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旅路

 彼は思い出していた。雨の中、傘もささず、小さな橋の手すりに肘を休ませ、ただぼうっと夜を見つめながら、自分を思い出していた。
 まだ10月だというのに、寒い。街灯に照らされる川の流れは穏やかで、しかし、冷たい黒色である。
「はあ」
 溜息。ここに来てから彼は、何度溜息をついただろう。五臓六腑の隅々まで行きわたり果てた彼の中の闇が、それでも行き場をなくし、肺から口腔へ、口腔から虚空へ、放たれ、消える。
 彼は思い出していた。「22年」という時、その一秒一秒が彼を作る血肉なのだが、彼はその年月のうちの1割ほどのことしか、まともに覚えていなかった。だから彼は思い出していた。記憶という宇宙の外に追いやった、かつては要らなかった星たちを、再び宇宙に取り戻そうとしていた。
「はあ」
 溜息。思い出せるはずもなかった。いや、本当は思い出していた。が、思い出していないふりをしていた。彼にとってその星たちは、既に爆発を起こし、その残骸はブラックホールに飲み込まれ、塵と化していた。その塵は見るも無残、そんな塵を自分の宇宙で再び輝かせたいなど、彼は微塵も思っていなかったのだ。しかしそんな塵もまた彼であることを、彼はこの時はまだ知らない。
「はあ」
 彼は、自分の体内にアルコールが残っていることに気が付いた。体内で蒸留だかなんだかされたアルコールが溜息を伝って外に出た。安い酒をぐいぐいと呑んでしまったのが良くなかった。吐きそうだ。いっそ吐いてしまおうか。吐いてはいて、闇で満たされた五臓六腑もろともすべて吐き出して、闇という闇を目の前を流れる水で浄化してしまおうか。そんな、考えれば考えるほど気持ち悪くなるような妄想に取りつかれながら彼は、思い出していた。そして、ひとつ思い出した。
 彼は、死のうとしていたのだった、とてつもなく。
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