英雄譚エルダー・エッダ
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4
麗日と二人で教室に帰ってくると、既になまえの隣の席には生徒が戻ってきていた。緑髪の、デクという人だ。彼は先ほど各々が相澤から受け取った身体能力テストの詳細結果とにらめっこしていた。
なまえが席についても彼は顔を上げる素振りすら見せなかったため、なまえもただ何も言わずに結果を眺めた。どの結果も平均的に上々だったが、その中でも特によかったのが持久走だ。中学のときよりもタイムが縮んでいる。その反対に、最もよくなかったのはハンドボール投げだった。過去の記憶している記録と比べ、あまり変化がないように思われる。なんだかな、となまえは心の中で呟いて、片腕を使ってもう片方の腕を横に伸ばした。
ざら。なまえの指先がわずかばかり彼のブレザーにかする。
「ごめんね」
ぱっとこちらを向いた彼は、途端真っ赤になって、かちっと固まった。その様子が何だか初々しくて、なまえは失礼だとは思ったが、少し笑ってしまった。すると、彼は更に赤くなって、今度は縮こまった。
「ねえ、さっきの傷大丈夫だった?」
「えっ、うっ、うん。リカバリーガールに治してもらったから……」
「そう。よかった」
なまえが優しく笑って見せると、彼は赤い顔のまま、さっきはありがと、とぎこちなく言った。
なまえは、麗日が言っていたことを思い出した。試験のとき、彼に危ない所を助けてもらったこと。照れ臭そうにしている彼を見て、なまえは会話を続けることにした。
「ねえ、入試のとき麗日さんを助けたんだって、すごいね」
「えっ!?」
「驚き過ぎ」
「ごっ、ごめん。でもどうして知って……」
「さっき麗日さんから聞いたよ。もう本物のヒーローみたいだね」
にこ、となまえが笑うと、彼はさらに顔面を赤くして、下を向いてしまった。極度の照れ屋か、それとも女子慣れしていないだけか。
なまえは、正直どちらでも構わなかった。隣の席の人には悪印象を与えなかったら、それでいい。
彼は、意を決したように、赤い頬をしながらも顔を上げ、なまえの方を向いた。
「あ、あの、僕、緑谷出久って言います。よろしくお願いします。あの、さっき借りたハンカチ、洗って返すね」
どもりながら、ようやく言えました、という風を漂わせていた。これは演技ではなくて、元からの性格だったのだろうなあと思う。その内気とも卑屈ともとれる性格は、何故だかなまえに安らぎを与えた。
「みょうじなまえ。こちらこそよろしく」
すると緑谷はこくこくと赤い顔を上下に激しく振りながら、うわああ僕女の子と自己紹介してるうわああとぶつぶつ言っていた。これは女子慣れしていない方だな。その様子が面白くて、思わずなまえは吹き出した。そうしたら緑谷は、あああごめんなさいと謝り出した。小声で言うから、しゅーっという音に聞こえる。なまえはいいよいいよと手を振って、その意志を示した。
少しして落ち着いたのか、緑谷は強張った表情を崩した。
「みょうじさんは持久走が得意なんだね」
「まあね。緑谷くんも得意そうだけど」
机の上に広げた成績表を見て、緑谷は平均高い……と感嘆していて、その素直さが、なんだか眩しい。
照れ隠しに、へへ、となまえが笑うと、緑谷もつられて笑った。その笑顔は、素朴で、他意がなくて、優しかった。
こんな風に笑える人になってみたかった。
*
その日はオリエンテーションで終了し、下校時刻となった。緑谷は飯田に連れていかれ、なまえはその後麗日に一緒に帰ろうと誘われた。
「明日から授業かー。楽しみ!」
「そうだね」
麗日はにこにこしながら、なまえの隣を歩く。屈託のない笑みは、緑谷とは笑い方は違えど、本質は同じもののような気がした。彼女は今日一日でクラス中の人と仲良くなっていた。なまえはというと、朝に声をかけてくれた人と、緑谷くらい。他の人とは特に接点がなかったのだった。
ちょっと1つ、嬉しかったことは、数多く友人をつくった麗日が、自分と一緒に帰りたがったことだった。
玄関を出ると、前方に緑谷と飯田がいた。麗日はちらっとなまえの方を振り返った。なまえも麗日の目を見た。二人とも、言いたかったことは一つ。彼らはきっと自分達と同じ駅のユーザーで、更に今日仲良くなれたクラスメイトだった、と。なまえは飯田との接点はなかったが、この際話してみるのもいいと思った。
「緑谷くんと飯田くん、誘う?」
「うん! なまえちゃんも行こう!」
麗日はなまえの手を握って、走り出した。なまえは彼女に身をまかせ、肉球の柔らかい手を感じてそれに続いた。
「おーい! お二人さーん! 駅まで? 待ってー!」
軽快な麗日の後ろから続く。追いつくと同時に、麗日はなまえを振り返って、にっと笑う。肉球が離れていったのが、ちょっと残念だった。
「君は∞女子。それと君は朝の……」
四角い眼鏡の飯田が、至極真面目は表情で麗日をそう呼んだときは、なまえは笑いだすのを全力でこらえなければならなかった。彼の言葉は尻すぼみで消えていき、心外だと言いたそうな顔をしていたが、面白かったものはしょうがない。
