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California
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あれから雨が降るたびに、少女は別人のようにしん、とソファに腰掛けて毎度違う色の表紙を抱えていた。
その日の俺は、ソファから微動だにしない少女の背中をじっと見つめて一日を終える。窓を叩く雨の音と、ページを捲る紙の音だけが部屋中に響き渡る。少女の様子の変わり様に多少驚きはしたが、なんというか、俺はこの穏やかな沈黙の時間が、案外嫌いじゃなかった。
こうして無音の時間を繰り返すたびに気づいたことがある。
雨が降る日は、なぜだか、とても静かだ。
それは少女の部屋だけではなく、この屋敷全体が、なぜだかしんとしている。大荷物を忙しなく運ぶメイドも、家主を尋ねて訪れる客人でさえ、雨の日は皆内緒話をするかのように声を潜めて過ごしていた。
まるで、何か大きな隠し事をしているかのように。
「やっぱり緑の方がいいと思うんだけど」
どう、と少女は表情を変えないまま少しだけ首を傾げて俺を見上げる。俺の返事を待つこともなく、少女はメイドとああでもないこうでもないと俺のネクタイを選んでいる。
俺の、ネクタイを、選んでいる。
「贈り物をしてもらえるのか?」
口の端を上げて、目の前の彼女の耳元で囁く。
少女は眉一つ動かさずにぐい、と俺の顔を押しのけて、
「パーティーに行くから支度して」
とだけ言って俺の胸に礼服を押し付けてくるりと背を向けると、自分のドレスを選び始める。
「……説明を求めても?」
「却下、早く着替えて」
少女は背を向けたままぴしゃりとそう言って、またああでもないこうでもないとメイドとドレス選びを続けている。あたりを見渡してみれば俺の斜め後ろでメイドが早くしろと目線でありありと語ってくる。
はあ、と観念して俺は先ほど押し付けられた礼服と、羽織っていた上着を順番に手渡していく。この"クソガキ"に筋の通った説明ができないことなど、今に始まったことではない、と思い直しながら。
「ま、いいんじゃない?」
結局緑にしたらしかった俺のネクタイの色に合わせたのか、深緑色のドレスを身にまとった少女が、煌びやかに彩られた瞼を上げちらりとこちらに目線を寄越してそう言う。少女はその長い髪をメイドに預けて艶やかな黒を結い上げている。事前に聞いていた情報では、少女は今年で19歳になる"クソガキ"であるが、馬子にも衣装とでもいうのだろう。全身丁寧に磨き上げられている少女は、ひとたび社交界に赴けば注目の的になるであろうことは予想にたやすい。まあつまり、
「綺麗なもんだな、驚いた。」
思わず口から零れ出る。残念ながら、本心だった。
俺の言葉に少女は面食らったようにきょとんとしてから、ふわりと眉を下げて、笑った。いつもの高飛車で気の強い高笑いでも、瞳の奥の色が見えない張り付けた作り笑いでも、メイドにひそひそと話をする口の端を吊り上げた意地悪そうな笑いでもなく、少し困ったように、優しく、微笑んだ。
「あ、そう。」
無関心で淡泊な言葉。それ自体はいつもとなんら変わりはしないはずなのに、やけに優しく聞こえた気がしたのは勘違いではないだろう。
陽が沈み、街の夕焼けを段々と闇夜が包み込みはじめた頃、会場に到着する。助手席から降りてぐるりと後部座席に回ってドアを開ける。ドレスに合わせて統一された深緑色を基調に金の刺繍がされた踵の細いヒピンヒールが赤いカーペットに降り立つ。少女__センナ・フローレンス嬢は慣れたように俺の手を取り、待ち構えていた男たちに軽く会釈をする。凛とした佇まいと柔らかになびくドレスの裾が陳腐にも舞い踊る蝶を連想させる。
「婚約者が来ているの」
俺の腕に自らの細い腕を回して、耳元で少女は小さくそう囁く。
婚約者、もちろん知っていた。事前に送られた資料によると、少女には家同士が決めた許嫁がいる。顔までは載っていなかったが、確か5つ年上の実業家、だったはずだ。
「俺を来させる意味、あったか?」
「何言ってんの、護衛でしょ」
「……エスコートなんざ、婚約者殿に頼め」
そうすればわざわざ堅苦しい恰好なんてしなくて済んだのに、と悪態をつけば、少女はいやよ、と即答する。どうやら少女自身は婚約に乗り気ではないらしい。きゅ、と腕に回す力が少し強まった。
「センナ」
背後から誰かに呼ばれる声がして振り向けば、そこには柔和な物腰で紺色のスリーピーススーツに身を包んだ青年がこちらを見つけて駆け寄ってきているのが見えた。
「婚約者のジョン・グリン」
組んでいた腕をほどき青年に向かって控えめに手を振りながら、少女はその柔らかな表情とは裏腹に冷たい声でぽつりと言い放つ。
「優しそうな男でいいじゃないか」
「黙って」
特に揶揄ったつもりもなかったが、少女は一瞬だけ俺の方を睨み付けてそう返す。ごめんね、待たせちゃって。綺麗なドレス似合っているよ、なんてはにかみながら少女の腰に手を回す青年は、誰がどう見ても好青年だと、思う。が、少女にはどうやらお気に召さないらしい。
「お付きの方もありがとう、あとは僕が」
言外に、というかわりとストレートに、とっとと立ち去れと言われた気がする。まあ婚約者である女が自分を差し置いて他の男にエスコートされて来れば誰だってそういう態度になるだろう。これは青年というよりも"クソガキ"が悪い。
肩をすくめて首を軽く横に振ってから、彼らの元から離れる。
少女自身も相当立ち回りにには慣れているだろうから、警護するだけなら、常に隣にいる必要はない。そう思って会場の隅に適当にもたれ掛かって時間を潰す。何度か声をかけてくる女がいたので、適当に返事をしてやり過ごす。仕事中に女を口説こうとするほど女に困っている覚えはない。と、いうか付き合っている女はいる、一応。
仕事の関係者だろうか、少女は代わる代わる羽振りの良さそうな紳士や、厚化粧で塗り固められたマダム達と談笑を続けている。のを、俺はウェイターが運んできたシャンパン片手に眺める。グラスが空いたので、次はカクテルでも頼もうかと思っていた矢先だった。
「あの"クソガキ"、どこに行きやがった」
忽然と、少女が姿を消したのである。