転生勇姫・SS
カラン、と音を立てて訓練用の木刀が落ちる。
刃と刃、まるで語り合うような、永遠に続くと思わせた時間は一瞬の隙に放った突きにより終わりを迎えた。
「しょ、勝負ありっ! 勝者スカルグ!」
姫様の声で引き戻された現実。顔を上げれば、マオルーグ殿が利き手を押さえこちらを見ていた。
「す、すみません。つい力が入って……」
「良い。本気でやれと言ったのは我だからな」
本気。そう、本気でやれたのは久し振りだ。
初めて刃を合わせてわかったが、マオルーグ殿は強い……もし次回があれば、今度はこちらが負けてしまうかもしれないほどに。
「いやいや、いい勝負だったぜ。見てるこっちも途中から息するのも忘れて見入っちまった。ふたりともやっぱ強いなぁ」
「姫様……」
そういえば、最初の頃は聴こえていた姫様の声援が途中からなかったのを思い出す。
あれはこちらが集中していたからだけでなかったのか、と……あれこれ考えていると、ふと姫様の瞳に僅かな陰りが見えた。
だが、紺碧の憂いは一瞬のこと。
「いやー、しかしさらに腕を上げたんじゃねーか?」
いやに明るい声音と、ほんの少しだけ無理が見える笑顔。
こちらが引っ掛かりを口にする間もなく、少女の言葉が続く。
「昔はただ強い相手を求めて、片っ端から腕試しに手合わせしてばかりだったんだよな。この平和な時代にお前の相手ができる奴なんざそうそういなかったけど」
「なに?」
ぴくりと眉を動かすマオルーグ殿にこちらの心臓が跳ねる。
「スカルグ貴様、そんな穏やかな顔をして昔はやんちゃだったのか……?」
「わ、若気の至りです……お恥ずかしい」
改めて言われると、かあっと顔が熱くなる。耳まで燃えてしまいそうだ……
「けど、今も本質は変わってないだろ。マオと戦ってる時のお前、すごく楽しそうだった」
「それは……」
嘘だ、とは言えなかった。
久方ぶりに強者と刃を交え、一手一手がギリギリのやりとりにいつの間にか高揚が抑えられなくなっていた自覚もある。
「……そう、ですね。きっと私は根っからの剣士なのでしょう。今の時代では浮いてしまいますが……」
過去の私は飢えていた。渇望し、ただ闇雲に剣を振るって……
けれども今は違う。高揚はあれど、それに振り回されるようなことはなくなった。
「そんな貴様がどうして変わったのだ?」
「どうしてでしょうね。ただ、姫様がお生まれになった時でした。玉のように愛らしい姫様を見て、ああ、守らねば。私の剣はそのためにあったのだと。ストンと何かが落ちたように世界が変わりました」
王妃の腕に守られて眠る、ころんと小さな生まれたての命。
遠目にそれを見た時、胸にある生まれつきの大きな傷跡が脈打つように疼いたのをよく覚えている。
まるで、何かを待っていたかのように……
「そうか……」
すうっと、マオルーグ殿の目が細められる。
彼は時折、私にひどく優しく、懐かしく、そして哀しげな目を向けることがあった。
「ならば貴様が強くなったのは、守るものができたから……なのかもしれぬな」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「俺の愛らしさパワーのなせるワザだな!」
「せっかく綺麗にまとまるところだったのだから黙っておけ」
お二人は本当に仲が良い。遠慮のないやりとりに思わず吹き出す。
――ふと、よく見る夢のことを思い出した。
夢の中では、昔の自分のように強者を、血湧き肉躍る戦いを求めた修羅がいて……
その身は生ける屍。血も肉もない骸骨騎士だった。
『……いい戦いだった』
胸部を砕かれ、激闘の末に敗れた骸骨騎士は、崩れ去ろうとする体を見つめながら最後の相手から声をかけられる。
骸骨騎士はもはや言葉もないが、きっと本望だったのだろう。
顔を上げれば、逆光で相手の顔もよく見えなかった。
ただ、声音から読み取れる感情は少し寂しげで、きっと彼らの間には戦いを通じて結んだ絆があったのかもしれない。
『俺とお前、もし生まれた世界が違ったら、ダチになれたかもしれねえな』
彼らの世界では、おそらく戦いこそが日常。それが許されない立場でも、互いに好ましく思っていたことは男の言葉からも伝わってきた。
『なぁ、もしもこんな……お互い勇者だの魔王だの関係ない世界に生まれ変わって、また出逢うことがあったなら……』
次は、きっと。
骸骨騎士の命が尽きたのか、夢はいつも、そこで終わっていた。
満たされた、穏やかな想いを胸に――。
「スカルグ?」
私を現実に引き戻したのは、人懐っこい姫様の声だった。
「ああ、すみません。少しぼーっとしていました」
「大丈夫か?」
「ありがとうございます。年をとると思い出に浸ることも多くなってしまいまして……」
そう返すと、お二人が一瞬顔を見合わせた。
次にこちらを向いた時は、どちらも困った笑い顔で。
「老け込むのはまだ早いだろう」
「そうだぞー。俺にもっと剣の稽古つけてくれるんだろ?」
ああ、そうだった。私が強くなったというのなら、それはやはり姫様のお陰だ。
ひとつは、守るものができたから。そしてもうひとつは……
「ならば私ももっと強くならなくては。成長した貴方の剣を受け止められるように」
「気が早いな……今はこんなへなちょこ姫だぞ」
「へなちょことは失礼な! そりゃあ、まだ力はねえけどさ」
ええ、それでも貴方は筋が良いから。
それに私と同じ、根っからの剣士でしょう?
