短編:イベント
Happy birthday Beckman. (2019)
『どこまでもついて行くさ。俺はアンタの右腕だ』
どうして海賊になったのか。いくつか理由はあっただろうが、その理由の一つにいつも前を歩く真っ赤な髪の男が上がるのは避けられない。
もうとうに成人を越えいい年だと言うのに、やることなすことすべてが少年の様に馬鹿らしい男。それでもこの海の4皇の一人だと言われているのだから、その実力は嘘ではないのだが、宴でどんちゃん騒ぎ、酒に弱いわけではないのに毎回のように飲みすぎて二日酔いに顔色を悪くしているところばかり見ているベックマンとしては4皇の名折れだなと思わざるを得ない。
「また二日酔いか」
もう昼間。やっとで起きだしてきたと思えばぐったりと甲板の柵に身を預けるシャンクスに少しばかり眉を顰める。
「あー、ベックマン薬持ってねェか?」
「持っているわけないだろう。船医のところに行け」
「バカにやる薬はねェつってくれねェんだよ」
ケチだよなあ……とぼやきつつ額を押さえる男。あまりにこうして、とても立派だとは言えない姿を見ていると自分はどうしてこの男についてきたのだろうかと思うこともあるのだが、呆れつつも笑ってしまう自分もいると言うことはつまりそう言うことで。
「ほら」
ポケットの中を漁り、小さな子袋を差しだした。その袋の中身が分かるシャンクスは不満げに溜息を1つ吐く。
「なんだ持ってんじゃねえか」
「バカにやる薬だがな」
「お前と比べたらこの船のほとんどが馬鹿だろう」
だっはっはといつものように大きく笑おうとしたらしいが頭に響いたのか呻き声。いよいよ本当にバカだなと思いつつベックマンはその弱りながらも伸ばされた片手に子袋を乗せた。
「水は」
「いる」
「手のかかる子どもみてェだな」
「お前が母親か?笑えねェな」
「安心しろ、冗談でも遠慮する」
呻きながら薬を煽るシャンクスに水を差しだせば一気に飲み干される。男くさい喉元がごくりと動き、冷たい水が少しばかり目も覚まさせたのか黒い双眼がパチリと瞬いた。そしてにっと口元が上がる。
「あ゛ー、久々の二日酔いは効くなァ……」
「『久々』の意味を辞書で引いた方がいいぜ、お頭」
ひでェな、と笑う赤はもうさっきのような情けない姿ではない。二日酔いはそうすぐに治るものではないから、きっと体調は悪いままだろうに、ここまで快活に笑えるものか。聞けば「二日酔いまで含めて酒を楽しむって言うもんだ!」と何も得意になることはないのに得意げに言い放たれることは分かっているから聞かないが、本当にどうしようもない男だ。
風に黒いマントがはためき、赤い髪も揺らした。海の青と髪の赤のコントラストが魅力的に視覚に映る。海を眺め、さっきよりも幾分か楽そうに笑うシャンクスの左腕はない。それについて感傷的になったことは後にも先にもないし、本人もそれを隠すようなことを後にも、きっと先にもしないのは好ましい。見えないように配慮する時でさえ、子どもがいる時なのだからその隠す動作を見るのも案外好きだ。
「航海は?」
「順調だ。あと一日でつく」
「ふーん……航海室に行ってくる。ベック、今日お前は非番だ」
「……それは船長命令か?」
「おーそうだ」
脈絡のない言葉はいつものことであるが、唐突に休みを強制され自分はそこまで根を詰めていたかと一瞬考えた。しかし、少なくとも二日酔いの男よりは体調はいいし、睡眠も普段より取っているほど。そこまで考えて今日の日にちに気が付いた。なるほど。
「サプライズは何がいい?」
「それは本人に聞くものなのか?」
今日はベックマンの誕生日だ。サプライズは本人に見つからないように実行するからサプライズなのではないか。機嫌がいい理由は分かったが、溜息を1つ。今の今まで自分の誕生日など忘れていたが、それを知ってもう一つ溜息をつきたくなるのは仕方がないことだと思う。
