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私、死す。
※グロあり。注意。
確かに、今まで生きてきて悪いことを1つもしていないかと言われれば、それは嘘だ。だが、法律で罰されるようなことはしていないし、少なくともある程度の正義感があったから、今の職業を選んだのであって。
私、なんか、やっちゃったのかなあ。
毎年お盆にはおばあちゃんの墓参りは欠かさなかったし、寺社仏閣巡りも嫌いじゃないし、なるべく虫は殺さないようにしてたし、お守りだって定期的に交換していた。なのに、なんで、私なのかな。
狭い田舎から上京して、ようやく掴んだ夢のスタート切符に穴をあけ、今線路をひた走っているというのに。
明日のカンファレンスで使うはずのパワポが、無駄になる。白くてまぶしい画面に映る、人の影。2人分。
ここは1人暮らしのアパートだ。私以外にこの部屋の鍵を持っている人はいない。
ビール缶を掴む手から、血の気が引いて、心臓がばくばく鳴って、胸が痛くなった。ケータイに手を伸ばそうにも、充電中で部屋の隅に転がっている。
玄関の鍵、閉めたよね。
背後から、氷が近付いてくるように、冷気が強くなる。PC画面に薄っすら映る人影は、よく見ると、人ではなくて、もっと色味のない、しいて言うなら死んだかのように青白くて、とにかく怖かった。それに、その何かが発する気配みたいなものが、金縛りの効果を持っているみたいで、逃げたくても逃げられない。
そういえば、立て付けの悪い扉の蝶番が軋む音も、鍵が開く音も、足音も聞こえなかった。
もう失神してしまいたいけれど、想像以上に私の自律神経は強くて、ひたり、と氷のような何かが首に触れるのを鮮明に感じた。そのまま、じわじわ首の皮膚に食い込んでくるのは、あろうことか人間の指の感触で、震えがるほど気持ち悪い。しかし、気持ち悪いと考えが及んだのは一瞬で、指が気管を押し潰して息ができなくなった。
のどにある筋肉や臓器や血管が、ぐにゅっと口腔の近くまで登ってきて、苦しくて、吐き気がして、咳き込みたいけれど、喉は動かない。
目の前に、毒々しい赤や紫、ピンクの模様が舞う。視界が黒くなって、心拍動が耳に聞こえ、胸腔に空気が閉じ込められて二酸化炭素が体内に押し戻されていく。
目玉が飛び出る。
そう直感したとたん、体がふわっと持ち上がる感覚がして、息苦しさが消えた。
見慣れた部屋がぐらぐらと不安定に揺れている。
私は、2人の人間を見下ろしていた。1人は、椅子に座って、ぐらぐらと危なげなく揺れている人。もう1人は、その後ろにいて、かさぶただらけで青白とも腐った薄黄色とも言えない色の腕を、首元へ伸ばしている。
汚い両腕が、椅子に座っている人から離れると、何の抵抗もなく、彼女の体が椅子からずり落ちた。
椅子のクッションの上に転がった頭部は、間抜けに上を見上げる。
間違いなく、私の顔だった。
青白くて、口の端から唾液がこぼれていて、ぽっかり瞼を開いているけれど、どこも見ていない、私の顔。
ああ、私の身体、死んだんだ。
すっかり血の気をなくした肌が、がらりと垂れた首を再度絞めつける何かと同じ色だった。
その何かをまじまじと見ている自分も、自分じゃなくなったみたいだ。自分の身体を殺した奴を見ても、怒りは湧いてこなかった。ぼこぼこに腫れあがったあばた面が、見慣れた家の中に存在することに、少しだけ吐き気がする。
抜けかけの髪の毛も、潰瘍だらけの腕も、でっぷりと突き出た水っ腹も、全身に浮き出た青い網状斑も、全部全部、気持ち悪いと思うのに、それ以上の感情は出てこない。何だか、喜怒哀楽を体に置いてきてしまったように、自分の中が空っぽだ。
「ちょっと! 開けてください! 怪しいものじゃありませんから!!」