「前へと進む貴方がいるから、私もまだまだ強くなれます」
「……そっか」
穏やかで優しく、嬉しそうな微笑み。
十七歳、小柄で小動物のような姫様が時々見せる大人びた表情は、私の胸の傷跡を疼かせた。
だが次の瞬間、白い歯をニッと見せた無邪気ないつもの笑顔に変わる。
「ならそのうち、伝説の勇者にも勝てるくらい強くなっちまうかもな!」
「ゆう、しゃ……?」
かつて魔王を倒し世界を救ったとされる、伝説の勇者。ここリンネに聖剣を遺した彼は、優れた剣士だったという。
普通なら比べるのも恐れ多い話なのに……姫様の言葉は不思議と受け入れられる。
「そうですね。一度手合わせしてみたいと思います。ですが……」
「?」
「今の時代でしたら、そのまま友人にもなれたかもしれませんね」
あの夢を思い出し、自然と出てきた言葉。
強者を求め、刹那の命のやりとりに魂を震わせる生き方も悪くはないだろう。
けれど今の私には守るべきものと、いつか見たい未来があるから……
「うん、そうだな……」
「健やかに生きるのだぞ……」
って、あれ?
どうしてお二人が天を仰いで何かを堪えるように震えているのだろう?
「……なんでもない。ならば我は魔王より強くなってやる」
「えっ?」
「魔王か。そりゃいいや。マオたんがんばれー。スカルグもがんばれー」
「頑張るのは貴様もだろう」
今度は楽しそうに小突き合うお二人は、時々私にはよくわからないことを言っている。
いつか私にも、お二人の話がわかる時が来るのだろうか……それは定かではないが、
「スカルグ! 今度は俺と稽古してくれ!」
「はい。仰せのままに」
今はこの小さく愛らしい姫様の成長を楽しみに、日々励むとしよう。
刃と刃、まるで語り合うような、永遠に続くと思わせた時間は一瞬の隙に放った突きにより終わりを迎えた。
「しょ、勝負ありっ! 勝者スカルグ!」
姫様の声で引き戻された現実。顔を上げれば、マオルーグ殿が利き手を押さえこちらを見ていた。
「す、すみません。つい力が入って……」
「良い。本気でやれと言ったのは我だからな」
本気。そう、本気でやれたのは久し振りだ。
初めて刃を合わせてわかったが、マオルーグ殿は強い……もし次回があれば、今度はこちらが負けてしまうかもしれないほどに。
「いやいや、いい勝負だったぜ。見てるこっちも途中から息するのも忘れて見入っちまった。ふたりともやっぱ強いなぁ」
「姫様……」
そういえば、最初の頃は聴こえていた姫様の声援が途中からなかったのを思い出す。
あれはこちらが集中していたからだけでなかったのか、と……あれこれ考えていると、ふと姫様の瞳に僅かな陰りが見えた。
だが、紺碧の憂いは一瞬のこと。
「いやー、しかしさらに腕を上げたんじゃねーか?」
いやに明るい声音と、ほんの少しだけ無理が見える笑顔。
こちらが引っ掛かりを口にする間もなく、少女の言葉が続く。
「昔はただ強い相手を求めて、片っ端から腕試しに手合わせしてばかりだったんだよな。この平和な時代にお前の相手ができる奴なんざそうそういなかったけど」
「なに?」
ぴくりと眉を動かすマオルーグ殿にこちらの心臓が跳ねる。
「スカルグ貴様、そんな穏やかな顔をして昔はやんちゃだったのか……?」
「わ、若気の至りです……お恥ずかしい」
改めて言われると、かあっと顔が熱くなる。耳まで燃えてしまいそうだ……
「けど、今も本質は変わってないだろ。マオと戦ってる時のお前、すごく楽しそうだった」
「それは……」
嘘だ、とは言えなかった。
久方ぶりに強者と刃を交え、一手一手がギリギリのやりとりにいつの間にか高揚が抑えられなくなっていた自覚もある。
「……そう、ですね。きっと私は根っからの剣士なのでしょう。今の時代では浮いてしまいますが……」
過去の私は飢えていた。渇望し、ただ闇雲に剣を振るって……
けれども今は違う。高揚はあれど、それに振り回されるようなことはなくなった。
「そんな貴様がどうして変わったのだ?」
「どうしてでしょうね。ただ、姫様がお生まれになった時でした。玉のように愛らしい姫様を見て、ああ、守らねば。私の剣はそのためにあったのだと。ストンと何かが落ちたように世界が変わりました」
王妃の腕に守られて眠る、ころんと小さな生まれたての命。
遠目にそれを見た時、胸にある生まれつきの大きな傷跡が脈打つように疼いたのをよく覚えている。
