英雄譚エルダー・エッダ
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3
「てめえ面かせ」
日課の朝ランニングを終えてしまったら、家にいてもすることがない。暇だから、という理由で始業一時間も前に教室になまえは来ていた。学校に来てもすることはあまりなかったが、それでも学校探索で何とか30分をつぶした頃教室に戻ってみると、数人登校していた。おはよう、と近くにいた人に挨拶しようとしたら、突然目の前に現れた少年が物騒な顔で物騒なことをのたまったのだった。
瞬時に思考を巡らしても、よい返答は出てこない。咄嗟に口を開いた。
「おはよう」
「……お前耳あんのか」
「あ、あるけど」
戸惑いながら返答すると、その様が気に入らなかったのか、少年の目はみるみる吊り上がった。
「うるっせえ! 俺はてめえと話すために話しかけたんじゃねえ!」
トラブルとは積極的に関わりたい訳ではない。それでも、彼の目の前から逃れることは無理そうだ。彼の薄い色素の髪の毛には見覚えがあった。受験の時、同じグループにいた少年だ。名前は知らない。
「勝負しろ」
「え?」
少年の渾身の一睨みを受け、なまえはうろたえた。その反応が癪に障ったのかどうなのか、彼のこめかみがぴくりと動く。
「覚えのねえって顔だな」
「覚えって……」
ぴくぴく、と次は二回動いた。ぎりっと少年の握りこぶしにはかなりの力がこもり、血管と骨がくっきり浮かび上がる。
なまえも、段々腹が立ってきた。彼との縁は一瞬で、試験のスタート時のみ。それなのに、何故ここまで絡まれないといけないのか。
「じゃあどうするの? 今から闘うの?」
「……そりゃいいや。教壇の前出ろ」
にたあ、とどこからどう見ても悪人面にしか見えない表情を浮かべる少年に、なまえは従った。ちらりと座席を見遣ると、はらはらと息をひそめる表情と目が合った。なまえはちょっと眉尻を下げて、ごめん、と口だけ動かして謝った。
「いくぞ!」
試験で見た時より弱く、少年の手から煙が上がった。対人を意識してのことかここが屋内であることを考慮したかは知らないが、それでも十分危険だとなまえは少年を真っ直ぐ見つめて、考えていた。
少年が、板張りの床を蹴った。なまえも両手を構え、踏ん張る準備をする。マジかよ! と絶叫する声が聞こえた。叫んだ彼が、止めに来ませんように。なまえは密かにそう思った。
少年の掌が、真正面からなまえに襲い掛かる。
「借りは返すぜ!」
彼の口角は、僅かに上がっていた。ああ、分かった。確かあいつは、その時もこんな顔をしていた。自分の実力を信じて疑わない顔。上を見上げるのがとても嫌いな、この顔。そして私は、恐らく、そのとき彼に嫌われたのだ。
どぉおん!
なまえの目の前で、オレンジの炎が爆発した。なまえは呆気なく後方へ吹き飛んだ。体は扉を突き破り、廊下に残骸ごとどさっと無様な音を立てて、叩きつけられた。
「……は?」
爆豪は、襲い掛かる体制のまま、固まった。
おいおい大丈夫か、と先ほど叫んだ生徒が、慌てて廊下に出た。傍観を決め込んでいた者も席を立って、恐々なまえの様子を見に行った。
彼らがなまえの下に辿りつく前に、なまえはぶはあ、と見るも無残な扉の下から、擦り傷のいくつかついた顔で出て来た。
「いやー、さすがだね。強いねえ」
私なんか全然敵わないや、とおちょくるようにおどけた。なんだよー、と真っ先に駆けつけてくれたクラスメイトから力が抜ける。彼の赤いとんがり頭の後ろから二人、なまえを覗き込んでいた。心配してくれてありがと、となまえはなおも笑ったまま、彼らの方を向く。
「……っんで!」
次の瞬間目の前には爆豪がいた。胸倉をつかまれて、そのまま引き上げられる。頭の尖ったクラスメイトがおいやめろ、と一歩前に出て来たが、なまえは片手でそれを制した。
「何で本気を出さねえ!」
