長編:一兎を奪ったそのあとで
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3.道を照らすのは赤い灯火
「ユリトを家族にしちまえば、ユリトの家族も家族だろ?」
何でそんなことで迷ってんだ?と本当に純粋に末の弟に言われて、目からうろことはこのことかと思った。
消えていくユリトの持ち物はユリトが帰る合図だ。彼女の父親もこうして空気に溶けるように帰ったなと、彼女がはじめに着ていた着物が消えていくのを見ながら思い出していた。けれどキモノが消えて次は何が消えるのかと、身支度も調えないまま布団の上でぼんやりと視線を移して息をのんだ。
「っユリト」
机の上でビブルカードが焦げていた。他方からはキモノと同じように消えていくのに他方からは焦げていく机の上に置いてあったそれを飛びつくように掴んだ。どういうことだと焦る思考を必死にめぐらせて、半分死んだような状態になるとはどういうことかを考えて。答えが出ないまま鳴ったのは電伝虫。
『君があの男を帰さなければ僕はもっと研究できたのに。君は彼のことを気に入っていたじゃないか。どうして帰したりしたんだい?自分の手で殺すなんてほんとどうかしてるよ』
「今その話は関係ねェ。ユリトといるんだろう、どこにいる」
『海軍の医務室兼研究室。君らの船からもよく見えるだろう?ここの基地は町の中心部にあるんだから。でも来ても意味ないと思うよ、彼女帰るつもりなくなると思うし』
「ふざけるな」
『至って真面目さ』
「っユリト!いるな!?帰りてェなら俺が帰してやる。だから……」
『帰れないでしょ』
受話器の向こうでユリトのうめき声が聞こえて必死に呼びかけたが電話は切れた。がしゃんと荒い音。どうすればいいのか分からず蹴った小さな机は床に転がった。言いようのない熱が腹で渦を巻く。頭だけは雪の中に顔を突っ込んだみてぇに冴えているというのに、全くどう動けばいいのか何が正解なのか分からず俺はただ、手の中のカードをぎゅっと握りしめた。
どうしたらいい?どうしたら――。
「イゾウ?」
「エース……」
「どうした……ってそれユリトのか?」
寝癖をつけたまま部屋に現れたエースは俺の手元に目を落とし、ぐっと眉を寄せた。
「迎えに行かねえのか?ユリト待ってんじゃねえの?」
「……待ってると、思うか?」
「知らねえ」
くあっとでかいあくび。けれど空気は張っていてこの弟も決してユリトについて無関心ではないのだと理解する。親父に待ってやると言われたと言うことは、少なくとも隊長達も「待つ」と言う判断を承認したということだ。ユリトを、かと思ったが違う。
「エ―ス」
「ん?」
「……俺はどうすればいい?」
迷って考えて結局答えなど出なくて。最後の望みだとも言うようにエ―スに尋ねれば、エ―スは目を瞬かせて――大笑いした。
「ぶっはっは!!イゾウが俺に聞くことなんてあるんだな!!」
「……早くしねェと取り返しがつかねぇことは分かってんだ。だが、」
「何に迷ってんだ。欲しいなら奪えばいいだけだろ?イゾウは真面目だな」
「お前よりはな」
ぎしと厚底のブーツが床を鳴らす。伸びてきた手がそっとビブルカードを取って、なにか大切なものに触れるかのように消えても焦げてもいない真ん中の部分をなぞった。
「俺はユリトと一緒にいるイゾウは好きだぞ。前のイゾウも嫌いじゃねえけど、ユリトがいた方が柔らけえっつーか分かりやすくて、いい顔してる。海賊らしい「ホシイ」って顔してるぜ」
「……そうか」
「何でそこで変な顔すんだよ」
「隠してたつもりはねェが人に言われると居心地が悪ィんだよ」
「変なイゾウ!」
「……あいつの大事なモンも家族だ。俺たちは家族がどんなもんか知ってるだろう」
俺はあいつの父親も知っている。この船に覚えているやつは数人しか居ないが、俺は確かに覚えているのだ。覚えていないことをとやかく言うつもりはない。俺が覚えているそれで十分だ。だが、覚えているからこそ、覚えている人間がそれを考えないのは真摯ではないと思う……海賊が何を言うとも思うが。
けたけたと笑われてはやはり居心地悪く、軽く腕をはたいた。「いってー」と言いながらもエースはぐっとビブルカードを俺に押しつけてきて、強くてまっすぐな目がこっちを見る。こいつは確かに海賊向きだろうなと思っていれば、その強い目がぐうっと俺をのぞき込むように動いて。
「ユリトを家族にしちまえば、ユリトの家族も家族だろ?」
