長編:一兎を奪ったそのあとで
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2.迷う手
目が覚めたユリトに弾かれて、凍り付いた一瞬で彼女は消えた。
「どうしてですか」
「撃たれて出血が多かったから輸血をしてる。お前さんは丸一日寝てた」
「帰りますと言ったはずですが」
「……聞いてねェな」
「言わなくても伝わると言ったのはイゾウさんですよ」
「大事なことは口にしなきゃ伝わらねェだろ」
そうだ大事なことは口にしなければ伝わらない。怒りと不安とあと、何だろうか。何かに揺れるユリトを安心させるにはこんな言葉をかけていてはいけないのにうまく言葉が出てこなかった。自分は何が言いたいのか。必死に考えてやっと言えた「帰すつもりがない」と言う気持ちは「知っていると」即答され、他に何を言えばいいのか分からなくなった。情けない、本当に。ならば聞く方に徹するべきかと聞いて答えて――弾かれた。
「ばっかじゃないの!!なんで追いかけない!!」
街へと走って行く彼女をぼうっと見ていれば横っ面を殴られ、海に落ちた。元々雨で濡れていたから不快さはさほど変わらないが、冷たいはずの温度も感じずどこかで、ああ俺はまた間違ったのかと思った。猫の様な目をつり上げて、口を一文字に結び肩を震わせるハルタを見ても何も感じないが、別に痛めつけられる趣味はないので剣は銃身で受け止めた。
「俺は聞いた。でもあいつは帰ると言った。なら見送るべきだろう」
「あれが見送りだって?ふざけないでよ。帰るなら僕が帰す、あの言い草は何!!帰したくないならそう言いなよ!!」
「っだから言ったつってんだろ!!」
「こっのポンコツ!!」
「っは!すっかりユリトにほだされちまって。はじめはあんなに嫌っていたのになァ」
「はじめから馬鹿みたいに気に入っていたやつに言われたくないねっ!」
「やめねえかお前ら……」
殴り合い蹴り合いもつれ合っていれば間に入ってきたのはマルコ。ぐっと腕を捕まれて止まる。眠たげな目がすいとこちらを向いて「親父が呼んでる」と言う長男坊は呆れているのか哀れんでいるのか。
船長室に行けば鉄拳を落とされた。加減はしているのだろうが親父のそれを食らってまともにいられるやつがいる訳もなく、強かに壁に打ち付けられた俺に親父は大きくため息をついた。
「好いた女なら奪う覚悟をしねえか馬鹿息子」
「……奪っても手に入れられるもんじゃねえだろう」
口答えをするつもりではなく事実。人は煌めく宝石や、上等な武器とは違い奪えば自分のものになるわけではない。
人を奪う。それは心身ともに奪わなければただの奴隷に成り果てる。自分は奴隷が欲しいわけではない。ただユリトが欲しいのだ。なぜ?理由などない。欲しいと思った、ただそれだけだ。
慣れない船の上で自分を安全基地の様に見ているのか何かあれば、いやなくとも「イゾウさん」と名を呼び、頼ってくるのが愛らしかった。よく気が回り、行動も早いが動く前には律儀に誰かに確認をする姿勢も謙虚で好ましかった。波長が合うのか甘やかそうとする家族も早々に出たがそれには甘えず一定の距離を取って接するくせに、自分にはそれよりも少し近い位置で話しかけてくる姿には、彼女の父親の姿がかぶった。
「お前はまた帰すのか?」
「本人が望んでんならそうすべきだろうよ」
「おめえはいつまでたってもアホンダラだな。相手がじゃねえだろう、お前がどうしたいかと聞いてんだ」
「俺が……?」
それならば「帰すつもりはない」と俺は言ったはずだ。顔を上げれば額を弾かれてまた床に転がった。打ち付けた後頭部が痛い。
何が言いたいのか分かるようで分からなかった。きっと奪えと親父は言いたいんだろう。でもそれには答えた「奪うだけでは意味がない」のだと。心から根こそぎ奪ってこいと言いたいのなら分かるが、どうにもそう言っているようには聞こえなかった。
「テメエが我が儘を言おうが困るような家族はこの船に乗ってねえだろう」
はた、と目を見開いた。金の目が呆れたようにこっちを見ていた。
船の修繕もあるからと、3日待ってやると言われ部屋に戻った。どくどくと鳴る心臓がうるさい。それを振り払うように雨と海水で濡れたキモノを脱いでシャワーを浴びる。
頭からシャワーを浴びると頭が冴えていくようだ。理性を偽ってまで押し込めていたものは何だっただろうか。もともと自分はあまり欲がないのは確かで、戦いに興奮することはあれど他の家族に比べれば幾分もましで面倒を見られるということは少なく、もっぱら面倒を見る側。それに苦を感じたことはないし元々の性分だ、不満などないはずだが感情の起伏さえも押さえつけている今、何を必死になって取り繕おうとしているのか。
