毛皮と火
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天の川のよそ見
こいつは、馬鹿なんじゃないのか。
シルバーは、隣で夜の洞窟にはしゃぐ、ライバルとも友達とも仲間ともいえない少女に、そう吐き捨てそうになった。
「ねえねえ、シルバー! あれハンテールじゃない?」
「……ああ、そうだな」
忌々し気に返事をすると、彼女は少し嬉しそうな表情で、まくし立てるように話しかけてくる。反応なんてしてやるんじゃなかった、とシルバーは後悔した。
海際の洞窟は、光る藻でもはえているのか、うっすら明るい。真ん中に走る砂地の道は、規則的に押し寄せる波にびくともせずに、洞窟の奥へ続いていく。洞窟の奥にはバトルができそうでできないくらいの岩場があり、そこを目指して、自分たちは湿った砂に足を取られながら歩いている。
パシオは、人工島だ。人工島だというのに、自然豊かで、多様な生態系が狭い島に根付いている。パシオの島には野生のポケモンはいないが、海は別だ。どこか知らない海域から、様々なポケモンが島の近くに回遊してくる。それは、他の地方では見られない独特なものだという人がいる。
それがシルバーの隣を歩くなまえだった。彼女は海流の流れと風の向き、その他いろいろを計算し、今夜ここにチョンチーとランターンの群れがやって来ると予測している。確かにその兆しは数日前からあって、波打ち際でその2体を見かけたという報告が多く上がっている。
せっかくならシルバーも見に行こうよ、と純粋で無邪気な視線に逆らえなかったのを、シルバーは今でも後悔している。
馬鹿じゃないのか。夜に、男と二人で。こんなところで叫んでも、助け何て来やしないのに。
「あっ……!」
べらべらとしゃべっていたなまえが、口にぱっと手を当てたかと思えば、道の先を凝視した。シルバーもつられてそちらを見ると、ぼんやりと、ヒカリゴケとも違う、淡い黄色の光が、水面に浮かんで、波に合わせて揺られている。
なまえは、シルバーの腕を引っ張り、顔を見上げてきた。シルバーも頷いた。結局、シルバーだってポケモンが好きだ。好きなのはバトルだが、夜闇に光るチョンチーの群れ、と言われて、心躍らないほど感性が凍り付いているわけではない。早く見てみたい、と少しだけ思った。
しゃく、しゃく、とゆっくり砂の道を進む。チョンチーの群れらしき光は、最奥の岩場近くにいる。シルバーの腕をつかむなまえの手は、いつまで経ってもシルバーの紫色の上着を離そうとはしなかった。彼女も彼女で、自分の立てた仮説が正しいのか、それを証明するのに胸を高鳴らせているらしい。期待に満ちる表情が、それを物語っている。
少しずつ、道の横の浅瀬に、チョンチーが増えてきた。黄色の淡い光をぶら下げて、ちょこまかと泳いでいる。その泳ぐ先を見ると、岩場の光の集合体。
足音を立てないようににじり寄ると、1体のランターンと、それを取り巻く数体のチョンチー。なまえとシルバーは、ゆっくりゆっくり、群れを脅かさないように、岩場に足を踏み入れた。一番群れが近くに見られる場所までにじり寄って、海面を見下ろす。シルバーは、ズボン越しにごつごつとした岩のかけらが膝に刺さるのを感じた。
ランターンの明かりがひと際明るかった。透明度の高い海を、底まで照らして、海藻に身を隠すタッツーだとか、貝殻を閉じるシェルダーだとか、夜の海を照らす。このままもっと大きい群れになったら、どうなるのだろう、見てみたい、とシルバーは素直に思ったし、隣の目を輝かせているなまえに至っては、もっと思っただろう。
しばらく、身じろぎ1つせず、待った。ゆったり打ち寄せる波の音を聞きながら。
じわっと指先が、濡れた岩を握っているせいで、冷える。
眠気がおそってくるころ、とうとう水面下で、群れが動き出した。
たった数体のチョンチーと1体のランターンから成る群れは、徐々に触覚の明かりを弱め、ついには出口へ向かって優雅に泳ぎ始めた。なまえたちの周りは一気に暗くなり、薄緑に発光するヒカリゴケの明るさに慣れるまで何度も瞬きをしなければならなかった。
弱くなった光の塊は、ゆらゆらと波の揺りかごに揺られ、洞窟の出口に消え去ってしまった。
「……予測はずしちゃった」
なまえは、緊張の糸が切れたように、とさっと後ろに倒れこむ。シルバーも身を引き、立ち上がった。
「やっぱり難しいなあ。生態学は」
薄い緑色の光で見えるなまえは、意外にしっかり落ち込んでいるらしかった。シルバーは、そんななまえを見下ろす。するとなまえはシルバーを見上げ、かと思うと、力の抜けた顔で、へらっと笑った。
「ありがとね、シルバー。付き合ってくれて。群れは見られなかったけど」
シルバーは彼女から離れようとしたが、その警戒心のない姿が、どうしてか足の動きを鈍らせる。代わりにため息をついた。
こいつ、馬鹿じゃないのか。
「最初はコトネ誘うつもりだったんだけどね、今夜はシャワーズのお風呂だからダメって。ヒビキにも声かけたかったんだけど見つからなくてね」
で、残りのオレに声かけたってわけか。
シルバーは、心の中で吐き捨てた。
やっぱりこいつ、馬鹿だ。
立ち上がるなまえは、やはり気の抜けた表情で、シルバーの隣に佇む。こちらの視線に気付くと、ん? と首を傾げた。
