共生協同体

それは、昼の出来事だった。

ライラークは、家の近くの林を探索していた。
ライラークは10歳の少年だ。一人で出歩くと親からお咎めを受けるかもしれなかったが、散策には支障はなかった。この林は未開の地でなく、幾分か道も拓かれている。また、現在は冬からじき春になる頃で、外も明るい。それに、ウォーロックであった母親から受け継いだ、姿隠しの魔法も幾分か心得ていた。
念のためライラークは、獣避けの鈴、瘴気避けのマスク、護身用の杖を腰から提げ、小道を歩いていく。
少し離れた山の方角から、紫がかった黒色の煙が上がったのが見えた。
おそらくあの煙は、瘴気だ。

ライラークの胸が高鳴る。
彼は駆け出しそうになるのを抑え、慎重に、なるべく早足で煙が上がった方へ向かった。


数日前、ライラークは親からこのように言い渡されていた。
「ライラ。そばの林を歩くなら、このマスクを持っていきなさい。それと、紫の煙が上がったほうには近づかないこと。分かったね?」
「どうして?」
「瘴気を出す、危険な魔物がいるからだよ」
「瘴気って、そんなに危ないの?」
霧みたいなんでしょう、とライラークは確認する。親は頷く。
「その通り。でも、瘴気は霧と違って吸い込むと具合が悪くなる。そうしてライラが倒れたところを魔物が襲ってきて、ライラを食べてしまうかもしれないよ」


冒険心溢れるライラークは、紫の煙が立ち上っていた方角を目指して進んでいく。

「!」
急に、ライラークは両肩を引かれる。
咄嗟に振り返ると、そこには険しい顔をしたライラークの父親がいた。
ライラークは、父親にそのまま両脇を抱えられたまま、その場から家の方向へ退散させられる。
「どうして」
「危ないから近づいてはいけないといっただろう?」
この後、家に連れ戻されたライラークは、親からたっぷり叱られた。



後日。ライラークは親が外出するタイミングを見計らって、懲りずに再び近くの林を訪れていた。
今は昼過ぎで、前に瘴気を見かけた時間とほぼ同じだ。
ライラークは記憶を頼りに、以前瘴気が上っていた方角を思い出しながら歩く。
池のそばの小道を歩いていたとき、池の方から、ばしゃ、と水を叩くような音がした。
ライラークはそっと音がしたほうを覗きこむ。木々の間から、誰かが池に浸かっているのが見えた。
ライラークはもう少々、池の近くに寄ってみることにした。池にいたのは、自分と同じくらいの歳の子どもだと分かった。
子どもは、桃色がかった淡い紫の服を着ていて、背中にターコイズ色の翼を付けている。服は毛で作られているようで、ぴったりと身体に吸い付いているかのようだった。また、子どもの背中の翼は腕の下から腿の付け根までの長さで、鳥の羽のような形をしていた。
ライラークは、そのような子どもには見覚えがなかった。少なくとも、ライラークの住む家近くにある、村の子ではないだろう。

翼を持った子どもは、池に腰まで浸かっていた。まず、子どもは手で水を掬い上げ、体を流す。そして翼で水面を叩き、しぶきを上げる。水遊びをしているようで、楽しそうだった。
子どもの翼が自由に動いているのを見て、ライラークは目を見張った。 しかし何より、水を被り日の光を受けて輝く翼が綺麗だった。

─その子どもと目が合う。

ライラークの心臓が跳ねた。
ライラークはその場から動くことが出来なかった。
池に浸かっている子どもも、突然の遭遇に驚いているようで、固まっていた。

口火を切ったのは、翼を付けた子どもだった。
「おまえ……」
「へ……?」
「おまえ、誰だ?」
ライラークはしどろもどろになる。
「え。ええっと」
子どもは、口を真一文字に結んでいる。
「ぼくは・・・…。ら、ライラーク。この近くに住んでる。きみ、……な、名前は?」
「………」
ライラークは、ガラディエにじっと見られる。まるで、ガラディエは、ライラークを危険な魔物かどうかを見極めようとしているかのようだった。
「……オレはガラディエ。何か用?」
「うん……、えっと、あっと、聞きたいことがあって……」
ライラークは、どこか落ち着かない心地で言葉を探る。
「こ、この辺り……、瘴気を出す魔物がいるそうなんだけど。……見なかった?」
「瘴気を出す魔物か……」
ガラディエは何かを思い出すかのように、視線を少し横にそらす。
ライラークは言葉を付け足した。
「瘴気はね、紫の煙みたいなもので……。この辺りでそういう煙を出す魔物、見たこと……ない?」
ガラディエは少し沈黙したあと、短く答えた。
「ある」
「ある!?」
ライラークは嬉しくなる。
「ね、ねえ。その魔物、どこにいたの……」
「その魔物が、どうかしたのか」
ガラディエは、僅かに体を後ろに反らす。
「……人に似た姿をしているっていうから、会ってみたくて」
ライラークの告白で、ガラディエは目を見張る。
「会って、どうするつもりなんだ」
「うーんと、……」
ライラークは正直に答えるか逡巡したが、思い切って打ち明けてしまうことにした。
「出来れば……仲良くなりたい。友達に、なりたい」
「…………本気で、言ってるのか?」
「うん……」
ライラークは頷く。ガラディエは信じられないといった表情で、ライラークをまじまじと見た。
ライラークは、ガラディエの素振りを少し怪訝に思ったが、差し込む日光の色を見て重要なことを思い出した。もうじき、ライラークの親が家に帰ってくる時間だ。ライラークも帰らないと、また両親に叱られてしまう。
ライラークは自然と早口になる。
「ね、ねえ。いつもこの辺りで遊んでるの?」
「うん」
ガラディエの返事に、ライラークはほっとした。
「それじゃあ、ぼくまたここに来るから、そのとき教えてよ、その魔物のこと」
ライラークはガラディエと会う約束をし、ばいばい、と別れの言葉を投げる。
ばいばい、とガラディエから小さな返事が戻ってくる。
ライラークは来た道を引き返し、急いで家に向かった。
彼の心は焦りを感じる一方で、ヒトに似た魔物に会えるかもしれない期待と、"この土地で" 初めて誰かに会う約束が出来た事実で、心をあたたかくしていた。





ライラークがいなくなってから、ガラディエは池から上がる。
「………もうおまえは会ってるよ、その "魔物" と」
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