毎年毎年、律儀にも祝ってくれる仲間たちは宴が死ぬほど好きなのだ。そんな仲間が誕生日を祝うと言えば、ただえさえ毎日のようにバカ騒ぎだと言うのに大バカ騒ぎになるのは目に見えている。事実、毎年そうだ。そしてベックマンの場合、主役であるはずの自分が羽目を外しすぎた幹部たちを鎮めたり放ったりするのも毎年のことで、今からそれを思うとやはり溜息を一つぐらい溢したい。
「……酒の量を減らすか」
「ばーか、そんなの海賊から海を取り上げるようなもんだぞ!」
航海室に足を向けていたシャンクスは振り返って、やはりにいっと笑った。ベックマンも肩を竦めた。諦めるほうが早い。海賊から海を取り上げる、それは不可能なことだ。
「今年はかまぼこに蝋燭でも立てるか!」
「コックに叱られるぞ」
たばこの火をもみ消して海に捨てる。それから機嫌よく航海室に向かうシャンクスの背をゆっくりと追った。
赤髪のシャンクスは隻腕の海賊だ。ただ、ベックマンはその今はなき左腕があったころのシャンクスも知っている。
麦わら帽子をかぶり、そこから覗く髪は赤。海の色と正反対の赤色が目立つことは当然だったが、実際いろんなものから目を惹いた理由はその強さや人柄、シャンクスがもつ妙な魅力を持つ雰囲気によるものだろう。
自分が海賊になったのはシャンクスの強引な勧誘によるものだ。もともとそう立派な人間ではなかったからお尋ね者になることに特になんの感情もなかったが、自分の手配書が初めて出回ったとき自分よりも自分を海賊にした真っ赤な髪の男が目を輝かせて「すげぇぞベック!!」と興奮していたのを見て不思議な気持ちになったことは覚えている。
何がそんなに嬉しいのか分からなかった。何がそんなにも興奮することなのかも分からなかった。だが、馬鹿みたいに手配書を眺めて「今度はもっとかっこいい感じに撮ってもらおうぜ!」とか「ベックの方が写真映りがいいのはずりィ」だとかくだらないことを言う男の横で自分はただ静かに相槌を打って、確かに笑っていた。
後先を考えないシャンクスの行動は時に自分をイラつかせたし、殴り合いの喧嘩も数えきれないほどした。それでも離れようと思わなかったのは強さのほかに、シャンクスの妙な素直さのせいかもしれない。喧嘩をするときは大抵シャンクスの人の話を聞かないことが原因だったから謝るときは大抵シャンクスからなのだが、ほぼ絶対と言っていいほど『ベックのばぁーか!!』とかなんとか子どもかと思う言葉と小さく謝罪の言葉が書かれたメモが目の入るところに置いてあり、それを受け取った後少し不貞腐れたようなシャンクスがひょっこりと現れて何かしら詫びなのか食べ物なり物なり花なりをくれたのだ。
子どもとは言え、それなりに歳を食った男同士だ。小さな子どもの様に仲直りなんて明確なものがなくとも自然とそんな雰囲気にもなるだろうに、シャンクスは自分が悪いと思ったときは必ずそうして謝った。ベックマンにはそれが妙な愛嬌だと感じて、苦笑しつつも許してしまうのが常だった。
『お前は俺の右腕だ』
信頼を示すように、宣言するように、確認するように、はたまた乞うかのようにそう言われたのは「未来に懸けた」と、シャンクスが隻腕になった時だ。いくら屈強な男とは言え、重傷を負えばそれ相応に体は疲弊する。三日三晩、患部からの発熱によってうなされ、回復してそうそう言われた言葉に一度ゆっくりと瞬きをしたのを覚えている。
新世界に入る前。これから名をあげていくと言うときに失った利き手。そんなことでこの男が海賊をやめるとは思っていなかったし、這ってでも先に進むと言うのは分かっていたから自分も揺らぐつもりなど毛頭なかったのだが、海賊人生の生死を彷徨い、起きて第一声がそれ。どうしようもなく高揚した。自分はこの男についてきて正解だったとその時確信した。自分は「当たり前だ」と短く答えたような気もするが、そこに詰め込まれた感情を言葉にせずとも受け取れるだけの関係と信頼はすでにあったように思う。
