8.それは本当に最善だったか
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8-2
夜。
宴が始まるとその日は今までで一番賑やかだった。親父さんも甲板にいたからだと思う。たぶん本当はそれがこの船の姿だったのだろうが、私がいたからこの数日は出てこなかったのだろう。
「ユリトちゃん食ってるか?」
「はい」
大きな皿を器用に何枚も腕に乗せてサッチさんが聞いてくれた。「これも食べてみて」とまた目の前に皿を増やされ、さっきから至れり尽くせりだ。かなりの量だから食べきれないなあと思っていたけれど、食べきれない分はエースさんが持って行ってくれるから私は自分の皿に適当に取り分けて少しずつ料理を食べていた。だけど。
「もっと食え」
「そんな無茶な」
横で胡坐をかいて一緒にご飯を食べているイゾウさんがちょいちょいさらに料理を乗せてこようとするのでさっきから攻防戦を繰り広げることになっている。皿を動かして乗せられないようにするのだけれど、気を抜くと直接口に料理が突っ込まれるので気を抜く暇もない。ああ、ほらまた。
「……おなかいっぱいなんですって」
「そんなに細ェとすぐ死んじまうぞ」
その言葉に肩を揺らした。ほんの少しのはずだったがイゾウさんはそれに気づいたようで、溜息をつくと向けていたフォークを下ろしそっと私の肩を引き寄せた。
イゾウさんは私が考えていることを的確に読み取っているようだった。黒くて切れ長の目がこっちを見ている。その目はまっすぐで、揺らぎなく、私の手を取ってくれた時と変わらない。それがどんなに頼もしく、残酷なことか、この人は分かっているのだろうか。
「別に急ぐ必要はねえだろう」
「……そう、ですね」
父がこの世界に来て、親父さんに会いそしてささやかな約束をしてくれていたおかげで、私は今この船に乗っている。父がいなかったら私はこの船に乗れていたかもわからない。話を聞く限り父がこの世界に来たのは私が本当に幼かった時のことのようで、父がこちらにいた間は私のそばに父はいなかったはずだが、私には父がいなかったという記憶はなかった。
父は確かに私を育て、私とともに歳をくい、生きていた。……そうするためにこの世界で何をしたか私はもう聞いてしまった。
「……死ななきゃ元の世界に戻れないことを知っていて、責任を取るって言ったんですか」
「知っていたからこそ、責任を取ると言ったんだ」
イゾウさんに殺してください、と頼んだらやってくれるのだろうかと考えて、すぐに無理だろうなと思った。彼は絶対に私を殺せない。私が死を免れない危機に陥ったら殺してくれるかもしれないけど、たぶん今ここで殺せ、と言っても彼は殺してはくれないだろう。のらりくらりと避けて、きっとまた彼は「急ぐことはねえ」と言う。それが彼の手を取った責任と言うやつだから。
肩に回されている手は力強く温かい。この手を取ったのは私だ。そして手を取ったとき私が願っていたのは生きることだ。だから、彼の責任は私を生かすことであって殺すことではない。いや、そもそも―。
ぐっと体を引き寄せられた。されるがまま私はイゾウさんの胡坐をかいた上に座らされ肩に寄りかかった。
白檀の匂いが鼻をくすぐる。スーッと息を吸うと強くなる香り。
「好きだな、この匂い」
「……父と同じ匂いです」
「……俺はおめえさんの父親じゃねえぞ」
「ぱぱー」
「おい」
べしっと軽く頭を叩かれ、笑った。軽いじゃれ合いが心地いい。
しばらくそのまま、話したりのんびりお酒を飲んだりして過ごした。宴は賑やかだったが、イゾウさんの周りは比較的静かなのはいつものことだ。隊長さんたちはよく来るけれど、今日はなぜか来なかった。
なんだかこちらに来てしまった日よりも夢見心地だった。宴はいつもより騒がしく楽しげなはずなのに、自分だけふわふわと浮いているようで。それをイゾウさんが引き留めてくれているようで。
あの時イゾウさんの手も拒絶して、あそこで死んでいたら。もしくはすぐに船を降りて、どこかの島で野たれ死んでいたら、私はすでに元の世界に戻っていたのかもしれない。
イゾウさん、と呼びかければなんだとその目が聞いてきた。
「私の選択は合っていたんでしょうか」
切れ長の目がすうっとこっちを向く。
「死にたいか」
返事の代わりに聞かれたことはそんなこと。そんなこと、聞かなくても分かってるだろうに。
「俺はおめえさんを帰す気は当分ねえぞ」
私が答えなかったからか、重ねられた言葉にやっぱりこの船の人たちは優しいな、と思った。イゾウさんは飛び切り優しい。今だって私が悩まなくていいように、帰らないのはイゾウさんが引き留めたせいだと言えるように「帰るな」と言ってくれたのだ。
生きるための選択は間違っていなかった。でも、生きて「元の世界に戻る」ための選択肢は間違っていた。
ぐっと目の奥が熱かった。それをなだめるようにイゾウさんがそっと目元を着物の袖で撫でてくれた。白檀の匂いが切ない。
「いくらでもいればいい。親父もそう言ってただろう」
「はい」