目からうろことはこのことかと思った。きっとこの時の俺は間抜けな顔をさらしていただろう。けれど末の弟はそれに笑うことはなく、背に垂らしていたトレードマークのテンガロンハットをかぶり直すと、人差し指でくっとつばを上げながら振り返りにいっと笑った。
「行くぞ。みんな待ってる」
エ―スは「船長室な」といって先に行った。
そこから先は早かった。いつものキモノ。いつもの髪と化粧に、銃を懐に入れて。「親父」と一声かけて入った時には「やっときたか」と機嫌良く笑われた。
ユリトのところに先に二人を行かせたのはリガートと話をつけるためだった。昔家族だった男の行動を読むのはさほど苦労しない。
海軍の基地に入って、二人に上を指し自分は覇気で気配を読み違う方へ走った。邪魔な海兵を適当に蹴飛ばしながら向かえば逃げも隠れもしない電話の相手だったそいつはすぐに見つかった。
「迎えに来たんだ」
「まあな。ユリトは貰う」
「迎えに来ちゃったならしょうがないね、どうぞ~。来ないと思ってたんだけど誤算だよ」
「ユリトに手を出すな」
「君は僕のことをよく理解している方だと思ったけど違ったかな。ほら、早く行きなよ。海軍も馬鹿じゃあない」
銃を構えつつも撃つ気はなかった。この男に怒りは感じない。この男に怒りを感じるならば、自分に怒る方が先だ。
この男は研究熱心だった。治療もするが治療はどちらかと言えばエーギルが主体で、この男は「珍しい病気を調べるのには大きな船が最適だ」と乗っていた。研究者は狂っているところはあるが、基本は研究にしか興味がない。つまりこの男も、研究半ばで死ぬのは本意ではないということだ。そう、思うことにした。
「君も甘いね」
「親父がいなけりゃお前も撃ってたさ」
「じゃあ親父に感謝しなきゃ」
ははっと笑う昔の家族は何十年も離れていたというのに全く変わっていなかった。もう会うことはないだろう。それが最後の言葉だ。
エ―スとマルコの動きは覇気と、つなげっぱなしの電伝虫から分かる。来た道を走って戻っていれば警報が鳴る。さすがに海軍も動くよな、と思いながら足を動かせば騒がしくなる電話の向こう。二の腕に海楼石。聞こえた事実とほとんど確信した推測に一瞬足が戻りかけたが理性で引き戻した。怒るなら自分に、だ。……いや、やっぱり一発ぐらいぶち込んでおくべきだったかもしれない。
自分がもっとしっかりしていればユリトをこんな目に合わせてはいなかった。待つことが最善だと思っていた自分を悔いる。あっちもこっちも分からない道を地図も武器も持たせずに一人で歩けなんて無謀すぎることをなぜ自分がしたのか。
一人でも歩けなければこの世界を生きるのは難しい。自分で生きることを決めなければこの世界は過酷だ。ただ、一緒に生きたいと望んでくれるなら、いや、自分が望むなら一緒に生きていく方法は一つではない。
落ちてくるユリトをしっかりと受け止めた。エ―スには後で説教だ。望んだ温度が腕にいることに安堵と幸福を感じながら「悪かった」と一言詫びれば、ユリトからも「ごめんなさい」と返事がありどうしようもない感情を抑えるよう抱く腕にぐっと力を込めた。
「親父さん、息子さんを私にくれませんか」
ここまで考えることが同じかと少し可笑しかった。同時に先に言われたことが悔しくもあり、目が熱くもあった。なんとも意気地なしな男であるのに、どこまでもいい女だ。親父がなんと答えるかは手に取るように分かったから、少し礼儀のなってない息子ではあるが先に言わせて貰った。親父もみんなも機嫌良く笑い、それを許してくれた。誠意を見せろという意味は本当に何でも良かったのだろうけど、自分でも珍しく気が高ぶって思いのまま動いた。顔を真っ赤にさせて口を金魚の様に動かすだけのユリトが愛らしかった。
あまりほしがらないのは性分だ。その分心の底から欲しいものは大抵形のないもので得るのは難しく、そして儚いものばかり。眺めるだけでも美しく満たされて、それを守ることが許されるのなら自分の手元になくとも自分は満足だった。そいつが満たされるのなら、そいつの思う通りにさせてやることで自分も満たされていた。
「まあ、わがままも言ってみるもんだな」
ベッドで眠るユリトの髪を梳く。きっと親父は我が儘なんて思ってねえだろうがあれは俺に合わせた言葉だったのだろう。
眠るユリトはいつ見ても穏やかだ。いつ目覚めるのかは分からないがきっと目は覚める。覚めたらどうしようか。何をしようか。少しだけ落ち着かない気分を押さえるように未来のことを考える。早くなくともいい。目が覚めてくれるのなら。