そして、なまえの顔から笑みが消えた。きりきりと絞められる襟が苦しかったが、なまえはそんなことをおくびにも出さず、表情の見えない目で爆豪の赤い目を眺めた。
激しい目で、いい目だ。なまえは、真面目に爆風を受けるような人間ではない。彼のタイミングに合わせて、床を蹴って後ろに逃れただけだ。爆発の残渣で体は浮いたが、それだけ。あとは何度か風の勢いにのってジャンプで後退した。扉が閉まっていたのは失念だったので、爆風を受けるタイミングを見計らい“個性”で脆くして背中で突き破ったのである。それがあたかも、彼の“個性”で吹っ飛ばされたなまえが、扉を巻き込んだように見えたのだ。彼は、真実が見えていたようだ。
それはともかくとして、こちらに彼の感情の暴走の責任はないし、何より馬鹿らしい理由で突っかかられたことにはいらだつ。なまえは、そこまで温和な人間ではなかった。
「試験で私からロボット横取りできなかったってだけで喧嘩ふっかけられてもねえ」
爆豪はなまえを睨みつけ、なまえはその爆豪に無表情で応える。
沈黙の数十秒後、爆豪はちっと舌打ちをして、突き放すようになまえを解放した。ああ、これだ。試験会場でもこの舌打ちを聞いた。
なまえはぐらりと倒れかかったが、素早く手を貸してくれたクラスメイトのお陰で、倒れ込まずに済んだ。爆豪は大きな足音をたてて、教室に入っていった。
「大丈夫かよ。ったく、初日から馬鹿やってんじゃねえよ」
「助かりました」
なまえが表情を崩すと、彼もつられて強張った顔をほぐした。純粋にこちらを心配してくれたのだろう。彼の笑顔を見たら、喧嘩っ早い同級生へのいらだちは消えていった。
「俺、切島鋭児郎。名前なんてーの?」
「みょうじなまえ。ありがとね、切島くん」
「いいってことよ。怪我は?」
「ないよ」
なまえは、両手を広げてみた。擦ったところもなく、脚にも扉のパーツが刺さったなど、流血はない。痛いところもない。切島はなまえを支える気満々だったようだが、その手は無駄に終わってしまった。なまえは切島に、ありがとう、と声をかけた。
「丈夫だなあ」
「よけてるよ。あんなのまともに食らったら死んじゃう」
ノルンは今まで自分が座り込んでいた所にしゃがみこみ、周囲の扉の残骸を一撫でする。大小の破片は、震え出したかと思うと、中心に集まり出し、下方から音もなく組み合わさっていく。かと思えば、なまえの前には元通りの扉があった。
「おお。修理する“個性”?」
なまえは教室の桟の周りに触れながら、違うよ、と答えた。その時にはボロボロに砕けた入口の形が戻っていて、なまえは扉をはめ込もうとしていた。
「状態を戻したり進めたりするだけだよ」
がたん、という音の後は、もう完全に学校は直っていた。扉を開け閉めして異常がないことを確かめると、おーわり、と能天気に切島を振り返った。
「どお? 何があったかなんてわかんないでしょ」
「便利そうだな」
俺尾白猿夫、と温厚な顔をした生徒が、まじまじとなまえが修理した入口を見る。すっげえ、と呟いて、我に返ったように峰田実よろしくな、と手を差し出した背の低い男子生徒と、なまえはぎこちなく握手した。
「扉の前で戯れるのは止めないか! 教室に入れないだろう!」
背後から大きな声がかけられた。突然のことで、4人とも肩を跳ねあげる。振り向くと、眼鏡の真面目そうな男子生徒が立っていた。悪い、と切島が謝ると、分かってくれたならいいんだ、と彼は眼鏡を押し上げながら爽やかに笑みを浮かべた。
彼に続いて4人が教室に入ると、既に先ほどの真面目眼鏡少年と爆豪が、言い争いをしていた。どうやら爆豪の素行の悪さが目に余ったようだ。二人の言い合いはヒートアップしていくばかりで、収束する様子は見えない。それに巻き込まれないように、なまえは自分の窓際の席に収まりに行こうとした。
「大丈夫だった?」