「シルバー?」
もしヒビキが見つかってたら、2人で来ようとしてたのか。
コトネがいいって言っていたら、それでよかったのか。
息ができなくなるほどの苛立ちが、寄せるさざ波に増幅されて、それを表情に出すまいとシルバーは思った。
気付いたら、自分は笑っていた。自分の口角が吊り上がっていることが、鏡を見なくてもわかった。
何かあったのかと、なまえは恐る恐るシルバーの顔を覗き込む。
シルバーは、鼻で笑って、心底心配している彼女の顔を見て、また小馬鹿にしたように笑ってしまった。今、逃げようとしないのは、彼女の選択だ。
「お前、本当に馬鹿だな」
なまえのすぐ後ろが、岩壁だった。馬鹿だ。馬鹿以外の何物でもない。シルバーが一歩踏み出すと、たちまちなまえは追い詰められる。
逃げる方法は、シルバーを突き飛ばすか、すぐ隣の海に飛び込むだけ。浅瀬といっても、自分たちのような身長では海面に頭を出すことは困難だ。シルバーよりも少し背の低いなまえなら尚更。もう一歩迫れば、とうとうなまえの背が濡れた岩に当たる。シルバー、と不安げに名前を呼ぶなまえに、シルバーは同情なんてしない。
シルバーは、なまえにポケモンバトルで勝ったことがない。運で勝っただけの数試合を除けば、だが。そのため、なまえはシルバーに何敗かしている勘定らしいが、シルバーはそうではない。
運に左右されない、完璧な強さがほしいのだ。そのために時間を費やし、自分のポケモンたちを鍛え上げている。
しかしなまえは、そんなシルバーの策略や血のにじむような特訓を軽々と超え、楽しそうにバトルを受け、トレーナーとポケモン双方が生き生きと戦い、勝敗はどうであれ清々しい表情で互いの戦果を称えあう。
シルバーが、多くのトレーナーを越えようとあがいているその横で、背中を見ていると思ったら、その背中はいつの間にか遠い。そして、色んな人に囲まれて見えなくなっている。ふと振り返ってこちらに手を振ってくるが、そのときなまえの目には、ライバルの1人としてしかシルバーは映っていない。
それが悔しくて、歯がゆくて、イラつく。
自分たちが強くなることしか頭になかったはずで、それはこれからも同じだったはずだ。オレはオレのポケモンたちと最強を目指すことしか考えていなかったはずだ。それなのに、オレだけを見る瞬間のなまえを、もっと見たいと思ったし、ずっとそうなっていてほしいと思った。
そうなる瞬間は、バトルのときだけだ。こちらの手を予測して、ポケモンの動きを読み、意表を突きあう。互いにだけ集中していられるのはバトルのときだけ。
そんな2人だけの世界も、なまえはつくりあう人が大勢いる。なまえは強い。人望もある。ポケモンにも好かれている。そんななまえが、シルバーとずっと2人でいるのは無理な話だ。
だから、今。たった2人きりの洞窟の中で、オレ以外の人間の話をされるのは我慢ならない。
「……オレが何考えてるか、知ってるか」
「え? えーと……強くなるってこと? あ、もしかして、無理に連れてきたの、怒ってる……?」
なんて腹の立つ、間抜けにもほどがある返事だ。シルバーはなまえににじり寄った。体がぴったりとくっつくほど。目の前にしてみれば、なまえの背は案外小さかった。ロケット団をそっくりそのまま相手取って、壊滅まで追い込んだトレーナーとは思えない。不安げに揺れる目も、かすかに色が濃い耳も。
「むかつくんだよ。お前」
笑った顔も、喜ぶ顔も、悲しむ顔も、驚く顔も、戸惑っている顔も、全部。腹が立つ。大きく揺れる瞳が。アホ面よろしくぼんやりと開かれた唇が。ボールを持つ手と、自分を呼び止めるときに服を掴む手が、同じ右手だということが。何もかもむかつく。
「お前の全部を、他のヤツにも見られてると思うと、イラついて仕方ねえ」
「あの、シルバー、」
「黙ってろよ」
もぞ、となまえが体をねじろうとする。
むかつく。
シルバーがなまえの頬を両手で押さえたら、なまえは体の抵抗を少なくする。代わりに口で抗議しようとした。
その内容は、聞かれることはない。聞く気もない。
それに、音の出口は、鋭い歯で噛み潰せばいいだけだ。
彼女の頬は、今までシルバーが触れたことないくらいに柔らかく、きめ細やかで、こんなところに他の人間が触れたら、自分は怒り狂ってしまうだろう。
この柔らかい唇の感触を他の人が知っていたら、その時は、なまえに口枷でもはめてやらなきゃ気が収まらない。
「ここは、オレしか知らねえな」
なまえの返事はいらない。反応もいらない。今は、2人しかいなくて、なまえの目にはシルバーしか映っていない。その事実こそが大切で、自分しか知らないなまえがあるということだけが重要だった。
なまえが息を吸い終わる前に、唇をふさぐ。
逃げるなんて許さない。火をつけた責任は、なまえにある。
無邪気に笑って、近付いてきた報いを受ければいい。勝手に遠い存在になろうとしたなまえが悪い。
このまま溺れてしまえばいい。口も鼻も目も、全部オレがふさいでやる。そうしたら、体に他の人が入り込む隙間なんてなくなって、どこにも行けなくなる程重い体になるだろうから。
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