未来に懸けたと言い、どんな宝よりも大事にしていた麦わら帽子をとある村の少年に託す瞬間も見届けた。あの瞬間、あの少年にとっても未来が大きく動いた瞬間だったろうが、自分にとってもシャンクスにとっても大きな転換期であったことは明確だ。
未来に懸けた。それは失うとは違うが、確かに自分の何かを差しだしたということだ。
『どこに向かうつもりだ?』
小さな村から出向した時、ベックマンはそう尋ねた。自分がついて行くと決めた男だ。どこに向かうと言おうがどこまでも死ぬまでついて行くことは決めているが、それでも未来に自分の大きな何かを差しだした男がどこへ向かうのか尋ねたかった。
『海の、そのまた向こうの海に行く!果てのない海の果てを見に!』
帽子がない、目立つ赤髪の男は気持ちのいい風を受けながらそう笑った。快活で、子どものような笑顔。馬鹿みたいに歯を見せて笑う男に了解の意を示すようにベックマンはたばこの煙を揺らしたのを覚えている。
「いやーよかったな!今日中に島に着くってよ!」
航海士と相談……否、無茶を言って、島へ着く時間を早めることをもぎ取ったシャンクスはご機嫌だ。にこにこと笑って船首の方へと歩くシャンクスをにふと尋ねた。
「アンタと最後に大喧嘩したのはいつだ?」
破天荒で後先見ずな行動が多いのは歳を重ねても変わらない。今でも敵船があれば指示も聞かず何も考えずぴょいと一人突っこんでいくようなこともあるが、もはや慣れた。小さな諍いはよくあるが、口を尖らせるシャンクスにベックマンの小さなため息一つで済むようなものばかり。
「大喧嘩はしたことねェんじゃねェの?本気で殴り合ったことはあるけどよ」
「それだ。それがいつが最後だった?」
たばこの煙を揺らす。シャンクスは少し考えた後、意図が読めたのかいつものようににいっと笑って額の左を指差した。
「お前がその傷作ったときだな」
その言葉でベックマンも同じように笑みを浮かべた。
果てのない海の果てを見ると海に出た。それは決して単調で気楽な航海ではなかった。名が売れるほどの実力は嘘ではない。しかし、名が売れれば売れるほど挑んでくるような相手もまたそうと言うことだ。時に傷つき、仲間を失うほどの戦闘もあった。悔しさや弱さに涙することも、心を揺らがされることもあった。
ベックマンの額の傷。それは左の額にある。
シャンクスが片腕を失っても、ベックマンは無駄にシャンクスの左に立つことはしなかった。立つとしてもその半歩後ろ。自分はシャンクスの右腕であると言うことに誇りを持っていたし、シャンクスも自分がもしない左腕の代わりの様に動くような真似をしたとしたらきっと「船を降りろ」と言うに違いないとも確信していたから、ベックマンは腕がないことを理由に左に立つことはなかった。
だが、とある戦闘時。久々に骨のある海賊団とやり合っていた時。仲間に死者が出て、シャンクスが冷静さを失ったことがあった。仲間や友を何よりも大事にする男だ。その時の激情を考えれば仕方のないことともいえるが、力が互角の時勝敗を決めるのは理性だ。
あの時、激情に飲まれていたのか、避けられる左側の攻撃をシャンクスが避けなかった。当たれば重傷は免れなかった攻撃をベックマンが間一髪で間に入り、傷を負いつつも直撃を阻止した。そして戦闘の最中にも関わらず敵を殴りつける力と同等かそれ以上の力でシャンクスを殴りつけ、こう言い放ったのだ。
『俺はアンタの左腕になるつもりはねェ!!』
きっと左腕があれば斬っていた攻撃。それを防ぐことに使われたような感覚。
腕の代わりを探しているなら他に頼め。腕の代わりが欲しくて傍に置くのならば言われなくとも船から降りる。感情に飲まれていたとしても、自分が「未来に懸けた」と言った腕の代わりに使われるのは許せることではなかった。それは自分がついて行くと決めた男ではないから。
