巡り巡ってまた巡る
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6
「……ん」
あいしょうは固い床を感じて、目を覚ました。頭の下には布がたたまれて、枕替わりにされている。身を起こすと、薄い毛布が落ちた。
すぐ隣にはエドがいびきをかいて寝ている。室内は光に照らされ、何人もの男が寝そべっていた。
アルがいなかったので、あいしょうは片割れを起こすことはせずに外へ出た。東の空に太陽が白く輝いている。炭鉱はすでに煙を上げており、数人の男たちが働いていた。
アルはその中に混ざっている。
「アル!」
「あいしょう」
アルは材木を運びながら、無邪気にあいしょうに手を振った。あいしょうが駆け寄ると、それに気付いたホーリングが鉄塔の上から声をかけてきた。
「おはよう、嬢ちゃん」
「おはようございます」
「優しい弟くんだなあ」
あいしょうは、もうここの炭鉱の住人を責める気にはならなかった。エドが手ひどく扱われたことは消えないが、それを上書きするくらい、エドは宴会を楽しんでいた。
「親方がね、仲間を寝かせてあげたいんだって」
「そうなんだ。じゃあ汽車がくるまでね。ケガしないように気を付けて」
「あのね。ボクもう子どもじゃないんだよ」
「そんなつもりないってば」
「言い方が昔といっしょ。あとね、汽車は午後の1本しかない」
「うそ」
もともと、今日の午前中の汽車で東方司令部のあるイーストシティに戻る予定だった。
アルによると、汽車は尽く運転見合わせで、動くのが認められた車両が、1日1本だけ、東方司令部に向かうそれだという。どうやら、あいしょうたちがいたリオールで暴動が起きているらしい。自分たちが原因だと思うと、気が沈む。
「おーい、アルフォンスー。メシだぞー」
小屋からアルを呼んだのは、カヤルだった。カヤルはあいしょうの顔を見ると、あんたも来いよ、と手招きした。
「ボク起きたときに食べたから。あいしょう、食べてきなよ」
「うん」
エドはまだ起こさない。基本的に朝に弱いエドだ。自分たちが鋼の手で殴られないためにも、そっとしておくのが一番なのである。
「アルフォンスは?」
「もう食べたんだって」
「はえー」
アルは、この類の嘘はつきなれている。これを聞くたび、エドとあいしょうは、早く弟の体をもとに戻してやりたいと思うのだ。
小屋の中には簡素なテーブル1つと椅子が3つ、隅にバケツと布が数枚置いてある。テーブルの上には昨晩アルからもらったものとほとんど同じサンドイッチが3つあった。コップも3つだ。カヤルとあいしょうと、アルの分だった。
「はいこれ。なまえの分」
「ありがとう」
カヤルと対面の椅子に腰を下ろし、あいしょうはコーヒーを飲んだ。あたたかい温度が、生身の部分にしみ込んだ。
「エドは?」
「まだ寝てるよ」
カヤルは面白そうに笑うと、サンドイッチの半分を一口で食べてしまった。
「……あのさ」
「うん?」
カヤルは気まずそうにコップの持ち手をいじる。あいしょうはせかさず、穏やかな目でカヤルを見つめた。
「ありがとな。オレも親父も、あんたらにひどいこと言ったのに助けてくれて」
早口でそう言ったカヤルの耳は、少し赤かった。
「私何もしてないから、エドに言ってあげて。喜ぶから」
「もちろんだよ。アルフォンスにも言った」
カヤルはコーヒーを一気に飲んでしまうと、頬をかいた。あいしょうはサンドイッチを食べた。朝日が小さな窓から差し込んで、小屋の壁を四角く照らす。
あいしょうはサンドイッチを何度か咀嚼して、思い出したようにカヤルに尋ねた。
「あのさ、昼食、ここで食べてってもいい?」
「いいけど」
「お代は出すから」
「いやいいって」
「等価交換だよ。ちょっと来て」
カヤルはすでに朝食を食べ終わってしまっている。あいしょうは残りのサンドイッチを口に放り込むと、カヤルの手を引っ張って外へ出た。
「ホーリングさん!」
「お? どうした?」
あいしょうはカヤルの手を引っ張ったまま、ホーリングの親方を呼んだ。鉄塔の上で作業をしていたホーリングは、肩で息をしている息子の顔が赤いのをからかってやろうかと思ったが、あいしょうが真面目な表情だったのでやめておいた。
「アル呼んでくださーい!」
ホーリングがアルの名前を口に出すまでもなく、巨大な鎧は現れた。アルはあいしょうの言いたいことがわかったようで、ホーリングを連れて塔の上から降りてきた。
「あのくらい大きさ、私にもできるかな」
「あいしょうならもっと大きいのもできるさ。ボクは全体のバランス見てればいい?」
「お願いできる?」
「もちろん」
手短に言葉を交わしながら、アルとあいしょうは歩き出す。カヤルとホーリングは首を傾げ、あいしょうの手招きについていった。
あいしょうが向かったのは、真っ黒に焼けたホーリングの家だった。土台や柱を残して、多くの部分が黒く炭になってしまった住居。数人の男がぼろぼろの材木を片付け、女性は細かいものを拾っている。かろうじて燃え残った写真や小物をエプロンの中にためていた。ヨキたちはホーリングの家だけを徹底的に焼いて、逆らえばどうなるか見せしめにしようとしたのだろう。炎の勢いが生半可なものではなかったことが伺える。