「おやすみユリト」
明日は目覚めるだろうか。
「ユリトを家族にしちまえば、ユリトの家族も家族だろ?」
何でそんなことで迷ってんだ?と本当に純粋に末の弟に言われて、目からうろことはこのことかと思った。
消えていくユリトの持ち物はユリトが帰る合図だ。彼女の父親もこうして空気に溶けるように帰ったなと、彼女がはじめに着ていた着物が消えていくのを見ながら思い出していた。けれどキモノが消えて次は何が消えるのかと、身支度も調えないまま布団の上でぼんやりと視線を移して息をのんだ。
「っユリト」
机の上でビブルカードが焦げていた。他方からはキモノと同じように消えていくのに他方からは焦げていく机の上に置いてあったそれを飛びつくように掴んだ。どういうことだと焦る思考を必死にめぐらせて、半分死んだような状態になるとはどういうことかを考えて。答えが出ないまま鳴ったのは電伝虫。
『君があの男を帰さなければ僕はもっと研究できたのに。君は彼のことを気に入っていたじゃないか。どうして帰したりしたんだい?自分の手で殺すなんてほんとどうかしてるよ』
「今その話は関係ねェ。ユリトといるんだろう、どこにいる」
『海軍の医務室兼研究室。君らの船からもよく見えるだろう?ここの基地は町の中心部にあるんだから。でも来ても意味ないと思うよ、彼女帰るつもりなくなると思うし』
「ふざけるな」
『至って真面目さ』
「っユリト!いるな!?帰りてェなら俺が帰してやる。だから……」
『帰れないでしょ』
受話器の向こうでユリトのうめき声が聞こえて必死に呼びかけたが電話は切れた。がしゃんと荒い音。どうすればいいのか分からず蹴った小さな机は床に転がった。言いようのない熱が腹で渦を巻く。頭だけは雪の中に顔を突っ込んだみてぇに冴えているというのに、全くどう動けばいいのか何が正解なのか分からず俺はただ、手の中のカードをぎゅっと握りしめた。
どうしたらいい?どうしたら――。
「イゾウ?」
「エース……」
「どうした……ってそれユリトのか?」
寝癖をつけたまま部屋に現れたエースは俺の手元に目を落とし、ぐっと眉を寄せた。
「迎えに行かねえのか?ユリト待ってんじゃねえの?」
「……待ってると、思うか?」
「知らねえ」
くあっとでかいあくび。けれど空気は張っていてこの弟も決してユリトについて無関心ではないのだと理解する。親父に待ってやると言われたと言うことは、少なくとも隊長達も「待つ」と言う判断を承認したということだ。ユリトを、かと思ったが違う。
「エ―ス」
「ん?」
「……俺はどうすればいい?」
迷って考えて結局答えなど出なくて。最後の望みだとも言うようにエ―スに尋ねれば、エ―スは目を瞬かせて――大笑いした。
「ぶっはっは!!イゾウが俺に聞くことなんてあるんだな!!」
「……早くしねェと取り返しがつかねぇことは分かってんだ。だが、」
「何に迷ってんだ。欲しいなら奪えばいいだけだろ?イゾウは真面目だな」
「お前よりはな」
ぎしと厚底のブーツが床を鳴らす。伸びてきた手がそっとビブルカードを取って、なにか大切なものに触れるかのように消えても焦げてもいない真ん中の部分をなぞった。
「俺はユリトと一緒にいるイゾウは好きだぞ。前のイゾウも嫌いじゃねえけど、ユリトがいた方が柔らけえっつーか分かりやすくて、いい顔してる。海賊らしい「ホシイ」って顔してるぜ」
「……そうか」
「何でそこで変な顔すんだよ」
「隠してたつもりはねェが人に言われると居心地が悪ィんだよ」
「変なイゾウ!」
「……あいつの大事なモンも家族だ。俺たちは家族がどんなもんか知ってるだろう」
俺はあいつの父親も知っている。この船に覚えているやつは数人しか居ないが、俺は確かに覚えているのだ。覚えていないことをとやかく言うつもりはない。俺が覚えているそれで十分だ。だが、覚えているからこそ、覚えている人間がそれを考えないのは真摯ではないと思う……海賊が何を言うとも思うが。
けたけたと笑われてはやはり居心地悪く、軽く腕をはたいた。「いってー」と言いながらもエースはぐっとビブルカードを俺に押しつけてきて、強くてまっすぐな目がこっちを見る。こいつは確かに海賊向きだろうなと思っていれば、その強い目がぐうっと俺をのぞき込むように動いて。
「ユリトを家族にしちまえば、ユリトの家族も家族だろ?」
