巡り巡ってまた巡る
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
4
「相変わらず汚い店だな、ホーリング」
あいしょうは思わず眉をひそめる。高慢ちきな台詞に、エドの眉間がしかめられたのが見えた。アルの鎧の軋み音があいしょうとエドの耳に届く。
ホーリング達の話に出てきたという悪徳軍人だろうか。真ん中にいる禿げ頭が偉そうにふんぞり返っている。あいしょうはそっと腰の銀時計に触れた。あいつらなんか、エドとは大違いだ。
その3人うちの1人、ハゲ男が、税金の滞納がうんたらかんたらと嫌味ったらしく言い出すと、外にいるあいしょう達にも分かるほど店内に不穏な空気が立ち込める。
その禿げ頭は、ホーリングに中尉と呼ばれていた。
どのタイミングで出ようか、とあいしょうとエドが互いの顔を見遣った時。
「ふざけんな!」
カヤルが使い込まれて黒くなった雑巾を中尉に投げつける。すると中尉は躊躇いもせず、力一杯カヤルを平手で打った。ばしぃ、と鞭がうなったような痛々しい音がして、あっけなくカヤルは張り倒された。
あいしょうは、内臓の底がせりあがって来る感覚に襲われた。銃もサーベルも持たない、己より弱い一般人に手を上げるとは。残っている理性を使って隣を向くと、どうやら片割れも同じようだった。だとしたら、後方は言わずもがな。
容赦はせんぞ、という声と共に、サーベルの刃と鞘がこすれた。
あいしょうは、木の床を蹴っていた。視界の後ろに、赤い布がひらめいた。
そのままの勢いで軍人達の横をすり抜けて、カヤルの腕を、体がサーベルの攻撃範囲から出るまで引っ張る。カヤルを挟んだ反対側で、片割れが右腕でサーベルを受け止めるのを見た。
反動であいしょうは後ろに倒れ、カヤルの体は腹這いにあいしょうの方向に引きずられる。カヤルは何が起こったか分かっていないようで、寝転がったまま、自分の手と正面で尻餅をついているあいしょうを交互に見る。あいしょうは無表情でカヤルを見返した。
「殴られたところ、冷やした方がいいよ。腫れるから」
それだけ言うと、視線をカヤルの向こう側にやって立ち上がる。彼女は混乱したままのカヤルに再び一瞥をくれることなく、その体をよけて片割れの隣に収まりに行った。足もとに落ちている欠けたサーベルの先端を、店の奥に蹴り飛ばす。
エドはカップからコーヒーをすすりながら、傍らに来たあいしょうをちらっと見た。
「ほら、あいしょう。挨拶すんぞ」
「私も?」
「たりめーだ。時計出せよ」
軍人達の背後から、アルがぬっとが現れるのをあいしょうは見た。彼がちょっと肩をすくませているのが、あいしょうに落ち着きを与える。エドも自分も、いつも通りの行動だったに違いない。
軍人達は、冷や汗を垂れ流して焦っていた。あいしょうの腹の中が少しだけすっきりした。
お前らには関係ない下がっとれ、と中尉が言うと、エドはベルトに挟んである銀の鎖を力任せに引っ張った。あいしょうも同じように鎖を手繰り寄せる。
「中尉さんが見えてるってんで、挨拶しとこうかなーと」
「同じく」
大総統紋章に六芒星のあしらわれた銀時計をエドとあいしょうが並ばせると、中尉の顔色が一気に青冷めた。エドはそれを見ながら、またコーヒーを飲んでいた。
その中尉はひそひそと部下と会話したかと思うと、すぐに揉み手をしながら二人に近寄って来た。あいしょうは半歩、無意識に後ずさりしてしまった。
「部下が失礼いたしました。私、この街を治めるヨキと申します」
ヨキは、調子のいい笑みを浮かべて、舌なめずりでもしそうな勢いで二人を自分の屋敷に招こうとする。あいしょうはその後の選択をエドに投げた。エドの方を見ると、エドは微かに笑って、憎まれ口をたたきながらヨキに余所行き用の笑顔を向けて承諾した。
ヨキとその部下は同じ笑みを浮かべて、エドとあいしょうを先導する。あいしょうはエドの後ろについていった。
これだから、政治家というものは。
「ぐわー! ムカつく!」
「どっちが?」
「両方!」
兄と幼馴染が出ていった後、酒場に残ったアルは、男たちの愚痴に付き合う羽目になった。リズミカルにぽんぽん出てくる悪口には、中尉が今までしてきたことがほとんど詰まっていたように思う。
ほろほろと酒場の席も空いてきたころ、アルも寝床を探すために立ち上がろうとした。しかし、カヤルにもう少しいてくれよ、と言われて席に戻る。