「あの時のお前はおっかなかったなァ~」
「あれは今までのどの言動、行動の中でも断トツでお頭が悪ィと思うがな」
「悪かったって」
根に持つなよ、と苦笑する赤に目を細める。もう過ぎたことであるし、何より今のシャンクスがそんな行動をすることはないから咎めるつもりもないのだが、少しの加虐心と欲がでて。「そういえば、あの時は詫びの品を貰ってないな」と重ねれば、シャンクスはだらだらと冷や汗をかき始めた。
「おい、冗談はよしてくれ!お前、俺が一応その時やっちまったことに合わせて物を用意してるの知ってんだろ!?」
「ほう、そうだったのか。その辺で摘んだ花、落書きのような似顔絵、賭け事の戦利品かいつものではない安い煙草、汚れた期限切れの書類……お頭の気持ちはよく分かったぜ」
「すみませんでした!!」
綺麗に90度頭を下げる男に笑いが漏れる。本当に怒っていないし、物を貰うこと自体で許しているわけでもない。破天荒でどうしようもないこの男を許しているのは結局のところ、心底惚れているからだ。
言葉にすることはないから伝わっていないのか、伝わっていてこうなのかは知らないが、やはり毎度律儀に何かしらの謝罪をする男は可笑しくて、可笑しくて。
決して短くはない時間を共に過ごした。失うものもあったが得るものもあったし、何より自分が信じた赤い指針がぶれていない。騒がしい仲間とともに続く航海の果てはどんなものだろうか。どんなものであろうとも、この男となら笑えると言う確信がある。
「お頭」
名前を呼べば、きっと答えは変わってしまう。だからあえてそう呼んだ。誕生日だ。言葉ぐらい強請ってもいいだろう。
「俺はアンタの右腕か?」
「当たり前だ。死ぬまで離してやんねーよ!」
べえっと舌を出して赤が笑う。昔とちっとも変わらない表情に自分も笑った。
Fin.
Happy birthday Beckman. (2019)
『どこまでもついて行くさ。俺はアンタの右腕だ』
どうして海賊になったのか。いくつか理由はあっただろうが、その理由の一つにいつも前を歩く真っ赤な髪の男が上がるのは避けられない。
もうとうに成人を越えいい年だと言うのに、やることなすことすべてが少年の様に馬鹿らしい男。それでもこの海の4皇の一人だと言われているのだから、その実力は嘘ではないのだが、宴でどんちゃん騒ぎ、酒に弱いわけではないのに毎回のように飲みすぎて二日酔いに顔色を悪くしているところばかり見ているベックマンとしては4皇の名折れだなと思わざるを得ない。
「また二日酔いか」
もう昼間。やっとで起きだしてきたと思えばぐったりと甲板の柵に身を預けるシャンクスに少しばかり眉を顰める。
「あー、ベックマン薬持ってねェか?」
「持っているわけないだろう。船医のところに行け」
「バカにやる薬はねェつってくれねェんだよ」
ケチだよなあ……とぼやきつつ額を押さえる男。あまりにこうして、とても立派だとは言えない姿を見ていると自分はどうしてこの男についてきたのだろうかと思うこともあるのだが、呆れつつも笑ってしまう自分もいると言うことはつまりそう言うことで。
「ほら」
ポケットの中を漁り、小さな子袋を差しだした。その袋の中身が分かるシャンクスは不満げに溜息を1つ吐く。
「なんだ持ってんじゃねえか」
「バカにやる薬だがな」
「お前と比べたらこの船のほとんどが馬鹿だろう」
だっはっはといつものように大きく笑おうとしたらしいが頭に響いたのか呻き声。いよいよ本当にバカだなと思いつつベックマンはその弱りながらも伸ばされた片手に子袋を乗せた。
「水は」
「いる」
「手のかかる子どもみてェだな」
「お前が母親か?笑えねェな」
「安心しろ、冗談でも遠慮する」
呻きながら薬を煽るシャンクスに水を差しだせば一気に飲み干される。男くさい喉元がごくりと動き、冷たい水が少しばかり目も覚まさせたのか黒い双眼がパチリと瞬いた。そしてにっと口元が上がる。
