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16で君と出会い、初めて恋をした。
だけどそれが恋だと知ったのは、幾度か時が巡ってのことだった。
夏油傑が任務を途中放棄し村人112名を殺害した後に逃亡。更に彼の両親をも手に掛け、処刑対象となった。
そんな知らせが届いたのは、私が彼と出会って3度目の秋のことだった。呪術師は弱者である非術師を守るべき存在だ、そういっていた彼がそんな行動を起こしてしまったのは何故だろう。
可愛がっていた後輩…灰原雄が任務で命を落としたことがきっかけだろうか。
いや、もっと前からだ。もっと前から、片鱗はあった。
きっとあの、天内理子という少女の護衛任務が始まりだった様に思う。あの頃から少しずつ、夏油君の様子が可笑しくなり始めていたような気がする。どうしてもっと早く気付いてあげることが出来なかったのだろう。いや違う。私は気づいていた。夏油君が何かとても思い悩んでいるということに。
気付いていたけれども、夏油君ならきっと1人で何とかするだろうから大丈夫だろう。そもそも私に出来ることなんて何一つないだろう。そう思って何もしなかった。
実際その通りだっただろう。私に出来る事なんて何もなかったし、例え何かしていたとしても彼の離反を止めることは出来なかっただろう。
だけど思わずにはいられない。もしも、何か言葉をかけてあげることが出来ていれば、何かが変わっていたのじゃないか。彼の離反を防ぐことが出来ていたのではないのだろうか。…そんなこと今更言っても何にもならない、後の祭りだが。
「名前」
1人空を見上げぼーっとしていると、いつの間にか隣にいた五条君に名前を呼ばれた。
「…何?」
「泣けよ」
返事をすると返ってきた言葉はそんな言葉だった。
「は?唐突になに。なんで泣かなきゃいけないの」
「辛いんだろ。泣け。今はここ、俺しかいないから。だから泣いても誰にも見られない。今のうちに泣いとけよ」
あれは五条君なりの優しさだったのだろう。
だけどバカで意地っ張りでプライドの高い私は、そんな彼の優しさを無碍にした。
「何言ってんの。辛くなんかないよ。泣く訳ないでしょ。てか、今考え事してんの。1人にしてよ、邪魔しないで」
なんて言って、彼を突き放した。そんな私に対して五条君は
「そうかよ。そりゃ悪かったな」
と言って、私の頭を少し乱暴に撫でて去っていった。その姿は全く似ていないはずなのに、彼と重なって見えた。
「…ごめん、五条君。ありがとう」
遠ざかる背中に、聞こえないくらいの小声で呟いた。
今にして思う。五条君は気づいていたんだ。私自身が気づいていなかった、私の夏油君への思いに。
*******
バサバサバサッと、何かが落ちる音がして目を覚ました。あぁ、机の上に置いていた資料が全て床に落ちてしまっている。
最悪だ。床に落ちた資料を机に戻して溜息を吐く。周囲を見渡すと、私以外の人は誰もいない。みんな帰ってしまったようだ。誰か起こしてくれてもいじゃないか。薄情な連中だ。
…随分、懐かしい夢を見たものだ。高専を卒業し、結局は呪術師の道へは進まずに普通の会社へ就職した。そのことを後悔したことは、1度もない。
だが時折考える。もしも卒業しあのまま呪術師の道へと進んでいたら彼と再会する日が来ていたのだろうか、と。…なんて、いくら考えても無駄なことを考えるのは辞めよう。
それよりも早く仕事を片付けないと。もういっそのこと今日は会社に泊まってしまうか。とりあえず息抜きに煙草でも吸いに行こう。
*******
「うわ、さむっ…」
煙草を吸うために外へ出ると、思っていたよりも寒くて上着を着て来なかったことを後悔した。もうすっかり冬だな。そういえば再来週にはもうクリスマスになるのか。あまりにも無縁すぎてすっかり忘れていた。硝子誘って飲みにでも行きたいが向こうは私なんかと比べ物にならないくらい忙しいだろうから無理だろう。それにしてもすごく寒い。煙草吸い終わったら暖かい飲み物でも買ってから戻ろう。そんなことを考えながら煙草に火をつける。
「煙草なんて吸う様になったんだね。硝子が吸うたびにあれだけ文句を言っていた君が吸う様になっているなんて少し驚いたよ」
不意に聞こえてきた声は、忘れもしない声だった。
なんで、こんな所で彼の声がするんだ。聞き違い…なんてする訳ない。私が彼の声を聞き違う筈がない。
恐る恐る顔をあげると、目の前にはやはり、思い描いた通りの人物がいた。
「っ…夏油、君…」
「やぁ、久しぶり。10年ぶりかな。暫く会わないうちに綺麗になったね。見違えたよ、名前」
学生時代はどちらかというと可愛いといわれる部類だったのにね、と、私の記憶の中に残るものと変わらぬ笑顔で言う夏油君から目が離せない。
あの頃の笑顔と変わらない笑顔のまま私に近づき、あの頃と同じ調子でにこにこと笑いながら、私の頭を優しく撫でている。大きくて暖かく、優しい手。私はこの手が、大好きだった。
心地よい。懐かしい。まるで高専時代に戻ったかのような錯覚に陥りそうになる。共に過ごした3年という月日が甦り、涙が零れそうになる。
だが、泣いている場合じゃない。今すぐにこの手を振りほどかないと。早く高専に通報し、誰かが来るまで戦ってでも夏油君をこの場に引き止めなくては。高専を卒業して以来もうずっと戦いの場から離れているうえに、現役時代だって準2級だった私に、特級呪術師である夏油君と戦っても勝ち目なんて100%ない。だがせめて、せめて誰かが来るまで時間を稼がないと。早く…ほら戦え…!戦うんだ、苗字名前…!今目の前にいるこの男はもう、仲間じゃない、捕まえ、死刑台へ送るべき男だ、いい加減割り切るんだ…!
