(旧版)心の底にしまうもの

「おまえは早く逃げろ」
ガラディエは辺りに瘴気を広げる。
「でも……」
マドナは躊躇する。
魔物はまだ襲ってこない。瘴気を警戒して、近付かずに様子を伺っているのだろうか。
「いいから!おまえ弓持ってねえだろ」
「う……」
マドナは言葉に詰まる。マドナは接近戦が大の苦手だった。戦いを避けたいのは山々だが、ガラディエを残してひとり逃げるのはためらわれた。
その場から動かないマドナを、バウナが鼻で押し始める。
『ほれ。小僧が相手しとるうちに、さっさと退かんか』
「押さないでよ!おれだって……、戦わなきゃ………」
「おまえ、近付いて戦うの嫌いだろ」
マドナはどきりとする。
ガラディエは鎌を構え直し、魔物の襲来に備えた。
「行け!」
「……ごめん」
マドナはマギニアへ走った。
『この場は任せたぞ、小僧』
猟犬は、ガラディエにそう言い残すと、相棒である獣耳の少年のあとを追って駆けた。

マドナは、背後の方で何かが草を揺らす音を聞いた。猟犬のものではない。それも複数。
何か斬られるような音もした。ガラディエの怒号も、魔物の叫びも聞こえる。
『ほれ、動きが鈍っとるぞ!もっと走らんか!』
「わかってるよ!」
マドナは必死に足を動かした。彼の目から何かが零れたが、彼はそれすら拭う余裕がなかった。
後ろを振り返りたくなくて、マドナはひたすら走った。



マギニアの街の入口が見えた。
マドナは、魔物が追ってくる気配がないことを確認し、一息つく。彼のそばには猟犬バウナもいる。
こうして自分たちが無事だったのは、ガラディエが魔物を引き付けてくれたからだ。
彼は無事だろうか。マドナは急に心細くなる。
「バウナ。弓と矢を取ってきたら草原に引き返そう。ガラディエを助けに行かなきゃ」
『なんじゃ、その必要はなさそうじゃがの』
「なんで……、」
マドナは、バウナの目線の先を追う。
その先─ちょうどマドナ達が逃げてきた方角から、黒い人影が近付いてくるのが目に入った。
「ガラディエ!」
マドナは人影─リーパーの名前を口にした。ガラディエは、いつの間にマギニアまで戻ってきたのだろう。
ガラディエは何事もなかったかのように、瘴気兵装を解いた状態で平然と歩いてくる。肩には折り畳んだ鎌を担ぎ、黒い外套を身に付けている。彼の翼はきれいに畳まれ、外套の下にすっかり隠れている。ガラディエは、まるで夜の森の闇を持ってきたかのように、黒く目立った。
『すまんの、リーパーの小僧』
バウナがリーパーの少年に、労いの言葉をかける。
「別に……。どうってことねえよ」
ガラディエは顔をそむけ、鎌をかづき直す。
「腕……!」
マドナは、ガラディエの腕に魔物の引っ掻き傷があるのを見つける。
「あんま見んな」
ガラディエは顔をしかめ、傷が残っている方の腕を外套の陰に隠した。
「それはそうと。街の外に出るならちゃんと武器くらい持てよ」
「うん………」
マドナは素直に頷いた。
「傷の手当ては……」
「もう済んだ」
ガラディエはそっけなく答えると、もう黙ってついてくんなよ、と残し、つっと踵を返す。
「あ、待って!」
マドナは声でリーパーの少年を引き留める。リーパーは、足を止めて獣耳の少年のほうを見た。
「えっと…あの…その…」
マドナは言い淀む。ガラディエは怪訝そうな顔をしている。
「……ありがとう!」
リーパーの少年は目を見開いた。
「なんでそこで礼が出んだよ……」
「だって、助けてくれたし……」
ガラディエは、怒らせるようなことをしたマドナを見捨てなかった。それに、接近戦にならないうちにマドナを逃がしてくれた─ガラディエ自身が魔物の相手をすることで。
「…………それくらい当然だろ」
リーパーの少年は、この場から足早に立ち去っていった。

マドナは、リーパーの少年が見えなくなるまで、ただただ彼の背中を見守っていた。
ガラディエの態度は相変わらず、そっけなく冷たい。しかし、マドナは、今回の一件で、彼の別の一面─あたたかな部分の片鱗に触れた気がした。
もっとガラディエと仲良くなってみたい。いろいろな話をしたい。マドナは密かに思った。
『さてさて。これに懲りたら、弓の鍛練を習慣づけるんじゃな』
「………バウナ、もしかしてわざと弓矢持ってこなかった?」
『一度痛い目に遭って勉強した方が良いと思っての』
バウナはのうのうと答える。
「ひっでえなあ……」
もし何かあったらどうするんだよと、マドナは膨れそうになったが、自業自得なのは理解していた。


マドナが、ガラディエの過去や彼を取り巻く環境を知るのは、もう少し先のことになる。
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