「あ゛ー、久々の二日酔いは効くなァ……」
「『久々』の意味を辞書で引いた方がいいぜ、お頭」
ひでェな、と笑う赤はもうさっきのような情けない姿ではない。二日酔いはそうすぐに治るものではないから、きっと体調は悪いままだろうに、ここまで快活に笑えるものか。聞けば「二日酔いまで含めて酒を楽しむって言うもんだ!」と何も得意になることはないのに得意げに言い放たれることは分かっているから聞かないが、本当にどうしようもない男だ。
風に黒いマントがはためき、赤い髪も揺らした。海の青と髪の赤のコントラストが魅力的に視覚に映る。海を眺め、さっきよりも幾分か楽そうに笑うシャンクスの左腕はない。それについて感傷的になったことは後にも先にもないし、本人もそれを隠すようなことを後にも、きっと先にもしないのは好ましい。見えないように配慮する時でさえ、子どもがいる時なのだからその隠す動作を見るのも案外好きだ。
「航海は?」
「順調だ。あと一日でつく」
「ふーん……航海室に行ってくる。ベック、今日お前は非番だ」
「……それは船長命令か?」
「おーそうだ」
脈絡のない言葉はいつものことであるが、唐突に休みを強制され自分はそこまで根を詰めていたかと一瞬考えた。しかし、少なくとも二日酔いの男よりは体調はいいし、睡眠も普段より取っているほど。そこまで考えて今日の日にちに気が付いた。なるほど。
「サプライズは何がいい?」
「それは本人に聞くものなのか?」
今日はベックマンの誕生日だ。サプライズは本人に見つからないように実行するからサプライズなのではないか。機嫌がいい理由は分かったが、溜息を1つ。今の今まで自分の誕生日など忘れていたが、それを知ってもう一つ溜息をつきたくなるのは仕方がないことだと思う。
毎年毎年、律儀にも祝ってくれる仲間たちは宴が死ぬほど好きなのだ。そんな仲間が誕生日を祝うと言えば、ただえさえ毎日のようにバカ騒ぎだと言うのに大バカ騒ぎになるのは目に見えている。事実、毎年そうだ。そしてベックマンの場合、主役であるはずの自分が羽目を外しすぎた幹部たちを鎮めたり放ったりするのも毎年のことで、今からそれを思うとやはり溜息を一つぐらい溢したい。
「……酒の量を減らすか」
「ばーか、そんなの海賊から海を取り上げるようなもんだぞ!」
航海室に足を向けていたシャンクスは振り返って、やはりにいっと笑った。ベックマンも肩を竦めた。諦めるほうが早い。海賊から海を取り上げる、それは不可能なことだ。
「今年はかまぼこに蝋燭でも立てるか!」
「コックに叱られるぞ」
たばこの火をもみ消して海に捨てる。それから機嫌よく航海室に向かうシャンクスの背をゆっくりと追った。
赤髪のシャンクスは隻腕の海賊だ。ただ、ベックマンはその今はなき左腕があったころのシャンクスも知っている。
麦わら帽子をかぶり、そこから覗く髪は赤。海の色と正反対の赤色が目立つことは当然だったが、実際いろんなものから目を惹いた理由はその強さや人柄、シャンクスがもつ妙な魅力を持つ雰囲気によるものだろう。
自分が海賊になったのはシャンクスの強引な勧誘によるものだ。もともとそう立派な人間ではなかったからお尋ね者になることに特になんの感情もなかったが、自分の手配書が初めて出回ったとき自分よりも自分を海賊にした真っ赤な髪の男が目を輝かせて「すげぇぞベック!!」と興奮していたのを見て不思議な気持ちになったことは覚えている。
何がそんなに嬉しいのか分からなかった。何がそんなにも興奮することなのかも分からなかった。だが、馬鹿みたいに手配書を眺めて「今度はもっとかっこいい感じに撮ってもらおうぜ!」とか「ベックの方が写真映りがいいのはずりィ」だとかくだらないことを言う男の横で自分はただ静かに相槌を打って、確かに笑っていた。