「……そんなに怖い顔をしないでくれ。私は君と戦いに来たわけではないんだ」
困ったように笑いながらひらひらと両手を振る夏油君。その困り顔も、あの頃と変わらない。思い出に残る、夏油傑そのものだ。まさか呪術師にならなかったのに再会するとは思わなかった。だが、再会してしまった以上、見逃すわけにはいかない。
「じゃあ何しに来たの?私、裏切者とお話してるほど暇じゃないんだけど」
とりあえず少しでも長く話をして時間を稼ごう。
そして早く誰かを呼ばないと。
夏油君に気づかれないようにスカートの後ろポケットにしまっているスマホに手を伸ばす。
早く高専に…いや、五条君に連絡を…
「酷いな名前。せっかく昔の同級生と感動の再会をしているというのに、他の男に連絡をするなんてしないでくれよ」
「!」
いつの間にか背後を取られて羽交い絞めにされ、スマホを奪われてしまった。…やはり、私では歯が立たない。そんなに力は入れられていないが、体はピクリとも動かせない。特級呪術師が相手とはいえ、ここまで手も足も出せないとは。やっぱり呪術師の道を諦めたのは正解だったなと、少々場違いなことを考える。
腕から逃れられないかためしに抵抗してみるが、やはり無駄だった。
「そんなに警戒しないでくれ。先程から言っているが、私は君に危害を加えるつもりはないよ」
「思い切り羽交い絞めにしながらそんなこと言われても、全く説得力ないんだけど」
「それは君が悟に連絡しようとするからだろう」
「級友に連絡しようとしただけで羽交い絞めにするとか酷くない?夏油君て彼女が男友達と連絡したらキレるタイプ?辞めた方がいいよ、そんなに束縛激しいと逃げられちゃうから」
「勝手な想像で私に変な印象を持つのは辞めてもらえないかな。こう見えても恋人が出来たら相手には自由にのびのびとしていてほしいと思っているよ」
だから羽交い絞めにしながら言われたって説得力ないっての。軽く夏油君を睨んでみるが真意のわからない笑顔を向けられた。
そんなところも、昔と全く変わっていない。
私の知ってる、私の好きだった夏油傑のままで、余計に辛くなってきた。会いたくなかった。どうして今更わざわざ私の前になんてやって来たんだこの人は。どうしてこんなにも昔のままなのに、裏切ったんだ。何も変わっていないように見えるのに、どうして処刑対象として見なくてはいけないんだ。
「…すまないね、あまり長居をするのは私にとって都合がよくないからね。大人しく話を聞いてくれ」
そういうと夏油君は私の身体を解放した。…スマホはまだ奪われたままだが。
「スマホ、返して」
「うん、返すよ。話が終わったらね」
そうニコニコと笑う夏油君を見て、話を聞かない限りスマホを取り返すことが出来ないと思ったので仕方なく話を聞くことにした。
「話し、何?寒いから手短にして」
「あぁ、そのつもりだ。…名前、単刀直入に言わせてもらう。私と一緒に来てくれないか?」
笑っていた先程とは一転し、真剣な表情をしている。冗談ではないようだ。
「一緒に?それはつまり、私に呪詛師になれっていってるの?」
「いや、そんなことは言っていないよ。ただ、私は君と…名前と一緒にいたいんだ。だから私と来てほしい」
そういいながら私に手を差し出してきた。
大好きだった彼が、1度目の前から消えていなくなった彼が、私の前に再び現れて手を差し出してきている。嬉しくない、なんて言ったら嘘になる。
だが私は、その手を思い切りはたいた。
すると彼は私を無表情で見つめた。そんな夏油君のことを気にも留めずに私は口を開いた。
「一緒にいたいからついて来い?ふざけないで。貴方自分のしたことわかってるの?」
夏油君はやはり無表情で黙って聞いている。
「夏油君は、裏切ったんだよ?みんなのことを。そのせいでみんなが…五条君や硝子、七海君に伊地知君がどんな思いしたかとか、夜蛾先生がどれだけ苦労したかとか、考えたことある?」
夏油君は相変わらず黙っている。私の言葉は彼にどんなふうに受け取られたのだろう。相手の心を読む術などないから、分かる訳ない。もしもそんな能力があったら、夏油君が裏切る前にもう少し何か出来ることがあったのだろうかと、子供じみた幼稚なことを考えている自分に呆れる。なんだか今日の私は随分と呑気な気がする。
「……やはり、君は私を受け入れてはくれないんだね。まぁ、当然か。どんな理由を並べ立てても、私が君達を、君を裏切ったことは揺るぎもない事実だ。よかったよ、君がやすやすと誰かを裏切るような人間じゃなくてね」
そういう夏油君の笑顔は、少しさみしそうに見えた。その顔は、私の思い出の中にはなかった。こんな切なそうに笑っているところ、初めて見た。
「スマホ。返すよ。忙しいところに突然来てすまなかったね」
そういいながらスマホを差し出してきた夏油君の顔は、よく見知ったいつも通りの笑顔に戻っていた。
スマホを受け取ろうと手を伸ばすと突然腕を引かれて抱きすくめられ、唇を重ねられた。驚いて押しのけようとするが適う筈もなく、されるがままになることしか出来なかった。
「フフッ、ご馳走様。これで心置きなく君と別れられるよ」
私のことを解放した夏油君の顔はまるで悪戯に成功して満足している子供の様だった。
「はっ…ちょ、あ?!な、何してんの…!」
「キス。何、名前照れてるの?そういう反応の仕方学生の頃と変わらないね。子供みたいで可愛い」
ケラケラと楽しそうに笑う顔面をぶん殴ってやりたい。躱されるだけだろうからやらないが。
「それじゃ、私はこれで帰るよ。久しぶりに会えて嬉しかったよ」
そう言いながら夏油君は私に背を向けて歩き出した。そんな彼の背中を見送ることしか出来ずにいると「あぁ、そうだ」と何かを思い出したように立ち止まって振り返り、
