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呪術 1
※五条、夏油が高2、夢主は3歳。歳の差が激しいので注意。
「……うへ。なにこれ」
「それを調べるのが私たちの仕事だろう」
五条の態度は、今日の任務の目的地を見るなり、ひどいものになった。夏油はそれをいさめるが、それではいそうですかと態度を改める五条ではない。夏油は肩をすくめ、目的地の門をくぐった。
そこは、何らかの理由で親を失った子どもたちを保護する養育施設だった。10年前に前施設長の代に建てられ、つい1年前に建て替えをしたようである。子どもの数は20人程度。子どもたちの世話をする大人の人数も十分で、不足ない施設だと夏油は思ったのだが。施設の奥のほうから、ゆらゆらと黒いもやが立ちのぼっている。
淡い黄色の玄関をくぐったとたん、夏油と五条は身構えた。どろり、としたヘドロのようなものにまとわりつかれる感覚。呪霊と似たような感触だ。夏油は依頼者である現施設長への挨拶もそこそこに、現場へ案内してもらった。
「半年前、駅に捨てられていたのを保護したんですけどねえ」
廊下の壁も、淡い黄色だった。ピンクのウサギや水色のゾウのキャラクターが貼られていて、にぎやかである。しかし、一歩一歩進むごとに、ヘドロは深く重くなる。態度の悪い五条はもう放っておくことにして、夏油は施設長の説明に頷いた。
「少し友だちとのトラブルがあったようで、それ以来奥の部屋にこもりきりになっちゃって」
「1日中ですか? 食事は?」
「ちゃんと3食、部屋まで運んでますよ。空の食器になって戻ってくるんですから」
「姿は? 見ていないんですか?」
「見ようったって、こっちから扉が開かないから来てもらったんじゃないですか」
施設長は、そんなこと聞かれても知らん、というふうに不機嫌な表情になった。
施設の奥の部屋にたどり着くと、そこの扉からどろどろと黒いもやがあふれ出しているのが、夏油と五条には見えた。施設長は気味悪がってそれ以上近づきたがらなかったので、夏油は彼女に人払いを頼んだ。施設長は、これ幸いとばかりにその場をすたこらと離れた。
「呪霊の子を拾ったって線はなさそうだな」
「ああ。人の気配がする」
施設長がいなくなって、少し五条は晴れ晴れとした表情になった。夏油は小型の呪霊を呼び出して偵察に行かせようとしたが、扉に近づくと、カゲロウ型の小型呪霊は掻き消えた。
「悟、見えたか」
「多分カエルかなんかの舌」
五条は手をかざし、扉とその外枠を破壊した。ごしゃ、とおよそ木が壊れたとは思えないような音を立てて、扉があった場所に、それの形の穴が開く。
その奥に見えたのは、床上30cmほどまであるどろどろとしたヘドロだった。そのヘドロからは、しゅうしゅうと黒いもやが立ち上っている。外から見えた、あのもやだ。ヘドロは扉より外には出てこず、まるで水槽の中の水が揺蕩うように、とぷりとぷりと波打った。
「中に子どもがいるんだから、めったやたらに術式をうつな」
「こんだけほっとかれてんなら食われてると思うけど」
五条のコメントを聞かなかったかのように、夏油は滑らかな動きで呪霊を呼び出した。人の上半身ほどの大きさの球体に、仮面の顔がついている呪霊だ。球体は宙を浮き、鋼色につやびかりしている。夏油はその呪霊を従え、肉が残る人骨を目撃することにならないように祈りながら、中に足を踏み入れた。五条も悠々とそれについていく。
部屋は、ごくごく小さな子ども部屋だった。入口から近い順に、勉強机が2つ、タンスが1つ、2段ベッドが1つ。2段ベッドの下の段から、滝のようにヘドロが流れ落ちている。そして、そのベッドの上には、大小さまざまな呪霊がうごめいていて、その中心に、子どもがいた。うつろな目でこちらを見てくる。真っ黒な目だ。夏油はその様子に違和感を覚えながらも、子どもが無傷なのに安心する。
夏油はその場でゆっくりかがむと、子どもに視線を合わせた。五条にもかがむように言うと、五条はヘドロにつかるのを嫌がりながら、しぶしぶ言うことを聞いた。五条がここまで夏油の言うことを聞くのは珍しい。五条は子どもの相手が得意ではないのだ。夏油はそう思うことにした。
