクタイに指をかけたあの滑らかな一連の身のこなしの裏に隠された、『いつでも相手の急所を的確に突き、一撃で命を奪える暗殺者の間合い』を、瞬時に察知していたのだ。
男の理性を狂わせる極上の色香。しかしその甘い罠の真下には、相手の呼吸をハッキングし、一瞬で首の骨を撥ねにいくような、冷徹で、あまりにも完成された戦場の『暗殺・潜入技術』が狂い咲いていた。
ただサキュバスの授業をほんの数十分受けただけの、生真面目な温室育ちの生徒が突発的にできるような代物では、断じてない。
(理事長の孫娘、カンナ……。貴様、一体どこでそんな『血生臭い手口』を体に染み込ませてきた……)
飛行レースで見せた、魔術を一切使わずに地力を剥き出しにして走るあの異常なフィジカル。
そして、魔力を拒絶する、悪魔でも聞いたことのない体質。
その謎の塊のような身体に、今度は男を合法的に破滅させるための色香と、それを隠れ蓑にした『一撃必殺の牙』までが混ざり合っている。
あの理事長の孫だと聞いていたが、あの大悪魔は、一体どこからこんな得体の知れない怪物を拾い上げてきたのか。
番犬としての警戒心が、カンナの秘められた『存在』に向けて、ギラギラとした執念を燃え上がらせる。
だが、それと同時に。
カルエゴは、マントの隙から香ってきた、彼女の髪の甘い残り香を無意識に深く吸い込み、クッと自嘲気味に奥歯を噛み締めた。
(あの大馬鹿者が……。それほど恐ろしい牙を隠し持っているくせに、こちらの出方に、あそこまで無防備に顔を真っ赤にして狼狽えおって……)
ただの冷酷な暗殺者なら、手首を掴まれた瞬間に次の手を打って、私の喉笛を掻き切りにきたはずだ。
にもかかわらず、彼女はカルエゴがマントで囲い込み、髪留めを解いた瞬間、完全に『ただのひ弱な女』になって、へなへなと腕の中で大赤面して固まっていた。
牙は本物の怪物(プロ)のそれなのに、内面は驚くほどに幼く、脆く、そして純粋。
あのどうしようもないギャップが、カルエゴの頭脳を、そして男としての本能を、先ほどからずっと激しく掻き乱し続けている。
「……本当に、何をやらかすか分からん小娘だ」
カルエゴは、まだ微かに熱い自身の首元を乱暴に正すと、深く、重いため息を吐いた。
彼女の中にある、底知れない狂気と、壊れてしまいそうなほどの危うさ。
それらを他の有象無象の悪魔たちに利用されるなど、絶対に看過できない。
これからはより一層、彼女の行動を厳粛に判断せねばならない。
それが、担任としての職務だと自分に言い訳しながら、カルエゴは、完全に彼女の放った『呪縛』に、その魂の底に植え付けられたことに、まだ気づいていなかった。
