長編:一兎を奪う
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家族は大切だ。
裕福さと幸せの大きさは必ずしも比例しない。裕福な家庭は衣食住、その他教育や趣味などに苦労することが少ないから一般に幸せであると思われているけれど、別に貧乏でも身の丈に合った生活をしていれば、今以上の生活を望むにしてもしっかりと計画を立てて未来へ希望をもてば、それなりに幸せだし、裕福な家庭よりも心が満たされてるに違いない。
私の家庭は裕福ではなかったけれど、温かな両親、そして隣人たちに恵まれてとても幸せだった。家族の仲の良さと言うのは意識して構築されるものではないと思う。実際、私の中の家族を第一に考える価値観は誰かに植え付けられたものではなく、いつの間にか私の中にあった。
それなりに真面目に素直に生きていた私に友人がいなかったわけではない。仲良くしてくれた子たちももちろんいるが、家族以上はもちろん、家族と同等に並べて考えられるほどの関係になった子は一度としていなかった。
「ユリトは優しすぎるわねぇ」
からからと笑う母が大好きで、その少しささくれの目立つ手が作る料理も一等好きで。友人に誘われているなら行ってきなさい、と幾度となく言われたけど行ったことはない。
「ユリトはマザコンね」
「私はお父さんも好きだよ」
「あらまあ、あの人泣いちゃうわよ。そんなこと言ったら」
何が食べたい?と聞かれて甘い卵焼きと答えた。歳をとって少し痛んだ髪の毛が揺れている。優しく笑うその横顔は昔から変わらない。
「おかずにはならないわねぇ」
「あんまりお腹すいてないからいいよ」
「あら、そうなの?久しぶりだから張り切っちゃおうと思ったのに」
「久しぶり?」
母の目が瞬いて小首をかしげられた。それからああ、と一人納得したようにぽんと手を打って笑われる。
「そっか、そう言えばあの人もそうだったわね」
「……なんの話?」
「ふふ。いいのよ。それより、いい人見つかったんじゃないの?」
本当に何の話をしているのか。そう思ったのに口は勝手に動いた。
「うん」
「どんな人?」
「すごく綺麗な人」
「あら、男の人じゃないの?」
「男の人だよ。年齢は聞いたことないけど、かなり上じゃないかな」
「ユリトが綺麗って言うんだから相当ねぇ。それでそれで?」
「基本的に真面目だけどちょっと意地悪で、寝起きが最高に悪くて朝に弱い」
「あらあら」
「それで……すごく優しい」
「そうなの」
誰の話をしているのか私にも分からなかった。ただ、すごくなんだか悲しくて、苦しくて。訳が分からなくて思わず卵を溶く母のエプロンの裾に手を伸ばした。
「そんなに好きな人ができたのに戻ってきたの?」
くすくすと笑う母の横顔はやっぱり優しくて苦しかった。だって、に続く言葉が見つからず目を伏せる。
「お父さんの事なら心配しないでっていつも言ってるでしょ」
「……お父さんは?」
「今は病院よ」
勢いよく顔を上げた。でも母はやはり穏やかに微笑んでいるだけだった。
「前にも言ったでしょう。親は先に逝くものよ」
りん、とどこかで鈴が鳴った。それを合図にするかのようにエプロンを掴んでいた指先が透けていく。驚いて小さく悲鳴を上げたけれど、母は「あらあら」なんて呑気で。
「母さん……!」
「ユリト、親の幸せってなんだと思う?」
そんなの知らないよ。
重たい瞼をあげれば、天井の木目が見えると同時に鼻をくすぐる薬品の匂い。ぼんやりとする意識の中で、目だけを動かせば私を見下ろしているのはイゾウさんだった。
「ユリト」
呼びかけに答えずに、自分の腕に目を走らせる。管が伸びていて半透明のそれに真っ赤な血液が流れているのを見た瞬間ぐっとお腹の底が熱くなった。反射的に起き上がれば肩を抱かれて止められるが、それも手で振り払えば肌と肌がぶつかって乾いた音が部屋に落ちた。