「君を助けにきたんだ。こっちへおいで」
夏油はベッドのほうに近づこうとしたが、蛇のような呪霊がふよふよと寄ってきた。
「こわ、こ、こわ、こわ、こわこわ」
うねうねと宙で身をよじる。次の瞬間、ぱっくりと大きな口をあけたので、夏油と五条は跳びすさった。こわ、こわ、と鳴きながら、針が密集した口の中を見せつけてくる呪霊は、夏油と五条を深追いしなかった。
夏油は試しに自分の使役する球体の呪霊をけしかけた。すると蛇の呪霊の口が拡張し、そのまま球体は丸のみにされた。蛇呪霊は元の大きさに戻り、うねりながら子どものほうに帰っていくと、子どもの顔の近くにとぐろを巻いて浮遊した。かと思えば、するんと子どもの長い髪の毛の中に入っていった。子どもは身じろぎもしない。
五条は面白そうに、はは、と笑った。
「傑。おまえ妹隠してたろ」
「ふざけるのも大概にしろよ、悟」
呪霊とこんなに近くにいて、なぜ子どもに傷1つなかったのか。夏油は疑問を明確化するとともに、五条がその答えを得たことを理解した。
夏油自身の術式と似ている。
夏油は呪霊操術を扱う術師とは戦ったこともなければ、呪霊を取り合ったこともない。子どもが持っている呪霊を取り込めたら、どうなるのか。そもそも取り込めるのか。夏油にはわからない。しかし夏油の呪霊を子どもが取り込めたとしたら、夏油の術式は通じない。
「俺がやる」
いうが早いが、五条は掌印を組んだ。五条は、夏油の考えていることが分かったようだった。
手始めとばかりに、五条は掌印を子どもの背後にいるいちばん大きい呪霊に向けた。呪霊の体はその場でみしみしと音を立て、めちゃくちゃに縮小されてゆく。汚い嗚咽を上げて、呪霊はバスケットボール程度の大きさになって、ふっと掻き消えた。
五条は次々と呪霊をつぶした。子どもはまったく抵抗せず、五条のなすがままにされていた。それでも、一向に呪霊の数が減った気がしない。子どもに無下限呪術をあてないようにしている五条は非常に面倒くさそうな表情をしていた。
「ちっ。これじゃキリがねえな」
夏油は、子どもの背後を見た。五条が呪霊を祓うたび、ぬるぬると新たな呪霊が生じている。もし相手が普通の術師か呪詛師だったなら、夏油はためらいもせず本人を攻撃した。だが、目の前にいるのは子どもである。弱者をたたく趣味など夏油にはないのだ。五条はどうだか知らないが。
「っあー、めんどくせえ」
夏油があれこれ考えているうちに、とうとう五条がしびれを切らした。夏油の静止むなしく、彼が何をしたのかというと、ずるずるずる、とひたすら子どもの周りの呪霊を、無下限呪術で引き寄せたのだった。
「おい悟、」
「あの餓鬼任せた」
五条は死ぬほどめんどくさそうに言って、次々と呪霊を引き寄せる。呪霊は少なくなるどころか、その数はほとんど減らない。五条は舌打ちをしたが、夏油は無下限呪術の滅多打ちが功を奏したのを理解した。
どんどん増えてくる呪霊の出所は、子どもの髪の毛だった。子どもの髪は、いつから切られてないのだろう。平安時代の貴族女性もびっくりなほどに伸びきっていて、白いシーツに扇のように広がっている。その無造作に広がった扇面から、ぬらぬらと呪霊が立ち上っているのだ。
夏油は手元から、小さい獣型の呪霊を呼び出した。イタチの風貌をしたその呪霊は、夏油の意思に従順だった。五条は冷静にも夏油のことをよく見ており、イタチ型の呪霊を引き寄せることはしなかった。
夏油の呪霊は素早く動き、子どもの長く伸びた髪を切断した。
ばさりとシーツの上に落ちた髪の毛からは、まだ呪霊がわいてくる。夏油はもう一体、人型の呪霊を呼び出した。黒い泥のようなものを全身にまとうだけの、目も口もない人形だ。その呪霊は重そうな見た目とは裏腹に、身軽に動き、ベッドから子どもを抱き上げて夏油のほうへ連れてきた。正体のわからないその呪霊の不気味さに子どもは嫌がるかと思ったが、彼女はまったく動じなかった。短くおかっぱ頭にされても、子どもは何も言わなかったのである。夏油は子どもを受け取ると、人型呪霊を戻した。
「ごめんね」
夏油は子どもの頭をなでた。子どもは、何も反応を示さなかった。