その途中に、女生徒から声を掛けられた。大きい目にV字の口が特徴的だった。なまえはひらひらと手を体の前で振って、平気なアピールをする。
「大丈夫」
「個人的なことには首を突っ込みたくないから手を出さなかったけど、体気を付けて」
「ありがとう」
すると彼女は、あまり変わらない表情で、私は蛙吹梅雨、と自己紹介をした。
「あなたはみょうじなまえさんね。さっき聞こえたわ」
「そうだよ。よろしくね、蛙吹さん」
「梅雨ちゃんと呼んで。あなたのことはなまえちゃんでいいかしら」
「好きに呼んでいいよ」
梅雨は、友達増えるわ、と声色は嬉しそうに、しかし表情はあまり変わらずに、小さく呟いた。なまえは去り際でそれをはっきり聞いたが、何も言わなかった。
机につくと、なまえはすることが何もないことに気が付いた。爆豪のおかげで15分潰れたから、その分は彼に感謝だ。なまえは頬杖をついて、賑やかになっていく教室をぼんやり見つめた。春のうららかな日差しが、眠気を誘う。黒い髪が熱をもっていくにつれ、教室は騒ぎ声で一杯になっていく。
意識が、遠のきかけた。
聞き覚えのあり過ぎる声に、なまえはびくりと我に返った。どうやら寝てしまっていたらしい。それよりも、教壇に立つ蓑虫の顔を見て、驚いた。
育ての親が、担任とは。
「コレ着てグラウンド出ろ」
相澤が教卓の上にビニールに包まれた体操着を置いていく。教室はざわめきたつが、相澤の視線一つですぐ収まった。なまえはまばらに体操着を取りに行く生徒に混ざって、席を立ってMサイズの体操着を手に取った。失礼いたします、と後ろから声をかけられたのですぐさま一歩後ろに下がる。
何となく相澤の方を見てしまったが、彼は気だるげな視線のまま、わらわらと教卓に群がる生徒たちを眺めていた。
「更衣室は、男子はそっち、女子はあっち。5分後集合だ」
相澤は親指で方向を指し示した。なまえは先ほどの校舎内散策時に更衣室の前を通ったので、もう場所は分かる。一人早々に教室を出た。
「ね、ねえ、私のこと覚えてる?」
遠慮がちに、声をかけられた。隣にいたのは、入試の時に会った女の子。麗日お茶子。歩くたびにぽよぽよと髪が揺れる。なまえはにこりと笑って、頷いた。
「覚えてるよ、麗日さん。久しぶりだね。合格おめでとう」
「ありがと! なまえちゃんもおめでとう!」
ぱっと嬉しそうな表情になったのも束の間、はっと彼女は口を手で覆った。初対面の担任からきつい一言を言われたのが原因らしい。不安そうに後ろを振り向いた。
「大丈夫。先生いないから」
「そ、そっか!」
お友達ごっことは、彼も年頃の教え子に酷なことを言うものだ。なまえは手に持った体操着のビニールを爪でひっかいた。麗日の表情は、以前会ったときと同様に、真っ直ぐだった。
「更衣室ここ」
「ほんとだ!」
案外更衣室は近かった。なまえと麗日は中に入って、自分の名前が書かれたロッカーを見つける。なまえは一番奥の端で、麗日は手前の真ん中あたり。二人がブレザーを脱ぎだしたタイミングで、他の女生徒が入って来た。
「おっ! 二人とも早いね!」
肌が桃色の女生徒が、にっと笑ってなまえと麗日に手を振った。彼女の手には、既にビニールの破かれた新品のジャージがあった。その後ろから空中浮遊している制服と、短い髪の女生徒が来た。続いて蛙吹、ポニーテールの女生徒。麗日は着替えるペースが遅くなって、桃色肌の女生徒に手を振り返した。なまえは笑みを浮かべたが、着替えのペースは変わらない。
「あたし芦戸三奈ってんだ。よろしくね」
「麗日お茶子です!」
「葉隠透!」
この3人は、すぐに人と仲良くなれる性質らしい。なまえはそうでもないので、さっさとYシャツを脱いでタンクトップを着た。
なまえの隣に短髪の彼女が来て、ちらりと横目でなまえを見てきた。なまえは微笑みを崩さず、彼女より先に話しかける。
「みょうじなまえです」
「ウチは耳郎響香」