「どうしてですか」
「撃たれて出血が多かったから輸血をしてる。お前さんは丸一日寝てた」
「帰りますと言ったはずですが」
「……聞いてねェな」
声に怒りがにじむのが抑えられない。嘘をつくならつききればいいものを、少し言い淀んだそれは何なのか。何か言いたいことがあるのなら言えばいいと思ってイゾウさんを見るも、その切れ長の目はいつも通り静かにこちらを見ているだけだ。それが無性に腹立たしく奥歯を噛む。
「言わなくても伝わると言ったのはイゾウさんですよ」
「大事なことは口にしなきゃ伝わらねェだろ」
どの口が、とは言わなかった。代わりに感情のまま気味が悪いほど健康的な赤が通る管を無理やり引っこ抜き、そのままスタンドを蹴り飛ばした。
「帰ります」
大きく息を吸って、今度は聞いてないと言われないようにはっきりと言葉を発しても、黒い瞳は揺れなかった。揺れないし、何も言わない。やっぱり無性に腹立たしい。お腹がぐるぐると熱くてそれがなぜだか分からなくて気持ちが悪い。
「ユリト」
揺れた袂から白檀の匂いが薄く香って、思わず顔を顰める。好きな匂いだ。でも今は嗅ぎたくない。どうしてあなたがその匂いを纏っているのだと、理不尽な言葉を投げたくなくて必死に喉に力を入れた。喉の奥は熱くて、目の奥も熱い。鼻の奥はつんと痛くて啜るとずずっと情けない音がした。
「……俺はお前さんを帰すつもりはねェ」
「知っています。でもイゾウさん、言いましたよね。勝手にしろって。だから私は帰ります。イゾウさんが私を止めたいと言うならどうぞ、それは『勝手』ですから」
「なんでそんなに怒ってるんだ」
「この血は親父さんのためのものでしょう」
そのために私は採血をしてもらうように頼んだはずだ。それなのにその血は今さっきまで私に輸血されていた。帰るつもりだった私には必要ない血だったのに。これでは血の無駄だし、親父さんへ使うための血も減ってしまう。
「それは悪かった。だが、輸血しねェとお前さんは死んでた。だから……」
「家族を大切にする白ひげ海賊団ですよね」
私は家族じゃない。家族じゃないのに親父さんじゃなくて私を優先するイゾウさんはおかしい。同様に私も一番大切なのは家族だ。どれだけイゾウさんに乞われようとも、優先するのは家族であって他人じゃない。
頬に伸ばされた手を払う。「ユリト」と触れることを乞うように名前を呼ばれるが許すものか。そもそも許す、許さないの問題ではないのだ。懲りずにもう一度伸ばされる手が視界に入った瞬間、響いたのは電気が走ったような派手な音だった。
「……なんで驚いているんですか?」
見開かれた目に笑ってしまう。自分だけは拒絶されないとでも思っていたのだろうか。
「ユリト!」
怯んだ隙を狙って甲板に飛び出した。外は雨が降っていて、見張りの人以外ほとんど人はいない。丸一日寝ていたというのは本当のようで、船はいつの間にか島に停泊していた。本当は海のど真ん中の方がよかったけれど、この大きな船が停泊できるような船着き場は問題ないぐらい海が深い。私は止める声も手も全部無視して甲板の柵を蹴った。
どぷんと海に沈んだ体は重くて、ああ雨で海が荒れているのかと思う間もなく体は波にさらわれた。でもすぐに不思議な感触のする何かにぐっと手を引かれて、気づいたら岸にいて死ぬことは叶わなかった。
雨の音に混じって何かが海に戻る音が聞こえて、ああそう言えば水の中なら手を引いてくれると約束していたっけなんて思い出す。約束、守ってくれたのは嬉しいけどできれば今じゃないほうが嬉しかったなあなんていうのはわがままだ。ふふっと思わず力なく笑って目を開ければ、仰向けに倒れている私をのぞき込むハルタさんは雨に濡れていた。
「ハルタさんも約束守ってくれるんですか?」
「破ろうとしたのは君の方でしょ」
