長編:一兎を奪う
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27.迷子の兎は涙する
扉が閉じて部屋が静かになった。だるい体で熱を感じながら、その静かな部屋に音を落とした源に触れる。
「これ……」
ちりんちりんとなっているのは首にかけられたイゾウさんの部屋の鍵だった。飾りに付けられた鈴と笛筒。そして鍵。彼が遠征に行く前に奪っていったもの。
「ああ、それ。君の唯一の持ち物だよ~。大事なものかと思って外さなかったけどその筒、何か入ってる?なんかにおいするね」
「筒の、中?」
筒の中にはエーギルさんがいれてくれたイゾウさんのビブルカードだけのはずだ。けれど、リガートさんはその筒から匂いがすると言った。「僕もその匂い知ってるよ。珍しい匂いだけど、よくそんなマイナーな香り持っているね~」と言われて、そっと筒を手に取った。
あまり力の入らない手で初めて筒を空ければ匂いが強くなる。中にはエーギルさんの入れてくれたビブルカードと、もう一枚……薄紫色の紙。
そういえばエーギルさんがビブルカードを入れてくれたとき笑っていたっけ。きっとこれが入っているのに気がついたのだろう。
どうして彼はこの紙を入れたのだろうか。無地の紙に名前はない。けれどその色は彼を指す。あちらの世界に戻ったとき物も持ち帰れるのかどうかは分からないが持ち帰ることができるとしたら、ひどい人だ。
すん、と匂いを嗅げばもう馴染んでしまった匂い。思い出すのは父ではない。なぜか目が熱くなって鼻がつんとして俯いた。
「君が白ひげ海賊団に関係がある子って本当なんだね」
「……なんのことですか」
「別に隠そうとしなくてもいいよ。僕は海軍に所属している軍医だけど、別に海兵じゃないからね~、君の処分は僕の役目じゃない」
「私は海賊ではありません」
「ふうん、そうなの?でも、その匂いはあの船のキモノの男のでしょ。名前は、何だったかな。ああ、確か……イゾウだっけ?」
はじかれるように顔を上げれば、リガートさんの顔が間近にあった。驚いて身をのけぞるも「動かないで」と顔を捕まれてかなわない。
「面白いね。殺して欲しいとかいいながらすごく怖がるんだ」
「……殺してくれるなら怖がりません」
「嘘。怖いくせに」
「あなたは医者ではないんですか」
「医者が全員優しいと思う?」
紫がかった瞳は暗く、深い穴に落とされるかの様に感じる。ぴりぴりと空気が揺れるが彼の手ははじかれない。だから分からない。彼が安全なのか安全でないのか。そもそも今更安全かどうかなんて必要なのか。帰るのに、安全か安全じゃないかなんて。
回らない頭で必死に警告のような違和感の原因を考えていれば、ぱっと顔が離されてはじめに見た人好きのする笑顔を向けられた。
「僕は優しい医者だから、君に挨拶をさせてあげるよ」
手のひらに船の上で何度か見たかたつむりの電話を乗せられる。はじめて見たときはすごくびっくりしたそれは、薄れてはいるが白ひげ海賊団のマークが入っていてプルプルプル……と短く鳴ったあとガチャと出たのは――
「いぞ、さん……?」
心臓が捕まれたかの様な驚き。声を奪われたかのような衝撃。何を言えばいいのかと迷った。しかし、その迷いさえも吹き飛ばす勢いで。
『今どこにいる!』
「え……」
初めて聞くほど焦った声で何かをまくし立てられるが全然耳に入ってこない。自分が馬鹿になってしまったかのように「え……」とか「あ……」とかしか言えず。何も理解できていないことが伝わったのか、かたつむりがキッと一瞬眉をつり上げて、『聞け!』と。
『どこでもいい。とにかく、』
「死ぬなって?」
かさついた冷たい手に受話器を取り上げられ、横を見ればリガートさんがにこにこ笑いながら「久しぶりだなあ」と言った。そしてつらつらとその口から語られたのは、私の父の話。
思い出す。エーギルさんの話を。……父の万能な血を研究すると言って島に残った医者がいるという話を。
