師団パーティまで
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時計の針が深夜を回る頃、魔具研究師団の部屋では、花火の試し撃ちも無事終えたメンバーたちによる、『お泊まり会』が始まった。
「イルマち、リボンかわいい!」
「アズくんは大人っぽい!」
「私は次新調する際にはリボンをつけます!」
互いにパジャマを褒めあってる中、着替えた私を見てイルマは目を輝かせた。
「カンナちゃん、新しいパジャマ可愛いね!」
私のパジャマは、イルマと同じ色の生地にピンクの蓮の花が刺繍されたチャイナ仕様の部屋着だった。オペラさんがわざわざ取り寄せて持たせてくれたのだ。
普段結んでいる髪はおろし、首元が詰まったチャイナボタンとしなやかなシルクの生地が、私の夜兎特有の透き通るような白い肌をいっそう引き立てている。
「カンナ様! 何という気高き着こなし……! お美しいです!」
「カンナちん可愛いーーー! チャイナ服だ! あるあるネー!」
アスモデウスくんが大感動し、クララが私の周りを飛び跳ねる。
「みんな、うるさい。ただのパジャマで褒めすぎ。」
私は、はぁとため息をつき布団の端にちょこんと腰掛けた。
けれど、実際の私の内側は、彼らの呑気な空気とは裏腹に、酷く強張っていた。
(……同じ空間に、他人が何人もいる……)
戦場しか知らなかった私にとって、誰かと『お泊まり』をするなんて経験は人生で初めてだった。
同じ部屋に他人がいるということは、すなわち寝首を掻かれるリスクを意味する。私はいつでも壁際の傘を抜けるように神経を張り詰め、全身にピリピリと鋭いトゲを逆立てていた。
そんな私の頑なな殺気に気付いたのか、部屋の隅にいたキリヲ先輩が、トボトボと頼りない足取りで私の前へと歩み寄ってきた。
「……カンナちゃん。そんなに隅っこで身構えんでええよぉ、ゲホッ」
キリヲ先輩は死装束のような寝間着に死にそうな顔でへにゃりと情けなく、けれどひどく優しく目を細めて微笑んだ。
「ここはボクみたいな魔力も弱くてひ弱な悪魔の部屋なんやから、何も怖いことはないよ。みんなもおるしね。……サリバン理事長の家におる時みたいにさ、のんびり、あったかくしてなぁ」
「……先輩」
先輩の無害さと温かい言葉の優しさに当てられ、私の張り詰めていた警戒心の防壁が、じわりと内側から綻んでいく。
キリヲ先輩は「あはは、ほんまに仲が良いなぁ。ボク、こういう賑やかな夜は初めてやわぁ」と、嬉しそうに細目を細めている。
ほな、寝よかーという先輩の一言で電気が消えるが、初めてのお泊まり。そのまま何事もなく寝れるはずもなくーーー
枕投げに発展したのだった。
「よーーーし! お泊まりといえば、これだよね! ――くらえアズアズ! 枕アタック!!!」
「なっ……、ウァラク! 貴様、イルマ様とカンナ様の御前で何という狼藉を――!」
シュッ、と風を切る凄まじい音がした。
クララが全力で投げつけた分厚い枕が、凄まじい初速の弾道となってアスモデウスくんの顔面へクリティカルヒット。
彼の綺麗な額に青筋がピキリと浮かび上がった。
「いいだろう、そこまで私に喧嘩を売りたいなら、その喧嘩、買おう!」
アスモデウスくんが、そしてクララが枕を掴んで応戦した瞬間、お泊まり夜会は一瞬にして、文字通りの激しい『枕投げ』へと変貌を遂げた。
部屋の埃っぽい空気が激しく掻き回されていく。
「ひえぇぇぇ! みんな枕投げなのに目が本気だよぉ!」
イルマが全自動回避で軟体動物のように枕を躱しまくる中、私は自分の元へ転がってきた大きな枕を拾い上げ、チャイナパジャマの裾を美しく翻した『回し蹴り』の一撃で、アスモデウス達へと弾き飛ばした。
「……本当に、くだらない遊びが好きなのね。理解できないわ。」