何勝手に死のうとしてるの、と色のない声で言いながら剣が抜かれる。以前みたいに体がこわばることもなくただぼんやりとその姿を見ていれば、素早く腕を取られて体を起こされた。そして銃声がしたかと思えばそれを弾く音。
ハルタさんが私へと剣を向けた。雨に濡れて髪が乱れたイゾウさんはじいっとこちらを見ていた。その目が鋭くて、まるで敵に向けるような目だったから聞かないほうがいいんだろうなと思ったけど、ハルタさんが私を斬る前に、私が耳をふさぐ前にその言葉は放たれた。
「帰るのは勝手だ。だが、お前は帰るために俺の『家族』の手を汚れさせんのかい?」
大きな音。弾いたのは全てだ。
全身に熱が廻り、ぐっとお腹が熱くなった。どうして、と思ってしまった。どうしてこんなに帰りたいと思っているのに引き留めるのだと、怒っていた。
でも、そうだ。言わなきゃ伝わるわけがないのだ。
血を使うと見た夢は、いつも一定のリズムで電子音が聞こえていた。
私はあの音を知っている。あの清潔な匂いも。あの白い空間も。
帰りたい、その理由は。
「私は帰らないといけないんです。だって、」
お父さんが――。
ハルタさんが名前を叫んだ気がしたけど、雨が強くなってよく聞こえなかった。
どうせ追いかけられても弾いてしまえるだろうから歩いても良かったのだけど、私は全力で島の、町の方へと走った。
船から見ても大きな島だったから、街走れば海賊ぐらいいるだろうと思った。でも、どうやらこの島はとても平和なようで、栄えている街の人たちはみんな優しくて傘もささずにびしょ濡れで歩く私にたくさんの人が親切心で声をかけてくれるだけだった。
「なんで……」
今なら死ぬことも恐れないと言うのに。早く帰らないといけないのに。なんで誰も殺してくれないの、と言ってもやっぱり悪いのは自分で死ねない私だろうか。
みっともなくぼろぼろ泣きながら軒下で膝を抱えていれば低い声が振ってきて、顔を上げれば、雨の中白いコートを揺らす男の人が立っていた。
「……お前は」
額から顔を斜めに横断する傷のある強面。咥えた葉巻は雨で湿気てしまったのか煙は出ていなかった。
裕福さと幸せの大きさは必ずしも比例しない。裕福な家庭は衣食住、その他教育や趣味などに苦労することが少ないから一般に幸せであると思われているけれど、別に貧乏でも身の丈に合った生活をしていれば、今以上の生活を望むにしてもしっかりと計画を立てて未来へ希望をもてば、それなりに幸せだし、裕福な家庭よりも心が満たされてるに違いない。
私の家庭は裕福ではなかったけれど、温かな両親、そして隣人たちに恵まれてとても幸せだった。家族の仲の良さと言うのは意識して構築されるものではないと思う。実際、私の中の家族を第一に考える価値観は誰かに植え付けられたものではなく、いつの間にか私の中にあった。
それなりに真面目に素直に生きていた私に友人がいなかったわけではない。仲良くしてくれた子たちももちろんいるが、家族以上はもちろん、家族と同等に並べて考えられるほどの関係になった子は一度としていなかった。
「ユリトは優しすぎるわねぇ」
からからと笑う母が大好きで、その少しささくれの目立つ手が作る料理も一等好きで。友人に誘われているなら行ってきなさい、と幾度となく言われたけど行ったことはない。
「ユリトはマザコンね」
「私はお父さんも好きだよ」
「あらまあ、あの人泣いちゃうわよ。そんなこと言ったら」
何が食べたい?と聞かれて甘い卵焼きと答えた。歳をとって少し痛んだ髪の毛が揺れている。優しく笑うその横顔は昔から変わらない。
「おかずにはならないわねぇ」
「あんまりお腹すいてないからいいよ」
「あら、そうなの?久しぶりだから張り切っちゃおうと思ったのに」
「久しぶり?」
母の目が瞬いて小首をかしげられた。それからああ、と一人納得したようにぽんと手を打って笑われる。
「そっか、そう言えばあの人もそうだったわね」
「……なんの話?」
「ふふ。いいのよ。それより、いい人見つかったんじゃないの?」
