師団パーティまで
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ーーー放課後。
夕日が赤黒く床を染め上げる中、私は教壇の上に置かれた、一枚の召喚の羊皮紙の前に立っていた。
二人きりで行われるはずだった個別の居残り召喚。……だったのだが。
「おーっ! 始まった始まった! カンナちん、何呼び出すのかなー!?」
「カンナ様の晴れ舞台! 記録に残さねば!」
「がんばれー! 先生を使い魔にしたらダメだよー!」
「貴様らァ!! なぜここにいる!! さっさと下校しろと言ったはずだ!!」
案の定、面白がった問題児クラスの面々が、教室の後ろに陣取っていた。クララがはしゃぎ、アスモデウスはなぜかス魔ホを構え、リードやジャズが入間に使い魔にされたカルエゴ先生をニヤニヤと揶揄っている。
「カルエゴせんせ〜、今日はモフモフにならないんですか〜?」
「シャックス、貴様は明日の課題を6倍にする。……チッ、これだから問題児どもは。おい、さっさと始めろ。」
心底煩わしそうな目を向けてくるカルエゴ先生。
「先生、そうやってすぐに他人に八つ当たりするのは、教師としてどうかと思います。イルマに使い魔にされたイライラを私にぶつけないでください。老け顔が余計にシワシワになりますよ」
私の淡々とした辛口な指摘に、クラスメイトたちから「ぶふっ!」「言うねぇカンナちゃん!」とドッと笑いが起きる。カルエゴ先生の額にはピキ、と盛大な青筋が浮かんでいた。
私はそんなガヤを冷ややかな一瞥で受け流しながら、羊皮紙へ手を伸ばした。
(大丈夫。イルマから手順は聞いた。夜兎の血、というイレギュラーなところだけどうなるか……)
イルマの血ではカルエゴ先生を召喚するトラブルとなったが、夜兎となると召喚自体可能なのかわからない。私は意を決して羊皮紙に血をつけて蝋燭に灯した。
だが、その瞬間――
パキィィィン!!!
「――っ、うぐ……っ!?」
突然、羊皮紙から漆黒の火花が飛び散り、私の指先を激しく灼いた。
サリバン邸での治療の時と同じ、全神経を灼かれるような強烈な拒絶痛。激痛に脳がパニックを起こしそうになった、その時。
羊皮紙の書いた召喚の魔法陣が、異様な煤煙を上げて大きな光と黒煙を出し始めた。
「え、何これ!? 黒い煙が出てるぞ!?」
「おいおい、イルマ君の時と雰囲気が違くねぇか!?」
後ろの野次馬たちがざわつき始めた次の瞬間、光と煙の奥から地鳴りのような猛獣たちの咆哮が響き渡った。
ガルルルルッ!!! キィィィィ―――ッ!!!
