24.それは考えた最善の答え
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは考えた最善の答え
一定のリズムでなる電子音と、布擦れの音。匂いはしない。
小さな部屋で、父が私を胡坐の上にのせて本を読んでくれている。
ああ、懐かしい。子どものころはよくそうやって本を読んでもらったのだ。
『――そうして男は静かに涙を流したとさ』
『ねえ、お父さん。つづきはー?』
『はは。ユリト、この話はこれで終わりだよ。続きはないんだ』
『そんなはずないよ。だって、』
だって――。
あの時私はなんて言ったんだっけ。覚えているのは驚いたような父の顔と、そのあとの笑い声だけだ。
*
イゾウさんのいない一日目の終わりにはナースさんから手紙が届いているわよ、と封筒を貰った。明るい黄色の封筒に、見たことがある海賊のマークの封蝋が垂らされているそれはローさんからの手紙だった。綺麗な筆記体で書かれていて、名前はかろうじて読み取れたけど、中の文章は読めなかった。英語は難しい……さらに筆記体だから読めないことの方が多いのだ。
その夜の夢は覚えていない。でも相変わらず、一定のリズムでなる電子音はしていた気がする。
二日目。ナースさんに服装を遊ばれて、逃げ込んだのはマルコさんのところ。たまたまマルコさんが居ただけなのだけれど、露出が高い服を着せられていた私に、シャツを貸してくれた。でも、マルコさんはいつもシャツ一枚しか着てないからそれを脱ぐと半裸だ。
いや、エースで見慣れていると言ったらそうだし、着ていても前を空けているのだからそう変わらないと言われてしまえばそうなのだけど、なんか色気がすごくて逃げてしまった。ごめんなさい。
着替えたそのままマルコさんに頼まれていた書類に取り組んでいれば、ハルタさんがやってきて頼んだら手紙を読んでくれた。ローさんからの手紙は、私の血についてだった。ハルタさんは眉を顰めてどこかに行ってしまった。私は手紙を仰ぎ見て、丁寧にポシェットにしまった。
それから甲板に出たら、クルーのみんなに敗れた衣服を頼まれたので受け取った。ナースさんに頼むと料金が発生するのだと聞いて、ちょっとだけ頬が引きつったのは秘密だ。いや、まあ、ナースさん忙しいもんね……手数料ぐらい……いや、うん。
それからマルコさんに言われてサッチさんのところに行ったけれど特に手伝うことはない、と言われてしまったからほつれているスカーフだけ受け取って、ナースさんたちの部屋にこもった。裁縫道具といらなくなった毛糸とかを貰って服を縫ったり、ミサンガを編んだりした。
その夜はなんだか眠れなくて、そのまま結局夜通し裁縫と手芸をした。寝ると決まって電子音が聞こえて気持ち悪かった。
三日目は、8番隊。ナミュールさんの隊の鍛錬を見させてもらった。海に潜ったら彼らの領域らしく、水の中でも呼吸ができるから全く上がって来なくてすごいなと思った。たまにナミュールさんが「気を付けろよ」と声をかけてくれて、その一呼吸後には必ず大きな魚が甲板に上がった。食糧確保をしながら鍛錬と言う意味が分かったのはそれでだ。魚が上がる時以外は特に気を付けることはなにもないので、ミサンガを編みながらナミュールさんと話した。
やっぱりこっちの世界でも差別や偏見はあるらしいことを知って、どの世界でも人は人だなあなんて。確かに魚人族、なんてものは私の世界にはいなかったけれど気持ち悪いとは思わなかった。「そういうもの」なのだ。何を拒絶すると言うのか。仮に気持ち悪いと思うのなら関わらなければいい話で、差別をする必要はない。そうっと自分が許せる距離を取ればいいのだ。好きでも嫌いでもいい距離を。どちらも楽な距離を。
そうやって嫌いな人には関わらなければいいのになぜか積極的に関わりに行く馬鹿はよほどの物好きか、馬鹿だと思う。ビスタさんが「優しいな」と言ってくれたけど、内心はこれほどまでに悪態を付いていることがあるからうなずきがたい。