本当に何の話をしているのか。そう思ったのに口は勝手に動いた。
「うん」
「どんな人?」
「すごく綺麗な人」
「あら、男の人じゃないの?」
「男の人だよ。年齢は聞いたことないけど、かなり上じゃないかな」
「ユリトが綺麗って言うんだから相当ねぇ。それでそれで?」
「基本的に真面目だけどちょっと意地悪で、寝起きが最高に悪くて朝に弱い」
「あらあら」
「それで……すごく優しい」
「そうなの」
誰の話をしているのか私にも分からなかった。ただ、すごくなんだか悲しくて、苦しくて。訳が分からなくて思わず卵を溶く母のエプロンの裾に手を伸ばした。
「そんなに好きな人ができたのに戻ってきたの?」
くすくすと笑う母の横顔はやっぱり優しくて苦しかった。だって、に続く言葉が見つからず目を伏せる。
「お父さんの事なら心配しないでっていつも言ってるでしょ」
「……お父さんは?」
「今は病院よ」
勢いよく顔を上げた。でも母はやはり穏やかに微笑んでいるだけだった。
「前にも言ったでしょう。親は先に逝くものよ」
りん、とどこかで鈴が鳴った。それを合図にするかのようにエプロンを掴んでいた指先が透けていく。驚いて小さく悲鳴を上げたけれど、母は「あらあら」なんて呑気で。
「母さん……!」
「ユリト、親の幸せってなんだと思う?」
そんなの知らないよ。
重たい瞼をあげれば、天井の木目が見えると同時に鼻をくすぐる薬品の匂い。ぼんやりとする意識の中で、目だけを動かせば私を見下ろしているのはイゾウさんだった。
「ユリト」
呼びかけに答えずに、自分の腕に目を走らせる。管が伸びていて半透明のそれに真っ赤な血液が流れているのを見た瞬間ぐっとお腹の底が熱くなった。反射的に起き上がれば肩を抱かれて止められるが、それも手で振り払えば肌と肌がぶつかって乾いた音が部屋に落ちた。
「どうしてですか」
「撃たれて出血が多かったから輸血をしてる。お前さんは丸一日寝てた」
「帰りますと言ったはずですが」
「……聞いてねェな」
声に怒りがにじむのが抑えられない。嘘をつくならつききればいいものを、少し言い淀んだそれは何なのか。何か言いたいことがあるのなら言えばいいと思ってイゾウさんを見るも、その切れ長の目はいつも通り静かにこちらを見ているだけだ。それが無性に腹立たしく奥歯を噛む。
「言わなくても伝わると言ったのはイゾウさんですよ」
「大事なことは口にしなきゃ伝わらねェだろ」
どの口が、とは言わなかった。代わりに感情のまま気味が悪いほど健康的な赤が通る管を無理やり引っこ抜き、そのままスタンドを蹴り飛ばした。
「帰ります」
大きく息を吸って、今度は聞いてないと言われないようにはっきりと言葉を発しても、黒い瞳は揺れなかった。揺れないし、何も言わない。やっぱり無性に腹立たしい。お腹がぐるぐると熱くてそれがなぜだか分からなくて気持ちが悪い。
「ユリト」
揺れた袂から白檀の匂いが薄く香って、思わず顔を顰める。好きな匂いだ。でも今は嗅ぎたくない。どうしてあなたがその匂いを纏っているのだと、理不尽な言葉を投げたくなくて必死に喉に力を入れた。喉の奥は熱くて、目の奥も熱い。鼻の奥はつんと痛くて啜るとずずっと情けない音がした。
「……俺はお前さんを帰すつもりはねェ」
「知っています。でもイゾウさん、言いましたよね。勝手にしろって。だから私は帰ります。イゾウさんが私を止めたいと言うならどうぞ、それは『勝手』ですから」
「なんでそんなに怒ってるんだ」
「この血は親父さんのためのものでしょう」
そのために私は採血をしてもらうように頼んだはずだ。それなのにその血は今さっきまで私に輸血されていた。帰るつもりだった私には必要ない血だったのに。これでは血の無駄だし、親父さんへ使うための血も減ってしまう。
「それは悪かった。だが、輸血しねェとお前さんは死んでた。だから……」
