巡り巡ってまた巡る
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3
悪徳教主にすり減らされたのは精神力だけだったようで、体力は問題がない。列車に乗って一息ついたら、あっという間に気力を取り戻した。車窓から見える外はもう暗く、ガラスには車内の景色が映るばかり。
紙袋から布を取り出してぱぱっと新しい服を作ってしまうと、三人は地図を開いた。あいしょうは鞄から日記帳を探り当て、膝に乗せた。これは乗り物に乗った時のクセだ。
「次の街まであと何駅?」
「3駅」
「あんまり遠くないね」
あいしょうは身を乗り出して、向かいに座るエドの手の中をのぞき込む。本当は隣に行くのが一番いいのだが、アルが大きすぎてその反対には座れなかった。
がたんごとん、と列車が揺れる。静かな車内は、落ち着くどころか逆に不気味だった。
「だーれも乗ってないね」
「噂には聞いてたけど、これほどとは……」
あいしょうは空っぽの車両を見回した後、苦い顔で微笑んだ。
「まぁ、場所が場所だからね」
「そんなところに観光もなにもないか」
エドはそれを最後に地図をしまうと、代わりに分厚い手帳を出して、読み始めた。あいしょうも自分の日記帳に目を戻した。
そのうち目がとろとろしてきたエドを、アルと一緒に見守った。起こすのは気の毒だと放っておくと、完全に瞼が閉じきり、その手から手帳を取り落としそうになった。寸でのところでキャッチしたあいしょうは手慣れたもので、彼の旅行鞄の中に丁寧に仕舞った。
穏やかな寝息を立てるエドを見て、自然にあいしょうは笑顔になる。一方でアルは肩をすくめるだけだった。
「まったく、1人で2席占領して」
「まあまあ。荷物に寄り掛かってるだけだから」
エドは硬い旅行鞄に腕をつき、それで顔を支え、眠っている。かく、かく、と列車の揺れに合わせて頭が揺れて、金髪が肩から垂れ下がった。
小さな駅だった。
熟睡しかけていたエドを二人がかりで起こし列車から降りると、無機質な機械音に満ちた町へ出る。
「何か……炭鉱っていうともう少し活気あるもんだと思ってたけど……」
「皆さんお疲れっぽい……」
目的地・ユースウェル炭鉱に着いたのだが、三人の表情はどこか浮かない。やせ細った犬が目の前を通りすぎていくのを見て、あいしょうは更にげんなりした。
この町が貧乏そうなのは、この土地が駄目だからか。それとも治め方が悪いのか、それとも両方か。できれば政治がらみは遠慮願いたい。
ひゅん。ごっ。
突然、あいしょうの真横を何かがかすめた。鈍い音のした方に目を向けると、幼馴染が地面に倒れていた。
「おっと、ごめんよ」
「エド大丈夫!?」
あいしょうはかがみこんでエドの様子を診ようとしたが、元気印の幼馴染には必要なかったみたいだ。いつものテンションで文句を言っているのを見て、安堵した。
エドを打ち倒したのは、謝った少年が担いでいる角材だったようだ。
少年は三人を見るなり目を輝かせ、エドに迫っていった。あいしょうは巻き込まれないようにそっとアルの隣に移動し、エドのするように任せる。
「親父! 客! 金ヅル!」
「金ヅルってなんだよ!」
上方にそう呼びかける少年の視線をたどった先には、パイプを担いだ炭鉱マンがいた。
「いやホコリっぽくてすまねえな」
「そんな。宿が見つかっただけでもありがたいです」
炭鉱マンはホーリングという人で、少年は息子のカヤル。その一家が経営している店で一夜を明かせることになった。都会ではあまり見かけない、木造の落ち着いた内装だった。
「お嬢ちゃんたち、この町に何しに来たんだ?」
「ちょっと探し物を」
テーブルについたあいしょうに、店にいた他の男たちが声を掛けた。あいしょうもお支払いはエドに任せ、話に乗ることにする。