私が冷淡に言い捨て、飛び散った綿を払おうとした、その時だった。
――ラリーの応酬で弾け飛んだアスモデウスくんの強烈な枕が、部屋の隅にいたキリヲ先輩の頭部へ向けて、凄まじい速度で直撃コースを辿った。
「あ、危ない! キリヲ先輩!!」
入間が叫ぶ。
魔力が弱く、普段からすぐに血を吐いてしまうひ弱な先輩だ。大怪我に繋がりかねない。
私が夜兎の脚力で助けに入ろうと、床を一歩踏み出した、まさにその刹那――。
――バンッ!。
空間が、微かにガラスのように鳴った。
キリヲ先輩の目の前の空間に、一瞬だけ、肉眼では捉えきれないほど薄く、強固な『透明な魔力の壁』が出現したのだ。
剛速球の枕は、ボトッと頼りなく床へ垂直に落ちた。
「え……っ?」
私は床を踏み込んだ姿勢のまま、小さく目を見開いて驚いた。
「あはは……、危なかったわぁ。みんなの枕投げ、ホンマに命がけやねぇ」
キリヲ先輩は、何事もなかったかのように頼りない細目で頭を掻いている。
「あ、そういえばカンナちゃんは職員室に行ってたから聞いてなかったよね」
入間が、床に落ちた枕を拾い上げながら、私の隣に歩み寄って説明してくれた。
「キリヲ先輩の家系能力はね、『断絶(バリア)』っていうんだよ。さっきみたいに、目に見えない強固なバリアを張って、どんな攻撃や衝撃からも身を守ることができる、すごく格好いい能力なんだ!」
「……家系能力、断絶(バリア)」
私はその言葉を、頭の中で静かに反復した。
アスモデウスくんやクララ、入間たちは、昼間の作業時にすでに先輩からその説明を受けていたから、今の防御にも納得しているらしい。
(……なるほど。ひ弱で魔力も弱いからこそ、生き残れてたのは身を守るために特化した絶対の防壁、のお陰か)
私はゆっくりと、踏み込みの力を抜き、立ち上がった。
これまで、笑顔の裏に隠されたかすかな『違和感』を察知して、ずっとこの先輩に対して警戒の牙を剥いていた。けれど、入間くんの呑気な解説を聞き、そしてこうして目の前でバカなことをしているうちに――私の胸の奥で、頑なに閉ざされていた防衛システムが、フッと静かに、毒気を抜かれるように緩んでいくのを感じた。
ハラハラと部屋の中に舞い散る枕の綿と、さっきまで全力でバカ笑いをしていたイルマたちの無防備な顔、そして、さっきキリヲ先輩が私にくれた「のんきにしててええよ」という優しい声を思い出す。
(……ああ。私は、無駄に『戦場』の感覚を引きずって、身構えすぎていたのね)
笑顔を浮かべて近づいてくる大人は、十中八九、裏で暗殺や裏切りを企む醜悪な怪物しかいなかった。
だから私は、この優しすぎる魔界の、ただの気弱で良い人であるはずのキリヲ先輩に対しても、過剰に「何か裏があるはずだ」と邪推して、一人でトゲを逆立てていただけだったのだ。
「……いい能力ね。それだけ完璧に自分の身を守れるなら、自習の時に怪我をする心配もなくて安心。……よかったね、先輩」
私はいつもの冷徹な無表情のまま、けれどその声音に、ほんの少しだけトゲのない『素直な安堵』を乗せて、キリヲ先輩へ丁寧な言葉をかけた。
「あはは……。ありがとう、カンナちゃんにそう言ってもらえると、ボク、すごく嬉しいわぁ」
キリヲ先輩は、本当に嬉しそうに、へにゃりとその細目をさらに細めて微笑んだ。
その笑顔に、私はもう、不吉な警報を鳴らすことはなかった。
ここは血の匂いのしない、優しい庭。イルマの野望を支え、私もただの普通の学生として、安心して勉強ができる場所。
私はチャイナパジャマのボタンを小さく整え、張り詰めていた肩の力をゆっくりと抜いた。
この温かい油断が、師団パーティー本番、バビルス全体を絶望の深淵へと叩き落とす引き金になることを――この時の私は、露ほども気づいていなかった。