「名前、12月24日は外へ出ず、家で過ごすことを勧めるよ」
と言われた。
「は?なんで」
「私と仲間たちが動くからだよ。恐らく街中戦場と化す。君、そういうの苦手だろう?だから家でゆっくりしていた方が君のためさ」
「……そんなこと、いいの?私に教えたりして。五条君や高専に知らせちゃうかもしれないよ?」
「大丈夫だよ。名前は絶対誰にも知らせたりしないよ」
どこか確信しきった様子で言う夏油君。
「何でそんなはっきり言い切れるの。知らせるよ?夏油君が何か企んでるって五条君に言って止めてもらうから」
そういう私を笑いながら
「無理だよ。名前は私のことを告げたりなんて出来ない。頭では私が裏切者だってわかっていても、ね」
といった。「それじゃ、今度こそ私は帰るよ。さよなら。……悟や高専に連絡したいなら勝手にすればいい。…まぁ、出来るものなら、ね」
言い終わると夏油君は今度こそ私に背を向けて歩き出した。その後ろ姿を見送りながら、私はスマホを操作し『五条悟』と書かれた連絡先を表示し電話を――出来なかった。
「……夏油君の、バカ。私の、大馬鹿。ごめん、五条君」
寒空の下、私の声だけが辺りに響き消え入った。
*****
「雪が降ってるよ。クリスマス当日に振るなんてなんか嬉しいね!」
彼と出会って初めて迎えたクリスマスは、東京にしては珍しく雪が降り積もりとても綺麗だった。なんだかすごく嬉しくなり、16にもなってはしゃいでしまった。そんな私を夏油君が優しく笑いながら見ていた。
「名前は雪が好きなのかい?」
「んー…まぁ特別好きって訳ではないけどなんかテンションはあがるかな」
「そうなんだ。フフ、子供みたいだね」
「ちょ、ひどっ!夏油君私のことバカにしてる?!」
「してないよ。ただ子供みたいで可愛いなと思っただけだよ」
「やっぱバカにしてる!!」
怒る私の頭をぽんぽんと優しく撫でながら「ごめん」と笑う夏油君の顔は、癇癪を起して喚き散らす子供をあやす、父親の様だった。
*****
バサバサバサッと、何かが崩れ落ちる音がして目を覚まし、あぁしまった、またやってしまったかと思った。
机周りを見渡してみると案の定。仕事の資料が全て床に落ちてしまっていた。そして周りを見渡してみると思った通り。他の社員は皆帰ったようだ。帰る前に一言かけるってことは頭の片隅にすらないのだろうか。
それにしてもまた懐かしい夢を見たものだ。近頃こんなことばかりだ。学生時代に戻りたいという願望でもあるのだろうか。
そういえば、今日は12月25日…クリスマスか。先程の夢と、同じ日だ。だからあんな夢を見たのかな。
夏油君と再会したということを、私は彼の言うとおり五条君達に知らせることが出来なかった。情けない話だ。夏油君達は昨日本当に行動を起こしてしまったのだろうか。そして仮に何かを起こしていたとして、彼はどうなったのだろう。
なんて考えを巡らせていたら気が滅入ってしまいそうだ。…やめよう、私はもう呪術師じゃないんだ。関係ない。関係ないことを考えるのは辞めて今は目の前にある仕事を片付けよう。その前に息抜きに煙草を吸いに行こう。
*****
「うわっ、雪だ」
煙草を吸うために外に出ると、あの日と同じように雪が降っていた。…さすがにもう、あの頃の様に嬉しいとは感じないが。電車が止まらないかが不安だ。今日は家に帰りたい。煙草を吸い終わったらすぐに部屋に戻って仕事を片付けて帰ろう。そう思いながら煙草に火をつけた。
「いやぁ、いつ見ても違和感すごいねー。名前ってほんっと煙草似合わないよねー!!」
突然聞き覚えのある声がして驚き、思わず噎せた。
「すごい噎せてるね。名前ひょっとして無理してかっこつけて吸ってる?それなら辞めた方がいいよー?煙草なんて百害あって一利なしだからね」
あんたが突然現れて突然声かけてきたから驚いたんだろ……!そう思いながら顔をあげると、予想通り目の前には五条悟がいた。
「やっほー、お疲れサマンサー!元気してたー、名前ー?」
相変わらずよくわからないテンションだ。気が滅入ってる時にこのテンションで来られるとイライラする。普段でもイライラするけど。
「どっかの誰かさんの顔見て元気なくなった」
「誰のこと?僕じゃないよね?だって僕目隠してるから顔見えないもんねー」
わかってて言ってんだろ、この馬鹿目隠し野郎…!本当、イライラする。高専の頃と変わらない。
「何か用?私早く仕事戻らないといけないんだけど」
いつまでもこんなところで五条君のペースに巻き込まれていたら帰れなくなってしまう。早く用件を聞かないと。
「……傑が死んだよ。僕が殺した」
私が質問すると、先ほどまでのふざけた調子とは打って変わり真剣な様子で五条君は言った。
あぁ、2週間前に言っていた通り、夏油君は本当にことを起こしてしまったのか。そして五条君によって処罰をされた、と。そういうことか。夏油君を、五条君は自らの手で殺さなくてはいけなくなったのか。もしもあの日、私が高専に連絡出来ていたら…そしたら五条君にそんな辛い思いをさせないで済んだのだろうか。
「言っとくけど。僕が傑を殺したのは名前のせいじゃないから。そこんとこ間違えるなよ」
私の考えはお見通しだとでも言う様に五条君は少しきつい口調でいう。もしかして、夏油君が会いに来たことを知っているのだろうか
「お前のとこ、来ただろ傑」
あぁ、やはり知っているのか。
「……来たよ。夏油君から聞いたの?」
「いや、聞いてない。けどアイツのことだから、作戦を決行する前にはお前のとこに来ただろうなって思った。そこで言われたんじゃないか?一緒に来てくれって。それを断ったら昨日は家から出るなって忠告されたんじゃないか?」
どうしてそこまで正確にわかるんだ。呪術師じゃなかったら探偵にでもなれたんじゃないだろうか。