寝不足のせいかうっかり口を滑らせた。笑ってごまかしたつもりだけれど、ごまかせていただろうか。綺麗なドライフラワーは崩してしまわないよう後でイゾウさんの部屋の方に置かせてもらおうと思った。イゾウさんの部屋は物が少ない。机周りは書類や本で散らかっているけど、その周辺以外は殺風景だから少しぐらい飾っても構わないだろう。
迷子の私を「水の中なら手を引いてやる」とナミュールさんは言ってくれた。差し出された小指に絡ませるのを躊躇したのは浅ましい自分がいるから。水の中でも手を引くのは今はいないあの人がいいなあと一瞬でも思ってしまったから頭を抱えそうだった。
分かってる。私はあの人が好きだ。でも。
「……ト……ユリト!!」
「っすみません……」
その日の夜はうなされていたらしく、ナースさんたちに揺り起こされた。息が切れて苦しくて、落ち着けようとしてくれるナースさんたちは嬉しかったけど、女性らしい花のような匂いに酔いそうで、知った匂いを忘れてしまいそうで怖くて。結局その日は部屋の隅で書類や裁縫をして夜を明かした。
「今日はいいよい。少し寝ろ」
四日目の昼間の手伝いはマルコさんにそう言われてしまったからなくなった。どうしようと考えて、眠さは正直だったからお言葉に甘えて少し寝ようと思って。でも、ナースさんの部屋では眠れないと分かったから少し考えて、船の後ろ、船尾の方なら邪魔にならないだろうと考えた。
忘れそうな匂いがまだかろうじてするイゾウさんにもらった羽織を着て甲板に出ればハルタさんが立っていた。私の顔を見てちょっと変な顔をして、溜息をついた後に「樽のとこなら邪魔にならないと思うよ」と声をかけてくれた。かしゃんと鳴ったハルタさんが腰に差した剣に思わず目を落としたら、犬を撫でるかのように髪の毛を乱された。
「覚えてる。し、僕はできないことは言わない」
「はい……」
「君が望む限り僕は守る」
「……はい」
確認するように落とされる言葉にうなずきながら、髪を乱す手をすがるように握って止めれば、また溜息を落とされた。うっと息を詰まらせれば、手の甲を指先で撫でられた。
猫のような目がじいっとこちらを見て、それから茶色の髪がさらりと揺れた。手を離されて顔の方に伸ばされる。叩かれるのかとぎゅうっと目をつぶったら、そうっと瞼に落ちたのは低い温度。驚いて目を開ければ「おやすみ」とだけ落としてハルタさんはマストの上に上がってしまった。
しばらく呆けていたけど、今度は私が溜息を落として。おとなしく船尾の樽の間で目をつぶった。
ピ、ピ、ピ、と一定のリズムの電子音。
声が聞こえない。何も見えない。何も匂わない。でも私は知ってる。
大事なの。奪わないで。
お願いだから、そっちに行かせて。顔を見せて。
時間に限りがあるなんて知っている。
でも、だからできるだけそばにいたいと思うのは間違いなの?
『――お父さん』
帰って来なくていいなんて言わないで。
伸ばした手は熱い手の平に包まれた。
「なら、一緒に寝ようぜ」
違う、と思ってしまった。だから涙が込み上げた。
ちょっと不満げな顔なのに、エースはそう言ってテンガロンハットをかぶせてくれるから少し笑ってしまった。一言二言会話をしたと思う。熱いほどの体温がじわじわと体を温めてくれているようで、少しだけ呼吸が楽だった。まだ覚めない眠気に誘われるまま落とした意識。二度目の眠りで夢は見なかった。
五日目。サッチさんにイゾウさんの部屋を使えばいいと言われた。少し迷ったけれど、推しに負けてうなずいた。
サッチさんの話の中に、イゾウさんの部屋に入った人はバレると言う話があって、たぶんそれは匂いだろうなと思った。部屋に香を焚いているのか、イゾウさんの部屋はうっすらだが白檀の匂いがするのだ。それが移って匂いがすることがあるのだろう。本当にうっすらだからそのあとお風呂に入るとか、鍛錬で海風に当たったりしたら取れてしまうから当たるのは8割と言ったところなのだろう。
その夜。
エースがイゾウさんの部屋まで送ってくれた。隣の部屋で寝るから、何かあったら声かけろと言われて少し申し訳なかったけれど、お言葉に甘えた。
サッチさんがホットミルクを入れてくれて、それを飲んでから布団に入った。イゾウさんが使っている方の布団。一人なのに勝手に使うのは申し訳ない気がしたけど、何となくそっちがいいと思って。ゆっくりと呼吸をして、白檀の匂いを命一杯吸い込むと不思議と心が落ち着いてすとんと眠りに落ちた。