「探し物ってなんだい?」
「まぁ、いろいろと」
へらっと笑ってはぐらかす。我ながら苦手分野をよくやっていると思う。彼らも深くは追求してこず、あいしょうは密かに手汗を手袋の内側で拭った。
すると、正面に座っていたエドが、椅子から転げ落ちた。何が起きたのか、全く話を聞いていなかったあいしょうに、男たちは苦笑混じりで説明する。
「ここいらの宿泊代は高ぇんだ。相場は20万」
「……おぉ」
その金額があれば、錬金術関係の本がたくさん買える。その額は、それなりに苦しいユースウェルでは生活するため仕方ないのかもしれない。だが、それはそれでこれはこれ。普段そこまで持ち歩いている訳ではない。あいしょうは野宿を覚悟した。
「おいあいしょう! のんきに談笑してねえでこっち来い!」
「うわっ!」
ぐい、と下からコートを引っ張られ、あいしょうも椅子から転げ落ちた。ごつっと膝をついてエドの隣に何とか落ち着くと、彼は財布の中身を確認していた。
「た、足りん……」
「私は別に外で寝ようが食事抜こうが平気だけど」
「女の子がそんなこと言っちゃダメだよ、あいしょう」
エドの財布にあいしょうの財布を足しても半分以上足りない。エドは足元に落ちていた石を拾い上げると、焦りながら旅の仲間を見遣った。
「こうなったら錬金術でこの石ころを……」
「エドお願い犯罪者にだけはならないで……!」
「バレなきゃいいんだよバレなきゃ」
「兄さん悪!」
フフフ、とイヤな笑いをする幼馴染に、あいしょうはらしいなと思いつつ、本当に実行してしまったらどうしようと頭を悩ませた。すると、肩にぽんと誰かの手が置かれた。
「姉ちゃん、今の話、本当か?」
少年、もといカヤルが興味深げに三人を見下ろしていた。あいしょうがぎこちなく頷くと、カヤルは興奮気味に錬金術師だ! と騒ぎ出した。
話はあれよあれよと進んでいき、気付いたらエドはツルハシを直すようせがまれていた。その場にいた全員が、その様子をじっと見守る。反応光が消えた後、残った愛用品の新品同様の姿を確認して、歓声が上がった。
「嬢ちゃんも術師なのか?」
「そ、そうですね」
女なのにすげえな、と町人の一人が豪快に笑った。なんだか、居心地がいいのか悪いのか分からない。
何とか折り合いがついたのかどうなのか、エドに手招きされたあいしょうは、素直にその向かいの席に収まった。
「そういや、名前聞いてなかったな」
エドの方には既に食事が届いていた。姉ちゃん少し待っててな、とカヤルが父親の後ろから言ったので、あいしょうはありがとうと返した。
「オレはエドワード・エルリック。で、こっちが……」
それは恐らくコンマ数秒の出来事。エドがいざ食そうと構えていたナイフとフォークは、木製のテーブルに突き刺さっていた。
「錬金術師でエルリックって言ったら__」
国家錬金術師の? そうホーリングが言った途端、周囲の温度が数度下がったように感じた。彼の爽やかな笑顔が恐ろしい。あいしょうは素早く視線を巡らせると、何が起きても“対処”できるように、少しだけ椅子を後ろに引いた。
それからもあっという間だった。兄弟は荷物ごと放り出され、あいしょうは出て行ってくれ、と直接ホーリングから指示された。
「女に乱暴したくねえんだ」
「わかりました」
慣れてます、と吐き捨てるように言うと、あいしょうは伏せ目がちで椅子から立ち上がり、鞄を持って出口へ歩き出した。一瞬だけ見えたカヤルの表情には、幼いながらもその認識は大人と同じなのだと悟らせるこわばりが浮かんでいた。
「私も、同じなので」
それも、コンマ数秒の出来事。見たこともないような目の色が、振り向いた。白い月光を背負って、町の人々を射すくめる。寒気のするような目だった。