そこで、夏油の違和感の謎が解けた。あれほど呪霊に囲まれていても、子どもに傷1つないこと。呪霊は総じて狂暴である。この子ども自身から生み出された呪霊なのならば、この少女と呪霊の間に何かしらの“縛り”があってもおかしくはない。
「傑、もういいだろ」
「ああ。子どもは保護した」
五条はもう加減しなくてよいと思ったのか、ぎゅるぎゅると容赦なく呪霊を引っ張った。建物を壊すな、という夏油の注意は果たして彼に届いたのか。ごづん、ごづん、と呪霊同士は鈍い音を立てて衝突し、蒸発するように消えていった。
先ほどと比べ、髪の毛から呪霊が生じるペースが遅くなった気がする。夏油は、この幼い術士の術式を推理した。
髪の毛か、あるいは体のほかの部分でもできるかはわからないが、自分の肉体の一部を使って、その場にしみ込んだ人間の感情を呼び起こし、呪霊として使役する。有名な希少術式の1つだ。その名は、夏油も五条も知らない。
*
彼女は、みょうじなまえという。調べると、戸籍もしっかりとあり、両親の身元も存在していた。ただその両親は、すでに死亡している。そういう次第で呪術界の各所を結ぶ要である呪術高専で、この呪力を持つ幼い女の子を保護することになった。
何故親代わりの家を探さなかったのか。それは、わずか3歳の子どもが、大昔に失われたはずの術式を持っているためだった。
およそ千年以上の昔である呪術全盛の時代、御三家と並ぶ力を持った家系は数多くあった。そのうち多くが記録に名を遺すことなく、血によって伝わる術式とともに消えていった。その失われた術式の中でもかろうじて書物に記されていたのが、なまえの術式だった。
名を「黄泉怨術」というらしい。
その物心つかない呪術師未満の子どもの術式は、五条や夏油が想像する以上の騒ぎを引き起こした。総監部や御三家など、呪術界の重鎮たちがなまえの顔を見に来た。そして、そろいもそろって顔をしかめる。
何をそんなに、ただの子どもにそんな大騒ぎする必要があるのだろう。確かに、術式の発現が早すぎるし、血統主義の古株にとって失ったはずの術式の復活は驚きに足るものだ。それを踏まえても、彼女が毛嫌いされる理由は、一般家庭から呪術界に入った夏油には分からない。かといって、五条家の跡取りである同級生も、なまえに関する騒ぎの理由は知らないという。
当の本人は特に何を気にするでもなく、東京校の校舎内で呪霊と遊んでいただけであった。ただ、彼女に術式の制御ができるわけもなく、呪霊を用意するのは専ら夏油である。
なまえは学校のロビーで夏油の小型の呪霊を追いかけている。1日の授業を終えた夏油は、1人で彼女を迎えに来た。
「なまえ。帰ろう」
そう声をかける前に、なまえは夏油に気付いている。なまえは今まで広いところで長細い呪霊と遊びまわっていたが、夏油がロビーに入ってきたときにはすでに、呪霊を従えて夏油の足元に来ていた。
彼女がここにやってきて、すでに1週間。なまえは、夏油を除く人間にほとんど懐かなかった。そういう訳で、夏油は、高専の名のもとで保護しているなまえの、世話を命じられている。
「呪霊返してね」
「あっ……」
夏油は呪霊を異界に戻すと、なまえは残念そうに表情を曇らせた。なぜなまえが夏油を気に入ったのかというと、呪霊を出してくれるからだろう。
人間よりも自分が生み出した呪霊の方になじみがあるとは、危険でしかない。呪霊は危うい。いつ襲われるとも限らないのに。夏油の扱う呪霊は契約下にあるから、狂暴性がそがれているのであって。
だが、面白いことに、彼女は高専に来てから、自分の術式で呪霊を出すことはしなくなった。呪霊と遊びたいときは、必ず夏油に頼む。この年齢で術式を扱うのは疲れるのか、それとも警戒する機会が減ったのか、いずれにしても大人たちは物心がついたかつかないか分からない子どもに呪術を使用されるのは危険極まりないと考えている。
夏油はかがんで、なまえと目線の高さを合わせた。
「本当は呪霊は危ないんだからね。私があげた絵本は?」
「……つまんないもん」
子守とは、なかなかうまくいかないものである。
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