よろしく、となまえが言うと、彼女もよろしく、と言葉を返してくれた。それ以上会話は続かず、二人黙々と着替える。
結果女子6人、ほぼ同じタイミングで更衣室を出た。話の弾んだもの、会話に参加しなかったもの、参加できなかったもの、それぞれが同じ歩調でグラウンドに向かおうとするのは、何だかなまえは不思議に思った。
きっと、雄英に来てるから。何だかんだで根は似ているのだろうか。
校庭で行われた体力テスト。“個性”を使っていいとは言われたが、なまえは自分の“個性”の使いどころが分からず、一度も使わなかった。結果は丁度真ん中。どの種目でも飛び抜けた記録は出せなかったが、代わりにコンスタントに平均を上回る結果を出したからだった。単純に、自分の今までの努力のお陰だった。
「なんかもーぐっと疲れちゃったよー」
「そうだね」
校庭から更衣室へ、麗日と二人で歩く。テストで暖まった体に校舎内の丁度良く管理されている空調は熱い。ぱたぱたと麗日は運動着の胸元で体を煽いだ。
「あのデクって人、指大丈夫かな」
「保健室行ったし、大丈夫なんじゃないかな」
緑色の髪の同級生を、麗日は非常に心配していた。あの青紫に変色した指を見たら、誰だって驚くだろう。たかが体力テストだ。相澤が提示した条件は“たかが”で済まされるものではなかったが、彼は大粒の汗を垂らして、体力テストに全身全霊を捧げていたと思い出した。
緑髪の彼は、自ら強く望んで、ヒーローになりたいと思って、雄英に来たのだ。なまえとは違って。
彼の指のケガはひどかった。リカバリーガールは無理をした彼を叱るだろうか。彼と話したことをゆっくり思い返す。
*
「うわああ色……」
麗日は青ざめた顔で、なまえに振り向いた。
「ねえっ、なまえちゃん! どうすればいいかな……!」
そんなこと私に聞かれても。一度助けられたからか、彼女の中では自分は頼りにしていい人として認識されているようだ。それはそれでいいことだ、とも思ったが。
なまえの服のポケットには、どこかに薄手の白いハンカチが入っている。これはもちろん意図して入れているものだ。基本的に怪我しがちななまえは、患部保護のために包帯代わりにしたり、骨折した際の三角巾代わりにしたりしている。
薄く笑みを浮かべて、真っ白なハンカチ、というかもはや布を緑谷という少年に差し出す。その時にまじまじと負傷した人差し指を見てみたが、これは麗日の血の気が引くのも納得だった。
少年はガーゼとも包帯とも区別のつかない白い布となまえの顔を交互に見て、きょとんとしていた。
「すごい内出血だね。しかもただれてるし。使う?」
「えっ、あ、あのっ」
彼は、布を受け取るわけでもなく、戸惑ったようにわたわたと首を動かして、顔を赤くさせていた。
なまえは苦笑する。優しくされたことがない訳ではないだろうに。まどろっこしく思い、自らきっちりたたまれていた布をぱっと広げた。
「これ未使用なんだけど。嫌かな?」
だめおしとばかり最上級の優しさを具現化するように微笑むと、緑谷は硬直した直後、爆発する勢いで耳まで朱に染めた。
緑谷ははっと我に返って、目にもとまらぬ速さでなまえから目を逸らし、差し出された布を受けとった。ただあまりにも速すぎて、奪い取ったともいう。
「だだだだっだだ大丈夫! ありっ、ありがとう!」
びっくりするほどに呂律が回っていなかったが、彼はそんなことを気にしている余裕はなかったのだろう。そのままなまえとは反対方向へ逃げていった。
なまえがどういたしましてと誰に言う訳でもなく呟くと、背後から噴き出す音が聞こえた。振り返ると麗日がいて、口元を抑えて肩をぷるぷる震わせている。なまえが彼女に向かって肩をすくめると、息も絶え絶えと言ったように、麗日は笑いをこらえようとしていた。
「ぶふっ、あっ、あの人っ、おもしろっ」
どうやら彼女のツボに入ったようだった。しばらく彼女の体は定期的に、バイブレーションのように震えるのだった。