あいしょうが悠々と店を出ると、アルだけ一般人でーすなんて言って中へ戻っていった。その意図が何となくわかるとあいしょうは店に背を向け、転がっているエドに手を差し出した。
「さんきゅ」
「はいはい」
差し出された右手に、エドは左手で応じる。
その目を、エドは何度か見たことがあった。最初は故郷で、エドが読んでいた錬金術の本を面白半分に馬鹿にされた時。次のは、気弱なアルが悪質なからかいにあっていた時。他にも、鼻持ちならない観光客が来た時や、軍関係者が我が物顔で故郷を練り歩いていた時。最近は以前ほど見なくなったが、あいしょうのその視線は、嫌なものに対する諦めなのだとエドは知っている。
久しぶりに見たその目は、随分と冷たかった。ほのかな明かりが映りこんでいて、宝石のように綺麗で、それと同じくらい温度もなかった。
エドは立ち上がると、あいしょうから視線を逸らす。夜闇に飲まれた炭鉱が、二人を取り囲んでいた。
「しょうがねえさ、あいしょう」
「そんなことわかってる」
エドはあいしょうの手を解き、軒下へ先導した。古びて黒ずんだ木製の床に腰を下ろすと、脆くなっているのかぎしりと軋んだ。
「……エドは、違うのに」
「ったく。毎回これじゃねーか。分かってたことだろ」
「そうだけど。……そうじゃない」
エドは大きく息を吐いて、きょうだいの髪を乱暴にかき回した。あいしょうは嫌がる素振りも見せず、膝を抱えて受け入れた。
「何にも、知らないくせに」
「知ってたら大問題だろうが」
エドの手は未だに止まらない。こうなったあいしょうはなかなか機嫌を直さないのを熟知しているからだ。
あいしょうは、いつもこうだった。何か大事なものを手ひどく扱われた時、星や月がない夜空みたいな表情をする。初めて目の当たりにした時は少し怖かったが、そうなった経緯を聞いて、幼心なりに喜んだものだ。昔から変わっていない、面倒くさくも愛おしい癖だった。
「……資格とるのは私だけでよかった」
「馬鹿かお前」
「うっさい」
「そうか馬鹿なのかよーく分かった」
エドは頭を撫でていた手をそのまま下に押し下げる。う、とあいしょうは呻いていたが、これもいつものことだった。
「だって、」
「あーはいはいわかったからもう黙れ」
くぐもった声でまだ言い募るあいしょうを、更にエドは圧迫する。
「味方がいるだけ、気が楽だよ」
ぼそっと、けれどあいしょうにも聞こえるように呟いて、エドはその頭から手を放した。首痛いーと文句を口にする片割れを横目で見て、自業自得だばーかと言う。
今日の荒れ具合は、前に比べて酷かった。いつもであれば、視線は冷たくても顔はあそこまで落ち込まないのに。やはり、自分達だけが手ひどく投げ出されたからだろうか。彼女は、そういうところにばかり敏感だから。
エドに抑えられた箇所に手を当てながら、あいしょうはゆるりと頭を上げた。
「……エド、お腹空かない?」
「平気だよ。今のところは」
「じゃあその内空いてくるんだね」
くすり、と笑ったあいしょうに、エドは密かに安心した。紫色の目が店から漏れる光を映し、穏やかに細められている。月が照らしだす色白な頬は、微かに上がっていた。
この辺りは無駄な街灯がないので、夜の空が明るい。あいしょうは、エドに圧された後頭部を、髪の毛を整えるような素振りでなでた。そのまま後ろに手をついて体重をのせ、天を仰ぐ。
「リゼンブールを思い出すね。みんな元気かなぁ」
「どーせ何も変わってねぇだろ」
エドもあいしょうに倣う。故郷より幾分小さい夜空だったが、街中で見るよりよっぽどそれに近かった。
徐々に怒気が収まっていくのを感じたあいしょうは、そっと目を閉じた。
