それは俺が８つのときにまで遡る。
当時、イギリスに住んでいた俺の家に、家庭教師がやってきた。

特に成績に困っていた覚えはないが、
しきりに授業を抜け出す、と学校から聞いていたらしい母親が
心配で雇ったのだという。
今思うと、今後のことを考えて日本語を勉強させたいという狙いもあったのかもしれない。

「はじめまして、ゆきっていいます。よろしくね？」

それが、俺とゆきさんの出会いだった。

なんでも、イギリスで家政婦として働いていたゆきさんは
俺の母さんが運転する車に轢かれて、足の骨が折れる重症だったという。
車に轢かれてそれだけで済むというのは
かなり幸運だが、足が使えなくなってしまったため、
家政婦の仕事をクビになったのだという。
それならちょうどいいわ、
と言って俺の家庭教師に雇われたというゆきさん。

「なんだか、すいませんうちの母が」

自信満々に家庭教師を連れてきたぞ！
なんて言っていたが、こちらとしては申し訳なさでいっぱいである。

「いいのいいの、気にしないで、
えっと…秀一くん、秀ちゃんでいいかしら」

ゆきさんは今と全く変わらない優しい笑顔で
俺にそう尋ねた。

「ええ、構いません」

「ふふ、ありがとう
ところで、秀ちゃんは苦手な科目とかってあるの？」

「いえ、特には」

「あら、優秀なのね」

特に驚くこともなくゆきさんはのほほんと笑うばかりだった。
普通、勉強を教えるために来ている子供にそんなことを言われたら
少しはうろたえそうなものだが。

「そうね、じゃあ学校の授業をちょっと復習しつつ、
お話でもしてましょうか」

それでいいのかと疑問に思ったのは最初だけで、
ゆきさんは俺が語学に興味があると聞くと、日本語、スペイン語、フランス語、中国語と何か国語でも興味のある分野について教えてくれた。

ゆきさんの教え方は、それはもう上手だった。
教え方が上手というよりかは、小学生の俺にでも
興味を持って聞けるように話をするのがとても上手だった。
いつしか毎回家庭教師の時間が楽しみになっていた。

「よし！じゃあ今日はここまで！…やっぱり飲み込みが早いわね」

「いえ、ゆきさんがわかりやすく教えてくださるからです」

「ふふふっ、お上手ね」

そうやって優しく微笑む彼女に
恋に落ちるのにはそう時間はかからなかった。