後先を考えないシャンクスの行動は時に自分をイラつかせたし、殴り合いの喧嘩も数えきれないほどした。それでも離れようと思わなかったのは強さのほかに、シャンクスの妙な素直さのせいかもしれない。喧嘩をするときは大抵シャンクスの人の話を聞かないことが原因だったから謝るときは大抵シャンクスからなのだが、ほぼ絶対と言っていいほど『ベックのばぁーか!!』とかなんとか子どもかと思う言葉と小さく謝罪の言葉が書かれたメモが目の入るところに置いてあり、それを受け取った後少し不貞腐れたようなシャンクスがひょっこりと現れて何かしら詫びなのか食べ物なり物なり花なりをくれたのだ。
子どもとは言え、それなりに歳を食った男同士だ。小さな子どもの様に仲直りなんて明確なものがなくとも自然とそんな雰囲気にもなるだろうに、シャンクスは自分が悪いと思ったときは必ずそうして謝った。ベックマンにはそれが妙な愛嬌だと感じて、苦笑しつつも許してしまうのが常だった。
『お前は俺の右腕だ』
信頼を示すように、宣言するように、確認するように、はたまた乞うかのようにそう言われたのは「未来に懸けた」と、シャンクスが隻腕になった時だ。いくら屈強な男とは言え、重傷を負えばそれ相応に体は疲弊する。三日三晩、患部からの発熱によってうなされ、回復してそうそう言われた言葉に一度ゆっくりと瞬きをしたのを覚えている。
新世界に入る前。これから名をあげていくと言うときに失った利き手。そんなことでこの男が海賊をやめるとは思っていなかったし、這ってでも先に進むと言うのは分かっていたから自分も揺らぐつもりなど毛頭なかったのだが、海賊人生の生死を彷徨い、起きて第一声がそれ。どうしようもなく高揚した。自分はこの男についてきて正解だったとその時確信した。自分は「当たり前だ」と短く答えたような気もするが、そこに詰め込まれた感情を言葉にせずとも受け取れるだけの関係と信頼はすでにあったように思う。
未来に懸けたと言い、どんな宝よりも大事にしていた麦わら帽子をとある村の少年に託す瞬間も見届けた。あの瞬間、あの少年にとっても未来が大きく動いた瞬間だったろうが、自分にとってもシャンクスにとっても大きな転換期であったことは明確だ。
未来に懸けた。それは失うとは違うが、確かに自分の何かを差しだしたということだ。
『どこに向かうつもりだ?』
小さな村から出向した時、ベックマンはそう尋ねた。自分がついて行くと決めた男だ。どこに向かうと言おうがどこまでも死ぬまでついて行くことは決めているが、それでも未来に自分の大きな何かを差しだした男がどこへ向かうのか尋ねたかった。
『海の、そのまた向こうの海に行く!果てのない海の果てを見に!』
帽子がない、目立つ赤髪の男は気持ちのいい風を受けながらそう笑った。快活で、子どものような笑顔。馬鹿みたいに歯を見せて笑う男に了解の意を示すようにベックマンはたばこの煙を揺らしたのを覚えている。
「いやーよかったな!今日中に島に着くってよ!」
航海士と相談……否、無茶を言って、島へ着く時間を早めることをもぎ取ったシャンクスはご機嫌だ。にこにこと笑って船首の方へと歩くシャンクスをにふと尋ねた。
「アンタと最後に大喧嘩したのはいつだ?」
破天荒で後先見ずな行動が多いのは歳を重ねても変わらない。今でも敵船があれば指示も聞かず何も考えずぴょいと一人突っこんでいくようなこともあるが、もはや慣れた。小さな諍いはよくあるが、口を尖らせるシャンクスにベックマンの小さなため息一つで済むようなものばかり。
「大喧嘩はしたことねェんじゃねェの?本気で殴り合ったことはあるけどよ」
「それだ。それがいつが最後だった?」
たばこの煙を揺らす。シャンクスは少し考えた後、意図が読めたのかいつものようににいっと笑って額の左を指差した。
「お前がその傷作ったときだな」
その言葉でベックマンも同じように笑みを浮かべた。
