師団パーティまで
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「……カンナ様。朝です。起きてください」
カーテンの隙間から差し込む魔界の朝光を浴びた瞬間、私の脳内は一瞬で寝不足による不機嫌と、夜兎の本能的な殺意で満たされた。
毛布を頭まですっぽり被り、丸まって無言の抵抗を試みる。一歩も、1ミリもこのふかふかのベッドから動きたくない。
「……動きません。これ以上私を起こそうとするなら、この部屋ごと貴方を地面に埋めます」
「物騒な寝言ですね。ですが、サリバン様が下でお待ちです。イルマ様はすでに登校されましたよ。」
毛布の上から、トントン、と規則正しく私を叩く気配。現れたのは、サリバン邸のSD、オペラ様だった。
観念して毛布から顔を出した私は、手際よく自分をベッドから抱き起こすオペラ様に、前々から抱いていた不満をぶつけることにした。
「……オペラ様。一つ、要求があります。私のことをカンナ様、と呼ぶのをやめてください。様付けされるのは、私の世界での『戦闘道具』として扱われていた下らない主従関係を思い出して反吐が出ます。普通に名前で呼んでください」
鏡越しに、私の虚ろな瞳とオペラ様の冷徹な瞳が交差する。
しかし、オペラ様はパチパチと瞬きをすると、いつになく真剣な声音で、私の要求をバッサリと拒絶した。
「それは出来かねます」
「…なぜですか。私はただの、サリバン様の孫です。しかも実の孫でも無い。様をつけられるような者ではありません」
「私が、サリバン様に仕える『SD』だからです」
オペラ様はブラシを手に取ると、私のネイビーの細い髪を丁寧に梳かしながら、淡々と、けれど絶対に譲らない鉄の意志を言葉に乗せた。
「サリバン様が家族として迎え入れた以上、貴方は私にとって敬うべき主の一族です。SDとしての分を弁えず、貴方を呼び捨てにすることは私のプライドが許しません。ですから、カンナ様。貴方のその要求だけは、聞き入れるわけにはいかないのです」
「……っ」
私の「道具扱いされたくない」という過去の傷。それに対してオペラ様は、「サリバン様のお嬢様」として私を1人の人間として遇するために、SDとしての境界線を守るのだと告げていた。
冷徹に見えて、その根底にあるのは敬意と優しさだった。
私の様付けを止めるという要求は、結局最後まで聞き入れてもらえなかった。けれど、この完璧で頑固なプライドが妙に腑に落ちて、私は小さくため息を吐いた。
「……頑固な悪魔ですね。分かりました。そこまで言うなら、私も貴方を『オペラさん』と呼びます。様付けは、私の柄ではありませんから」
「ええ、それで構いません、カンナ様」
お互いの譲れない一線と、プロとしての、家族としての距離感の着地点。
さん付けで呼ぶようになったその瞬間、私の胸の奥に、ほんの少しだけ確かな絆が深まった気がした。
それにしても、オペラさんの手際は凄まじかった。
一切の引っかかりもなく、まるで流れる絹を扱うような手つきで髪を結い終えると、そのまま私の服のシワを伸ばし、洗面台へ誘導し、気がつけば食堂の椅子へと私を案内していた。
テーブルの上に並べられたのは、温かいスープと栄養満点のご飯。
(……凄い。動きに一切の無駄が無い)
日常の家事を、完璧かつテキパキとこなす者はあまり見たことがない。皆明日を生きるのに必死で他者のために動くことなどなかった。目の前の料理もここ数日私が好きそうなものが並んでいる。特に好みを聞かれたわけでも無い。その洗練されたプロフェッショナルな動きに、私はスープを口に運びながら、内心で深く感心していた。
「カンナちゃ〜ん、おじいちゃんがね! これからの登校のために、最高の馬車を用意したんだよー!」
食堂にパタパタと現れたサリバン様が、嬉そうに窓の外を指さした。
