師団パーティまで
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バビルス中が、お祭りの前の独特な熱気と喧騒に包まれていた。
新入生にとって最初の大舞台である『師団(バトラ)パーティー』。
私が自習の時間を設ける代わりに名前を置くことにした『魔具研究師団』の部屋でも、出店に向けた巨大な魔具の製作が、いよいよ大詰めを迎えていた。
「いやぁ、みんな本間に手際が良いなぁ。ボク一人やったら、前夜祭までに絶対に間に合わんかったわぁ、ゲホッ」
パーツを組み立てながら口から吐血している団長のアミィ・キリヲ先輩。
その言葉の通り、部屋の中は文字通りひっくり返したような大騒ぎだった。
「キリヲ先輩、任せて。こういう組み立て作業は得意なんだ! カンナちゃん、砲台の組み立てはこんな感じで合ってるかな?」
「うん、それなら計算上は『花火』として夜空に打ち上がるはず」
私たちの目の前にあるのは、イルマが発案した巨大な花火の魔具。
魔界には存在しない、夜空を色鮮やかに染め上げる光の大輪。みんなで出来ることを話し合った時に生徒会長のアメリが所持していた人間界の少女漫画『初恋メモリー』のワンシーンから着想を得たものであることは――イルマと私だけの、極秘案件だった。
ちなみに私の世界ではそう言った漫画は見たことがない。私が読む機会がなかっただけかもしれないが、花火は任務先で見たことはある。江戸の花火は、本当に美しく目に焼き付けようとしていたのを思い出す。
「カンナ様! こちらの火薬樽、どこへ搬送いたしますか!」
「アスモデウスくん、それは右奥の冷却用魔具の隣。私が運ぶから、そこに置いて」
「いえ、これは悪魔でも三人がかりで運ぶ重さです、いくらカンナ様でも――って、えええ!?」
アスモデウスくんが目を剥く横で、私は華奢な白い両手で、自分の背丈ほどもある鉄製の火薬樽をひょいと持ち上げた。
「驚いてないでそっちの火薬玉の仕込みをお願い。火薬の仕込みは繊細だから、1ミリでもズレたら打ち上げた時の形が崩れるかもしくは不発になるよ」
「 承知いたしました、私にお任せください!」
私とアスモデウスくんは話し合いながら、巨大な資材の運搬や危険な火薬の仕込みを、目にも留まぬ手際でテキパキとこなしていく。
任務のために学ばされた爆薬の知識がここで活きているのが何とも滑稽だ。そう思いながらも学んでいて良かった、と思っている自分もいる。
「むー! アズアズとカンナちん、二人だけでずるい! クララも重いの運ぶー!」
「クララ、大人しくして。危ないから、貴方はイルマの内職のパーツにリボンでも結んでおいて」
「はーい!」
みんなで同じ目標に向かって、泥だらけになって作業をする日常。……けれど、やはり私の脳裏には、この部屋で初めてキリヲ先輩と出会った時に抱いた、あの言葉にできない『野生の勘の違和感』が、消えない棘のように刺さったままだった。
「――あ、そうや。みんな、今日の夜からお泊まりで打ち上げテストに取り掛かるんやけど…誰か、職員室に『宿泊作業申請書』を出してきてくれへんかなぁ。僕はまだ自分の作業に時間がかかりそうで……」
キリヲ先輩が情けなく肩をすくめる。
「あ、それなら僕がいきま――」
「イルマ、私の作業はアスモデウスくんがいればもう終わるから貴方はそのまま作業を続けて。…ついでに魔具研究師団の準備スペースに置いてるガラクタも一旦引き上げてくるし」
ガラクタという発言にショックを受けるキリヲ先輩から宿泊申請書の紙を受け取り、一人で薄暗くなり始めた廊下へと歩き出した。
◇
放課後の校舎は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。
私は制服の袖を伸ばし、冷たいリノリウムの床を踏みしめて、カルエゴ先生のいる職員室へと向かった。あの女子限定の『誘惑授業』の放課後、この廊下で先生に返り討ちにあった一件以来、まともに二人きりで喋っていない。
(……まあ、あのお堅い陰湿教師のことだし、公務としての書類の手続きくらいは、淡々とこなすでしょ)
そう思いながら職員室の重厚な扉を開けたが、いつもカルエゴ先生が座っているはずのデスクには、誰の姿もなかった。
「おや? カンナちゃんじゃない。どうしたんだい?」
代わりにひょっこりと顔を出したのは、いつもニコニコと穏やかな笑顔を浮かべている魔歴担当の教師であり、バビルス教師統括のダンダリオン・ダリ先生だった。