一定のリズムでなる電子音と、布擦れの音。匂いはしない。
小さな部屋で、父が私を胡坐の上にのせて本を読んでくれている。
ああ、懐かしい。子どものころはよくそうやって本を読んでもらったのだ。
『――そうして男は静かに涙を流したとさ』
『ねえ、お父さん。つづきはー?』
『はは。ユリト、この話はこれで終わりだよ。続きはないんだ』
『そんなはずないよ。だって、』
だって――。
あの時私はなんて言ったんだっけ。覚えているのは驚いたような父の顔と、そのあとの笑い声だけだ。
*
イゾウさんのいない一日目の終わりにはナースさんから手紙が届いているわよ、と封筒を貰った。明るい黄色の封筒に、見たことがある海賊のマークの封蝋が垂らされているそれはローさんからの手紙だった。綺麗な筆記体で書かれていて、名前はかろうじて読み取れたけど、中の文章は読めなかった。英語は難しい……さらに筆記体だから読めないことの方が多いのだ。
その夜の夢は覚えていない。でも相変わらず、一定のリズムでなる電子音はしていた気がする。
二日目。ナースさんに服装を遊ばれて、逃げ込んだのはマルコさんのところ。たまたまマルコさんが居ただけなのだけれど、露出が高い服を着せられていた私に、シャツを貸してくれた。でも、マルコさんはいつもシャツ一枚しか着てないからそれを脱ぐと半裸だ。
いや、エースで見慣れていると言ったらそうだし、着ていても前を空けているのだからそう変わらないと言われてしまえばそうなのだけど、なんか色気がすごくて逃げてしまった。ごめんなさい。
着替えたそのままマルコさんに頼まれていた書類に取り組んでいれば、ハルタさんがやってきて頼んだら手紙を読んでくれた。ローさんからの手紙は、私の血についてだった。ハルタさんは眉を顰めてどこかに行ってしまった。私は手紙を仰ぎ見て、丁寧にポシェットにしまった。
それから甲板に出たら、クルーのみんなに敗れた衣服を頼まれたので受け取った。ナースさんに頼むと料金が発生するのだと聞いて、ちょっとだけ頬が引きつったのは秘密だ。いや、まあ、ナースさん忙しいもんね……手数料ぐらい……いや、うん。
それからマルコさんに言われてサッチさんのところに行ったけれど特に手伝うことはない、と言われてしまったからほつれているスカーフだけ受け取って、ナースさんたちの部屋にこもった。裁縫道具といらなくなった毛糸とかを貰って服を縫ったり、ミサンガを編んだりした。
その夜はなんだか眠れなくて、そのまま結局夜通し裁縫と手芸をした。寝ると決まって電子音が聞こえて気持ち悪かった。
三日目は、8番隊。ナミュールさんの隊の鍛錬を見させてもらった。海に潜ったら彼らの領域らしく、水の中でも呼吸ができるから全く上がって来なくてすごいなと思った。たまにナミュールさんが「気を付けろよ」と声をかけてくれて、その一呼吸後には必ず大きな魚が甲板に上がった。食糧確保をしながら鍛錬と言う意味が分かったのはそれでだ。魚が上がる時以外は特に気を付けることはなにもないので、ミサンガを編みながらナミュールさんと話した。
やっぱりこっちの世界でも差別や偏見はあるらしいことを知って、どの世界でも人は人だなあなんて。確かに魚人族、なんてものは私の世界にはいなかったけれど気持ち悪いとは思わなかった。「そういうもの」なのだ。何を拒絶すると言うのか。仮に気持ち悪いと思うのなら関わらなければいい話で、差別をする必要はない。そうっと自分が許せる距離を取ればいいのだ。好きでも嫌いでもいい距離を。どちらも楽な距離を。
そうやって嫌いな人には関わらなければいいのになぜか積極的に関わりに行く馬鹿はよほどの物好きか、馬鹿だと思う。ビスタさんが「優しいな」と言ってくれたけど、内心はこれほどまでに悪態を付いていることがあるからうなずきがたい。
寝不足のせいかうっかり口を滑らせた。笑ってごまかしたつもりだけれど、ごまかせていただろうか。綺麗なドライフラワーは崩してしまわないよう後でイゾウさんの部屋の方に置かせてもらおうと思った。イゾウさんの部屋は物が少ない。机周りは書類や本で散らかっているけど、その周辺以外は殺風景だから少しぐらい飾っても構わないだろう。