目からうろことはこのことかと思った。きっとこの時の俺は間抜けな顔をさらしていただろう。けれど末の弟はそれに笑うことはなく、背に垂らしていたトレードマークのテンガロンハットをかぶり直すと、人差し指でくっとつばを上げながら振り返りにいっと笑った。
「行くぞ。みんな待ってる」
エ―スは「船長室な」といって先に行った。
そこから先は早かった。いつものキモノ。いつもの髪と化粧に、銃を懐に入れて。「親父」と一声かけて入った時には「やっときたか」と機嫌良く笑われた。
ユリトのところに先に二人を行かせたのはリガートと話をつけるためだった。昔家族だった男の行動を読むのはさほど苦労しない。
海軍の基地に入って、二人に上を指し自分は覇気で気配を読み違う方へ走った。邪魔な海兵を適当に蹴飛ばしながら向かえば逃げも隠れもしない電話の相手だったそいつはすぐに見つかった。
「迎えに来たんだ」
「まあな。ユリトは貰う」
「迎えに来ちゃったならしょうがないね、どうぞ~。来ないと思ってたんだけど誤算だよ」
「ユリトに手を出すな」
「君は僕のことをよく理解している方だと思ったけど違ったかな。ほら、早く行きなよ。海軍も馬鹿じゃあない」
銃を構えつつも撃つ気はなかった。この男に怒りは感じない。この男に怒りを感じるならば、自分に怒る方が先だ。
この男は研究熱心だった。治療もするが治療はどちらかと言えばエーギルが主体で、この男は「珍しい病気を調べるのには大きな船が最適だ」と乗っていた。研究者は狂っているところはあるが、基本は研究にしか興味がない。つまりこの男も、研究半ばで死ぬのは本意ではないということだ。そう、思うことにした。
「君も甘いね」
「親父がいなけりゃお前も撃ってたさ」
「じゃあ親父に感謝しなきゃ」
ははっと笑う昔の家族は何十年も離れていたというのに全く変わっていなかった。もう会うことはないだろう。それが最後の言葉だ。
エ―スとマルコの動きは覇気と、つなげっぱなしの電伝虫から分かる。来た道を走って戻っていれば警報が鳴る。さすがに海軍も動くよな、と思いながら足を動かせば騒がしくなる電話の向こう。二の腕に海楼石。聞こえた事実とほとんど確信した推測に一瞬足が戻りかけたが理性で引き戻した。怒るなら自分に、だ。……いや、やっぱり一発ぐらいぶち込んでおくべきだったかもしれない。
自分がもっとしっかりしていればユリトをこんな目に合わせてはいなかった。待つことが最善だと思っていた自分を悔いる。あっちもこっちも分からない道を地図も武器も持たせずに一人で歩けなんて無謀すぎることをなぜ自分がしたのか。
一人でも歩けなければこの世界を生きるのは難しい。自分で生きることを決めなければこの世界は過酷だ。ただ、一緒に生きたいと望んでくれるなら、いや、自分が望むなら一緒に生きていく方法は一つではない。
落ちてくるユリトをしっかりと受け止めた。エ―スには後で説教だ。望んだ温度が腕にいることに安堵と幸福を感じながら「悪かった」と一言詫びれば、ユリトからも「ごめんなさい」と返事がありどうしようもない感情を抑えるよう抱く腕にぐっと力を込めた。
「親父さん、息子さんを私にくれませんか」
ここまで考えることが同じかと少し可笑しかった。同時に先に言われたことが悔しくもあり、目が熱くもあった。なんとも意気地なしな男であるのに、どこまでもいい女だ。親父がなんと答えるかは手に取るように分かったから、少し礼儀のなってない息子ではあるが先に言わせて貰った。親父もみんなも機嫌良く笑い、それを許してくれた。誠意を見せろという意味は本当に何でも良かったのだろうけど、自分でも珍しく気が高ぶって思いのまま動いた。顔を真っ赤にさせて口を金魚の様に動かすだけのユリトが愛らしかった。
あまりほしがらないのは性分だ。その分心の底から欲しいものは大抵形のないもので得るのは難しく、そして儚いものばかり。眺めるだけでも美しく満たされて、それを守ることが許されるのなら自分の手元になくとも自分は満足だった。そいつが満たされるのなら、そいつの思う通りにさせてやることで自分も満たされていた。
「まあ、わがままも言ってみるもんだな」
ベッドで眠るユリトの髪を梳く。きっと親父は我が儘なんて思ってねえだろうがあれは俺に合わせた言葉だったのだろう。
眠るユリトはいつ見ても穏やかだ。いつ目覚めるのかは分からないがきっと目は覚める。覚めたらどうしようか。何をしようか。少しだけ落ち着かない気分を押さえるように未来のことを考える。早くなくともいい。目が覚めてくれるのなら。
「おやすみユリト」
明日は目覚めるだろうか。