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逍遥日記

赤穂城

2012/06/17 04:08
旅行
前日土砂降りだったので雨が降るかも…と思っていましたが、意外にも晴れて暑い中、赤穂城に行って参りましたぁ☆\(^-^)/

 まさかの日帰りで大阪~赤穂です(^^)d
 遠距離なので切符も大きいのになりました。

 赤穂と聞けばイコールで『忠臣蔵か?』と言われそうですが、すいません。正直、私は忠臣蔵にはあまり興味がありません(;^_^A
 私が見たかったのは縄張りです。特に三の丸や二ノ丸の。
 赤穂城は元和偃武後に浅野家が入城した際に、それまであった一重の堀に囲まれた質素な掻上城を大改築と言うか本格築城して築いたと言う珍しい城郭です。
 縄張りの分類では変形輪郭式。本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれています。
 戦国時代或いは安土桃山時代、江戸初期とは異なり大砲が普及してから築かれた城なので、大砲を交えた銃砲撃戦を意識した設計で、十字砲火を可能にする為に綺麗に四角くないのでちょっと不格好な形になってますねぇ。

 で! まあ、言うまでも無いのかも知れませんし、言うのが野暮なのかもしれませんし、何よりも事前に知識としては知っていたのですが……この赤穂城、五万石の浅野氏には分不相応な広壮さですよね(;^_^A
 そりゃあ、財政難に陥るでしょ。だって、

 この縄張りの広さ(ちなみに天守台よりの本丸)、言っちゃあ悪いが、赤穂の浅野様はぜってぇ民想いじゃなかっただろ(笑)

 その上、計画通りにここに5層の天守まで建ててたら、きっと浅野の殿様は忠臣蔵じゃなくて悪政で有名になってたんじゃないでしょうか。

 赤穂城でもう一つ有名なのが千種川から敷いた上水道。『日本三大上水道の一つに数えられていて、城内のみならず城下各戸にも給水されていた』と言われているようにこれは確かに凄かったです。
 まあ、最初に整備したのは浅野の殿様じゃなくてそれ以前の池田様だからやっぱり浅野の殿様は民想いじゃないじゃん!……と一々いちゃもんをつけたくなりますが、それにしてもこの赤穂の上水道整備を本当に凄かったです。

 それにしてもこの赤穂城と言い、昨春に行った丸亀城と言い、江戸時代に入ってから本格的に築城されたり、大改修された城はどうしてこうも分不相応に大きい城になるかな……(´-ω-`)
 あれか、江戸時代の殿様は平和ボケしていたから華美なのか?それとも軍学者や築城の名手が関わるのが悪いのか?奴等は経費とか財政とか考えないのか?(-.-)

 やはりと言うべきか彦根城より疲れました。往復に時間がかかりすぎましたねf(^_^;
 後から知ったのですが、普通に電車を使うよりも姫路まで新幹線を使った方が早いし安かったらしいです。アイタタ…この出費は痛い(>_<)

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