「よくわかったね。なんでそんなにわかるの」
「わかるさ。僕は君の級友だよ。そしてアイツの…傑の親友だ。どんな行動をするかなんて、大方予想が付く」
”親友”と言った時、一瞬五条君が寂しそうにした気がする。私が頭の中では夏油君を裏切り者だとわかっていてもそれでも彼のことが好きで、彼のことを大切に思っていたのと同じように、彼にとって夏油君は唯一無二の親友であることに変わりないということか。
「エスパーかって言いたいくらい完璧にバレてて最早怖いんだけど」
「だからさっきも言っただろ、お前らの行動なんて簡単に予想付くさ。どれだけ一緒にいたと思ってんの。……名前気にしてるだろ。自分が傑来た時に僕や高専に連絡しなかったこと。だから気にすんなって伝えに来た」
そんなことまでわかっているのか。予想とかの次元ではないのではないだろうか。
「五条君て意外と周りよく見てるよね。そんでもって意外と優しいよね。性格悪いし空気も読めないしデリカシーの欠片もないくせに」
「素直に僕の事褒めれないの?」
褒められたいなら日頃の行いを改めてから言え。
そういうと五条君は心外だなー!僕ほど日頃の行いのいい人間なんていないだろなどと抜かした。日頃の行いがよかったら七海君や伊地知君があそこまで苦労するわけない。
「…じゃ、私仕事戻るわ。今日はわざわざありがと。お陰で色々と整理出来そう」
いつの日か言えなかったお礼を言い、別れを告げて仕事に戻ろうと五条君に背を向けると「待って。もう一つ用件があるんだ」と呼び止められた。
「まだ何かあるの?」
「うん。寧ろこっちのが重要」
そういう五条君は普段の様子とは違い真剣なようだ。今日は本当に大切な要件があって私の所へ来たのか。
「…何?」
「名前、高専に戻って来いよ。そんで、教師になれ」
「は?」
何を言っているんだこの人は。
「君はさ、トロいし鈍臭いし、いっつも詰めが甘くてさ!本当に呪術師に向いてないよね。だから呪術の道を諦めたのは大正解だったと思うよ、本当に」
腕を組みながらうんうん、と頭を上下に動かす馬鹿目隠し野郎。高専に戻れと言いながら今ボロカスに侮辱しやがったぞなんなんだコイツ。
「喧嘩売ってんの?私仕事戻るから」
「ちょっと待ってって!人の話は最後まで聞かないとダメでしょ、名前ちゃん!ママにそう教えてもらわなかったの?!」
聞いてほしいならもう少し相手のことを思いやれよ。全部気にしてることなんだぞ。イライラしている様子を隠しもせずに「何?」というと
「…僕はさ、一応教師って立場ではあるけど向いてないんだよ。教師なんて、柄じゃない。逆に名前は僕と違って教師に向いていると思うんだ。昔から面倒見いいし、人の機微にも敏感で、すごく優しい奴だ。だからそんな奴に僕の…俺の大切な生徒達の面倒を見てほしい。もう二度と、傑みたいな奴を出さないためにも」
今まで見たことないくらい、五条君は真剣な様子だ。こんなに真剣に、面と向かって物事を頼まれたのは初めてだ。そんな風に言ってくれるのは、とても嬉しい。だけど、そんなこと言われてもやはり無理だ。
「今更どの面下げて戻ればいいかわかんないよ。私、一度逃げたんだよ?呪術師の道から。それだけならまだしも、私は夏油君を…呪詛師を見逃したんだよ。そんな奴に五条君は大切な生徒を預けること出来るの?」
「出来るよ」
五条君は一切躊躇することなく答えた。
「俺は名前のことを信頼してる。絶対に俺の生徒のことを俺と同じくらい...いや俺以上にアイツらを大切にしてくれる、思ってくれるって。だから頼んでるんだ。.....それに何よりも、これは君のためにも提案してるんだ」
五条君の言葉が理解出来ずに首を傾げていると、
「名前、後悔してんでしょ。傑が来た時に僕や高専に連絡しなかったことと、あの頃…高専に通ってた頃、傑の様子が可笑しくなり出したことに気がついていたのに、なにもしなかったって」
「……だから、なんでそこまでわかるの」
「何度も言ってるでしょ。僕は君の級友だよ。なんでもお見通しさ!…それに、僕も同じだからね」
微かに俯き気味に言う五条君は、やはりどこか寂しそうだ。
「だから、教師になって傑みたいな道を踏み外しそうになっている子がいたらそんな子を導いてあげてほしい。名前になら、出来ると思う。辛い思いをしている生徒に寄り添ってあげてくれ。僕はそういうの、あまり得意じゃないし、こう見えても忙しい身だからね。常に生徒達の近くにいてあげることが出来るわけではない。そんな時に名前みたいな人の痛みをわかる大人がいてあげることが必要なんだ。…そういう風にしていれば、名前の心も少しは救われるんじゃない?だから僕は名前に高専で教師になってほしいんだ。考えてくれないか?」
五条悟と出会って12年…彼がこれ程に真剣に話している姿を初めてみた。こんな姿を見せられたら、簡単に断ってはいけないのではないだろうか。
それにこの提案は私のことを思ってくれてのことだなんて言われてしまっては、どうしたらいいんだ。私はまた、五条君の優しさを無碍にするのか?そんなことはしたくない。全くこのひとはいつもいつも…
「五条君って、普段は他人に1ミリたりとも寄り添わないくせに、人が本当に落ち込んでてメンタル弱ってる時だけ優しくしてくるよね……」
「失礼だなー、僕はいつでも人のことを考えていっつも相手に寄り添い行動するナイスガイだよ!」
どの口が言うんだか。普段の行動を見直してほしいものだ。
「ま、用件は済んだから僕はそろそろ帰るよ。じゃーねー。……返事はいつでもいいからさ、いつでも連絡してよ」
そう言い歩き出す五条君の背中が、あの日の夏油君と重なって見えた気がした。
私が高専に連絡出来ないと確信していた夏油君と同じように、五条君もまた、自分の提示した案に私がどの様な答えを出すのかわかっている様に見えた。全く、どこまでもたちの悪い2人だ。