まるで、何かを待っていたかのように……
「そうか……」
すうっと、マオルーグ殿の目が細められる。
彼は時折、私にひどく優しく、懐かしく、そして哀しげな目を向けることがあった。
「ならば貴様が強くなったのは、守るものができたから……なのかもしれぬな」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「俺の愛らしさパワーのなせるワザだな!」
「せっかく綺麗にまとまるところだったのだから黙っておけ」
お二人は本当に仲が良い。遠慮のないやりとりに思わず吹き出す。
――ふと、よく見る夢のことを思い出した。
夢の中では、昔の自分のように強者を、血湧き肉躍る戦いを求めた修羅がいて……
その身は生ける屍。血も肉もない骸骨騎士だった。
『……いい戦いだった』
胸部を砕かれ、激闘の末に敗れた骸骨騎士は、崩れ去ろうとする体を見つめながら最後の相手から声をかけられる。
骸骨騎士はもはや言葉もないが、きっと本望だったのだろう。
顔を上げれば、逆光で相手の顔もよく見えなかった。
ただ、声音から読み取れる感情は少し寂しげで、きっと彼らの間には戦いを通じて結んだ絆があったのかもしれない。
『俺とお前、もし生まれた世界が違ったら、ダチになれたかもしれねえな』
彼らの世界では、おそらく戦いこそが日常。それが許されない立場でも、互いに好ましく思っていたことは男の言葉からも伝わってきた。
『なぁ、もしもこんな……お互い勇者だの魔王だの関係ない世界に生まれ変わって、また出逢うことがあったなら……』
次は、きっと。
骸骨騎士の命が尽きたのか、夢はいつも、そこで終わっていた。
満たされた、穏やかな想いを胸に――。
「スカルグ?」
私を現実に引き戻したのは、人懐っこい姫様の声だった。
「ああ、すみません。少しぼーっとしていました」
「大丈夫か?」
「ありがとうございます。年をとると思い出に浸ることも多くなってしまいまして……」
そう返すと、お二人が一瞬顔を見合わせた。
次にこちらを向いた時は、どちらも困った笑い顔で。
「老け込むのはまだ早いだろう」
「そうだぞー。俺にもっと剣の稽古つけてくれるんだろ?」
ああ、そうだった。私が強くなったというのなら、それはやはり姫様のお陰だ。
ひとつは、守るものができたから。そしてもうひとつは……
「ならば私ももっと強くならなくては。成長した貴方の剣を受け止められるように」
「気が早いな……今はこんなへなちょこ姫だぞ」
「へなちょことは失礼な! そりゃあ、まだ力はねえけどさ」
ええ、それでも貴方は筋が良いから。
それに私と同じ、根っからの剣士でしょう?
「前へと進む貴方がいるから、私もまだまだ強くなれます」
「……そっか」
穏やかで優しく、嬉しそうな微笑み。
十七歳、小柄で小動物のような姫様が時々見せる大人びた表情は、私の胸の傷跡を疼かせた。
だが次の瞬間、白い歯をニッと見せた無邪気ないつもの笑顔に変わる。
「ならそのうち、伝説の勇者にも勝てるくらい強くなっちまうかもな!」
「ゆう、しゃ……?」
かつて魔王を倒し世界を救ったとされる、伝説の勇者。ここリンネに聖剣を遺した彼は、優れた剣士だったという。
普通なら比べるのも恐れ多い話なのに……姫様の言葉は不思議と受け入れられる。
「そうですね。一度手合わせしてみたいと思います。ですが……」
「?」
「今の時代でしたら、そのまま友人にもなれたかもしれませんね」
あの夢を思い出し、自然と出てきた言葉。
強者を求め、刹那の命のやりとりに魂を震わせる生き方も悪くはないだろう。
けれど今の私には守るべきものと、いつか見たい未来があるから……
「うん、そうだな……」
「健やかに生きるのだぞ……」
って、あれ?
どうしてお二人が天を仰いで何かを堪えるように震えているのだろう?
「……なんでもない。ならば我は魔王より強くなってやる」
「えっ?」
「魔王か。そりゃいいや。マオたんがんばれー。スカルグもがんばれー」
「頑張るのは貴様もだろう」
今度は楽しそうに小突き合うお二人は、時々私にはよくわからないことを言っている。
いつか私にも、お二人の話がわかる時が来るのだろうか……それは定かではないが、
「スカルグ! 今度は俺と稽古してくれ!」
「はい。仰せのままに」
今はこの小さく愛らしい姫様の成長を楽しみに、日々励むとしよう。