あの様子からして、宿はとれまい。たまには外で一夜を明かすというのも粋なものだ。気温はやや低めだが、体調を崩すほどではない。うん、冷静になったらポジティブに考えられるじゃないか。店から音は聞こえないから、この静寂も中々良い__
ぐぅぅぅ。
あいしょうはバッと隣の幼馴染を睨んだ。せっかく人がいい方向へと思考を巡らせようとしているのに。
「エド……」
「し、しょうがねぇだろ! 生理現象なんだからさぁ!」
あいしょうはそんな言葉には耳も貸さず、無言でエドの脇腹を思い切り突いた。
「昼から何も食ってねぇんだって!」
「……にしても羞恥心無さすぎ。だから子供って言われるんだよ」
そうだった。こいつは多分恐らくきっと育ち盛りの、れっきとした男子だった。こいつにそんなこと求めた自分が馬鹿だった。あいしょうは前髪をくしゃりとかきあげた。
ぐぎぅぅぅぅ。
もう一回、今度は先ほどより盛大に鳴った。彼の胃は、どうやら食べ物を欲してやまないらしい。
腹減ったんだよ悪いかよ! と逆ギレしだしたエドに冷やかし笑いを返してから、あいしょうは旅行鞄を手繰り寄せた。非常食を入れた記憶はないが、万が一の奇跡もあり得るかもしれない。鞄の鍵を開けるため、コートの内ポケットを探る。
「あいしょう、兄さん。お待たせ」
がしゃん、と後ろから音がした。二人でほぼ同時に振り向くと、そこにはトレイを持ったアルがいた。
「ボクに出されたの、こっそり持って来た」
「弟よ!」
瞬間移動か。いつの間にかあいしょうの右側にいたエドは、アルに抱き着いていた。
あいしょうが視線を上げると、アルと目が合った。ありがとう、と微笑んで言うと、弟分は気にしないでと返してくれた。
エドは受け取ったサンドイッチを二つに割ると、片方をあいしょうに差し出しながらその横に戻って来た。お礼を言って、あいしょうは今晩の夕食を手に取る。
がしゃん、とアルもあいしょうの隣に座ると、店の中で聞いた話を教えてくれた。
「おかげで充分な食料もまわって来ないんだってさ」
「……そっか」
エドはうつむき気味で反応したが、あいしょうは黙りこくってしまった。
そんな彼女に気を使ったのかどうか、エドは話題を貧困の原因に移す。話にも出てきた、嫌な中尉のことだ。
「そんなヤツがいるから軍人はますます嫌われるんだぜ」
「……ボクも国家錬金術師の資格、とろうかな」
ごん。
アルがそう言った瞬間、あいしょうの拳がその肩に当たった。
「あいしょう?」
「アルはダメ」
え? と首を傾げるアルを見て、エドはため息をつく。そして、あいしょうの頭を盛大に小突いた。
「首がごきって鳴った……!」
「あほ、言葉が足りねーよ」
あいしょうの訴えをスルーし、エドはサンドイッチを一口。もごもごと咀嚼して飲み込むと、へらっと笑った。エドは何気なく、銀時計に連なる鎖をベルトに挟みこんでアルの視線から隠した。
「針のムシロに座るのは、オレ達だけで充分だってことだよ」
それを聞いて、アルはどことなく視線を上げた。
「軍の犬、かぁ」
あいしょうもアルに倣う。
今まで出会った人の中で、国家錬金術師にいい顔をする人は皆無に等しかった。それは、当然のことだとは分かっているのだ。分かっているけれど、この片割れをぞんざいに扱われるのはいやだった。
あいしょうもサンドイッチをかじった。ぱさぱさのパンが口の中の水分を奪い、しなびた野菜が上あごに張り付いた。
「師匠が知ったら何て言うか……」
ぼそりとアルが呟く。途端に、三人に正体不明の寒気が走った。
あいしょうが口の端を引きつらせていると、どかどかという平和ではない物音と、どけどけというこれまた物騒なだみ声が聞こえた。
3人そろって困惑気味な顔を見合わせて、そろりと店の入り口へ向かう。中には、見慣れた青い軍服が3つ、立ち並んでいた。