「っ……な……!?」
狂暴な角を生やした魔狼、鋭い爪を持つ怪鳥など、魔界でも凶暴とされる魔獣たちが、我先にと魔法陣を破壊せんばかりの勢いで一斉に、文字通り『群がって』溢れ出してきたのだ。
その猛獣たちの瞳は一様に血走り、ただ一点――私の指先から微かに滲み出た、夜兎の血だけを凝視していた。
宇宙最強の部族の血。それは、本能で生きる魔界の獣たちにとって、理性を狂わせるほどの究極の「極上のご馳走」に映ったのだ。
「うわあああ!? 魔獣がめちゃくちゃ集まってきた!?」
「カンナ様!! お下がりください!!」
「ひえぇぇ! カンナちんが食べられちゃうー!」
教室の後ろは大パニックの野次に包まれる。アスモデウスが構えようとするが、それよりも早く、狂った猛獣たちが一斉に牙を剥いて私へ飛びかかった。
激痛で身体が動かない。最悪、傘を放り投げて夜兎の怪力でこいつらの頭を片端から叩き潰すか――そう覚悟を決めた、刹那。
「――ケルベロス」
空間を切り裂くような冷徹な声と共に、私の視界は漆黒のマントで覆われた。
凄まじい衝撃音。カルエゴ先生が誰よりも早く私の前に立ちはだかった。先生が放った強烈な魔力の衝撃波が、飛びかかってきた猛獣たちを容赦なく叩き伏せ、床へと叩きつける。
「ギャンッ……!」
「貴様ら、誰の許可を得て暴れている」
カルエゴ先生の鋭い三白眼から、獰猛なまでの威圧(プレッシャー)が放たれる。その圧倒的な格の違いに、血走っていた獣たちが一瞬で恐怖に身を竦ませた。
「す、げぇ……一瞬で叩き伏せやがった……」
「やっぱりカルエゴ先生、怒らせるとマジで化け物だ……」
後ろの生徒たちがヘタヘタと腰を抜かしながら、先生の圧倒的な強さに息を呑む。
カルエゴ先生は、怯む猛獣たちを鋭い一瞥で牽制しながら、荒々しくも確かな力で、私の身体をしっかりと抱きとめた。
「せん……せい……っ、離して……」
「大人しくしていろ! ……貴様、これは召喚の失敗などではないな。『何』かに引き寄せられたか、魔獣どもが群がっている……!」
カンナを抱きかかえるカルエゴの腕に、ビリビリと拒絶の残光が伝わっていく。
カルエゴの魔力すら、カンナの肌に直接触れた瞬間に拒絶されていた。話には聞いていたが異常な体質【魔力拒絶体質(アンチ・マギア)】と、魔獣を引き寄せる血。カルエゴの瞳が、底知れない不審を孕んで私を凝視する。
「……貴様、一体『何』を…」
冷徹に痛みを堪える私の顔を覗き込み、低く鋭い追及が飛んでくる。クラスメイトたちも、先生のただならぬ雰囲気に息を呑んで静まり返る。私がまだ上手く回らない舌で言葉を返しようとした、その瞬間だった。
「――はーい!そこまでにしてもらおうか、カルエゴくん」
空間を割るようにして現れたのは、バビルス理事長――サリバンだった。
「り、理事長……っ」
カルエゴ先生が私を腕の中に置いたまま、鋭く状況を報告しようとする。
しかし、サリバン様はいつものお調子者の顔ではなく、『元・魔王の側近』としての顔で、カルエゴ先生を静かに見下ろした。
「カルエゴくん。彼女は僕の、大事な大事な孫だよ。今回の召喚は、特異体質による『測定不能』。溢れ出た魔獣たちは僕が処理しておくから、……それで終わり。いいね?」
サリバンがそう告げた瞬間、その細められた瞳から、漆黒の魔力がオーラとなって音もなく立ち上った。
「――じゃ!魔獣達、おかえりになって〜!」
明るい声と同時に、空間そのものがぐにゃりと歪む。
次の瞬間、教室を埋め尽くし、あれほど狂暴に吠え猛っていた猛獣たちが、悲鳴を上げる暇さえなく一瞬で漆黒の粒子へと変わり、空気中へ完全に溶けるようにして消滅した。
カンナの夜兎の血を吸って赤黒く明滅していた不気味な魔法陣と、焦げ付いた羊皮紙は最初から存在しなかったかのように、跡形もなく消し去られていく。
圧倒的な、次元の違う魔力。
元・魔王の側近たるサリバンの本気の魔力に教室内には硝煙の匂いすら残されなかった。
サリバンの瞳の奥に宿る、絶対的な『圧』。