カヤルは小さなサンドイッチを片手に、アルの向かい側に座った。カヤルは恐らく彼の夕食であろうサンドイッチをかじり、浮かない顔でアルに問いかけた。
「……なあ。あいつらって、どうして国家錬金術師になったんだ?」
カヤルは視線を落とし、サンドイッチをもう一口かじってよく噛まないまま飲み込んだ。
アルは心の中で首を捻り、聞き返す。
「どうしてそんなこと聞くの?」
すると、カヤルは気まずそうにただサンドイッチを口の中に運び込んだ。それもできなくなると、アルの目を見ないままぼそぼそと話し出す。
「あの2人、ヨキのクソ野郎からオレをかばったんだ。……軍の奴も、そんなことできんのかって思った」
ああ、そのことか。アルは、その場をしっかり見ていなくても、二人の振る舞いが手に取るように分かった。
「カヤルは、あの二人のことどんな人だと思ってる?」
カヤルはきょとんとした目でアルを見つめた。それからしばらく考え込むと、「軍の奴ら」とだけぼそりと言った。
アルは頭を掻いて、もう一回口(ないけれど)を開いた。
「まあ、確かにそうかもしれないね」
アルはごちそうさまでした、と言い残して、椅子から立ち上がった。
カヤルはもう引き留めようとはしなかった。おう、と心ここにあらずな返事をして、組んだ指の上に顎を乗せた。そして、ふとじくじくと痛み出した頬に気付く。冷やさなければ、と思った。
寂れた炭鉱にある屋敷とは思いがたいほどのもてなしを受け、賄賂を贈られた後(二人とも断った)、エドとあいしょうは別の部屋に案内された。幸い隣同士の客室だったため、屋敷の使用人が出て行ってから、あいしょうはエドの部屋を訪ねた。
「エド、」
「あいしょうか。どした?」
ちょこっと開けた扉の隙間から顔を出している彼女に、エドは来い来いと手招きする。あいしょうは失礼しまーす、と形だけそう言って、デスクに座っているエドを後ろから覗き込んだ。旅行記風の手帳に何事かメモしている最中だったようで、羽ペンを右手に持っていた。エドは椅子を回してあいしょうの方を向くと、はーあ、と大きく息を吐いた。
「結局さ、賄賂押し付けられた。いらねっつの、こんなもん」
「私も。デスクの上に置いてあったよ」
あいしょうはズボンのポケットから小袋を出して、エドの旅行記の横に置いた。手触りのいい生地の布袋で、止め紐は絹だろうか、光沢がある。その先端にはまぶしく光る細工物がついていた。恐らく、金だ。寂れた炭鉱で作れるものとは、到底思えなかった。
「あのヨキとか言う奴、こうやってなり上がってきたのかねぇ」
エドはあいしょうの袋を、自分に与えられたものの隣に移動させた。この袋に入っている金貨をこの町の住民に渡せば、多少は暮らし向きが良くなるだろうに。あいしょうはそう思わずにはいられなかった。
複雑そうな表情のエドを、あいしょうは何も言わずに見つめた。
彼は、何故ヨキ中尉の誘いに乗ったのか。それは単に、町の住民たちへの当てつけだ。そして今は、先ほど、ヨキが部下に命じていたことを思い出しているのだ。街を焼き払え、と何の罪悪感もためらいもなく、言い放った命令を。
彼は、基本的に情に厚い。しかし直情傾向にあり、腹を立てるとそれを晴らすために一直線になりがちだ。しかし、先ほどまで自分らを邪険にした住民への怒りは、彼らの立場を考えると、その怒りの行き場を見失った気がしているのではなかろうか。
あいしょう個人は、エドとアルを乱暴に扱われて、住民にはいい印象はない。その一方で、ヨキの命令には反感を覚える。権力に食いつぶされる一般人。明らかに胸糞の悪くなる図式だ。
「……行く? 街の方。気になるんでしょ?」
あいしょうがそう言うと、エドは顔を上げた。金色の目には、天井のシャンデリアが映りこんでいる。
自分たちは、国家錬金術師。年齢に不相応な地位と、権力と、財力を持っている。ただそれらは、国に尽くすために与えられるはずの物であり、エドもあいしょうも、まったく志なんてない。あるのは、きょうだいを思う心と、曲げられない信念と、正義感。
エドは立ち上がると、そうだな、と言って、あいしょうに笑いかけた。まだ彼の目はどっちつかずで、赤いコートを探して、揺れている。あいしょうは一旦割り当てられた部屋に戻って、エドと同じ模様が腕に入った青のコートをとってきた。