「君があの男を帰さなければ僕はもっと研究できたのに。君は彼のことを気に入っていたじゃないか。どうして帰したりしたんだい?自分の手で殺すなんてほんとどうかしてるよ」
『今その話は関係ねェ。ユリトといるんだろう、どこにいる』
「海軍の医務室兼研究室。君らの船からもよく見えるだろう?ここの基地は町の中心部にあるんだから。でも来ても意味ないと思うよ、彼女帰るつもりなくなると思うし」
『ふざけるな』
「至って真面目さ」
『っユリト!いるな!?帰りてェなら俺が帰してやる。だから……』
「帰れないでしょ」
「帰れないよ」とリガートさんが笑った。受話器の向こうでイゾウさんが何かを言っている。けれど何も聞こえない。にこにこと笑っている男から目を離せない。
点滴に手が伸びてくる。怖いぐらい丁寧に針を抜かれた瞬間、ドッと体の熱が弾けたような衝撃が全身に響いた。痛いとすら感じる衝撃に思わずうめき声が漏れ、その声を受話器が拾ってしまったのか何か叫んでいるのが聞こえた。
「帰る方法は死ぬこと、じゃあ帰らない方法って君は何だと思う?」
さっきまでぼうっとするほど熱かった体が嘘だったかのように軽くなり、変わりのように溶けてしまうのではと思うほど熱い涙が目からあふれた。必死に叫ぶ声が受話器から聞こえていたけれど、それもガチャリと切れて。
「この世界に残る方法は、体をこの世界のものにしちゃえばいいんだよ」
体に走った衝撃が収まった頃には私の視界はずいぶん低くなっていた。何が起こったのか。視線を動かしてみて驚く。視界に入ったのは灰色のもこもこの手。小さな手が毛に覆われていて返してみてもそうで、丸い指先にはとがった爪。
「んー、一応かわいい物にしたんだけど、どうかな。気に入った?」
手鏡を見せられ、そこに映った私は小さなうさぎになっていた。見た瞬間ぶわっと毛が逆立ったのに男が笑った。怒りか何か強い感情が湧くも声が出ない。せめてもの抵抗に小さな手で手鏡を払えばそれが地面に落ちて割れた。
「そんなに怒んなくても、戻ろうと思えば自分で戻れるんじゃない?動物系の悪魔の実だし。僕がいじって体を変えた訳じゃないもの」
『……何のつもりですか?』
「お、ほら。上手だね~うさぎは声帯ないんだよ、よくしゃべれるね」
『私を帰れなくしてどうしようって言うんですか』
「さっき話してたの、聞いてたでしょ?僕の研究手伝って欲しいんだ」
ほらみてよ、と自身を指すリガートさんは「若いでしょ、僕」と笑った。
「君の父親の血を使って僕はいろいろ研究したんだけど、あの血を少しいじって飲むとね、年を取らなくなるんだ。何でも治す効果も消えていないから、毎日少しずつ飲めば僕は実質不老不死だ。年も取らない、けがも病気も治る。そしたらずっと研究ができる。素敵だよね~」
『そんなことのために父は血を渡したのではありません』
「君のお父さんは『自分の血を役に立てて欲しい』って言ってたよ。僕は役に立ててる、約束は破ってないよ」
ぼたぼたと涙がこぼれる。さっきより体は軽いけれど、相変わらずおなかは痛いし熱っぽい。きっと傷から熱が出ているんだろう。
悪魔の実の能力はあっちの世界にはない力だ。こっちの世界の体になれば、あっちの世界では生きられないとリガートさんは言った。それは最もそうな話だと思う。けど、信じるものか。
『どこに証拠があるんですか』
「君はなんだかめんどくさい子だね。じゃあ聞くけど、君は死んだら本当に元の世界に戻れる証拠はあったの?」
『私の父はあっちで生きています』
「君も同じように帰れるっていう保証にはならないよ」
腕を捕まれて宙ぶらりんにされる。きっとにらみつけるも次の瞬間、派手な音ととともに腕に激痛が走ったかと思うと視界が元に戻った。でも、抵抗する間もなく何かを吹き付けられて。
「僕は君の血が欲しい。君はあっちに帰りたい。君らは眠ればあっちの世界が見られるんだろう?僕は君をずっと眠らせることができる。いい関係じゃない?」
「ふざけ、ないでっ……」
寝てはだめだ。そう思うのにきっと薬品だ。あらがえない眠気に落ちていく。浅くなる呼吸の中、リガートさんが機嫌良さそうに笑っていた。
