希望的観測
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「いらっしゃいませ」
ベルの音に反応してそう声をかけると、いつもの一人、見慣れない顔を発見した。
「ぼたんちゃんのお友達?」
「はい、クラスメイトの水谷くんです」
ぼたんの隣に立つ男の子は水谷くんというらしい。なんだか恐ろしいほど睨まれているのは気のせいだろうか。
「水谷くん、こちらが安室さん」
「…どうも」
「はじめまして、安室透といいます。ゆっくりしていってくださいね」
にっこりと水谷くんとやらに笑いかけても、水谷くんははあ、と返事なのかもよくわからない声を漏らすと、ぷい、と視線を背けてしまった。
「ちょっと、安室さんに失礼でしょ」
隣のぼたんちゃんがそう言って水谷くんを注意するも、水谷くんの態度は変わらないままだ。なんとなく、察した。
「お好きな席にどうぞ」
そう一言案内すると、ぼたんちゃんはいつもの席に腰を掛ける。水谷くんはぼたんちゃんの後を追うように隣に腰かけた。周りをキョロキョロと見渡して落ち着かない様子だ。普通の中学生の反応だろう。
「今日は何にする?」
メニューを片手に持ちながらぼたんちゃんにそう尋ねると
「いつもの!」
何も見ないでそう言ったぼたんちゃんに、俺よりも隣の水谷くんが驚いている。
「あ、ごめんなさい安室さん。水谷くんが決まってないみたい」
メニュー見せてあげてもらえる?
と、いつにもまして優しい微笑みを浮かべるぼたんちゃんに違和感を覚える。なんというか、わざとらしい。
「ああ、すみません」
そう言って水谷くんにメニューを渡しても、水谷くんは変わらず困った表情をしている。
「はい、かしこまりました。
ぼたんちゃんはいつも通りマンデリンにミルク一つだね
水谷くんはどうする?」
戸惑う水谷くんにくすりと笑って助け船を出してやることにする
「あ、じゃあ俺もそれで」
水谷くんはほっ、という効果音が付きそうなほど安心した顔をしてそう言った。ああ、中学生ってこんなにかわいらしかったっけ。なんだか自分の年齢をひしひしと感じてしまう。俺にもこんなにかわいらしい時期があったのかな。
「かしこまりました。少々お待ちください」
「あ、安室さん」
注文された商品を準備するためにカウンターに戻ろうとすると、ふとぼたんちゃんが声をかけてきたので振り返る。
「なんでしょう」
「おいしいコーヒー、よろしくね?」
ぼたんちゃんの言葉にすべてを理解する。
「はい、少々お時間頂きますがよろしいですか?」
「ええ、水谷くんとお話してるから大丈夫」
「かしこまりました」
そう言って俺は厨房に向かう。きっとぼたんちゃんは水谷くんがブラックコーヒーなど飲めないことはお見通しなのだろう。しかも深い苦みが特徴的なマンデリンだ。ぼたんちゃんは「この香りがたまらないの」なんて言っていつも好んで注文しているが、この店の常連でも頼む人は少ないかもしれない。"どうせ訳も分からず頼んだであろう水谷くんの口に合うコーヒーを"彼女のさっきの言葉と視線にはそんな意味が含まれていた。
飲みやすいコーヒーをブレンドして焙煎し始める。俺もすっかりバリスタだな、なんて思いながら、必死に会話を続けようとする水谷くんの姿を眺める。
「若いっていいなあ」
なんてつぶやけば、近くでパフェを作っていた梓さんに何事かと驚かれる。青春のすばらしさを再確認してました。なんてコーヒーをドリップしながら言えば、梓さんも何かを察したようにそうですね、と返事をしてくれた。
「おまたせしました」
少ししてから、淹れたてのコーヒーを二つ、カウンター席に持っていく。
「ありがとう、安室さん。ちゃんと愛情込めてくれた?」
なんて茶化したように視線で再確認してくるぼたんちゃん。
「ええ、たっぷりこもってますよ」
ちゃんと伝わっている、その意味を込めてにこりを微笑むと、隣に座っていた水谷くんがまたぎろりと睨みつけてきた。
「ありがとう」
そんなやりとりに気付いているだろうに気づかないフリをするぼたんちゃんは、一言俺にそう言うと受け取ったコーヒーカップを口に運んだ。ぼたんちゃんの姿を見て、真似をするようにコーヒーを口にいれる水谷くん。その表情は明らかに何かを我慢するかのように強張っている。
「うん、今日もおいしい!ねえ、水谷くん?」
ぼたんちゃんが水谷くんの方を向いて尋ねると、水谷くんは心底驚いたように
「うん、おいしい……?」
と、思わず吹き出してしまいそうになるくらい間抜けな顔でそう言った。
「うふふ、よかった」
ぼたんちゃんはそう言ってにこりと微笑むと、俺の方に視線を向けて、ぱちりとウィンクをした。どうやらかなりのコーヒー好きであるこの子は、この隣の男の子が、コーヒを目当てにここに来てないことなど分かり切ったうえで、それでもおいしいコーヒーを飲んでもらいたくてこんな頼み事をしてきたのだと思う。まさか、男に恥をかかせないために、なんてただの中学生が思いつくはずもない、
「まあ、ぼたんちゃんならやりかねないか」
ちなみに、コーヒーを飲み切った水谷くんは、苦手なピーマンが食べれるようになった小学生のようなキラキラした笑顔で店を出ていった。