英雄譚エルダー・エッダ
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2
うーん、となまえは腕を伸ばした。こきり、と肩が鳴る。
試験会場は、壊れた箇所とほぼ無傷な箇所がはっきり分かれていた。なまえは綺麗な方の中心近くでまた伸びをする。その周囲には巨大なロボットがばたばたと倒れていた。そのロボットの大半は、町並みとは対比的に、下半身の部分が異様なまでにボロボロに崩れ落ちていた。
ジャージの汚れを払い落として、なまえは揚々と試験場の出口に向かった。乱れた髪をなんとなく直す。
試験は一斉に終了したが、解散は演習会場ごとであった。なまえの会場が最後だった。校門をくぐると皆一様に騒ぎ始めた。待ち合わせしていた友達でもいるのだろう。あの問題の答えはこうだ、とか、実技のポイント数はどうだ、とか。今聞くのは避けたい情報だ。なまえは人が沢山の中央部を避けて、道の隅に寄った。
すると、なまえの数歩先に、街路樹にもたれかかっている女子がいた。おええ、という呻きが聞こえるに、大丈夫ではなさそうだ。病気だろうか。
いい人ぶりたい訳ではない。ただ、周囲の人に彼女を気に掛ける余裕があまりにもなかったから、よたよた歩く彼女が哀れで。ヒーローになるのであれば、困っている人を助けようと思うものではないのか。知りたくないことを無遠慮に口にする周囲の人に対する、当て擦りでもあった。
「大丈夫?」
なまえは、その肩を叩いた。すると女生徒はひっと跳び上がって、後ろを向いた。真っ青だ。
「だ、いじょぶ、ですぅぅ」
「大丈夫じゃないねえ。どうしよ」
女生徒は、ううっと喉の奥から出てくるものに耐えるように、下を向いて口を手で覆った。その仕草には見覚えがある。
「……とりあえず、つかまって。歩ける?」
「すっ、すいませっ、うおおぇ」
なまえはすぐ近くのベンチに女生徒を座らせて、自分は近くの自販機でスポーツ飲料を買った。そして彼女の隣に腰を下ろすと、彼女の額に冷たいボトルをくっつけた。すると多少マシになったようで、ありがとございますぅう、と弱弱しくお礼を言った。気にしないで、となまえは鞄をあさりながら返す。やがてあった、と鞄のポケットから三角に折りたたまれた白いビニール袋を取り出した。
「ビニール袋でよければ。使って」
「おうぇっ、ごっ、ごめんなさいぃ」
彼女は袋を受け取って、ううう、とその上でまた呻いた。
袋は常に入れておきなさい、とは誰の言葉だったか。それは中学の修学旅行の時の話だ。その時にこのかばんを使って、そのままだった。今回はそれに救われた訳だ。その話をしてくれた先生は忘却の彼方だったが、なまえは少しだけ感謝した。
しばらくおえぇだとかぐえぇだとか、聞いているこっちの具合も悪くなってくるような声を上げてから、彼女は多少スッキリした顔をなまえに向けた。
「ありがと~。あのままだったら私死んでた」
「死ななくて良かったよ」
最終的に彼女は吐かなかった。ただ吐いても構わない、という状況に気が楽になったら、そのまま気分も楽になったようだった。
「私の“個性”、
「これだけ酔うってリスク高いね……」
「あはは」
「リカバリーガールに治療してもらえなかった?」
「そのときは治ったんだけど、ちょっといろいろあって緊張したらぶり返しちゃって……」
彼女は赤い頬をもう少しだけ赤くして、頭に手を遣った。なまえが遠慮せずに飲んで、と彼女の手に飲料のボトルを持たせる。彼女は申し訳なさそうにありがと、と言った。
「あ、もしかしてこれ好きじゃない?」
「んーん、そんなことない! けど、ここまでしてもらうのは悪いなあって」