「おやすみ、よい夢を」
落とされた眠りの言葉は最悪だった。
扉が閉じて部屋が静かになった。だるい体で熱を感じながら、その静かな部屋に音を落とした源に触れる。
「これ……」
ちりんちりんとなっているのは首にかけられたイゾウさんの部屋の鍵だった。飾りに付けられた鈴と笛筒。そして鍵。彼が遠征に行く前に奪っていったもの。
「ああ、それ。君の唯一の持ち物だよ~。大事なものかと思って外さなかったけどその筒、何か入ってる?なんかにおいするね」
「筒の、中?」
筒の中にはエーギルさんがいれてくれたイゾウさんのビブルカードだけのはずだ。けれど、リガートさんはその筒から匂いがすると言った。「僕もその匂い知ってるよ。珍しい匂いだけど、よくそんなマイナーな香り持っているね~」と言われて、そっと筒を手に取った。
あまり力の入らない手で初めて筒を空ければ匂いが強くなる。中にはエーギルさんの入れてくれたビブルカードと、もう一枚……薄紫色の紙。
そういえばエーギルさんがビブルカードを入れてくれたとき笑っていたっけ。きっとこれが入っているのに気がついたのだろう。
どうして彼はこの紙を入れたのだろうか。無地の紙に名前はない。けれどその色は彼を指す。あちらの世界に戻ったとき物も持ち帰れるのかどうかは分からないが持ち帰ることができるとしたら、ひどい人だ。
すん、と匂いを嗅げばもう馴染んでしまった匂い。思い出すのは父ではない。なぜか目が熱くなって鼻がつんとして俯いた。
「君が白ひげ海賊団に関係がある子って本当なんだね」
「……なんのことですか」
「別に隠そうとしなくてもいいよ。僕は海軍に所属している軍医だけど、別に海兵じゃないからね~、君の処分は僕の役目じゃない」
「私は海賊ではありません」
「ふうん、そうなの?でも、その匂いはあの船のキモノの男のでしょ。名前は、何だったかな。ああ、確か……イゾウだっけ?」
はじかれるように顔を上げれば、リガートさんの顔が間近にあった。驚いて身をのけぞるも「動かないで」と顔を捕まれてかなわない。
「面白いね。殺して欲しいとかいいながらすごく怖がるんだ」
「……殺してくれるなら怖がりません」
「嘘。怖いくせに」
「あなたは医者ではないんですか」
「医者が全員優しいと思う?」
紫がかった瞳は暗く、深い穴に落とされるかの様に感じる。ぴりぴりと空気が揺れるが彼の手ははじかれない。だから分からない。彼が安全なのか安全でないのか。そもそも今更安全かどうかなんて必要なのか。帰るのに、安全か安全じゃないかなんて。
回らない頭で必死に警告のような違和感の原因を考えていれば、ぱっと顔が離されてはじめに見た人好きのする笑顔を向けられた。
「僕は優しい医者だから、君に挨拶をさせてあげるよ」
手のひらに船の上で何度か見たかたつむりの電話を乗せられる。はじめて見たときはすごくびっくりしたそれは、薄れてはいるが白ひげ海賊団のマークが入っていてプルプルプル……と短く鳴ったあとガチャと出たのは――
「いぞ、さん……?」
心臓が捕まれたかの様な驚き。声を奪われたかのような衝撃。何を言えばいいのかと迷った。しかし、その迷いさえも吹き飛ばす勢いで。
『今どこにいる!』
「え……」
初めて聞くほど焦った声で何かをまくし立てられるが全然耳に入ってこない。自分が馬鹿になってしまったかのように「え……」とか「あ……」とかしか言えず。何も理解できていないことが伝わったのか、かたつむりがキッと一瞬眉をつり上げて、『聞け!』と。
『どこでもいい。とにかく、』
「死ぬなって?」
かさついた冷たい手に受話器を取り上げられ、横を見ればリガートさんがにこにこ笑いながら「久しぶりだなあ」と言った。そしてつらつらとその口から語られたのは、私の父の話。
思い出す。エーギルさんの話を。……父の万能な血を研究すると言って島に残った医者がいるという話を。
「君があの男を帰さなければ僕はもっと研究できたのに。君は彼のことを気に入っていたじゃないか。どうして帰したりしたんだい?自分の手で殺すなんてほんとどうかしてるよ」