「思い出のものは全部集めちゃってださい。焼けた木は家の真ん中あたりに積んでもらえますか?」
「……嬢ちゃん、いいのか?」
カヤルはいまだにわかっていないようだったが、ホーリングは錬金術を学んでいただけあるのか、あいしょうがしようとしていることが分かったようだった。あいしょうはいたずらっぽく笑って、3本指を立てる。
「お昼ご飯のお代として、どうですか?」
「3人分か?」
「はい。予定してた汽車が動かないそうなので」
「よし。食ってけ」
ホーリングもあいしょうにつられて笑った。昨日の剣幕からは考えられないくらいだ。カヤルはようやくあいしょうとアルが家の残骸のまわりを歩き回っている理由を理解できたらしい。
「あいしょう、あんまり兄さんに似てなかったよ」
「そう? 結構よせたつもりなんだけど」
「似てない」
あいしょうは家の土台まわりを確認し、近くに落ちていた枝を地面に立てて目印にした。
「普通に家を建てるにはどれくらい材料がいる?」
「たくさん。ボクにはわかんないなあ」
あいしょうも建設は完全に専門外だ。呆気に取られている街の住民に相談してみたところ、家一軒分の材木が次々運び込まれてきた。「親方にはいつも世話になってるからな!」と口々に言われ、ホーリングは涙目になっていた。
ちょうど家の正面に大量に詰まれた板や角材は、アルの鎧の高さも優に超える。反対側が見えないことを心配したが、アルと街の男たちが山を低くしてくれた。ホーリングは地面に家の見取り図を描いてみせた。
日が高くなって、多くの住民がホーリングの家の周りにやって来る。あいしょうとアルは口々に応援の言葉をかけられた。あいしょうは早くなる心臓を服の上からぎゅっとつかみ、鎮めようとする。何度もホーリング家の見取り図を見返す。
大きく深呼吸すると、アルがあいしょうの背中をポンとたたいた。
「あいしょうなら大丈夫。そんなに兄さんと比べなくたっていいんだよ」
「アル……。うん、がんばる」
何度か手を握り、あいしょうは準備をする。アルは真剣なあいしょうの視線に頷き、あいしょうから一番見えにくい家の裏手に立った。
アルの立っているところとあいしょうが立っているところを直線で結ぶと、家を囲む円の直径になる。それを目安にして家の大きさを把握し、円を目でたどる。錬金術における円は、力の流れ。これがすべての基礎であり、世の理でもある。
師匠のもとで修業していたときはあいしょうが最も優秀だったが、人体錬成の研究をしているうちにエドとアルに追い越された。国家錬金術師に推薦されたのも実はエド1人で、あいしょうは無理を言って受験資格を得たのである。劣等感ではない。自分は結局、力ではエドやアルに及ばず、守れないのだ。姉でも妹でもない自分は、あの兄弟にとって何なのだろう。そんなことは問うまでもないのは、エドもアルも、本当はあいしょうもわかっている。
それでもあいしょうは、自分に力がないのが許せない。
ぱん! と手を合わせた音が高らかに空に響く。あいしょうの周りは一瞬で静まり返り、遠くから小鳥がさえずるのが聞こえた。
掌が合わさると、自分が円になる。ひらめき天才型のエドとの違いは、あいしょうは感覚を体系化するのが得意という点である。錬成に必要なのは、理論と、材料と、エネルギー。
地面に手をつくと、手袋越しにひんやりした温度が左手だけに伝わる。一瞬遅れて、錬成光が家の周にそって走った。
「あいしょう! 左側歪んでるよ!」
アルの声が、反応音のなかでようやく聞こえた。大規模な錬成には、エネルギーが大量に必要だ。エネルギーを効率的に使えなければ、光も音も頭が痛くなるほど大きくなる。
エドならきっと、もっと上手にできるだろう。
錬成のときのエネルギーは、地殻運動のエネルギーだ。エネルギーの流れがぐるりと家を囲み、準備は万端。円をきれいに整える。錬金術においては、真円が最も素晴らしい。
爆弾が落ちてきたと思うほど、光と音が地を揺らがした。土煙を巻き上げ、錬成物の真ん前にいたあいしょうは耳鳴りがしてしばらく動けなかった。
時間がたち、砂埃を風が払い、爆音が空へ消えていく。あいしょうの目の前にあったのは、ここを訪れたときに案内されたホーリングの家そのものだった。
一瞬の間をおいて、あいしょうの背後で歓声が上がった。振り返ると、ホーリング夫人が夫の腕の中で泣きかかっていて、ホーリング自身は目元を抑えている。カヤルはというと、口をあんぐりあけていて、今起こったことが信じられない、といったような様子だった。
アルがあいしょうのほうへ戻ってくると、あいしょうの肩の力が一気に抜けた。
「中、確認してもらっていいですか。あと多分家具は作り直さないと……」
「いいや、十分だ。ありがとう」
ホーリングは、涙をこらえながらあいしょうの言葉に答えてくれた。ホーリング一家筆頭に、住民たちはもともと居酒屋だった彼の家へ入っていく。外へ残されたのは、あいしょうとアルと、エドだった。
「エド、いつ起きたの?」
「おめーらが準備してるときにはいたよ。すげーな、あいしょう。丁寧だし、無駄がねえ」
「ボクもそう思うよ」
この2人に褒められると、どうもくるものがある。あいしょうはそれをごまかして、エドにピースをして見せた。