巡り巡ってまた巡る
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
5
ヨキの屋敷は、炭鉱からすこし離れた高台の上にある。エドとあいしょうは屋敷の門番を言いくるめ、暗い道を街に向かって降りた。
街の入口に差し掛かったところで、焦げ臭いにおいが鼻をついた。かんかん、と危険を知らせるベルがけたたましく明るい夜に響いた。オレンジが夜闇をかき乱すのが見えて、エドはあきらめのように鼻を鳴らし、コートのポケットに手をつっこんだまま大股で歩く。あいしょうはそのあとについていった。
焼けていたのは、町の酒場。ホーリングの家だ。店の看板を抱きしめて、地面にうなだれるホーリング夫人と、妻の肩をだくホーリングがいた。町の人総出で消火にあたったようだが、店はもう跡形もない。炭と化した酒場を、エドは眺めていた。
「兄さん……」
アルが控えめに兄を呼ぶ。そちらを見ると、悔しそうな表情のカヤルを、アルは慰めている。たくさんのバケツが転がっているのを見ると、アルも消火活動に参加したようだ。
「……親父が錬金術をやってたのは、この街を救いたかったからなんだ」
カヤルの服はすすけていた。エドは、カヤルを見下ろした。
「なぁエド、あんた黄金を錬成できるほどの実力者なんだろ? ぱっと錬成して、親父……街を救ってくれよ……!」
「だめだ」
「そんな……。いいじゃないか! 減るもんじゃなし!」
エドは冷徹に、カヤルの希望をはねのけた。カヤルはぎりぎりとこぶしを握り締め、エドにつかみかからんばかりである。あいしょうは、そのやりとりをアルと一緒に見守ることしかできない。
「錬金術の基本は“等価交換”! あんたらに金をくれてやる義理も義務もオレにはない」
「てめえ……てめえそれでも錬金術師か!!」
カヤルはエドの胸倉をひっぱった。コートの襟もとが引きちぎれそうだ。そのまま殴りかかるかと思ったが、カヤルはエドをにらみつけるだけだった。
「“錬金術師よ、大衆のためにあれ”……か?」
エドはカヤルの腕を払う。
「ここでオレが金を出したとしても、どうせすぐ税金に持っていかれ終わりだ。あんたらのその場しのぎに使われちゃこっちもたまったもんじゃねー」
乱れたコートをなおし、エドはいらついたように顔をしかめる。カヤルはおとなしく引き下がり、悔し涙をぬぐった。
これ以上カヤルが声を荒げないのも、ほかの大人たちが旅人3人に何もしてこないのも、エドが正しいことがわかっているからである。エドは、理屈でものごとを考える。この街を助けるほどの恩もなければ、縁もない。
エドはそれを分かっている。
「そんなに困ってるならこの街出てちがう職さがせよ」
その言葉を発した瞬間、あいしょうとアルにも、空気が変わったことが分かった。街の住民は、一斉に同じ表情をする。
理屈抜きの、感情。
「小僧、おまえにゃわからんだろうがな。炭鉱が俺達の家で、棺桶よ」
ホーリングが息子の頭をなでている。エドが振り向くと、彼らもこちらに背を向けていた。
その後、エドがどうしたかというと、大量のボタ山を金塊に変え、そのボタ山をうまいこと隠して、屋敷の目の前まで運んできた。
豪華な玄関の前で、アルとあいしょうは目配せしあう。ここからは、エドに任せる。
屋敷の門がぎしぎしと軋みながら開いた。使用人らしき人は、大きな白布に覆われたトロッコを上から下まで眺め、エド一行を屋敷の中に入れた。
広間でヨキを目の前して、アルとあいしょうが芝居がかった動きで布を取り去ると、偽物の黄金に欲深中尉は目を輝かせた。しかしそれを瞬時にしまい込むと、エドとあいしょうに伺うように尋ねた。
「……あの……」
「炭鉱の経営権を丸ごと売ってほしいって言ってるんだけど」
まるで大資産家のような振る舞いで、エドは言い放った。15歳の少年が持っているとは思えないほどの財産に、ヨキもその部下も、話の展開についていっていないようだ。
様々な下心をヨキは覆い隠せないまま、エドとの交渉を終えた。ヨキはエドのことを信頼しきっているようで、まだ見ぬ未来への野望を胸に、部下に金塊を運ばせた。あいしょうお手製のトロッコが役に立っているようである。トロッコ数台分にわたる金塊を、鼻息荒くなでくりまわすヨキ中尉であった。