『今その話は関係ねェ。ユリトといるんだろう、どこにいる』
「海軍の医務室兼研究室。君らの船からもよく見えるだろう?ここの基地は町の中心部にあるんだから。でも来ても意味ないと思うよ、彼女帰るつもりなくなると思うし」
『ふざけるな』
「至って真面目さ」
『っユリト!いるな!?帰りてェなら俺が帰してやる。だから……』
「帰れないでしょ」
「帰れないよ」とリガートさんが笑った。受話器の向こうでイゾウさんが何かを言っている。けれど何も聞こえない。にこにこと笑っている男から目を離せない。
点滴に手が伸びてくる。怖いぐらい丁寧に針を抜かれた瞬間、ドッと体の熱が弾けたような衝撃が全身に響いた。痛いとすら感じる衝撃に思わずうめき声が漏れ、その声を受話器が拾ってしまったのか何か叫んでいるのが聞こえた。
「帰る方法は死ぬこと、じゃあ帰らない方法って君は何だと思う?」
さっきまでぼうっとするほど熱かった体が嘘だったかのように軽くなり、変わりのように溶けてしまうのではと思うほど熱い涙が目からあふれた。必死に叫ぶ声が受話器から聞こえていたけれど、それもガチャリと切れて。
「この世界に残る方法は、体をこの世界のものにしちゃえばいいんだよ」
体に走った衝撃が収まった頃には私の視界はずいぶん低くなっていた。何が起こったのか。視線を動かしてみて驚く。視界に入ったのは灰色のもこもこの手。小さな手が毛に覆われていて返してみてもそうで、丸い指先にはとがった爪。
「んー、一応かわいい物にしたんだけど、どうかな。気に入った?」
手鏡を見せられ、そこに映った私は小さなうさぎになっていた。見た瞬間ぶわっと毛が逆立ったのに男が笑った。怒りか何か強い感情が湧くも声が出ない。せめてもの抵抗に小さな手で手鏡を払えばそれが地面に落ちて割れた。
「そんなに怒んなくても、戻ろうと思えば自分で戻れるんじゃない?動物系の悪魔の実だし。僕がいじって体を変えた訳じゃないもの」
『……何のつもりですか?』
「お、ほら。上手だね~うさぎは声帯ないんだよ、よくしゃべれるね」
『私を帰れなくしてどうしようって言うんですか』
「さっき話してたの、聞いてたでしょ?僕の研究手伝って欲しいんだ」
ほらみてよ、と自身を指すリガートさんは「若いでしょ、僕」と笑った。
「君の父親の血を使って僕はいろいろ研究したんだけど、あの血を少しいじって飲むとね、年を取らなくなるんだ。何でも治す効果も消えていないから、毎日少しずつ飲めば僕は実質不老不死だ。年も取らない、けがも病気も治る。そしたらずっと研究ができる。素敵だよね~」
『そんなことのために父は血を渡したのではありません』
「君のお父さんは『自分の血を役に立てて欲しい』って言ってたよ。僕は役に立ててる、約束は破ってないよ」
ぼたぼたと涙がこぼれる。さっきより体は軽いけれど、相変わらずおなかは痛いし熱っぽい。きっと傷から熱が出ているんだろう。
悪魔の実の能力はあっちの世界にはない力だ。こっちの世界の体になれば、あっちの世界では生きられないとリガートさんは言った。それは最もそうな話だと思う。けど、信じるものか。
『どこに証拠があるんですか』
「君はなんだかめんどくさい子だね。じゃあ聞くけど、君は死んだら本当に元の世界に戻れる証拠はあったの?」
『私の父はあっちで生きています』
「君も同じように帰れるっていう保証にはならないよ」
腕を捕まれて宙ぶらりんにされる。きっとにらみつけるも次の瞬間、派手な音ととともに腕に激痛が走ったかと思うと視界が元に戻った。でも、抵抗する間もなく何かを吹き付けられて。
「僕は君の血が欲しい。君はあっちに帰りたい。君らは眠ればあっちの世界が見られるんだろう?僕は君をずっと眠らせることができる。いい関係じゃない?」
「ふざけ、ないでっ……」
寝てはだめだ。そう思うのにきっと薬品だ。あらがえない眠気に落ちていく。浅くなる呼吸の中、リガートさんが機嫌良さそうに笑っていた。
「おやすみ、よい夢を」
落とされた眠りの言葉は最悪だった。