迷子の私を「水の中なら手を引いてやる」とナミュールさんは言ってくれた。差し出された小指に絡ませるのを躊躇したのは浅ましい自分がいるから。水の中でも手を引くのは今はいないあの人がいいなあと一瞬でも思ってしまったから頭を抱えそうだった。
分かってる。私はあの人が好きだ。でも。
「……ト……ユリト!!」
「っすみません……」
その日の夜はうなされていたらしく、ナースさんたちに揺り起こされた。息が切れて苦しくて、落ち着けようとしてくれるナースさんたちは嬉しかったけど、女性らしい花のような匂いに酔いそうで、知った匂いを忘れてしまいそうで怖くて。結局その日は部屋の隅で書類や裁縫をして夜を明かした。
「今日はいいよい。少し寝ろ」
四日目の昼間の手伝いはマルコさんにそう言われてしまったからなくなった。どうしようと考えて、眠さは正直だったからお言葉に甘えて少し寝ようと思って。でも、ナースさんの部屋では眠れないと分かったから少し考えて、船の後ろ、船尾の方なら邪魔にならないだろうと考えた。
忘れそうな匂いがまだかろうじてするイゾウさんにもらった羽織を着て甲板に出ればハルタさんが立っていた。私の顔を見てちょっと変な顔をして、溜息をついた後に「樽のとこなら邪魔にならないと思うよ」と声をかけてくれた。かしゃんと鳴ったハルタさんが腰に差した剣に思わず目を落としたら、犬を撫でるかのように髪の毛を乱された。
「覚えてる。し、僕はできないことは言わない」
「はい……」
「君が望む限り僕は守る」
「……はい」
確認するように落とされる言葉にうなずきながら、髪を乱す手をすがるように握って止めれば、また溜息を落とされた。うっと息を詰まらせれば、手の甲を指先で撫でられた。
猫のような目がじいっとこちらを見て、それから茶色の髪がさらりと揺れた。手を離されて顔の方に伸ばされる。叩かれるのかとぎゅうっと目をつぶったら、そうっと瞼に落ちたのは低い温度。驚いて目を開ければ「おやすみ」とだけ落としてハルタさんはマストの上に上がってしまった。
しばらく呆けていたけど、今度は私が溜息を落として。おとなしく船尾の樽の間で目をつぶった。
ピ、ピ、ピ、と一定のリズムの電子音。
声が聞こえない。何も見えない。何も匂わない。でも私は知ってる。
大事なの。奪わないで。
お願いだから、そっちに行かせて。顔を見せて。
時間に限りがあるなんて知っている。
でも、だからできるだけそばにいたいと思うのは間違いなの?
『――お父さん』
帰って来なくていいなんて言わないで。
伸ばした手は熱い手の平に包まれた。
「なら、一緒に寝ようぜ」
違う、と思ってしまった。だから涙が込み上げた。
ちょっと不満げな顔なのに、エースはそう言ってテンガロンハットをかぶせてくれるから少し笑ってしまった。一言二言会話をしたと思う。熱いほどの体温がじわじわと体を温めてくれているようで、少しだけ呼吸が楽だった。まだ覚めない眠気に誘われるまま落とした意識。二度目の眠りで夢は見なかった。
五日目。サッチさんにイゾウさんの部屋を使えばいいと言われた。少し迷ったけれど、推しに負けてうなずいた。
サッチさんの話の中に、イゾウさんの部屋に入った人はバレると言う話があって、たぶんそれは匂いだろうなと思った。部屋に香を焚いているのか、イゾウさんの部屋はうっすらだが白檀の匂いがするのだ。それが移って匂いがすることがあるのだろう。本当にうっすらだからそのあとお風呂に入るとか、鍛錬で海風に当たったりしたら取れてしまうから当たるのは8割と言ったところなのだろう。
その夜。
エースがイゾウさんの部屋まで送ってくれた。隣の部屋で寝るから、何かあったら声かけろと言われて少し申し訳なかったけれど、お言葉に甘えた。
サッチさんがホットミルクを入れてくれて、それを飲んでから布団に入った。イゾウさんが使っている方の布団。一人なのに勝手に使うのは申し訳ない気がしたけど、何となくそっちがいいと思って。ゆっくりと呼吸をして、白檀の匂いを命一杯吸い込むと不思議と心が落ち着いてすとんと眠りに落ちた。