「ダリ先生……。お仕事中失礼します。カルエゴ先生に、この『宿泊作業申請書』のサインをいただきたくて伺ったのですが……不在ですか?」
「あぁ、カルエゴ先生ならさっき急な用事で中庭の方へ行っちゃったよ。最終警備の確認で大忙しなんだよねぇ」
ダリ先生は私の手元にある申請書を覗き込むと、「どれどれ」と手際よくそれを受け取った。
「魔具研究師団のお泊まり作業だね。うん、内容に不備はないし、カルエゴ先生の代わりに僕が預かってサインをしておくよ。安心して作業に戻って大丈夫だよ」
「……分かりました。お手数をおかけします、ダリ先生。よろしくお願いいたします」
目的の申請書はダリ先生が無事に預かってくれた。手続きとしては何の問題もない。
なのに、どうしてだろう。胸の奥に、ほんの少しだけぽっかりと冷たい風が吹き抜けたような、言葉にできない奇妙な『落胆』が残っている。
私が小さくため息を吐きそうになった、その刹那だった。
「――あれれぇ〜?カンナちゃん。もしかして、カルエゴ先生がいなくて『ガッカリ』しちゃったのかなぁ〜?」
「っ……、は?」
ダリ先生が、デスクに肘をつき、これ以上ないほど意地悪くニヤニヤとした笑顔を私に向けていた。
「ち、違います。無駄な体力を使わずに済んで、むしろ万々歳ですから」
私は一瞬でいつもの冷徹な無表情を作って言い返したが、カッと顔に熱が集まっていくのが分かった。
「そっかぁ〜。でもね、カンナちゃんが職員室に入ってきたとき、真っ先にカルエゴ先生のデスクに視線を向けてたよぉ〜? カルエゴ先生もね、最近カンナちゃんのレポートを読みながら、眉間のシワをいつもより深くして、なんだか楽しそうにしてるんだよね。……ふふ、本当にお熱いことでぇ〜」
「っ、勘違いです!! ダリ先生、歴史の教員なら、くだらない妄想を語る前に小テストの問題でも作っていればどうですか!」
これ以上からかわれてはたまらないと、私が踵を返して部屋を出ようとした、その時。
――スッ、と。
いつの間にかデスクから立ち上がっていたダリ先生の大きな影が、音もなく私の目の前を塞いだ。
カルエゴ先生とは全く違う――優しく、甘く、けれど逃げ道をすべて塞がれるような、普段とは真逆の大人の色気が、至近距離から押し寄せてきた。
「な……っ、ダリ先生……?」
私が息を呑んだ瞬間、ダリ先生は少しだけ上体を屈め、私の耳元にその優しい声音を滑り込ませてきた。
「そんなに怒らなくてもいいじゃない。……ねえ、カンナちゃん。そんなにカルエゴ先生の『お墨付き(サイン)』じゃなきゃ嫌かな? 僕のサインじゃ不満?」
「え……っ」
ダリ先生は、私のすぐ横にある扉の壁にそっと片手を添えると、困ったように、けれどひどく甘やかに微笑んだ。
「っ――、――っ!?」
至近距離で見つめてくる、ダリ先生の優しく細められた瞳。その奥にある、悪魔学校(バビルス)の統括担当としての圧倒的な強者の余裕。
ただの書類の代行。それだけのはずなのに、まるで私自身が彼の懐へ引きずり込まれるような、強烈な大人の悪戯。
その色気に、一瞬だけ「ドキッ」と理性を奪われてしまったことに気づき、私の顔面は一瞬にして耳の先から首筋まで、真っ赤なトマトのように大赤面に染まった。
「あ、あああ貴方たち悪魔はどいつもこいつも、生徒をからかって遊ぶことしか脳がないのですか!!!!」
「あはは! 噛んじゃうくらい真っ赤になって可愛いなぁ〜!」
「知りません!!付き合ってられません!!! 失礼します!!!」
私は顔から火が出るほどの恥ずかしさと動揺のあまり、教職員室の扉をバンッ!!!!!と壊れんばかりの勢いで蹴り破るようにして飛び出した。
バタバタと遠ざかっていく彼女の小気味よい足音を耳で追いながら、僕はデスクに背中を預け、手元に残された宿泊申請書を眺めてパチパチと瞬きをした。
「……いやぁ、いつも周囲を警戒しまくっている小兎ちゃんがあーも狼狽えると、そりゃあ揶揄いたくもなっちゃうよねぇ〜」
クスクスと、喉の奥から抑えきれない愉悦の笑みが溢れ出す。
問題児クラスに合流して以来、彼女の纏うオーラはいつも冷徹で、悪魔の僕らから見てもどこか一線を画すような雰囲気を醸し出していた。他者と群れることを嫌い、隙を見せればいつでも相手の喉笛を掻き切りにいくような、鋭すぎる野生の警戒心。