イゾウさんはにいっと笑った。初めて会ったときと同じ顔だ。だから、私も泣かずに同じように笑い返した。
夜。
宴が始まるとその日は今までで一番賑やかだった。親父さんも甲板にいたからだと思う。たぶん本当はそれがこの船の姿だったのだろうが、私がいたからこの数日は出てこなかったのだろう。
「ユリトちゃん食ってるか?」
「はい」
大きな皿を器用に何枚も腕に乗せてサッチさんが聞いてくれた。「これも食べてみて」とまた目の前に皿を増やされ、さっきから至れり尽くせりだ。かなりの量だから食べきれないなあと思っていたけれど、食べきれない分はエースさんが持って行ってくれるから私は自分の皿に適当に取り分けて少しずつ料理を食べていた。だけど。
「もっと食え」
「そんな無茶な」
横で胡坐をかいて一緒にご飯を食べているイゾウさんがちょいちょいさらに料理を乗せてこようとするのでさっきから攻防戦を繰り広げることになっている。皿を動かして乗せられないようにするのだけれど、気を抜くと直接口に料理が突っ込まれるので気を抜く暇もない。ああ、ほらまた。
「……おなかいっぱいなんですって」
「そんなに細ェとすぐ死んじまうぞ」
その言葉に肩を揺らした。ほんの少しのはずだったがイゾウさんはそれに気づいたようで、溜息をつくと向けていたフォークを下ろしそっと私の肩を引き寄せた。
イゾウさんは私が考えていることを的確に読み取っているようだった。黒くて切れ長の目がこっちを見ている。その目はまっすぐで、揺らぎなく、私の手を取ってくれた時と変わらない。それがどんなに頼もしく、残酷なことか、この人は分かっているのだろうか。
「別に急ぐ必要はねえだろう」
「……そう、ですね」
父がこの世界に来て、親父さんに会いそしてささやかな約束をしてくれていたおかげで、私は今この船に乗っている。父がいなかったら私はこの船に乗れていたかもわからない。話を聞く限り父がこの世界に来たのは私が本当に幼かった時のことのようで、父がこちらにいた間は私のそばに父はいなかったはずだが、私には父がいなかったという記憶はなかった。
父は確かに私を育て、私とともに歳をくい、生きていた。……そうするためにこの世界で何をしたか私はもう聞いてしまった。
「……死ななきゃ元の世界に戻れないことを知っていて、責任を取るって言ったんですか」
「知っていたからこそ、責任を取ると言ったんだ」
イゾウさんに殺してください、と頼んだらやってくれるのだろうかと考えて、すぐに無理だろうなと思った。彼は絶対に私を殺せない。私が死を免れない危機に陥ったら殺してくれるかもしれないけど、たぶん今ここで殺せ、と言っても彼は殺してはくれないだろう。のらりくらりと避けて、きっとまた彼は「急ぐことはねえ」と言う。それが彼の手を取った責任と言うやつだから。
肩に回されている手は力強く温かい。この手を取ったのは私だ。そして手を取ったとき私が願っていたのは生きることだ。だから、彼の責任は私を生かすことであって殺すことではない。いや、そもそも―。
ぐっと体を引き寄せられた。されるがまま私はイゾウさんの胡坐をかいた上に座らされ肩に寄りかかった。
白檀の匂いが鼻をくすぐる。スーッと息を吸うと強くなる香り。
「好きだな、この匂い」
「……父と同じ匂いです」
「……俺はおめえさんの父親じゃねえぞ」
「ぱぱー」
「おい」
べしっと軽く頭を叩かれ、笑った。軽いじゃれ合いが心地いい。
しばらくそのまま、話したりのんびりお酒を飲んだりして過ごした。宴は賑やかだったが、イゾウさんの周りは比較的静かなのはいつものことだ。隊長さんたちはよく来るけれど、今日はなぜか来なかった。
なんだかこちらに来てしまった日よりも夢見心地だった。宴はいつもより騒がしく楽しげなはずなのに、自分だけふわふわと浮いているようで。それをイゾウさんが引き留めてくれているようで。
あの時イゾウさんの手も拒絶して、あそこで死んでいたら。もしくはすぐに船を降りて、どこかの島で野たれ死んでいたら、私はすでに元の世界に戻っていたのかもしれない。
イゾウさん、と呼びかければなんだとその目が聞いてきた。
「私の選択は合っていたんでしょうか」
切れ長の目がすうっとこっちを向く。
「死にたいか」
返事の代わりに聞かれたことはそんなこと。そんなこと、聞かなくても分かってるだろうに。
「俺はおめえさんを帰す気は当分ねえぞ」
私が答えなかったからか、重ねられた言葉にやっぱりこの船の人たちは優しいな、と思った。イゾウさんは飛び切り優しい。今だって私が悩まなくていいように、帰らないのはイゾウさんが引き留めたせいだと言えるように「帰るな」と言ってくれたのだ。
生きるための選択は間違っていなかった。でも、生きて「元の世界に戻る」ための選択肢は間違っていた。
ぐっと目の奥が熱かった。それをなだめるようにイゾウさんがそっと目元を着物の袖で撫でてくれた。白檀の匂いが切ない。
「いくらでもいればいい。親父もそう言ってただろう」
「はい」
イゾウさんはにいっと笑った。初めて会ったときと同じ顔だ。だから、私も泣かずに同じように笑い返した。