「気にしないで。困ったときはお互い様」
「うう、優しさがしみる」
いただきます、と彼女はまだなまえに気を遣って、なまえをちらちら見ながらスポーツ飲料を一口飲んだ。なまえは内心少しこそばゆかったが、その感覚は表に出ない程僅かだった。
「あ、私、麗日お茶子! あなたは?」
彼女は、慌てたように自分を指さして自己紹介をした。なまえも口角をほんの少し上げた。
「私はみょうじなまえ。よろしくね」
「なまえちゃんか! 何て書くの?」
「普通にこうだよ」
ノルンは空中に自分の名前を書く真似をする。
「麗日さんは?」
「ふつーに、お茶に子って書く!」
「へええ。かわいい名前だね」
「えへへ、ありがと。でも実家はお茶の農家じゃなくて建築会社なんだあ」
朗らかに笑う彼女は、なまえの感情をくすぐった。一歩踏み出してみたい気持ちにさせるが、なまえは、自分が彼女に話しかけた理由を思い出した。踏みとどまって、内心で首を横に振る。
麗日の頬に赤みが戻って来たのを確認すると、楽しそうにはしゃぐお茶子に、ごめん、と一言謝って、立ち上がった。
「時間きたから、そろそろ行かなくちゃ」
「あ、うん、わかった! 引き留めちゃってごめん!」
いいよ、となまえは微笑んで、歩きながら麗日に手を振った。
「ばいばい! またね!」
麗日は、なまえがあげたボトルを握りしめて、満面の笑みで手を振り返してくれた。それからはっとして、受かってないのにバカなこと言ったぁあ……! と頭を抱える。
なまえはふ、と息だけで笑った。表情豊かで、かわいい人だ。なまえはお茶子に聞こえない程度に、またね、と言った。
雑踏と春の気配感じる風に、黒髪がたなびき、その視線は彼女に届いた。だが、言葉だけは、まるで木枯らしに吹かれたように、どこかへ飛んで行ってしまった。
*
なまえの下に雄英の合格通知が届いた。“個性”推薦は併願ができなかったので、なまえとしては一安心である。
久しぶりに落ちついた心持で日課の夜ランニングを終わらせると、家には相澤が来ていた。雄英の教師である彼は、なまえが雄英を受けると決めた日から、ほとんど顔を合わせていなかったのだ。明かりの灯った居間が、窓から見える。玄関をくぐると、香ばしい揚げ物の匂いが鼻をくすぐった。
「ただいま、消太さん」
「おかえり」
ひょこりとなまえが台所に顔を出すと、相澤はコロッケを揚げていた。油分が多いからと揚げ物を避けがちななまえだが、実は男子中学生さながらに、がっつりした油物が好きなのである。特に好きなのは、じゃがいものタネにたくさんのトウモロコシを混ぜたコロッケだった。
なまえが、肉屋で相澤に買ってもらったコロッケが好きだと、とある2人の共通の知り合いにもらしたら、そこからどうも情報が彼に伝わっているようだった。相澤は、好んで処理のめんどくさい揚げ物をつくるような人間ではない。
「合格おめでとう。着替えてから晩飯だ」
「ありがとう。わかりました」
互いに、まったく声のトーンは変わらない。それでもなまえは少しこそばゆくて、ふいと相澤から顔を背けてしまった。相澤もなまえを凝視していた訳ではなく、コロッケの揚がり具合を見ていたのだが、それでも、だ。
その日の夕食は、ほぼ1年ぶりに相澤用の大きい黒塗りの茶碗が使われた。埃はかぶっていなかったが、棚の奥までなまえが押し込んでしまっていたようで、相澤はため息をついた。雑に扱うなよ、と小言を言われても、今日のなまえは凹まないのである。
「そうだ。おい、なまえ。今週末」
「はい?」
「受かったんだから、寿司でも食いにつれてってやる」
相澤はいつも通りけだるそうな口調で言うと、コロッケを一気に2個、キッチンペーパーの敷いてあるバットに上げた。