毛皮と火
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朝焼けの下で、君が笑った
「さむ……」
冷気が鼻から入り込んでくる。顔の内側が外気に侵食され、耐えられなくなって布団の中に潜り込んだ。重い布団。徹底的に寒さを寄せ付けない重量で、かぶってみると呼吸すら苦しい。しばらく脳を温めていたが、酸素を求めてなまえは布団から頭を出した。
「……夢じゃないんだな」
囲炉裏と土間。木造の家。着ているものは薄い寝間着。畳の間の窓から差し込む夜明けの光が自在鉤の形で影をつくっている。垂れ下がっているのはぼんぐりと干したきのみ。
こんな温度では布団から出たくなくなるが、なまえにそれは許されない。働かなくては、居場所はない。働くと言ってもポケモンを捕まえるだけなので苦ではないが、この気温は堪える。
隣で眠っているヒノアラシを起こさないように布団からはいずり出ると、なんとヒノアラシは分かっていたかのようになまえのお腹にくっついてきた。
「ヒノアラシ? 暖めてくれるの?」
「ひのひの」
小さい手足でちょこちょこなまえにしがみつくさまが何とも可愛い。それだけで朝の寒さを忘れてしまいそうだった。なまえはヒノアラシをはなして寝間着を脱いだ。刺すような寒さと言うが、それでは足りない。精魂を絞りとってゆくような冷たさに歯をかちかちと言わせて、急いで着物を着た。それでようやく冷たさから逃れると、ヒノアラシを抱き上げる。
「今何時だろうね」
草履を履き、ポーチをつけ、引き戸を開けたら、昨日と全く同じ風景が待っていた。
夢ではない。アルセウスと名乗るなにものかに光の中へ連れ去られ、気付いたら砂浜にいた。つい一昨日まで、シンオウを旅していたはずなのに。シロナと、ヒカリと、コウキと。パートナーたちは元の世界にいると知れたのが、唯一の安心点だった。ポーチに入れているアルセウスフォンが言うのだから、信じている。
この地はヒスイというらしい。ここはコトブキムラ。この地でパートナーになってくれたのは、腕の中にいるヒノアラシだった。
日の出がまぶしい。その中で、もう人々は働き出している。誰もなまえの方を見ない。空から落ちてきた、怪しい人間。なまえはギンガ団に所属していない限り、そういう立場なのだ。
抱きしめるヒノアラシはさすがほのおタイプと言うべきか、その熱が伝わってくる。
一人ぼっちのなまえの、心の慰めだった。大好きなポケモンたちと一緒。それだけで、生きていこうという気力も湧いてくる。
散歩に行くことにした。ギンガ団本部の鍵は開いていない。少しだけなら、いいだろう。なまえはヒノアラシを抱いたまま、門番に黒曜の原野とだけ告げて、仰々しい門をくぐった。
「ひーの、ひの」
「歩く?」
なまえがヒノアラシを放してやると、ヒノアラシは駆け出した。慌てて走ってついていくと、オレンのみがなる木に突進していった。がさん、と大きな衝撃があり、ワンテンポ遅れてどさどさときのみが落ちてくる。
「ひの!」
ヒノアラシはそのうちの1個を持ち上げて、なまえに差し出した。
「くれるの?」
「ひの!」
とがった鼻先でなまえをつついている。なまえがかがんでオレンを受け取ると、満足そうに残りの木の実を拾い上げ、それをまたなまえのところへ持ってきた。
オレンのみは、クスリソウと合わせて傷薬の材料になる。昨日なまえは様々な材料を集めるのに奔走していたのだった。
「手伝ってくれるんだね……」
ありがとう。なまえはヒノアラシを抱き上げた。抱きしめると、毛皮の向こうで熱く燃える鼓動を感じる。食べていいよ、というと、ヒノアラシは嬉しそうにオレンにかじりついた。
ポケモンのにおい。土のにおい。獣のにおい。ほのおタイプに独特の焚火のにおい。これだけでは、どんなに時をまたいでも、変わらない。
