師団パーティまで
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バビルスの全校生徒が血気に逸る一大行事――『師団披露』(バトラパーティー)にむけて1年生争奪戦(ルーキーハント)がやってきた。
いわゆる部活動の部員勧誘期間。
中庭は様々な師団の悪魔たちの勧誘(無理矢理)、アピール合戦(他師団妨害)等で朝からいつにも増して騒がしかった。
だが、私はそんなお祭り騒ぎに1ミリも興味はなかった。番傘を深く差し直し、トロンとした眠気の中で一人、静かな図書室へと足を向けていた。
魔界に来て、悪魔たちの常識や魔界の基礎的な仕組み、歴史といった『前提条件』をろくに知らないまま日常が進んでいくことに、強い不快感と警戒心を抱いていた。
私のいた戦場において、周囲の状況や敵の情報を「知らない」ということは、すなわち即座に背中を撃たれて肉塊になることを意味していた。無知は、死だ。
この血の匂いのしない優しいバビルスに流されて、生き残るための感覚が鈍っていくことに、私の本能は明確にストレスを感じていた。
一刻も早く、魔界の仕組みを単独で『勉強』して叩き込まなければならない。
(師団活動に割く時間があるなら、そのすべてを『自習の時間』に充てなければ。あんな騒がしい集団組織、私には向いてない…)
そう割り切り、一人で静かに調べ物を始めようとした、その刹那だった。
「みーーーっけたぁぁぁ!!! カンナちん、つかまえたガシィィィッ!!!」
「っ……、クララ、いきなり後ろから抱きつくな!腰の骨が折れるわ!」
背後からロケットのごとき速度で突撃してきたクララが、私の腰に全力でしがみついてきた。夜兎の怪力でも引き剥がすのが面倒なほどの、凄まじい粘着力だ。
「だめーーー! カンナちん、図書室禁止! わたしたちバトラ、もう決まったの! すっごく面白いんだよ、はい、これ引っ張る紐ね!」
クララが私の服の袖をぎゅっと握りしめて離さない。全く、人の話を聞かない悪魔だ。
「カンナちゃんっ! あの、最終日だけどまだ師団決まってないよね?僕たち、アミィ・キリヲ先輩っていう、すごく優しくて魔力の弱い悪魔でも戦える魔具を研究してる先輩の『魔具研究師団』に入ることにしたんだ」
イルマが隣からひょこっと顔を出し、優しい瞳を潤ませて、真っ直ぐに私に両手を合わせて頭を下げてきた。
「キリヲ先輩の部屋には、古い魔具の資料や、魔界の歴史の本もたくさん置いてあるんだよ。カンナちゃんが調べたいことも、きっとそこなら自習できると思うんだ。何より、カンナちゃんが僕の知らないところで、1人で無理をして痛い思いをしたら、おじいちゃんもオペラさんも僕も心配で夜も眠れなくなっちゃうよ。……だから、僕たちと一緒に行こう?」
「……っ」
イルマの滅多に聞かないお願いに、私の頑固なプライドが、どうしても一歩、鈍って折れてしまう。
先日の処刑玉砲で彼の温もりや、サリバン邸でのオペラさんたちとの暮らし。心を許した家族からのお願いは、私にとって、戦場のどんな弾丸よりもほっぽり出せない難敵だった。
ちなみにこのお願い作戦は入間がオペラにカンナも一緒に師団に入るにはどうしたらいいか、と相談した際にお願いをしたらいいと言う助言で行われたことは知る由もない。
「……はぁ。……分かった。クララ、服が伸びるから引っ張るのをやめて。ついていくから。ただし、私の自習時間を邪魔するような場所なら、その場でその部屋を物理的に破壊して脱退するので」
「やったーーーー!!! カンナちんらぶーーー!!」
「カンナちゃん!ありがとう!!」
