2.触れられた心は初めてで
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今日は月が雲に隠れている。じっとりとした暑さが普段なら不快だけれど、今日はそれもまあいいかと思って。
賑やかな歓迎会は二次会もあったけど、「飲みてェ奴らが行くだけだい」とのマルコさんの言葉で、私は辞退させてもらった。断っても皆さん全然笑顔で、『これからよろしくなー!!気を付けて帰れよー!!』と見送ってくれたので本当に温かい会社だ。
変な時期の派遣だけど何とかなりそう。ご飯を食べながら皆さんの様子も見させてもらったけど、特に問題はなさそうだった。今日来ていない人も、仕事の都合上と言うことだったから体調不良というわけではなさそうだし。ああでも一回全員とお話する時間は取った方がいい気がする。人数が多いから、休憩時間にお菓子を食べながら複数人で……。
「おい、どこまで行く気だい」
「っわ!?」
腕を掴まれて慌てて足を止めればマンションの入り口から一メートルほど先に行ってしまっていた。すみません、と謝れば溜息をつくのはマルコさん。マルコさんも二次会にはいかないと言ったから一緒に帰ってきていたんだった。電車の中では会話をしていたけれど、降りてから会話をしていなかったから忘れていた。
「お前さんいつもこうなのかい?」
「こう、とは?」
「声をかけても上の空だったよい」
「え」
「独り言に反応してやると返ってきたけどねい」
「……すみません」
どうやら会話がなかったのではなく、私が会話を無視していたらしい。謝れば別にいいと言われたけど大変申し訳ない。
「後ろつけられても気づかねえんだろうな」
「気づいてもどうしようもないですけどね」
「警察に行けと言ったろい。なんで行かねぇんだ」
ここにきてまたその話か。
腕を掴まれたままじいっと見られて私は目をそらす。きっと言わないと離してもらえないのは分かる。でも。
「……守秘義務があります」
言えるのはこれだけだ。本当ならそれすらもあまり言うのはよくないのだけれど、こんなに心配してくれているのに何も答えないのは不誠実だから。
ちょっとの沈黙のあと落とされたのはやっぱり溜息で、これは言っても言わなくても変わらなかったかな、と自嘲すればぽすんと頭を撫でられた。
「何かあったらすぐに言えよい。真夜中だっていい、連絡を入れろ。できるねい?」
「ええっと……」
「警察に連絡するのが嫌。身を守る術も不十分。なら誰かに頼るしかねえだろ。俺が嫌なら会社にかけろ、誰かしらいるよい」
「それはちょっと……」
「社員に何かあるほうが会社の傷だい。で・き・る・ねい?」
「ちょ、マルコさん!圧が、圧がかかってますって!?」
言葉の圧もそうだが、頭に乗せられていた手の圧がすごい。徐々に指に力が込められてめちゃくちゃ痛い。はじめは本当に普通に撫でてくれたのに!
涙目になりながら叫ぶように「分かりました!」と言えばやっとで離してくれたけど、気のせいか頭がじんじんする気がする……馬鹿力だ……。
そう言えば頬を引っ張られた時も、涙目になるまで離してくれなかったなとふと思い出して、もしかしてこの人サディストなのではとちらりと見上げれば、ぎゅっと一度厚めの唇が引かれて、脱力するようにまた溜息。
「あのねい、人に簡単に触れさせるない。つけあがるよい」
「それマルコさんが言いますか……。普段はこんなに簡単には……」
言いかけてはたと気づいた。そうだ、いつもならこんなに簡単に誰かに触れさせるなんてしない。仕事上、人に寄り添い手を差し伸べることはあるがそれは言葉だけ。実際に手を掴ませることなんて――
「へえ」
「ちょっと、なににやにやしてるんですか」
「よいよい」
「よいよいじゃないですってば!」
わしゃわしゃとまた髪を乱される。ついでに心も。
月が雲に隠されていてよかった。きっと多少顔が赤くてもばれないから。
なぜか機嫌よさそうに笑うマルコさんに今度は私が溜息。そしたら、髪を乱していた手が止まり、今度は整えるように指を滑らされた
「……こういうことをするから妙な女性がつくんじゃないですか?」
「馬鹿言うな。お前さんとは違う。大抵の女は俺の立場を見て寄ってくるだけだい」
言いつつ髪が整ったのか、腕を下ろすところスマートだ。過度な触れ合いはしない。相手をよく見ている。私の言葉が照れ隠しではなく、線引きだと言うことをしっかり理解してくれるのが、心地よく、でもなぜか苦しい。
「会社には馴染めそうかい?」
「はい、皆さんいい人ばかりで安心しました。……けど、私を雇う必要があったんですか?」
「今日顔を出さなかった若ェのが一人いてな。そいつにちょっと手を焼いてるんだよい」
明日、会社には来るだろうから診てやってくれ、と言われてはいと返事をした。
若いと言うと入ったばかりだろうか。今日見た感じあまり若い人はいなかったからそれでうまく馴染めていないのかもしれない。もしそうなら交流する場を作ってあげて……いや、家庭の方の事情があるならそっちを先に把握したほうがいいか。それなら朝一で資料を……。
「考えてくれんのはありがてぇが、今日はもう寝ろよい」
「え、あ。すみません」
ぐるっと回り始めた思考を止めるように背中を押され、マンションのドアに足を踏み出した。かつんとヒールが鳴って、「明日からは好きな靴で来い」と言われた。服装も自由でいいらしい……逆に困るなぁ。
エレベーターのボタンを押せば、ドアが開く。上司だし先に、と思って動かずにいれば先に動いたマルコさんは片手でドアを押さえて、もう片方の手で私の腕を軽く引くと先に乗せてくれた。ちょっと強引。
「世話焼きですね」
「お前さんにはちょうどいいだろい」
「……そうかもしれませんね」
少しだけ笑ってそう言えば、眠たげな目がちょっとだけ見開かれた気がした。
ぐんっと特有の浮遊感。文明の利器ですぐに目的の階に着く。「4階です」なんて機械の声に、一歩踏みだそうとしたら腕を引かれて。
「世話焼きついでに水族館なんてどうだい」
「はい?」
「いい返事だねい。あとで連絡するよい」
聞き返す前に今度は軽く背を押されて、ドアの外に。
締まっていくドアに思わず手を伸ばすも、内側から伸びてきた腕にぴんっと額を弾かれて無情にもドアは閉まって。
にいっと笑っている顔が出会ってこの一いい笑顔だった。
ぐんっと上がっていくエレベーター。
数秒見えたマルコさんは「おやすみ」なんて口パクで言っていた。
「ええ……?」
いや、何を言われた?何が起こった?
呆然と立ち尽くして思わずこぼせば、応えるようになったのはスマホの着信音。慌てて確認したそれに目を見開いた。
『To.リン From.マルコ
件名:日曜日、空けとけよい
本文:気をつかう必要のない会社だ。
気楽にやれよい』
「強引、だなぁ」
そう言いつつも口角が上がってしまうから、やっぱり私は馬鹿だなあと思った。
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