たった一人、ポツンと投げ出された世界。でも、助けてくれるポケモンがいる。居場所を教えてくれる人がいる。大丈夫。帰れる。そのためには、もう一度アルセウスに会わなければいけない。アルセウスに託された使命を果たせば、大丈夫。それまでの辛抱だ。
「なまえ」
はっとヒノアラシから顔を放した。熱をまとったもふもふに埋めていたからか、風の冷たさがきつい。
「コ……テル?」
「おはよう。早いなあ」
と言うが早いが、テルはなまえの腕の中を見るなり、距離をとった。
「今ね、ヒノアラシがオレン収集を手伝ってくれてたの」
「へええ。なまえ、本当にポケモンを怖がらないんだな」
「……好きだから、ね」
テルは足元に転がっているオレンを拾い上げて、なまえに渡した。ありがとう、となまえが言うと、おう、とだけ言って、なまえの隣に恐る恐る腰を下ろした。
「オレには何考えてっかよくわかんねーけど」
「テルのピカチュウは?」
「ボールの中で寝てるよ。こんな朝早くに起こしたらエレキで攻撃されそう」
「そんなことないよ」
ヒノアラシは次なるオレンのみをなまえから渡されて、勢いよくにかぶりついた。
「おいしい?」
「のっ」
口の中に1個目のオレンが残っているようで、くぐもった返事しか聞こえない。ゆっくりね、と声をかけても無駄のようだった。
がさり、と茂みが動く。テルは勢いよく立ち上がって身構えた。なまえはそれとは反対に、ゆっくりヒノアラシを地面におろして、茂みの方へ進む。
「なまえ! 危ねえよ!」
「敵意は感じないよ。出ておいで。オレンのみが食べたいんだよね?」
なまえがころころとオレンを1つ、茂みの方へ転がしてやった。すると、数頭のコリンクがゆっくり現れる。テルはボールを構えたが、なまえはそれを手で制した。茂みから出てきたのは、普通よりも小さい3体で、内1体はオス。
「1個じゃ足りないね」
オレンを続けざまに2個転がしてやる。なまえが両手を挙げて、何も持っていないよ、というしぐさを見せると、コリンクたちはオレンに興味を示した。そのままじっとしていると、じっとなまえの顔を金色の瞳で覗き込んで、何度か後退と前身を繰り返し、ようやく小さな青い木の実に口をつけたのだった。
「……なんなんだ? 何でコリンクが襲ってこないんだ?」
テルが頭を振りながら、怖いものを見たときのようになまえから離れた。
「よく見て。この子たち小さいでしょ」
「そうか?」
「小さいの。で、多分まだ生まれたてなんだよね。だから何が怖いか判断がついてない。あと性格がおだやかなんだと思う」
ヒノアラシがコリンクたちに近寄っていく。それを眺めながら、はっと思い出したようにテルはなまえの腕を引っ張り上げて、無理やり立たせた。
「ムラに戻るぞ。なまえの説が正しければ、親が近くにいる。オレらの今の手持ちでレントラーに襲われたらひとたまりもない」
確かに、それはそうだ。子の近くにいる人間はほうでんを食らっても文句は言えない。しかもヒスイのポケモンはなまえのいた時代よりも強い気がする。テルの判断は正解だ。
「ヒノアラシ」
そう呼びかけると、ヒノアラシは察したようにすばやくなまえの腕の中に戻ってきた。テルは反射のように腕を引っ込めると、その手をしばし迷わせて、手招きするだけにした。小走りで坂をのぼり、その上に達したところでなまえは振り返った。
今までなまえたちがいた木の下に、2頭のレントラーがいるのが見える。雄々しいたてがみ、鋭い鳴き声。レントラー達はなまえやテルを追ってこなかった。
なまえはくるりと前を向いて、テルの隣を歩く。ヒノアラシはなまえの腕に収まっているのが心地いいようで、なまえもそれで湯たんぽを抱えているようで、重さはあってもそれで構わなかった。
「聞き分けいいな」
「え?」
「レントラーにもエサやりたいって言うのかと思った」
テルは帽子のつばを押し下げた。大きな歩幅についていきながら、なまえは後ろを振り返る。コリンク一家は、ゆったりとした歩で草むらに消えていくところだった。テルもなまえに釣られて振り返る。
