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カノンカノン side E

 朝陽が目に刺さった結果、心地よい微睡と別れた。今まで、朝陽が目に刺さるほど、強烈だったことはないが……。
 無意識のうちに掻き抱いていたらしい、腕の中の温もりが身動ぎする。
 このままこの温もりを抱いていられるなら、再び眠りについて一生目が覚めなくても、とまで考えて、そんな自分に慄いて、意識が覚醒した。
 馬鹿だろう。
 馬鹿だろう、私。
 思わず見開いた目に一番に飛び込んできたのは、自分のものではありえない黒髪と、そこから覗く大きな三角の……猫又の耳。昨日までよりも艶やかさを増したそれらは、撫で回すか頬擦りをしたくなるような誘惑に満ち満ちており……。
 既に温もりを抱いていた腕を離すのが惜しくて、そっと目の前の髪に顔を埋めた。
 甘い香りがする。
 嗚呼、本当に、永の眠りを望むなんて馬鹿げていた。二度と、この満ち足りた気分を、味わわないつもりだったのか?
「指揮官殿ー?」
 何やら、くぐもった声が聞こえる。
「ちょ、起きてるだろ、指揮官殿⁉︎」
 背中を叩かれるが、これくらいならば痛くない。背中の熱も今は退いており、彼女が魔痕の変化に気付くこともないだろう。
 腕に力を入れてしまっていたらしく、彼女の声音が真面目なものへと変化した。
「ああもう! ちょっと苦しいんだよ、カノン‼︎」
 それはいけない。愛しい半身を苦しめるわけにはいかない。
 けれど、見上げてくる瞳に宿る、朝露のような輝きに頬が緩むのを止められないし、放すのが惜しいと感じてしまう。
「おはよう、私の羽」
 極上の宝石が、ふいと逸らされた。
「朝から色気を振りまくのは結構だけど、アタイ以外にそんな顔見せるんじゃねーぞ、カノン。一応、アンタは指揮官殿なんだからな」
 どんな顔かは解らないが、他人に色気を振りまくなと言われれば、喜んで応じよう。私のことは、愛しい羽だけが独占していれば良い。
 もっと正直に言えば、話に聞くヤキモチとやらのようで、非常にくすぐったい。
「承知した。カノンがそう望むのであれば、是非もない」
 即座に肯いたというのに、彼女の表情は晴れない。
「ホントにわかってんのかなぁ……」
「寧ろ、有難い提案だがな。私の羽以外に傍に望む相手などいないのに、要らぬ愛想で争いの火種なぞ播くものか」
 断言すると、彼女は少し困ったように目尻を下げた。
「えーとだな、必要な愛想は振り撒けよ……?」
 必要な愛想、か。彼女が困らないためであれば、やむを得まい。
「……仕方ない、承知した」
「わかってもらえてることには安心したけど、別の意味で心配だよアタイ……」
 どういうことだと訊ねる前に、カノンはするりと腕の中から抜け出した。どうやら、彼女の中では、話は一区切りついたらしい。
 しなやかな肢体を惜しげもなく朝陽に曝し、大きく伸びをする彼女は美しかった。
「んーっ! 珍しく、イイ朝だねぇ」
「そうか?」
 いつまでも横になっている意味も見付けられず、私も身を起こす。
 気分的に良い朝であるのは認めるが、何せ、今までになく朝陽が目に痛い。
 外の空気でも吸って気持ちを切り替えるかと手櫛で髪を後ろに流し、カノンを追って天幕を出た。
 やはり、そこはかとなく、違和感がある。
 私が昨日まで見ていた景色は、こんな色だっただろうか。朝の空気はここまで何かを訴えかけてくるような、濃密なものだっただろうか?
 こんなに自らの感覚が制御できないのは、初めてかもしれない。
 と、そこで、天幕を出た段階で私を待っていてくれたらしいカノンが、訝しげな顔をした。
「あれ? アンタ、目ぇおかしくね?」
 唐突といえば唐突な言われ様に、面喰らったのは事実。
 どうして私の感じていることを言い当てたのだとか、おかしいとは一体どういう意味だとか、言いたいことが後からまとめてやってきた。混乱し、息を呑んだ間に、彼女は私の目を覗き込んだ。
 覗き込まれたということは、こちらからも覗き込めるということ。
 彼女の蜂蜜色の目に、金糸や銀糸のような煌めきが加わっていることに気付き、少し気持ちが落ち着く。
 虹彩に金や銀の煌めきが混じるのは、高い魔力を持つ証。昨日までの彼女の瞳には、このような色などなかっただろう。
 ……私が、染めた色だ。
 密かに満足していたら、長い睫毛が彼女の目を陰らせた。
「ああ、やっぱりおかしい。鏡で確認してみなよ」
 言われるがまま作り出した水鏡に映し出した私の目は、確かに変化していた。
 具体的に言うなれば、瞳孔の形が、縦に長くなっていた。それはまるで、彼女と同じ猫獣人や猫又のように。
 ふむ。心当たりは、無きにしも非ず。よくよく考えれば、起こり得た事態。
「……私の方も、混ざったか」
「混ざった?」
「存在……在り方や、魂といったものが」
 実際に混じったことに関しては結構だが、今後について考えることが増えてしまった。下手に故郷に戻っても、嵐を呼ぶ可能性が高い。しかもそれに彼女を巻き込みたくないのに、巻き込む未来しか見えない。
「それって混ざったりするものなのか?」
「うむ。羽に対して私たちを混ぜる……というか、分け与えるのは、一般的だ」