高専の教師になる…少しだけ、検討してみるとするか。なんて、呪術の道から逃げたくせに何を言っているんだと言われても、文句は言えないな。
だけどそれが恋だと知ったのは、幾度か時が巡ってのことだった。
夏油傑が任務を途中放棄し村人112名を殺害した後に逃亡。更に彼の両親をも手に掛け、処刑対象となった。
そんな知らせが届いたのは、私が彼と出会って3度目の秋のことだった。呪術師は弱者である非術師を守るべき存在だ、そういっていた彼がそんな行動を起こしてしまったのは何故だろう。
可愛がっていた後輩…灰原雄が任務で命を落としたことがきっかけだろうか。
いや、もっと前からだ。もっと前から、片鱗はあった。
きっとあの、天内理子という少女の護衛任務が始まりだった様に思う。あの頃から少しずつ、夏油君の様子が可笑しくなり始めていたような気がする。どうしてもっと早く気付いてあげることが出来なかったのだろう。いや違う。私は気づいていた。夏油君が何かとても思い悩んでいるということに。
気付いていたけれども、夏油君ならきっと1人で何とかするだろうから大丈夫だろう。そもそも私に出来ることなんて何一つないだろう。そう思って何もしなかった。
実際その通りだっただろう。私に出来る事なんて何もなかったし、例え何かしていたとしても彼の離反を止めることは出来なかっただろう。
だけど思わずにはいられない。もしも、何か言葉をかけてあげることが出来ていれば、何かが変わっていたのじゃないか。彼の離反を防ぐことが出来ていたのではないのだろうか。…そんなこと今更言っても何にもならない、後の祭りだが。
「名前」
1人空を見上げぼーっとしていると、いつの間にか隣にいた五条君に名前を呼ばれた。
「…何?」
「泣けよ」
返事をすると返ってきた言葉はそんな言葉だった。
「は?唐突になに。なんで泣かなきゃいけないの」
「辛いんだろ。泣け。今はここ、俺しかいないから。だから泣いても誰にも見られない。今のうちに泣いとけよ」
あれは五条君なりの優しさだったのだろう。
だけどバカで意地っ張りでプライドの高い私は、そんな彼の優しさを無碍にした。
「何言ってんの。辛くなんかないよ。泣く訳ないでしょ。てか、今考え事してんの。1人にしてよ、邪魔しないで」
なんて言って、彼を突き放した。そんな私に対して五条君は
「そうかよ。そりゃ悪かったな」
と言って、私の頭を少し乱暴に撫でて去っていった。その姿は全く似ていないはずなのに、彼と重なって見えた。
「…ごめん、五条君。ありがとう」
遠ざかる背中に、聞こえないくらいの小声で呟いた。
今にして思う。五条君は気づいていたんだ。私自身が気づいていなかった、私の夏油君への思いに。
*******
バサバサバサッと、何かが落ちる音がして目を覚ました。あぁ、机の上に置いていた資料が全て床に落ちてしまっている。
最悪だ。床に落ちた資料を机に戻して溜息を吐く。周囲を見渡すと、私以外の人は誰もいない。みんな帰ってしまったようだ。誰か起こしてくれてもいじゃないか。薄情な連中だ。
…随分、懐かしい夢を見たものだ。高専を卒業し、結局は呪術師の道へは進まずに普通の会社へ就職した。そのことを後悔したことは、1度もない。
だが時折考える。もしも卒業しあのまま呪術師の道へと進んでいたら彼と再会する日が来ていたのだろうか、と。…なんて、いくら考えても無駄なことを考えるのは辞めよう。
それよりも早く仕事を片付けないと。もういっそのこと今日は会社に泊まってしまうか。とりあえず息抜きに煙草でも吸いに行こう。
*******
「うわ、さむっ…」
煙草を吸うために外へ出ると、思っていたよりも寒くて上着を着て来なかったことを後悔した。もうすっかり冬だな。そういえば再来週にはもうクリスマスになるのか。あまりにも無縁すぎてすっかり忘れていた。硝子誘って飲みにでも行きたいが向こうは私なんかと比べ物にならないくらい忙しいだろうから無理だろう。それにしてもすごく寒い。煙草吸い終わったら暖かい飲み物でも買ってから戻ろう。そんなことを考えながら煙草に火をつける。
「煙草なんて吸う様になったんだね。硝子が吸うたびにあれだけ文句を言っていた君が吸う様になっているなんて少し驚いたよ」
不意に聞こえてきた声は、忘れもしない声だった。
なんで、こんな所で彼の声がするんだ。聞き違い…なんてする訳ない。私が彼の声を聞き違う筈がない。
恐る恐る顔をあげると、目の前にはやはり、思い描いた通りの人物がいた。
「っ…夏油、君…」
「やぁ、久しぶり。10年ぶりかな。暫く会わないうちに綺麗になったね。見違えたよ、名前」
学生時代はどちらかというと可愛いといわれる部類だったのにね、と、私の記憶の中に残るものと変わらぬ笑顔で言う夏油君から目が離せない。
あの頃の笑顔と変わらない笑顔のまま私に近づき、あの頃と同じ調子でにこにこと笑いながら、私の頭を優しく撫でている。大きくて暖かく、優しい手。私はこの手が、大好きだった。
心地よい。懐かしい。まるで高専時代に戻ったかのような錯覚に陥りそうになる。共に過ごした3年という月日が甦り、涙が零れそうになる。
だが、泣いている場合じゃない。今すぐにこの手を振りほどかないと。早く高専に通報し、誰かが来るまで戦ってでも夏油君をこの場に引き止めなくては。高専を卒業して以来もうずっと戦いの場から離れているうえに、現役時代だって準2級だった私に、特級呪術師である夏油君と戦っても勝ち目なんて100%ない。だがせめて、せめて誰かが来るまで時間を稼がないと。早く…ほら戦え…!戦うんだ、苗字名前…!今目の前にいるこの男はもう、仲間じゃない、捕まえ、死刑台へ送るべき男だ、いい加減割り切るんだ…!