「……ポケモンの性格は親から遺伝することがあるって聞くけど絶対じゃないし、子どもがいるポケモンは気性がどうしても荒くなるから」
朝の平野は、夜明けの太陽の光で満ちている。耳に届くのは、かすかなムックルの鳴き声。東側の木が照らされ、大自然が目覚めてゆく。冷たい風は緩やかで、坂の土を撫でていった。
「今のヒノアラシじゃ、レントラーには勝てない。それに、お互いのために、避けて通れるなら争いは避けたい。ヒスイのポケモンは強いけど、ヒスイの自然も厳しいから」
なまえが前を向くと、テルも前を向いた。深くかぶった帽子の下から、黒い目がのぞく。その目は、なまえの顔を見つめていた。ちょうど顔の半分くらいが太陽に照らされていて、もう半分は影になっている。彼が前を向くと、なまえから見えるのは影だけになった。ムラはすぐそこだ。
「危険なところも全部ふくめて、私はポケモンが好きなの。だから、大丈夫。ただの恐れ知らずじゃないからさ」
こういうことを言うと、ムラ人は自分から離れていってしまう。だが、自分に嘘はつけない。ポケモンの危険性も、狂暴性も知っている。それと同じくらい、彼らの友好性や親切心だって、よく身に染みている。ポケモンは私の生き甲斐なのだ。そう思うと、自然に頬の力が抜けてゆく。顔に力を込めていたなんて、知る由もなかった。
笑顔って、楽なんだ。口の端がほぐされて、肩こりのようになっていた。
「そうかい。なんだ、分かってたのか」
「うん。心配してくれたんだよね、テル」
「……まあ、先輩だしな」
「ありがとうね」
テルはぐいっと更に帽子を押し下げる。門番が手を振っているのが分かって、更にその隣にいる人物もわかった。テルの表情は逆光でよく見えなくなってしまって、なまえも夜明けのまぶしさに目を細めた。
「なまえ! テルー!」
声の主はショウだ。2人にぱたぱた駆け寄ってきた彼女は、まだ髪の毛も結んでいない。なまえはヒノアラシをボールに戻した。
「お帰りなさい! 朝ごはん食べましょう!」
「ただいま、ショウ」
テルは帽子のつばを引っ張り下げながら、ショウの横をするっと通り抜けてしまった。
「テル? どうかしました?」
「オレ、用事があるから。2人で朝飯食べてろよ」
テルは振り返ることなく、足早にソノオ通りを走っていった。ショウが呼び掛けても、ひらひらと手を振るばかりである。ソノオ通りも活気づいてきて、食堂なんかはすでに煙が上がっている。
「変なの」
「呆れさせちゃったかな」
「なまえ。また危ないことしたんですか?」
「今回はしてないよ」
「入団試験のときの前科があるので……もう無防備でコリンクの群れに突進しちゃだめですよ」
「その節はごめんなさい……」
それはヒスイのポケモンたちに大迷惑をかけてしまった前科でもあり、ラベン博士の寿命を縮めた行為でもあり、引率のテルが後輩の指南力を問われてしまった事態でもあり、各方面に謝罪を行った事件でもある。自分の無知が恥ずかしい。ごまかすように頬をひっかいた。
しげしげとショウがなまえのその顔を見つめる。それに気付いて、なまえはかすかに顔が熱くなるのを感じた。下から覗き込まれるように、じいっと観察されているみたいだ。なにか変なものついてるのかな。なまえは半分口を開きかけた。
「なまえ、初めて笑いましたね」
「そ、そうかな?」
「ポケモンの前でしか笑わない変な子かと心配してたんですよ。笑ってた方がかわいい」
ショウはそう言って、なまえの頬を掌で挟んだ。ショウの手は冷たく、なまえの風で冷やされた頬といい勝負だった。
「これはアイツにはできないですね」
「アイツ?」
「何でも!」
ショウはぱっとなまえから手を放すと、今度は手を握った。ぐいっと引かれて、なまえはその勢いで走り出したショウについていく。
「今日も仕事いっぱいですよ。まずは腹ごしらえから!」
その言葉に強く頷いた。顔から力が抜けると、全身の余計な力も抜ける。これで燃費もよくなろう。熱々のイモモチの匂いに直接胃がくすぐられているような気がした。