「鬼灯様それ怪しい人が言うセリフです!!」
玄関から必死に叫ぶ男性の声、がちゃがちゃと動くノブ、ガンガンと叩かれる扉。
何だろうな、と思った。自分は当事者ではないような気がして。
「おにいさん! 鍵持ってきたわよ!」
「どうも大家さん! 急いで!!」
待ったをかけたくなったが、自分は死んだのだ。ろくに料理をする時間がなくてコンビニ弁当の残骸が詰め込まれたゴミ箱も、忙しくてたたむ暇もなかった洗濯物も、今しがただらしない家着で仕事の残りを済ませていたことも、今日3本目のビール缶が飲み切らないまま放置されていることも、どうでもいいんだ。
もう誰も、私のことは分からないんだから。
勢いよく開きすぎて、がんっとドアが壁にぶち当たった。これ、退去時の補修費用って誰に請求が行くのだろう。退去、って言うか、死去したあとなんだけど。
一番乗りで飛び込んできたのは、キャスケットを被り全身黒の、目つきの悪い男性だった。
「あッ……」
後ろから、中学生男子くらいの男の子が2人。最後尾はほぼ面識のない大家のおばさんで、おばさんは、床に力なく転がる私の身体を見て、数秒後に悲鳴を上げた。
勿論、大家のおばさんは、ふわふわ浮いている幽霊には気付かない。それが普通だ。
けれど、キャスケットの目つき悪い男性は、間違いなく、私の身体ではなくて、私を見ていた。
しっかり目が合っている。
「……遅かった……」
遅かった? そういえば、中学生くらいの男の子たちも青い顔をして、私の方を凝視している。
おばさんがショックで泣きながら私の身体に駆け寄る。心マしても意味ないだろうな、と言うほどに血の気が失せている体だ。おばさんは恐る恐る私の首に触れ、更に泣いた。泣きながらケータイ電話でどこかへ電話している。きっと警察だろう。いまだに私の身体をべたべた触っている化け物が見えない限り、これは立派な不審死だ。
突然、そのあばた面が、私の方を向いた。
腫れあがっていて目は見つからないけど、こちらを見ている気がした。
ゆっくり、汚い手が、私に近付いてくる。気持ち悪いけれど、離人真っ最中の私には、何も感じられない。
「そいやッ!!!」
どぶっ、と鈍い音がした。あばた面に華麗なパンチが入っている。
口と思しき場所から、悪臭漂う液体をまき散らしながら、そいつはべちんっと床にたたきつけられた。
「……え?」
体が死んでから初めて声が出た。何が起こっているのかよくわからない。目つきの悪い男性が、あばた面を殴り倒したことだけが確かだ。ぐぅええ、とガマガエルの鳴き声をこぼすあばた面を、中学生たちがどこから取り出したか分からない縄で締め上げていた。
「鬼灯様! 確保しました!」
黒髪の中学生が言った。よく見れば、もうひとりの中学生は白髪ではないか。
「この度は、」
低い良い声に呼び戻される。そちらを向くと、目つきの悪い彼は、キャスケットをとり、こちらへ向かって深々と頭を下げていた。
よく見ると、額から生えているのは、1本の角。
「誠に申し訳ありませんでした。こちらの監督不行き届きにて、縊鬼を中国の地獄から侵入させてしまった上、現世に取り逃がし、貴方の命を奪ったこと、心よりお詫び申し上げます」
いっき? じごく? げんせ?
つまり、縊鬼、地獄、現世。
どういうこと?
「勝手ではございますが、一度お命を落とされていますので、我々にご同行いただいてもよろしいでしょうか。日本の地獄の方で補償させていただきます」
どういうこと?
まったく頭に入ってこない言葉を並べ立てる彼の向こうに、電話しながらふらふらと部屋を出ていく大家さんが見えた。
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