彼女が欲しい。何があっても、全て。
これか、とコックをひねる手を止めた。ああだからさっきハルタが彼女に手をかけようとしたときすさまじい感情に襲われたのかと納得した。俺はどうやら彼女の「死」さえ誰かにやることができないらしい。いや、そもそも「帰すつもりがない」という言葉をもっと突き詰めるならば、「こちらで生きさせるつもりしかない」と言うことだ。
はっと笑いが漏れた。待つと言いながら自分の本心はそれだったから。「生きてて欲しかったんですか?」といつだったかユリトに聞かれた時のことを思い出す。あのとき自分は確か「人に人生を決められることほど悲しいものはないだろう」と言った気がするが、もしかしたら時と場合によるのかもしれないなと今更ながら思う。彼女にこちらで生きたいと言う気が少しでもあるのなら、キモノの袖に腕を突っ込んで来るのを待つのではなく両手を広げて、いやもはやその細い腕をひっつかんで手を引くのもいいのかもしれない。
シャワー室を出てタオルをかぶる。暖まったせいか、少しだけ余裕ができたように感じる。それと同時に少し眠かった。当たり前だ。遠征から帰ってきてすぐさま戦闘。マルコには休めと言われたが結局ベッドの横から動くことはなかったのだから。乱雑に髪を拭きながら着替えのキモノを引っかける。
眠い。ものすごく。眠っている暇なんて本当はないのだと思う。何があっても彼女が欲しいと思っているのなら今すぐにでも探しに行くべきだ。そんなことは自分でよく分かっている。だが、それができないのはあいつの『家族』を知っているからだ。
『まだ幼い娘があっちにいるんだ。愛している妻もね。だから俺は帰らなきゃいけない』
あの男ははじめからそう言っていたから俺はあいつを帰したのだ。家族が大切なのはいやと言うほど理解できたから、俺はあいつを撃った。今その娘はこっちにいる。俺は……家族を奪うのか。
「……海賊が馬鹿らしいな」
そんなことは分かっている。だが、自分が納得いかないのだから仕方がない。
ぼすりと力なく転がった布団からは彼女の匂いがして、俺はぎゅっと目を閉じた。
目が覚めたユリトに弾かれて、凍り付いた一瞬で彼女は消えた。
「どうしてですか」
「撃たれて出血が多かったから輸血をしてる。お前さんは丸一日寝てた」
「帰りますと言ったはずですが」
「……聞いてねェな」
「言わなくても伝わると言ったのはイゾウさんですよ」
「大事なことは口にしなきゃ伝わらねェだろ」
そうだ大事なことは口にしなければ伝わらない。怒りと不安とあと、何だろうか。何かに揺れるユリトを安心させるにはこんな言葉をかけていてはいけないのにうまく言葉が出てこなかった。自分は何が言いたいのか。必死に考えてやっと言えた「帰すつもりがない」と言う気持ちは「知っていると」即答され、他に何を言えばいいのか分からなくなった。情けない、本当に。ならば聞く方に徹するべきかと聞いて答えて――弾かれた。
「ばっかじゃないの!!なんで追いかけない!!」
街へと走って行く彼女をぼうっと見ていれば横っ面を殴られ、海に落ちた。元々雨で濡れていたから不快さはさほど変わらないが、冷たいはずの温度も感じずどこかで、ああ俺はまた間違ったのかと思った。猫の様な目をつり上げて、口を一文字に結び肩を震わせるハルタを見ても何も感じないが、別に痛めつけられる趣味はないので剣は銃身で受け止めた。
「俺は聞いた。でもあいつは帰ると言った。なら見送るべきだろう」
「あれが見送りだって?ふざけないでよ。帰るなら僕が帰す、あの言い草は何!!帰したくないならそう言いなよ!!」
「っだから言ったつってんだろ!!」
「こっのポンコツ!!」
「っは!すっかりユリトにほだされちまって。はじめはあんなに嫌っていたのになァ」
「はじめから馬鹿みたいに気に入っていたやつに言われたくないねっ!」
「やめねえかお前ら……」
殴り合い蹴り合いもつれ合っていれば間に入ってきたのはマルコ。ぐっと腕を捕まれて止まる。眠たげな目がすいとこちらを向いて「親父が呼んでる」と言う長男坊は呆れているのか哀れんでいるのか。
船長室に行けば鉄拳を落とされた。加減はしているのだろうが親父のそれを食らってまともにいられるやつがいる訳もなく、強かに壁に打ち付けられた俺に親父は大きくため息をついた。