エドは小脇に権利書の入った箱を抱えて、3人は屋敷を後にした。エドの顔は、満足そうににんまりと笑っている。月明かりをたよりに、屋敷から街へ、舗装された山道を下った。
「どこにいっかな、親方」
「倉庫とかじゃない? 暴動の計画立ててそう」
「確かに」
エドの足取りは軽い。街の入口をくぐったとき、屋敷のほうから野獣のような叫び声が聞こえた。きっと、トロッコの中の金塊が、本来の姿に戻ったのであろう。
「急いだほうがいいね」
「そうだな」
3人は片っ端から建物を調べて、大人数の集まっている倉庫を見つけた。黙って聞いていると、屋敷への襲撃を計画しているようである。その中にホーリングの声を聞きつけ、エドは再度にんまりと笑った。
「はーい皆さんシケた顔ならべてごきげんうるわしゅう!」
意気揚々とエドは倉庫の中へ足を踏み入れた。街の住民からの敵意が一斉にこちらへ向く。正面のカヤルが、心底嫌そうにエドに尋ねた。
「……何しに来たんだよ」
「あらら。ここの経営者にむかってその言い草はないんじゃないの?」
エドが挑発するように言うと、住民が殴り掛かりそうな勢いで近づいてきた。エドは得意げに、その眼前に権利書を突き付ける。
「これは……」
「ここの採掘・運営・販売その他全商用ルートの権利書」
街の住民から驚きの声が上がる。
元来目立ちたがりの性格である。エドはにやにやを収めなかった。
「そう! すなわち今現在! この炭鉱はオレの物ってことだ!」
おいうそだろ! とそこかしこから悲鳴が上がる。権利書をひらひらと振って、エドは厭味ったらしくたっぷり間をおいた。
「……とは言ったものの、オレたちゃ旅から旅への根無し草」
「権利書なんてジャマになるだけで……」
アルも茶番に付き合わされることになった。あいしょうは肩をすくめ、エドへの同意を示す。
エドたちの言わんとしたことがわかったのか、ホーリングは奥歯を噛んだ。
「……俺達に売りつけようってのか? いくらで?」
「高いよ?」
エドは悪人面で、にやりと口角を上げた。遠くで軍靴が地面をたたく音がする。レイはそっと倉庫の扉を閉めなおした。
「これ全部ひっくるめて__親方んトコで一泊二食三人分の料金、てのが妥当かな?」
ホーリングだけではない。場が静まり返る。ぽかん、とあっけにとられた表情で、エドを凝視している。
カヤルが小さい声で沈黙を破ると、ホーリングは顔を片手で覆って、高く笑いだした。
「はははは、たしかに高ぇな……!」
で、どうする? エドは得意げにホーリングに歩み寄る。樽をはさんで、親方の鋭い目と対峙した。
「よっしゃ買った!!」
「売った!!」
あいしょうはアルと顔を見合わせた。あいしょうは笑顔だったし、アルの表情も穏やかに見える。
そのときである。扉が勢いよく開き、もたれかかっていたあいしょうは前につんのめった。
「うわっ」
「だっ、大丈夫か」
アルが手を伸ばすより先に、あいしょうの手はたこのある固い手に引っ張られ、転ぶことはまぬかれた。カヤルの手だった。
「錬金術師殿! これはいったいどういう事か!」
ヨキ中尉はたいそうご立腹のようで、正面のエドしか視界に入らないようである。手に持った石を投げてきそうだ。
あいしょうはするっとカヤルの手をほどいた。カヤルは慌てて手を引っ込めると、わけがわからない、というふうにあいしょうのほうを見た。
「大丈夫。見てて」
あいしょうの言った通り、エドは無償で炭鉱を譲り受けた旨の念書を出し、中尉の要求を退ける。
中尉は怒りで震えるが、震える体でも部下に指示を出すのは忘れなかったようだ。しかし、彼はすでにこの炭鉱の所有者でもなんでもない。ただの思い上がりだ。部下も2人しかつれていない。
「どけ貴様ら! ケガしたくなかったらさっさと……」
「炭鉱マンの体力なめてもらっちゃ困るよ、中尉殿」
立ちはだかる炭鉱夫たちが、あっけなく部下2人を投げ飛ばす。完全に怖気づき逃げ腰になったヨキ中尉に、エドはにっこにっこと笑いかけた。
「あ、そうだ中尉。中尉の無能っぷりは上のほうにきちんと話を通しときますんで。そこんとこよろしく」
とどめを食らって、ヨキ中尉は、魂が抜け去ったように崩れ落ちた。