見下ろすと、そこには誰がどう見ても目立ちすぎる超豪華な馬車が停まっていた。大好きな孫達のために張り切って手配してくれたらしい。
ただイルマはオトモダチ2人と登校するので使わない、と言われて相応落ち込んだらしい。
「……目立ちすぎて嫌です。私は歩いていきます」
「そんなこと言わずに乗っておくれー!」
結局、サリバン様の涙ながらの懇願に押し切られ、私は特注の番傘『夜帷(よとばり)』を手に、その豪華な馬車へと乗り込むことになった。
「行ってらっしゃいませ、カンナ様。傘は、手放さないように」
見送ってくれるオペラさんの静かな声に、私は小さく頷いた。
馬車が揺れ、バビルスへと向かう。
脳はまだ半分眠っていているが、オペラさんが梳かしてくれた髪の温もりと、サリバン様との愛が溢れる朝食の時間が、私の冷えた心をじんわりと満たしていた。
だが、馬車を降りる時の注目度が半端ないのでもう乗りたくないと思ってしまうカンナだった。
◇
宇宙最強の傭兵部族・夜兎は、その強靭な肉体と引き換えに、基本は夜行性の生物だ。つまり、カンナは朝が異常なまでに弱い。
サリバンの過剰な空回りの送迎のせいで心労と極限の寝不足による殺意を120%滾らせながら廊下を歩いていた。
(眠い……。魔界の朝日は、どうしてこんなに不快なんでしょう……。)
トボトボ歩きながらカンナは、『13組』の教室の扉の前へと辿り着いた。
扉の前まで来てドアに手をかけた瞬間、野生の勘が働く。
(…チープな罠が仕掛けられてる、気がする)
確証は無い。だが何かある。
そう思っている裏側ではクラスメイトたちの賭けが始まっていた。
本格的に教室に合流するカンナに対し、クラス発表時に仕掛けていた罠をカンナにも掛けようとしていた。
「あ、あの、みんな……っ。カンナちゃんにそんな酷い罠を仕掛けたら危ないよ!」
「そうだぞ! 入間様の妹君に何という不敬を! 今すぐ撤去しろ!」
お人好しな入間がハラハラしながら止め、アズくんが憤慨する中、無視をするリードとジャズ。
「僕は引っかかる方に金貨3枚!」
「俺は驚いて泣き出す方に金貨5枚!」
カンナは眠気で虚ろな瞳のまま、教室の重厚な引き戸に手をかけ――スライドさせた。
ガラガラッ!という音と共に、ドアの上部から大量の武器がカンナへと容赦なく降り注ぐ。
「カンナちゃん……!」
入間が叫んだ、その刹那だった。
――バキキィィィン!!!
カンナは視線すら上げず、無意識の本能だけで、降り注ぐトラップをすべて、その白い「素手」の平手打ちと拳だけで、文字通り木端微塵に破壊・粉砕した。
罠はカンナに届くことなく力技で握り潰し、信じられない風圧と共に粉砕された木片と鉄クズが、床へとパラパラと降り注ぐ。
「「「うわあああ!?!? 嘘だろ!! 罠を素手で殴り壊した!!」」」
凄まじい破壊音の後に静まり返った教室の中で、金貨を握りしめたまま呆然と口を開けて硬直しているリードたちの前に、カンナは傘をカタリ、と肩に担ぎ直した。
そして、眠気でトロンとした、けれど奥底に悍ましい『殺気』を孕んだ瞳で、クラスメイト全員を冷ややかに見下ろした。
「……朝から騒がしいですね。今の穴だらけの罠を仕掛けた時点で、全員首を撥ねて肉塊にしていますよ。おまけに眠気が完全に吹き飛びました。どう責任を取ってくれるんですか、無能な悪魔ども」
「「「ヒッ……!!!」」」
私の容赦のない冷酷な毒舌と、魔術も使わずに無意識の腕力だけで罠を完全破壊した圧倒的な『覇気』に、教室内が恐怖で凍りついた。
誰もが息を呑み、静まり返る教室。……だったのだが。
「す、すっげえええええ!!! なに今の!? 物理!? 素手で殴り壊したよね!?」
静寂を破ったのは、黄色い髪を揺らした悪魔――シャックス・リードの、恐怖を通り越した大興奮の絶叫だった。
「ジャズ! 罠に引っかからずに素手で全部粉砕するなんて選択肢、賭けの項目に無かったろ!」