「……そんなに怖い顔をしないでくれ。私は君と戦いに来たわけではないんだ」
困ったように笑いながらひらひらと両手を振る夏油君。その困り顔も、あの頃と変わらない。思い出に残る、夏油傑そのものだ。まさか呪術師にならなかったのに再会するとは思わなかった。だが、再会してしまった以上、見逃すわけにはいかない。
「じゃあ何しに来たの?私、裏切者とお話してるほど暇じゃないんだけど」
とりあえず少しでも長く話をして時間を稼ごう。
そして早く誰かを呼ばないと。
夏油君に気づかれないようにスカートの後ろポケットにしまっているスマホに手を伸ばす。
早く高専に…いや、五条君に連絡を…
「酷いな名前。せっかく昔の同級生と感動の再会をしているというのに、他の男に連絡をするなんてしないでくれよ」
「!」
いつの間にか背後を取られて羽交い絞めにされ、スマホを奪われてしまった。…やはり、私では歯が立たない。そんなに力は入れられていないが、体はピクリとも動かせない。特級呪術師が相手とはいえ、ここまで手も足も出せないとは。やっぱり呪術師の道を諦めたのは正解だったなと、少々場違いなことを考える。
腕から逃れられないかためしに抵抗してみるが、やはり無駄だった。
「そんなに警戒しないでくれ。先程から言っているが、私は君に危害を加えるつもりはないよ」
「思い切り羽交い絞めにしながらそんなこと言われても、全く説得力ないんだけど」
「それは君が悟に連絡しようとするからだろう」
「級友に連絡しようとしただけで羽交い絞めにするとか酷くない?夏油君て彼女が男友達と連絡したらキレるタイプ?辞めた方がいいよ、そんなに束縛激しいと逃げられちゃうから」
「勝手な想像で私に変な印象を持つのは辞めてもらえないかな。こう見えても恋人が出来たら相手には自由にのびのびとしていてほしいと思っているよ」
だから羽交い絞めにしながら言われたって説得力ないっての。軽く夏油君を睨んでみるが真意のわからない笑顔を向けられた。
そんなところも、昔と全く変わっていない。
私の知ってる、私の好きだった夏油傑のままで、余計に辛くなってきた。会いたくなかった。どうして今更わざわざ私の前になんてやって来たんだこの人は。どうしてこんなにも昔のままなのに、裏切ったんだ。何も変わっていないように見えるのに、どうして処刑対象として見なくてはいけないんだ。
「…すまないね、あまり長居をするのは私にとって都合がよくないからね。大人しく話を聞いてくれ」
そういうと夏油君は私の身体を解放した。…スマホはまだ奪われたままだが。
「スマホ、返して」
「うん、返すよ。話が終わったらね」
そうニコニコと笑う夏油君を見て、話を聞かない限りスマホを取り返すことが出来ないと思ったので仕方なく話を聞くことにした。
「話し、何?寒いから手短にして」
「あぁ、そのつもりだ。…名前、単刀直入に言わせてもらう。私と一緒に来てくれないか?」
笑っていた先程とは一転し、真剣な表情をしている。冗談ではないようだ。
「一緒に?それはつまり、私に呪詛師になれっていってるの?」
「いや、そんなことは言っていないよ。ただ、私は君と…名前と一緒にいたいんだ。だから私と来てほしい」
そういいながら私に手を差し出してきた。
大好きだった彼が、1度目の前から消えていなくなった彼が、私の前に再び現れて手を差し出してきている。嬉しくない、なんて言ったら嘘になる。
だが私は、その手を思い切りはたいた。
すると彼は私を無表情で見つめた。そんな夏油君のことを気にも留めずに私は口を開いた。
「一緒にいたいからついて来い?ふざけないで。貴方自分のしたことわかってるの?」
夏油君はやはり無表情で黙って聞いている。
「夏油君は、裏切ったんだよ?みんなのことを。そのせいでみんなが…五条君や硝子、七海君に伊地知君がどんな思いしたかとか、夜蛾先生がどれだけ苦労したかとか、考えたことある?」
夏油君は相変わらず黙っている。私の言葉は彼にどんなふうに受け取られたのだろう。相手の心を読む術などないから、分かる訳ない。もしもそんな能力があったら、夏油君が裏切る前にもう少し何か出来ることがあったのだろうかと、子供じみた幼稚なことを考えている自分に呆れる。なんだか今日の私は随分と呑気な気がする。
「……やはり、君は私を受け入れてはくれないんだね。まぁ、当然か。どんな理由を並べ立てても、私が君達を、君を裏切ったことは揺るぎもない事実だ。よかったよ、君がやすやすと誰かを裏切るような人間じゃなくてね」
そういう夏油君の笑顔は、少しさみしそうに見えた。その顔は、私の思い出の中にはなかった。こんな切なそうに笑っているところ、初めて見た。
「スマホ。返すよ。忙しいところに突然来てすまなかったね」
そういいながらスマホを差し出してきた夏油君の顔は、よく見知ったいつも通りの笑顔に戻っていた。
スマホを受け取ろうと手を伸ばすと突然腕を引かれて抱きすくめられ、唇を重ねられた。驚いて押しのけようとするが適う筈もなく、されるがままになることしか出来なかった。
「フフッ、ご馳走様。これで心置きなく君と別れられるよ」
私のことを解放した夏油君の顔はまるで悪戯に成功して満足している子供の様だった。
「はっ…ちょ、あ?!な、何してんの…!」
「キス。何、名前照れてるの?そういう反応の仕方学生の頃と変わらないね。子供みたいで可愛い」
ケラケラと楽しそうに笑う顔面をぶん殴ってやりたい。躱されるだけだろうからやらないが。
「それじゃ、私はこれで帰るよ。久しぶりに会えて嬉しかったよ」
そう言いながら夏油君は私に背を向けて歩き出した。そんな彼の背中を見送ることしか出来ずにいると「あぁ、そうだ」と何かを思い出したように立ち止まって振り返り、
「名前、12月24日は外へ出ず、家で過ごすことを勧めるよ」
と言われた。
「は?なんで」