「麗日お茶子です!」
「みょうじなまえです。私にはアダ名ないの?」
「いやアダ名というか、印象名だ」
「真面目か!」
飯田の真面目な返答に、麗日と緑谷もつられて笑った。
「緑谷くん、飯田くんと仲良かったんだ」
「あ、さっき飯田くんに声かけてもらって」
「なになに、なまえちゃんもう友達だった?」
「席が隣なの」
「そうなんだ! 私の前、飯田くんだよね! 飯田天哉くん!」
「そうだったな。今後ともよろしく」
「よろしく! そちらはえっと……緑谷デクくん?」
「デク!?」
彼の下の名前は出久だ。デク、は聞き覚えがあった。爆豪が彼のことを呼ぶときだ。爆豪と緑谷は、傍から見ても知り合い以上なのは明らかで、妙に爆豪は緑谷をライバル視しているのかなんなのか、突っかかることが多い理由は、ノルンの知るところではない。爆豪がそう呼んでいるのは、デク、というのが緑谷の中学や小学校でのあだ名だったのだろうか。
「あの……本名は出久で……デクはかっちゃんがバカにして……」
「蔑称か」
緑谷は、それをなまえと麗日に言いにくそうに、顔を赤くさせながら説明した。事実であるという以上の意味を込めずずばり言い切った飯田に、緑谷はどこかほっとした顔だった。
「えっ、そんな意味だったの?」
なまえは、少し驚いた。デク、デク……ああ、木偶、か。言われてみれば、漢字で書くとそうなる。
がっかりした。悲しいとも思った。音の響きしか聞いていなかったなまえは、何となく、可愛げのある、けれど飾らない、かりっとした舌触りの、呼びやすいあだ名だと思っていたのに。文字に起こしてしまうと、こんなにも嫌な感じで、無粋だ。
なまえは初対面でアダ名を呼ぶほど、人懐っこい性格ではない。そして蔑称を堂々と大きな声で口にする爆豪の態度。明らかに友好的とは言えないまでも、普通そういうのは日常の呼び名に使わないだろうというなまえの良識をもとにしたら、デクの意味には気付けない。
「なんでそんな残念そうな顔なの!?」
「あのね、蔑称だからイヤかもしれないけど」
緑谷はなまえの真意が読み取れなくて、それでなくとも女子2人と会話していることに頭がついていってないのか、よくわからない慌て方だった。
「確かに、ちょっと残念。かわいいし、素朴な感じで。こう……気取ってない感じ? が、応援したくなる、みたいな」
「えっ」
「ほら。体力測定のときに。相澤先生に邪魔されたけど、すっごく頑張ってたから。それ」
緑谷はその場で、真っ赤な顔のままがちんと固まった。そんなに嫌だったろうか。
「そうだよねえ! なまえちゃんも思うよね! “デク”って、“頑張れ!”って感じで、いいよ! なんか好きだ、響きが!」
「いいね、それ。頑張れ、って感じ」
「応援したくなる感じ!」
麗日も似たようなことを考えていて、なまえは安心した。にこにこの麗日の表情は、何故かそれを向けられると自分が肯定されたような気になってしまう。つい彼女の影響で喋りすぎてしまったが、麗日も同じくらい喋っていたので、許してもらおう。
緑谷は、なまえが人生で一度も見たことないくらいに、顔を真っ赤にしていて、嬉しそうに、針金が抜けたハンガーの残骸のようにふにゃふにゃの口角で、目を見開いて。なまえはつい麗日の方へ身を引いてしまった。
「ぼ、僕、デクです」
「緑谷くん!! 浅いぞ!! 蔑称なんだろ!?」
人間って、こんなに照れることが可能なんだろうか。生真面目な飯田の問いただしにも、そうだけど……そうなんだけど……と呻きながら、今にも血流が顔面の穴と言う穴から吹き出しそうなくらい血色の良くなった顔を、思い出したようになまえと麗日から隠した。
「コペルニクス的転回……」
「こぺ?」
なんかちょっと、言いすぎたかも。なまえは、そう思いかけていた矢先に、緑谷の手の下のニヤついた口元を見て、そんな気持ちはなくなった。
かっちゃん、もとい爆豪は、緑谷のことを見下している。なまえは、数年前に自分に向けられた感覚を思い出して、ぞわっとした暴力性がかすかに脳裏に蘇るのを、深呼吸1つで抑え込んだ。
緑谷が、こんなに喜んでいる。それでいいじゃないか。彼が私たちと出会って、狭苦しい人の気配でできた格子窓から解放された学校生活を送れるなら。この程度の言葉で、こんなに嬉しがってくれるなら。
素直に誉め言葉を受け取って、そうやって照れているといい。そんな純朴な性格は、恐らく、後天的に獲得することは不可能だ。
緑谷が指の隙間から目を覗かせているのに、なまえは気付いた。なまえはずっと、照れで震える緑谷の横顔を見ていた。まだ赤い緑谷の耳を眺めていたら、ぱちっと目が合った。
すすっと逃げていく視線。それがなんだか面白くて、意識しなくても、なまえの唇がにやにやと意地の悪い笑みを浮かべだした。
「まだ照れてんの。かわいいね」
そう。かわいい。そういう初心な反応が。純粋過ぎて。つい、私がからかってもいいかなって、思ってしまう。
緑谷は、うっという呻きを、掌と唇に押し潰されて、くぐもった悲鳴を上げることしかできなかった。