倉庫中に歓声が響く。思わず耳を覆ってしまうほどの。何人かの男はこの事実を知らせに倉庫をとび出し、残りの男たちはエドの周りに群がった。
あっという間に倉庫の中は、喜びに踊る村民であふれかえった。村の住民はすぐさまヨキの屋敷から食べ物を運び出し、宴会を始めた。エドもアルも、もちろんあいしょうも、村民と一緒に大いに食べ、飲み、騒いだ。騒いだのは主にエドかもしれないが。
夜も更けて、東がうっすらと暁色に染まってくる時間に、とうとう最後の酔っぱらいが寝ついた。床に点々と倒れている男たちの間を、あいしょうとアルはホーリング夫人やほかの男の妻と毛布を掛けて回った。
「またお腹出して寝て! だらしないなぁもう!」
言い方は強いが、アルは兄に優しく布団をかけた。お腹いっぱい夫人特製の料理を食べて満足に眠りについたエドのそばに、あいしょうは腰を下ろした。
「すごい寝顔」
「小さいころから全然変わってないね」
アルもあいしょうの隣にがっちゃん、と座る。普段なら音を立てないように気を使うところだが、満腹の兄と酔った男たちが起きるとは思えない。その証拠に、倉庫の中で寝入った人が身を起こす様子は見られなかった。
「なまえちゃん、アルフォンスくん、2人は寝ないの?」
「お構いなく」
ホーリング夫人からの問いかけに、アルが答える前にあいしょうが返答した。
「あいしょう、」
「いいから」
ね、とあいしょうがアルを押し切った。アルは、身体に負担をかけないためにもあいしょうに寝てほしいと思うのだが、あいしょうはちょっとやそっとじゃ健康を揺らがせない自信があるらしい。
それに、あいしょうの気遣いが見えたから、アルは素直に口を閉じた。
「仲のいいきょうだいだねえ」
ホーリング夫人は、友人の家に泊めてもらうことにしたらしい。ほかの妻たちも夜明けが近づいた時間にも関わらず、寝ることにしたようだ。倉庫の中は、いびきをかいて寝こける男たちと、あいしょうとアルだけになった。
あいしょうは膝を立て、その上に頬を載せてアルを見遣る。
「きょうだいだって」
「どっちが上かな」
「私?」
「サイズ的にはボク」
小さい声で笑いあう。
あいしょうは徐にコートのポケットから手帳サイズに折りたたんだ地図を取り出した。周辺の汚れを払うと、地図を広げる。あちらこちらに書き込みがある、あいしょうの地図だ。その地図にひっかけてある万年筆のキャップを抜いて、リオールの場所に丸を付け、次にユースウェル炭鉱のところもぐるっと黒インクで囲んだ。
「東の果てまで制覇したねえ」
「もうこっちに来ることはないだろうね」
あいしょうは重くため息をつく。
「……まただめかあ」
ごく小さい呟きを漏らす。アルは、あいしょうのその言葉を聞いていないふりをした。
あいしょうは無意識にコートの前を閉める。
「あいしょう、寒い?」
「えっ、ううん。そんなことないよ」
あいしょうはさっと地図を折りたたみ、万年筆と一緒にポケットに押し込んだ。アルは、あいしょうの手を自分の手で握る。
「アルこそ、どうしたの」
「寒いならって思ったんだけど。昔3人で寝てたときのこと思い出した」
えへへ、と恥ずかしそうに笑うアルを見て、あいしょうはこみ上げるものを抑えた。あいしょうも、感覚がない鎧の手を優しく握り返す。
「冬とかね。ずっとお父さんの部屋で寝起きしてたから、すごく寒かったね」
「そうそう。ボクと兄さんは平気だったけど、あいしょうだけ1回風邪ひいて」
「ウィンリィとばっちゃんに怒られたなあ」
ふふ、と2人で懐かしそうに幼いころを思い出す。何も知らず、ただひたすら禁を犯すことを目標にしていた自分たち。あのとき、禁が禁たる理由も知らず、無邪気に研究をしていたのに、今はこの世の理に反することを願っていた人を諭している。そのことが、あいしょうの心にぽつんとインクを落としたように、残っていた。
「父さん、今なにしてるのかな」
「エドが起きてるときは禁句ね」
それから、ぽつぽつと2人は思い出を交わした。今の時季に収穫になる野菜のこと、3人暮らしを始めてからのこと、故郷の友人のこと。
赤かった空が白んでいくと、あいしょうはかくんと首を折るようにして眠りについた。
「……やっと寝た」
アルはやれやれ、というふうに、あいしょうの体を自分にもたせ掛けた。