「家族を大切にする白ひげ海賊団ですよね」
私は家族じゃない。家族じゃないのに親父さんじゃなくて私を優先するイゾウさんはおかしい。同様に私も一番大切なのは家族だ。どれだけイゾウさんに乞われようとも、優先するのは家族であって他人じゃない。
頬に伸ばされた手を払う。「ユリト」と触れることを乞うように名前を呼ばれるが許すものか。そもそも許す、許さないの問題ではないのだ。懲りずにもう一度伸ばされる手が視界に入った瞬間、響いたのは電気が走ったような派手な音だった。
「……なんで驚いているんですか?」
見開かれた目に笑ってしまう。自分だけは拒絶されないとでも思っていたのだろうか。
「ユリト!」
怯んだ隙を狙って甲板に飛び出した。外は雨が降っていて、見張りの人以外ほとんど人はいない。丸一日寝ていたというのは本当のようで、船はいつの間にか島に停泊していた。本当は海のど真ん中の方がよかったけれど、この大きな船が停泊できるような船着き場は問題ないぐらい海が深い。私は止める声も手も全部無視して甲板の柵を蹴った。
どぷんと海に沈んだ体は重くて、ああ雨で海が荒れているのかと思う間もなく体は波にさらわれた。でもすぐに不思議な感触のする何かにぐっと手を引かれて、気づいたら岸にいて死ぬことは叶わなかった。
雨の音に混じって何かが海に戻る音が聞こえて、ああそう言えば水の中なら手を引いてくれると約束していたっけなんて思い出す。約束、守ってくれたのは嬉しいけどできれば今じゃないほうが嬉しかったなあなんていうのはわがままだ。ふふっと思わず力なく笑って目を開ければ、仰向けに倒れている私をのぞき込むハルタさんは雨に濡れていた。
「ハルタさんも約束守ってくれるんですか?」
「破ろうとしたのは君の方でしょ」
何勝手に死のうとしてるの、と色のない声で言いながら剣が抜かれる。以前みたいに体がこわばることもなくただぼんやりとその姿を見ていれば、素早く腕を取られて体を起こされた。そして銃声がしたかと思えばそれを弾く音。
ハルタさんが私へと剣を向けた。雨に濡れて髪が乱れたイゾウさんはじいっとこちらを見ていた。その目が鋭くて、まるで敵に向けるような目だったから聞かないほうがいいんだろうなと思ったけど、ハルタさんが私を斬る前に、私が耳をふさぐ前にその言葉は放たれた。
「帰るのは勝手だ。だが、お前は帰るために俺の『家族』の手を汚れさせんのかい?」
大きな音。弾いたのは全てだ。
全身に熱が廻り、ぐっとお腹が熱くなった。どうして、と思ってしまった。どうしてこんなに帰りたいと思っているのに引き留めるのだと、怒っていた。
でも、そうだ。言わなきゃ伝わるわけがないのだ。
血を使うと見た夢は、いつも一定のリズムで電子音が聞こえていた。
私はあの音を知っている。あの清潔な匂いも。あの白い空間も。
帰りたい、その理由は。
「私は帰らないといけないんです。だって、」
お父さんが――。
ハルタさんが名前を叫んだ気がしたけど、雨が強くなってよく聞こえなかった。
どうせ追いかけられても弾いてしまえるだろうから歩いても良かったのだけど、私は全力で島の、町の方へと走った。
船から見ても大きな島だったから、街走れば海賊ぐらいいるだろうと思った。でも、どうやらこの島はとても平和なようで、栄えている街の人たちはみんな優しくて傘もささずにびしょ濡れで歩く私にたくさんの人が親切心で声をかけてくれるだけだった。
「なんで……」
今なら死ぬことも恐れないと言うのに。早く帰らないといけないのに。なんで誰も殺してくれないの、と言ってもやっぱり悪いのは自分で死ねない私だろうか。
みっともなくぼろぼろ泣きながら軒下で膝を抱えていれば低い声が振ってきて、顔を上げれば、雨の中白いコートを揺らす男の人が立っていた。
「……お前は」
額から顔を斜めに横断する傷のある強面。咥えた葉巻は雨で湿気てしまったのか煙は出ていなかった。