「私と仲間たちが動くからだよ。恐らく街中戦場と化す。君、そういうの苦手だろう?だから家でゆっくりしていた方が君のためさ」
「……そんなこと、いいの?私に教えたりして。五条君や高専に知らせちゃうかもしれないよ?」
「大丈夫だよ。名前は絶対誰にも知らせたりしないよ」
どこか確信しきった様子で言う夏油君。
「何でそんなはっきり言い切れるの。知らせるよ?夏油君が何か企んでるって五条君に言って止めてもらうから」
そういう私を笑いながら
「無理だよ。名前は私のことを告げたりなんて出来ない。頭では私が裏切者だってわかっていても、ね」
といった。「それじゃ、今度こそ私は帰るよ。さよなら。……悟や高専に連絡したいなら勝手にすればいい。…まぁ、出来るものなら、ね」
言い終わると夏油君は今度こそ私に背を向けて歩き出した。その後ろ姿を見送りながら、私はスマホを操作し『五条悟』と書かれた連絡先を表示し電話を――出来なかった。
「……夏油君の、バカ。私の、大馬鹿。ごめん、五条君」
寒空の下、私の声だけが辺りに響き消え入った。
*****
「雪が降ってるよ。クリスマス当日に振るなんてなんか嬉しいね!」
彼と出会って初めて迎えたクリスマスは、東京にしては珍しく雪が降り積もりとても綺麗だった。なんだかすごく嬉しくなり、16にもなってはしゃいでしまった。そんな私を夏油君が優しく笑いながら見ていた。
「名前は雪が好きなのかい?」
「んー…まぁ特別好きって訳ではないけどなんかテンションはあがるかな」
「そうなんだ。フフ、子供みたいだね」
「ちょ、ひどっ!夏油君私のことバカにしてる?!」
「してないよ。ただ子供みたいで可愛いなと思っただけだよ」
「やっぱバカにしてる!!」
怒る私の頭をぽんぽんと優しく撫でながら「ごめん」と笑う夏油君の顔は、癇癪を起して喚き散らす子供をあやす、父親の様だった。
*****
バサバサバサッと、何かが崩れ落ちる音がして目を覚まし、あぁしまった、またやってしまったかと思った。
机周りを見渡してみると案の定。仕事の資料が全て床に落ちてしまっていた。そして周りを見渡してみると思った通り。他の社員は皆帰ったようだ。帰る前に一言かけるってことは頭の片隅にすらないのだろうか。
それにしてもまた懐かしい夢を見たものだ。近頃こんなことばかりだ。学生時代に戻りたいという願望でもあるのだろうか。
そういえば、今日は12月25日…クリスマスか。先程の夢と、同じ日だ。だからあんな夢を見たのかな。
夏油君と再会したということを、私は彼の言うとおり五条君達に知らせることが出来なかった。情けない話だ。夏油君達は昨日本当に行動を起こしてしまったのだろうか。そして仮に何かを起こしていたとして、彼はどうなったのだろう。
なんて考えを巡らせていたら気が滅入ってしまいそうだ。…やめよう、私はもう呪術師じゃないんだ。関係ない。関係ないことを考えるのは辞めて今は目の前にある仕事を片付けよう。その前に息抜きに煙草を吸いに行こう。
*****
「うわっ、雪だ」
煙草を吸うために外に出ると、あの日と同じように雪が降っていた。…さすがにもう、あの頃の様に嬉しいとは感じないが。電車が止まらないかが不安だ。今日は家に帰りたい。煙草を吸い終わったらすぐに部屋に戻って仕事を片付けて帰ろう。そう思いながら煙草に火をつけた。
「いやぁ、いつ見ても違和感すごいねー。名前ってほんっと煙草似合わないよねー!!」
突然聞き覚えのある声がして驚き、思わず噎せた。
「すごい噎せてるね。名前ひょっとして無理してかっこつけて吸ってる?それなら辞めた方がいいよー?煙草なんて百害あって一利なしだからね」
あんたが突然現れて突然声かけてきたから驚いたんだろ……!そう思いながら顔をあげると、予想通り目の前には五条悟がいた。
「やっほー、お疲れサマンサー!元気してたー、名前ー?」
相変わらずよくわからないテンションだ。気が滅入ってる時にこのテンションで来られるとイライラする。普段でもイライラするけど。
「どっかの誰かさんの顔見て元気なくなった」
「誰のこと?僕じゃないよね?だって僕目隠してるから顔見えないもんねー」
わかってて言ってんだろ、この馬鹿目隠し野郎…!本当、イライラする。高専の頃と変わらない。
「何か用?私早く仕事戻らないといけないんだけど」
いつまでもこんなところで五条君のペースに巻き込まれていたら帰れなくなってしまう。早く用件を聞かないと。
「……傑が死んだよ。僕が殺した」
私が質問すると、先ほどまでのふざけた調子とは打って変わり真剣な様子で五条君は言った。
あぁ、2週間前に言っていた通り、夏油君は本当にことを起こしてしまったのか。そして五条君によって処罰をされた、と。そういうことか。夏油君を、五条君は自らの手で殺さなくてはいけなくなったのか。もしもあの日、私が高専に連絡出来ていたら…そしたら五条君にそんな辛い思いをさせないで済んだのだろうか。
「言っとくけど。僕が傑を殺したのは名前のせいじゃないから。そこんとこ間違えるなよ」
私の考えはお見通しだとでも言う様に五条君は少しきつい口調でいう。もしかして、夏油君が会いに来たことを知っているのだろうか
「お前のとこ、来ただろ傑」
あぁ、やはり知っているのか。
「……来たよ。夏油君から聞いたの?」
「いや、聞いてない。けどアイツのことだから、作戦を決行する前にはお前のとこに来ただろうなって思った。そこで言われたんじゃないか?一緒に来てくれって。それを断ったら昨日は家から出るなって忠告されたんじゃないか?」
どうしてそこまで正確にわかるんだ。呪術師じゃなかったら探偵にでもなれたんじゃないだろうか。
「よくわかったね。なんでそんなにわかるの」
「わかるさ。僕は君の級友だよ。そしてアイツの…傑の親友だ。どんな行動をするかなんて、大方予想が付く」