「そんなの考えつくわけないだろ! さすがイルマくんの妹さんだなぁ……!」
アンドロ・M・ジャズが苦笑をする横で、アスモデウスが「素晴らしい! 流石はカンナ様!」と大感動し、クララが「カンナちんかっこいー!」と私の周りを飛び跳ねる。
腰を抜かしていたはずのクラスメイトたちが、あっという間に私の席の周りにワラワラと集まって、口々に名乗りを上げ始めた。ゲーム好きのリードや、スリの天才のジャズ、色気たっぷりなエリザベッタにエロ紳士カイム……。戦場しか知らず、他者を有無を言わさず敵としか見られなかった私は、彼らのあまりの警戒心のなさと能天気さに圧倒されていた。
その時、賑やかな人だかりを割って、ひときわ巨大な影が私の前に影を落とした。
飛行レースで金剪の長にボロボロにされていた大男――サブノック・サブロだ。
「ぬぅ……、特待生。いや、カンナ。」
サブロは武骨な顔をきりりと引き締めると、私の前に一歩踏み出し、悪魔の礼儀に則って深く頭を下げた。
「飛行レースでは、未熟な我が命を救っていただき、深く感謝する! 貴殿のあの時の『自殺志願だ』という一喝、まさに我が魂に響く至言であった! この恩、我が魔王になった暁には必ずや返すと誓おう!」
サブロが教室の真ん中で大真面目に大声で叫ぶものだから、リードたちが「え!? サブロー、カンナちゃんにも助けられたの!?」とさらにザワつき始める。
真っ直ぐで、一切の嫌味もない、純粋な感謝の言葉。
自分の力が誰かに届き、こんな風に真っ正面からお礼を言われるのは初めての経験だった。
「……っ」
不意に胸の奥がくすぐったくなり、カッと顔が熱くなるのが分かった。私は動脳を隠すように、フイと強引に顔を背け、いつもより少し早口でつっけんどんに言い返した。
「……大げさすぎ。私はただ、イルマを巻き添えにされたくなかっただけだから。恩返しなんていらないし、次からあんな無鉄砲な真似をしたら、相手よりも先に私が貴方を地面に埋める。……あと、声が大きくて耳に響くので、少し静かにして」
そっぽを向いた私の耳が、微かに赤くなっているのを見逃さなかったリードが「あ! カンナちゃん照れてる! 可愛いー!」と茶化す。
「照れてない。次に口を開いた奴は八つ裂きにして挽肉にする。」
「うわ、ツンデレの殺傷力高すぎだって!!」
ギャーギャーと騒ぐ彼らを見ていると、なんだか肩の力が抜けていく。
(……バカばっかりだな、このクラスは。悪魔のくせに、どうしてこんなに可愛げがあるんだ。)
トロンとした眠気の中で、私はため息を吐いた。けれど、その胸の奥には、冷たい戦場には決してなかった、居心地の良さという名の温かい火が、ぽっと灯り始めていた。
「――おい、そこ。席につけ、問題児ども」
その時、教室の背後から地獄の底から響くような低い声がした。
黒いマントを翻し、一瞬で部屋の温度を5度ほど下げて現れたのは、担任のナベリウス・カルエゴ先生だった。
「……チッ。朝からやかましい。カンナ、ようやく遅刻せず登校したかと思えば、床に散らばっているこの無残な残骸は何だ。シャックス、アンドロ。貴様らはあとで職員室に来い。……全員、さっさと着席しろ。出欠を確認する」
カルエゴ先生は深くため息を吐きながら教壇に教科書を置くと、未だに不機嫌そうな三白眼で出席簿を開いた。
「アスモデウス・アリス」
「はい!」
「アガレス・ピケロ」
「……ん……」
淡々と、しかし厳格に響くカルエゴ先生の呼び出しの声。
リードやジャズが「ちぇー、お説教かよ」と小さく零しながら席に戻り、私も自分の席へと深く腰掛けた。
賑やかなクラスメイトたちと、相変わらず不機嫌な担任教師。
波乱だらけのバビルス生活だけど、私はそっと番傘『夜帷』を机の横に立てかけ、魔界の新しい朝のルーティンへと、静かに身を委ねるのだった。