こうして私は、イルマとクララに両脇を固められるようにして、自習室とは真逆の方向――バビルスの薄暗い一角――すでに彼らの加入が決まったという、『魔具研究師団』の部屋へと連行されたのだった。
◇
「――おやぁ? 新入生の見学かな? 歓迎するよぉ」
辿り着いたのは、埃っぽい魔具が雑然と山積みにされた、お世辞にも繁盛しているとは言えない怪しげな部屋。
そこで畳に正座をする、弱々しく、けれど人当たりの良い笑みを浮かべて私たちを出迎えたのは、この師団の団長――アミィ・キリヲだった。
「ボクの師団はねぇ、魔力のない悪魔や、ひ弱な子でも、魔具の力で高位階(ハイランク)悪魔とも対等に戦える世界を目指して研究しているんや。…… カンナちゃん。君のことも、サリバン理事長のお孫さんとして噂で聞いてるよぉ。君みたいな可愛い女の子に見学に来てもらえるなんて、ボク、緊張してまうわぁ……」
キリヲ先輩は、頼りない細目を細め、弱々しく頭を掻いた。
イルマが「カンナちゃん、ここなら本もたくさんあるよ!」と嬉しそうに部屋を案内してくれる。
確かに、部屋の奥の棚に詰め込まれた魔具のデータや古い資料、蔵書の数は、私が1人で魔界の仕組みを勉強するためのこれ以上ない「情報の宝庫」に見えた。ここを静かな自習室代わりに使わせてもらえるなら、彼らの言う通り、この師団に名前を置くのも吝かではない。
――けれど、何だろう。この引っかかりは。
私は番傘『夜帷』を低く構えたまま、畳に座る先輩を、無表情のままじっと見つめていた。
どこからどう見ても、ただの気弱で頼りない、体の弱い先輩。悪意なんてどこにも感じられない。
それなのに、戦場で培われた私の『野生の勘』が、脳の裏側で微かな不協和音を鳴らしているのだ。笑顔の奥の、何かが、ほんの少しだけ不自然にズレているような――言葉にできない、奇妙な『違和感』。
「カンナちゃん、どうしたの? 怖いところじゃないよ?」
イルマが心配そうに覗き込んでくる。
「……いや、何でもない。」
私は思考を切り替えた。敵か味方かも分からない、ただの私の勘違いかもしれない不確かな違和感だ。それに、ここが私の求めていた『知識の宝庫』であることには変わりない。
「……アミィ・キリヲ先輩。イルマたちが大変お世話になっているようですね。……この魔具研究師団、私も自習室代わりに名前を置かせていただきます。隅々まで、しっかり『勉強』させてもらいますよ」
「あはは……。歓迎するよ、カンナちゃん。自習でも何でも、好きに使ってなぁ」
キリヲ先輩は嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
その笑顔に滲む、やはりどこか捉えどころのない、不思議な空気。
このおかしな違和感の正体が、魔界全体を揺るがす恐ろしい『絶望の狂気』であることを、そしてそれが私の中の新しい『癖』の扉を開くキッカケになることを、この時の私はまだ、知る由もなかった。
◇
バビルスでの騒がしい一日が終わり、夜の静寂がサリバン邸を包み込んでいた。
オペラさんが淹れてくれた温かいハーブティーを飲み終え、私はリビングのソファーに深く腰掛け、向かい側で明日からの師団活動に目を輝かせているイルマを見つめていた。
昼間、あの埃っぽい魔具研究師団の部屋で出会った、アミィ・キリヲという先輩。
ただの気弱で、優しくて、体の弱い悪魔。誰もがそう信じて疑わないあの男の笑顔の裏で、私の夜兎としての本能が鳴らし続けた、あの微かな不協和音。
(……やはり、どうしても腑に落ちない)
一度抱いた違和感を、知らないまま放置して流されることなど、私のサバイバル勘が絶対に許さなかった。
「……ねえ、イルマ」
私はグラスをテーブルに置き、おろしたネイビーの髪を揺らしながら、静かに声をかけた。
「ん? なあに、カンナちゃん」