”親友”と言った時、一瞬五条君が寂しそうにした気がする。私が頭の中では夏油君を裏切り者だとわかっていてもそれでも彼のことが好きで、彼のことを大切に思っていたのと同じように、彼にとって夏油君は唯一無二の親友であることに変わりないということか。
「エスパーかって言いたいくらい完璧にバレてて最早怖いんだけど」
「だからさっきも言っただろ、お前らの行動なんて簡単に予想付くさ。どれだけ一緒にいたと思ってんの。……名前気にしてるだろ。自分が傑来た時に僕や高専に連絡しなかったこと。だから気にすんなって伝えに来た」
そんなことまでわかっているのか。予想とかの次元ではないのではないだろうか。
「五条君て意外と周りよく見てるよね。そんでもって意外と優しいよね。性格悪いし空気も読めないしデリカシーの欠片もないくせに」
「素直に僕の事褒めれないの?」
褒められたいなら日頃の行いを改めてから言え。
そういうと五条君は心外だなー!僕ほど日頃の行いのいい人間なんていないだろなどと抜かした。日頃の行いがよかったら七海君や伊地知君があそこまで苦労するわけない。
「…じゃ、私仕事戻るわ。今日はわざわざありがと。お陰で色々と整理出来そう」
いつの日か言えなかったお礼を言い、別れを告げて仕事に戻ろうと五条君に背を向けると「待って。もう一つ用件があるんだ」と呼び止められた。
「まだ何かあるの?」
「うん。寧ろこっちのが重要」
そういう五条君は普段の様子とは違い真剣なようだ。今日は本当に大切な要件があって私の所へ来たのか。
「…何?」
「名前、高専に戻って来いよ。そんで、教師になれ」
「は?」
何を言っているんだこの人は。
「君はさ、トロいし鈍臭いし、いっつも詰めが甘くてさ!本当に呪術師に向いてないよね。だから呪術の道を諦めたのは大正解だったと思うよ、本当に」
腕を組みながらうんうん、と頭を上下に動かす馬鹿目隠し野郎。高専に戻れと言いながら今ボロカスに侮辱しやがったぞなんなんだコイツ。
「喧嘩売ってんの?私仕事戻るから」
「ちょっと待ってって!人の話は最後まで聞かないとダメでしょ、名前ちゃん!ママにそう教えてもらわなかったの?!」
聞いてほしいならもう少し相手のことを思いやれよ。全部気にしてることなんだぞ。イライラしている様子を隠しもせずに「何?」というと
「…僕はさ、一応教師って立場ではあるけど向いてないんだよ。教師なんて、柄じゃない。逆に名前は僕と違って教師に向いていると思うんだ。昔から面倒見いいし、人の機微にも敏感で、すごく優しい奴だ。だからそんな奴に僕の…俺の大切な生徒達の面倒を見てほしい。もう二度と、傑みたいな奴を出さないためにも」
今まで見たことないくらい、五条君は真剣な様子だ。こんなに真剣に、面と向かって物事を頼まれたのは初めてだ。そんな風に言ってくれるのは、とても嬉しい。だけど、そんなこと言われてもやはり無理だ。
「今更どの面下げて戻ればいいかわかんないよ。私、一度逃げたんだよ?呪術師の道から。それだけならまだしも、私は夏油君を…呪詛師を見逃したんだよ。そんな奴に五条君は大切な生徒を預けること出来るの?」
「出来るよ」
五条君は一切躊躇することなく答えた。
「俺は名前のことを信頼してる。絶対に俺の生徒のことを俺と同じくらい...いや俺以上にアイツらを大切にしてくれる、思ってくれるって。だから頼んでるんだ。.....それに何よりも、これは君のためにも提案してるんだ」
五条君の言葉が理解出来ずに首を傾げていると、
「名前、後悔してんでしょ。傑が来た時に僕や高専に連絡しなかったことと、あの頃…高専に通ってた頃、傑の様子が可笑しくなり出したことに気がついていたのに、なにもしなかったって」
「……だから、なんでそこまでわかるの」
「何度も言ってるでしょ。僕は君の級友だよ。なんでもお見通しさ!…それに、僕も同じだからね」
微かに俯き気味に言う五条君は、やはりどこか寂しそうだ。
「だから、教師になって傑みたいな道を踏み外しそうになっている子がいたらそんな子を導いてあげてほしい。名前になら、出来ると思う。辛い思いをしている生徒に寄り添ってあげてくれ。僕はそういうの、あまり得意じゃないし、こう見えても忙しい身だからね。常に生徒達の近くにいてあげることが出来るわけではない。そんな時に名前みたいな人の痛みをわかる大人がいてあげることが必要なんだ。…そういう風にしていれば、名前の心も少しは救われるんじゃない?だから僕は名前に高専で教師になってほしいんだ。考えてくれないか?」
五条悟と出会って12年…彼がこれ程に真剣に話している姿を初めてみた。こんな姿を見せられたら、簡単に断ってはいけないのではないだろうか。
それにこの提案は私のことを思ってくれてのことだなんて言われてしまっては、どうしたらいいんだ。私はまた、五条君の優しさを無碍にするのか?そんなことはしたくない。全くこのひとはいつもいつも…
「五条君って、普段は他人に1ミリたりとも寄り添わないくせに、人が本当に落ち込んでてメンタル弱ってる時だけ優しくしてくるよね……」
「失礼だなー、僕はいつでも人のことを考えていっつも相手に寄り添い行動するナイスガイだよ!」
どの口が言うんだか。普段の行動を見直してほしいものだ。
「ま、用件は済んだから僕はそろそろ帰るよ。じゃーねー。……返事はいつでもいいからさ、いつでも連絡してよ」
そう言い歩き出す五条君の背中が、あの日の夏油君と重なって見えた気がした。
私が高専に連絡出来ないと確信していた夏油君と同じように、五条君もまた、自分の提示した案に私がどの様な答えを出すのかわかっている様に見えた。全く、どこまでもたちの悪い2人だ。
高専の教師になる…少しだけ、検討してみるとするか。なんて、呪術の道から逃げたくせに何を言っているんだと言われても、文句は言えないな。