これ以上彼女の素性に踏み込むことは、許さない。そう無言で告げる大悪魔の脅威に、さしものカルエゴ先生も、クッと奥歯を噛み締めて黙るしかなかった。
「……了解、いたしました。理事長」
カルエゴ先生は不承ながらも、私をそっと床に下ろした。
サリバン様はすぐに「いやぁ〜カンナちゃん大丈夫!? おじいちゃん心配しちゃった!」といつもの親バカに戻り、イルマと共に私の肩を優しく抱き寄せる。
「失礼、します……」
私はまだ微かに痺れる手を隠しながら、サリバン様、そして心配そうに駆け寄ってくるアズくんやクララたちと共に教室を後にした。
閉まる扉の隙間から、私は振り返り、教壇の奥でじっと私を見つめているカルエゴ先生のと目が合う。
彼の鋭い瞳には、理事長に釘を刺されてなお、私という『謎』に不信感を含ませながらギラギラと視線を向けていた。
◇
その夜。
サリバン邸の、光の届かない薄暗い自室。
冷やした魔界の果実水を口に含むと、羊皮紙に触れた時のあの悍ましい痺れが、ようやく完全に消えていくのが分かった。
「カンナちゃん、体の具合はどうだい? 痛むところはない?」
ドアをノックして入ってきたサリバン様は、静かな佇まいで私のベッドの脇に腰掛けた。
「……大丈夫です。ご心配をおかけしました、サリバン様。それと……助けていただき、ありがとうございました」
「いいんだよ。君は僕の可愛い孫だからね。……だけど、カルエゴくんには、随分と強い印象を与えてしまったみたいだ。改めて、カンナちゃん。君に確認し、約束してほしいことがあるんだ」
サリバン様の声音が、一段と低く重くなる。
「君が『人間』でも『悪魔』でもない……宇宙最強の『夜兎』であるということは、この魔界では絶対に誰にも知られてはならない。もし君の本性と、あの規格外の危険性が魔界の十三冠や元祖返りの悪魔たちに知られれば、君は間違いなく、新しい戦いの『道具』として利用されるか、あるいは危険因子として排除される」
「……分かっています」
私は冷えたグラスを握りしめ、淡々と、しかし冷徹に頷いた。
春雨の戦場で、心を無にして殺戮の道具として扱われていた日々。神威のあの、私の血の狂暴さだけを愛する爛々とした瞳。あの日々には、二度と戻りたくなかった。
魔界に来て当初、おじいちゃんが「お兄ちゃんになって」と引き合わせたイルマは、私の複雑な生い立ちを察して『僕たち同い年だし、無理にお兄ちゃんって呼ばなくていいよ。カンナちゃんの呼びやすいように呼んで』と、優しく配慮してくれた。だから私は、彼を「イルマ」と呼んでいる。
イルマがいて、オペラ様が美味しいご飯を作ってくれて、サリバン様が私を孫と呼んでくれる。この血の匂いのしない温かい居場所を、私は何があろうと手放したくなかった。
「私は人間、カンナです。それ以外の何者でもありません。あの不届きな教師にどれだけ疑われようと、絶対にボロは出しません。……おサリバン様がくれたこの居場所を守るためなら、私は何だってします」
私の声の奥に、夜兎としての確かな『執念』が宿るのを、サリバン様は静かに見つめていた。
やがて、彼はいつもの優しいおじいちゃんの笑顔に戻り、私の頭を優しく撫でた。
「うん、偉いねカンナちゃん。……でもね、一つだけ僕からアドバイス。カルエゴくんは、確かに融通の利かない頑固な悪魔だけどね。彼は『身内』と認めた生徒のことは、何があっても命がけで守る悪魔だよ。もし万が一、君の正体が彼にバレるようなことがあっても……彼なら、君を売ったりはしない。だから、あんまり肩肘を張りすぎずに、学校を楽しんでおいで」
「……あんな老け顔の偏屈教師が、私を守る? 冗談はやめてください。絶対にあり得ません」
私はフン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
けれど、私の脳裏には、羊皮紙の魔力に灼かれて意識を失いかけたあの瞬間――誰よりも早く私を抱きとめ、その大きな手で獰猛な猛獣たちから庇ってくれた、カルエゴ先生の温もりが、なぜか消えずに残っていた。