入間はいつものように、無防備で優しい笑みをこちらに向けてパチパチと瞬きをする。
「貴方とアスモデウスくんたちが、何で魔具研究師団に加入を決めたの?」
私の少し真剣なトーンに、イルマは不思議そうにしながらも、数日前を思い出すように視線を斜め上へと向けた。
「ああ、実はね。数日前の放課後、僕の右手の『悪食の指輪』が急に暴走しちゃって、僕の意志とは関係なく、もの凄い力でどこかへ引っ張られたんだ」
「指輪が……暴走して、引っ張られた?」
「うん。それで、引きずられるようにして辿り着いたのが、キリヲ先輩が着けていた『魔力を貯める魔具』と、僕の指輪が――まるでお互いに磁石みたいに、グググッと強烈に引き寄せ合って、ぶつかっちゃったんだよ」
入間は自分の右手の指輪を見つめながら、困ったようにあははと笑った。
「先輩の首掴んじゃって、大慌てで離れて。……でも、それがキッカケで先輩と仲良くなって、ひ弱な悪魔でも戦える世界を作りたいっていう先輩の夢を聞いて、すごく素敵だなって思って……」
「――偶然、ですか」
イルマの言葉を遮るように、私の口から冷徹な呟きが零れ落ちた。
私の琥珀色の瞳が、暗がりの奥でじっと険しく細められる。
「え? 偶然……だと思うけど、どうかした?」
「……」
「カンナ、ちゃん……? なんだか、すごく怖い顔をしてるよ……?」
イルマが推し黙る私の顔を心配そうに覗き込んできた。
私はハッとして、考え込んでいた思考無理やり抑え込み、フイと強引に顔を背けた。胸の奥が、このお節介な兄への心配でキュッと締め付けられる。
「……何でもない。ただ、師団活動と勉強の両立について考えてただけ」
私はソファーから立ち上がると、壁際に立てかけてた番傘を手に取り、イルマの目の前に歩み寄った。そして、上からいつになく鋭い視線を、その丸い瞳に向けて真っ直ぐに叩きつけた。
「イルマ。よく聞いて。……これからあの師団の部屋で自習をする間、どんなに小さなことでも、どんなにつまらないことでも構わない。あの先輩の言動に少しでも違和感を覚えたり、貴方の身に不審なことが起きたりしたら――」
私は番傘を床にカツン、と小さく響かせ、凄まじい覇気を孕んだ声音で言い渡した。
「――その時は、絶対に隠さず、一番に私に言ってね。」
「カンナちゃん……」
私のクールな毒舌の裏にある、剥き出しの『本気の心配』。
イルマは一瞬だけ圧倒されたように目を見開いたけれど、やがて、自分が妹にこれほどまでに想われ、守られようとしていることに気づき、本当にあったかくて嬉しそうな、最高の笑みを浮かべた。
「……うん! 分かったよ、カンナちゃん。何かあったら、絶対に真っ先に頼るからね。いつも心配してくれて、本当にありがとう」
「心配なんてしてない。トラブルメーカーなイルマが私の目の届かないところで巻き込まれたら、サリバン様の涙で家が水没するわ。……夜更かしは肌に悪いから、さっさと寝よう」
私はフン、とつっけんどんに言い捨てると、長いネイビーの髪を揺らしながら、自室へと続く階段をトトトと早足で上がっていった。
自室のドアを閉め、暗い部屋の窓から、魔界の歪んだ月を見上げる。
胸の奥に残る、イルマの無防備な笑顔と、あのキリヲという男への拭いきれない不信感。
(……イルマのあの下らない野望も、サリバン邸の静かな夜も。せっかく手に入れた私のテリトリーを荒らそうとする不届き者がいるなら、誰であれ、ただの害虫として駆除するだけ。……次にあれ以上の不快な気配を見せたら、その時は文字通り地面に埋めてあげますよ、キリヲ先輩)
私は自分のポケットにある『2』のバッジをそっと指先でなぞりながら、暗闇の奥で、夜兎の獰猛な戦闘本能を静かに研ぎ澄ませるのだった。