果てのない海の果てを見ると海に出た。それは決して単調で気楽な航海ではなかった。名が売れるほどの実力は嘘ではない。しかし、名が売れれば売れるほど挑んでくるような相手もまたそうと言うことだ。時に傷つき、仲間を失うほどの戦闘もあった。悔しさや弱さに涙することも、心を揺らがされることもあった。
ベックマンの額の傷。それは左の額にある。
シャンクスが片腕を失っても、ベックマンは無駄にシャンクスの左に立つことはしなかった。立つとしてもその半歩後ろ。自分はシャンクスの右腕であると言うことに誇りを持っていたし、シャンクスも自分がもしない左腕の代わりの様に動くような真似をしたとしたらきっと「船を降りろ」と言うに違いないとも確信していたから、ベックマンは腕がないことを理由に左に立つことはなかった。
だが、とある戦闘時。久々に骨のある海賊団とやり合っていた時。仲間に死者が出て、シャンクスが冷静さを失ったことがあった。仲間や友を何よりも大事にする男だ。その時の激情を考えれば仕方のないことともいえるが、力が互角の時勝敗を決めるのは理性だ。
あの時、激情に飲まれていたのか、避けられる左側の攻撃をシャンクスが避けなかった。当たれば重傷は免れなかった攻撃をベックマンが間一髪で間に入り、傷を負いつつも直撃を阻止した。そして戦闘の最中にも関わらず敵を殴りつける力と同等かそれ以上の力でシャンクスを殴りつけ、こう言い放ったのだ。
『俺はアンタの左腕になるつもりはねェ!!』
きっと左腕があれば斬っていた攻撃。それを防ぐことに使われたような感覚。
腕の代わりを探しているなら他に頼め。腕の代わりが欲しくて傍に置くのならば言われなくとも船から降りる。感情に飲まれていたとしても、自分が「未来に懸けた」と言った腕の代わりに使われるのは許せることではなかった。それは自分がついて行くと決めた男ではないから。
「あの時のお前はおっかなかったなァ~」
「あれは今までのどの言動、行動の中でも断トツでお頭が悪ィと思うがな」
「悪かったって」
根に持つなよ、と苦笑する赤に目を細める。もう過ぎたことであるし、何より今のシャンクスがそんな行動をすることはないから咎めるつもりもないのだが、少しの加虐心と欲がでて。「そういえば、あの時は詫びの品を貰ってないな」と重ねれば、シャンクスはだらだらと冷や汗をかき始めた。
「おい、冗談はよしてくれ!お前、俺が一応その時やっちまったことに合わせて物を用意してるの知ってんだろ!?」
「ほう、そうだったのか。その辺で摘んだ花、落書きのような似顔絵、賭け事の戦利品かいつものではない安い煙草、汚れた期限切れの書類……お頭の気持ちはよく分かったぜ」
「すみませんでした!!」
綺麗に90度頭を下げる男に笑いが漏れる。本当に怒っていないし、物を貰うこと自体で許しているわけでもない。破天荒でどうしようもないこの男を許しているのは結局のところ、心底惚れているからだ。
言葉にすることはないから伝わっていないのか、伝わっていてこうなのかは知らないが、やはり毎度律儀に何かしらの謝罪をする男は可笑しくて、可笑しくて。
決して短くはない時間を共に過ごした。失うものもあったが得るものもあったし、何より自分が信じた赤い指針がぶれていない。騒がしい仲間とともに続く航海の果てはどんなものだろうか。どんなものであろうとも、この男となら笑えると言う確信がある。
「お頭」
名前を呼べば、きっと答えは変わってしまう。だからあえてそう呼んだ。誕生日だ。言葉ぐらい強請ってもいいだろう。
「俺はアンタの右腕か?」
「当たり前だ。死ぬまで離してやんねーよ!」
べえっと舌を出して赤が笑う。昔とちっとも変わらない表情に自分も笑った。
Fin.
Happy birthday Beckman. (2019)
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