そんな彼女が、ほんの少し距離を詰めて大人の余裕をチラつかせただけで、一瞬にしてただの「ウブで可愛い女の子」になって茹でダコのように真っ赤になってキレ散らかしたのだ。
あのギャップは、悪魔じゃなくても意地悪く弄り回したくなってしまう。
「さてさて……。カルエゴ先生、そろそろ見回りから戻ってくる頃かなぁ〜?」
僕は手元にある万年筆を指先でクルリと回しながら、不敵に、そして最高に楽しそうに目を細めた。
最近のカルエゴ先生は、少し様子がおかしい。
いつもなら問題児達のレポートなど「ゴミが」と一蹴して突っ返すくせに、カンナちゃんが提出してくるレポートを読む時だけは、眉間のシワをいつもより深くしながらも、どこか満足そうに何度も読み返しているのを、僕はちゃんと知っている。
バビルスの中でも学ぶ意欲が強い姿勢でいつも門限ギリギリまで自習をしているのも一目置いてるのかもしれない。
あの不器用で、生真面目で、融通の利かないバビルスの番犬が特定の生徒に目を掛け始めていることに当の本人が自覚しているかは怪しいけれど。
「『カルエゴ先生の代わりに、僕がたっぷり相手をしてあげようかって言ったら、カンナちゃん耳まで真っ赤にして怒っちゃってさぁ〜』……うん、これをそのまま伝えたら、彼は一体どんな反応するかな〜?」
想像するだけで、今からニヤニヤが止まらない。
お堅いカルエゴ先生を揶揄うのは日頃のストレス解消の最高の娯楽になる。
「本当、退屈しない生徒が来てくれたものだよねぇ〜」
僕は宿泊申請書にカルエゴ先生の代わりに承認の判を押すと、これから始まるであろう「番犬への嫌がらせ」の時間を心待ちにしながら、悪魔の笑顔をいっそう深く綻ばせるのだった。
◇
一人、夕闇の濃くなった廊下へと戻る。
激しく脈打つ心臓の音。私は解けかけた自身の髪の結び目を、手が千切れんばかりの力でぎゅっときつく結び直しながら、廊下を早足で歩いた。
(……なんなの、この学校の教師どもは!! どいつもこいつ。意地が悪すぎる!!!!)
カッと熱くなった頬を、冷たい両手で必死に挟み込む。
ダリ先生のあの低い「僕じゃ、ダメ?」という大人の声を必死に脳内から消去しようとするが、一度揺さぶられた脳の計算回路はなかなか平常時に戻ってくれない。
他者を敵としか見ない場所で育ってきた私にとって、こういう「大人が仕掛けてくる悪意のない、けれど底の知れない甘い揺さぶり」は、対処の仕様が分からなかった。
私の知っている「先生」や「教育者」というものは、絶対的な恐怖と暴力だけで支配し、逆らう者の首を容赦なく撥ねるような、血生臭い化け物たちだけだった。
私の世界における教育とは、こことはほど遠いただの調教。
教えるのは一度だけ。出来なければ容赦のない暴力に食事抜き。出来るまで休むことも許されない。それが私の知る大人のすべてだった。
だからこそ、バビルスの悪魔たちが向けてくる「普通の対等な会話」や、ダリ先生が仕掛けてくるような「悪意のない大人の揶揄い」に対して、私はどう対応したらいいのか、まったく分からなかった。暴力で返すのも違う。けれど、逃げ出せば、このように無様に理性をかき乱される。
「……」
なのに、どうしてだろう。
ダリ先生の指摘を思い出す。
カルエゴ先生に会えなかった。あの偏屈で、すぐに怒鳴って眉間にシワを寄せる陰湿教師の姿が、そこにいなかった。……ただ、それだけのこと。
それなのに、私の足取りは、教職員室へ向かう前よりも、ほんの少しだけ重くなっている気がした。
自分の心の奇妙な変化に、無自覚に小さく首を傾げた。
(……変な感じ。寝不足のせい?陰湿悪魔に会えなかったからといって、私が落胆したようなツラをしていたから、ダリ先生に付け込まれる隙を作ったんだから、……反省しろ、私)
私は自分自身に向けて心の中で辛辣に毒舌を吐き捨てた。
カルエゴ先生のことなんて、どうでもいい。彼はただの陰湿で偏屈な担任であり、魔力を拒絶する体質に不信感を抱いて目をつけられている問題児。……それだけだ、意味などない。
「……よし。切り替え、完了」
私はすっと冷たい息を深く吸い込み、いつもの顔へと筋肉を固定した。火照っていた頬の熱も、ようやく引いた。
(……ダリ先生のくだらない揶揄いに脳を使ってる場合じゃない。)
私は結び直した髪を夕風に揺らしながら、気持ちを引き締めるために両頬を叩いて、賑やかな仲間の待つ部屋へと、その足取りを力強く進めるのだった。