「好いた女なら奪う覚悟をしねえか馬鹿息子」
「……奪っても手に入れられるもんじゃねえだろう」
口答えをするつもりではなく事実。人は煌めく宝石や、上等な武器とは違い奪えば自分のものになるわけではない。
人を奪う。それは心身ともに奪わなければただの奴隷に成り果てる。自分は奴隷が欲しいわけではない。ただユリトが欲しいのだ。なぜ?理由などない。欲しいと思った、ただそれだけだ。
慣れない船の上で自分を安全基地の様に見ているのか何かあれば、いやなくとも「イゾウさん」と名を呼び、頼ってくるのが愛らしかった。よく気が回り、行動も早いが動く前には律儀に誰かに確認をする姿勢も謙虚で好ましかった。波長が合うのか甘やかそうとする家族も早々に出たがそれには甘えず一定の距離を取って接するくせに、自分にはそれよりも少し近い位置で話しかけてくる姿には、彼女の父親の姿がかぶった。
「お前はまた帰すのか?」
「本人が望んでんならそうすべきだろうよ」
「おめえはいつまでたってもアホンダラだな。相手がじゃねえだろう、お前がどうしたいかと聞いてんだ」
「俺が……?」
それならば「帰すつもりはない」と俺は言ったはずだ。顔を上げれば額を弾かれてまた床に転がった。打ち付けた後頭部が痛い。
何が言いたいのか分かるようで分からなかった。きっと奪えと親父は言いたいんだろう。でもそれには答えた「奪うだけでは意味がない」のだと。心から根こそぎ奪ってこいと言いたいのなら分かるが、どうにもそう言っているようには聞こえなかった。
「テメエが我が儘を言おうが困るような家族はこの船に乗ってねえだろう」
はた、と目を見開いた。金の目が呆れたようにこっちを見ていた。
船の修繕もあるからと、3日待ってやると言われ部屋に戻った。どくどくと鳴る心臓がうるさい。それを振り払うように雨と海水で濡れたキモノを脱いでシャワーを浴びる。
頭からシャワーを浴びると頭が冴えていくようだ。理性を偽ってまで押し込めていたものは何だっただろうか。もともと自分はあまり欲がないのは確かで、戦いに興奮することはあれど他の家族に比べれば幾分もましで面倒を見られるということは少なく、もっぱら面倒を見る側。それに苦を感じたことはないし元々の性分だ、不満などないはずだが感情の起伏さえも押さえつけている今、何を必死になって取り繕おうとしているのか。
彼女が欲しい。何があっても、全て。
これか、とコックをひねる手を止めた。ああだからさっきハルタが彼女に手をかけようとしたときすさまじい感情に襲われたのかと納得した。俺はどうやら彼女の「死」さえ誰かにやることができないらしい。いや、そもそも「帰すつもりがない」という言葉をもっと突き詰めるならば、「こちらで生きさせるつもりしかない」と言うことだ。
はっと笑いが漏れた。待つと言いながら自分の本心はそれだったから。「生きてて欲しかったんですか?」といつだったかユリトに聞かれた時のことを思い出す。あのとき自分は確か「人に人生を決められることほど悲しいものはないだろう」と言った気がするが、もしかしたら時と場合によるのかもしれないなと今更ながら思う。彼女にこちらで生きたいと言う気が少しでもあるのなら、キモノの袖に腕を突っ込んで来るのを待つのではなく両手を広げて、いやもはやその細い腕をひっつかんで手を引くのもいいのかもしれない。
シャワー室を出てタオルをかぶる。暖まったせいか、少しだけ余裕ができたように感じる。それと同時に少し眠かった。当たり前だ。遠征から帰ってきてすぐさま戦闘。マルコには休めと言われたが結局ベッドの横から動くことはなかったのだから。乱雑に髪を拭きながら着替えのキモノを引っかける。
眠い。ものすごく。眠っている暇なんて本当はないのだと思う。何があっても彼女が欲しいと思っているのなら今すぐにでも探しに行くべきだ。そんなことは自分でよく分かっている。だが、それができないのはあいつの『家族』を知っているからだ。
『まだ幼い娘があっちにいるんだ。愛している妻もね。だから俺は帰らなきゃいけない』
あの男ははじめからそう言っていたから俺はあいつを帰したのだ。家族が大切なのはいやと言うほど理解できたから、俺はあいつを撃った。今その娘はこっちにいる。俺は……家族を奪うのか。
「……海賊が馬鹿らしいな」
そんなことは分かっている。だが、自分が納得いかないのだから仕方がない。
ぼすりと力なく転がった布団からは彼女の匂いがして、俺はぎゅっと目を閉じた。