 今はそれについても思うところがあるが、故郷では誰も疑問に思わなかったことだ。魔痕に囚われた私たちが、魔痕の本能に負けて行なっていること。
 カノンの尾が不安げに揺れたので、先ほどの説明では言葉が足らなかったと把握する。
「大体の場合は、私たちを分け与えても、魔力や寿命が増えるだけだな。羽に焦がれる気持ちが強ければ、上位の存在に押し上げたり、私たちの特性や能力と言われるものの一部が混ざったりすることもあるが……」
 一尾だったカノンが二尾になったのはその所為だし、恐らく何かしら他の影響もあるだろう。そちらは、ある意味、普通だ。
 いや、よく考えれば十分おかしな点の指摘できる話なのだが、私たちにとっては普通だったのだ。
 問題は、私だ。
「いずれにせよ、私たちが分け与えることはあっても、逆は滅多にない。もしも多少、影響を受けたとしても、私ほど露骨に表れはしない」
「なんで」
 本当に、どうしてだろうな? 愛しい羽を自慢したいのであれば、おかしな話だ。
「まあ、クソくだらないプライドの問題だろうな。私たちは高みにいるべき種族であり、混ざるのは未熟で力のない証拠。一族には相応しくない……と、昔からよく聞かされたものだ」
「けったくそ悪いプライドだな」
 眉を顰めたカノンが、吐き捨てる。その通りだと気付いたのは、気付くことができたのは、僥倖だ。
「よく考えれば、傲慢な考え方なんだがな。引き籠りすぎて、誰にも指摘されないまま歪んだと思われる」
「って、ちょい待てよ! そうなったら、アンタどうなる? アンタ混ざったんだろ?なんで?」
 一転して私を心配する愛しの羽。私の羽が彼女で良かったと、心の底から感謝しつつ、私は答えを考えた。
「理由の方は、恐らく、羽を諦めて自分の存在を否定し、喰われかけたからだろう」
「魂を崩壊させるって有名だけど……」
 有名、とは初めて聞くが。私たちが如何に独り善がりな存在なのか、よく分かろうというものだ。
「なんだ、有名だったのか。なら、話は早い。私の削れた魂を、そなたの存在が補った。その分、深く影響を受けただけだ」
「それって大丈夫なのか?」
「本来は、お互い合意の上で共に影響を受けるのが筋ではないか?」
 私としては、間違ったことを口にしたとは思わなかった。なのに、何故かカノンは、顔を歪めた。
「ちげーよ‼︎ いや、まあ、筋の方はわかったけど、アンタは……! 魂が欠けたってことなんだろ。そっちは!」
 雷に打たれたような、とはこのことを言うのだろうか。
 嗚呼、誰か私に、彼女との別れ以外の罰を与えて欲しい。私はまだまだ、独り善がりだった。
「羽の方から飛び込んできてくれたから、完全に手遅れになる前に生き延びた」
「どんだけ心臓に悪かったか、わかってんだろうな⁉︎」
「愚かだったよ。今でも、馬鹿だ。だが、おかげで深く混ざれた。それが幸せだ」
 口を開いたり閉じたり、拳を握ったり緩めたりしてた私の羽が最終的に口にしたのは、「馬鹿」の一言だった。
「もう、どーすんだよ」
「どうするかな……。いっそ、愛の逃避行とやらも、悪くあるまい」
 これまた、噂には聞いていたが、故郷では冷笑の対象だったものだ。ひっそり、半ば本気で検討しておく。
 何せ、何重もの意味で、下手に故郷に戻れない。エルフの事情に、せっかく得られた私の羽を巻き込むなど、私が許さない。
 幸いにも彼女は私の決意に気付いた様子はなく、眉根を下げた。
「アンタ、一気に人格崩壊させすぎだよ」
「だが、きっと今の私なら酒が飲めるぞ?」
 盛大に酔うかもしれないが、きっとそれもまた、楽しみ方の一つなのだろう。昨夜、果たせなかった約束を持ち出せば、彼女の口元が緩やかに弧を描いた。
「むしろ、元々飲めなかった事実の方が驚きなんだけど。んじゃ、今夜あたり、飲んでみるかい?」
「そうだな」
 昨日までは考えることもなく、考えられもしなかった新たな日々が、始まろうとしている。今の状況を昨日の私に告げたところで、信じることはあるまい。
 羽を取り込もうとする魔痕の存在や、今となっては不可解な故郷の風習にどうやって対抗するか。今後、頭を悩ませるべき問題は少なくないし、茨の道に踏み入れたという自覚はしている。
 駆け落ちをするのであれば、候補地を早めに検討しておくに越したことはない。それ以前に、駆け落ちの必要性をどう説明したものか、簡潔にまとめておきたい。エルフの面倒な事情に巻き込みたくないとはいえ、それを隠してしまうのは違うと感じる。
 魔族との戦争が終わったとしても、まだまだ平穏には戻れそうにない。寧ろ、戦争が終わってからが私の正念場だ。
「ふふっ、今夜が楽しみだ」
 決意を固める私の目の前で、私の羽が笑っている。それが眩しい朝陽の中でなお一層輝いて、目が痛いのに視線が逸らせない。火に吸い寄せられ、飛び込んでしまう虫は、このような気持ちなのだろうかとすら思う。
 たとえこの先が茨の道だとしても、彼女の輝きが照らしてくれれば迷うことはない。何が起こっても乗り切れるような気がするから、世の中は本当に不思議なものだ。
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