英雄譚エルダー・エッダ
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「“個性”推薦を受けてみませんか」
中学3年生になったばかりのなまえにとって、降ってわいた話だった。
生ぬるい風が薫る春。中学校の先生は、授業中に“受験”を連呼し、慣れないプレッシャーになまえは軽く疲弊していた。そんななか、わざわざ相澤がいる休日を選んで、自宅まで訪問してきたのは、日本“個性”研究ラボ、通称Japan Quirk LaboratoryことJQのなまえの担当者だった。
「どうして突然?」
「突然というわけでもないのです。前々から私たちのチームは、みょうじさんの“個性”の回帰が多くの研究に役立つと主張してきましたよね。その主張が学会で認められ、貴女の長期的な観察および最先端の“個性”教育を提供する場所として、雄英高校ヒーロー科が推薦先に選ばれました」
なまえの隣に座っていた相澤が、なまえを見る。なまえは少し考えて、口を開いた。
「推薦に必要なことは何ですか?」
「ラボの承認と優秀な成績だけです」
なまえは、今度は深く考えた。
自分は、進路を決めねばならない。多くの人がヒーロー科を志願するだろう。しかし、なまえはヒーローになりたいという強い熱意も、動機もない。こどもがヒーローにあこがれるような気持ちを、持ったことがなかったからだ。
けれど、他の職業に興味があるかと言われれば、そうでもない。
幸い、なまえの中学校での成績は、親に胸を張れるほど十分なものである。加えて、運動も得意で武道を習っているので、実技試験もいい成績が残せるだろう。
そんな自分に、降ってわいたような話だ。
「受けます」
「わかりました。ではこっちとこっちの書類に必要事項を書いてください」
担当者は鞄から数枚の紙を出し、ボールペンをなまえに差し出した。驚くほど早くことが進んでいくのが、なまえは少し怖かった。
自分は、将来、ヒーローになるのか。
何か所にも“みょうじなまえ”という名前を書き、住所を記し、印鑑を捺した。その間、ふと気になって、なまえは担当者に尋ねてみた。
「“個性”推薦って、普通の推薦枠の中に入るんですか?」
「いいえ。完全に別物ですよ。ただ、一般推薦と異なり、一般入試で受験します。もちろん、その中でも成績は良くなければだめです。できることならトップで」
その後、なまえは“個性”推薦の細かい説明を受けた。ほかの推薦入試との併願禁止、受かったら必ず雄英高校に入学すること、入学後は定期的に検査を受けること、などなど。その間、相澤はまったく口をきかなかった。
もろもろの手続きを終え、相澤となまえは担当者を見送った。ばたん、と玄関の扉が閉まると、ようやく相澤は言葉を発した。
「俺が雄英の教師なのは知ってるな」
「はい」
「……1年、俺はここに来られないぞ」
「わかってます。大丈夫ですよ。1人でも」
「まあ、そうだろうな」
この先1年、育ての親とは疎遠になる。もともと相澤となまえの生活リズムはばらばらで、なまえは小学生のころからずっと鍵っ子だったし、家のことも自分でできた。だから、相澤もなまえも、1人暮らしは平気なのである。
「来年の3月、うまいもんでも食いにつれてってやる」
「受かったらにしてくださいね」
*
あれから1年。なまえは必死に勉強した。推薦を受けると決めた以上、落ちるのは、担当者が顔見知りの手前、恥ずかしい。その甲斐あってか、塾での模試の判定は上々。実技模試も塾内1位という好成績をたたき出している。前日、塾の講師からは、緊張しなければ絶対受かる、とひきつった笑みでエールをいただいた。きっと緊張していたのは、講師のほうだろう。
受験生は、なまえの通う中学校の体育館ほどの講堂に集められた。3人並べる長机の両端に1人ずつ。席には受験番号が貼られていた。なまえは試験開始の1時間前に会場に着いたが、既に3分の2の席は埋まっていた。
なまえは前から2番目の、教卓の左側の机に座った。その反対側には、ここら辺ではあまり見ない制服を着た受験生が参考書を3冊ほど広げ、神経質そうにページを行ったり来たりしていた。
それを横目にしていたら、なまえも何となく胸の内がざわつき、イヤホンをすると、ぼろぼろの英単語帳を鞄の中から取り出して目を通した。
筆記試験はつつがなく終わり、会場移動となった。足音の中にひそひそ混ざる声が、なまえだけでなく、他の受験生の神経も逆なでする。これからは実技試験だと言うのに。
移動した先は、いくつか階を下がったあとの講堂だった。大きさは先ほどのものと変わらない。教卓にいたのはプロヒーローのプレゼント・マイクであり、周囲の受験生の何人かは感嘆の声を漏らした。相変わらずのテンションの高い説明を聞き終え、再び会場を移動する。次は演習場だ。筆記の出来を思い出して絶望するもの、自信にみなぎるもの、実技に対する不安に苛まれるもの、色んな表情の受験生がいた。なまえは自分の手の甲をつねり、雑念を追い出した。
筆記の出来不出来を今更気にしても仕方ない。自分のできることが全てできたら、それでいい。
演習場は、高層ビルが立ち並ぶ街が再現されていた。なまえは中学の普通のジャージで挑む。同じ中学のジャージは、見当たらなかった。ここまで来ると受験生は思い思いの相手と話したり、1人で深呼吸をしたり、準備運動をしたりしている。なまえはというと、集団から離れて足の腱を伸ばしていた。
耳に装着した機器から、スタート、という大声が耳の中に滑り込んできた。きんきんとハウリングして、非常に耳障りだ。しかし、そんなことで足を止めていたら不合格になってしまう。なまえは足に力を込めた。
がしゃあん、とビルを崩して登場したロボットは、4種いる内の3ポイントの種類だった。周囲の受験生が目の色を変えて、敵役に向かって行く。幸運と言うべきか、なまえの近くの建物から現れてくれた。すぐさま走り出すと、背後から、死ねええええ! という雄たけびがした。視界の隅に煙が見えた。
なまえは、がれきを物凄い速度で避けて抜かすと、ロボットの足関節に触れた。途端、ロボットの足が動かなくなった。爆風がなまえの髪を少し揺らした。ちっ、という舌打ちが耳をかする。
なまえが触れた装甲の周りは劣化していく。なまえは足の装甲に更に触れ、次第に装甲はさび色に変色して、ぎぃ、ぎぃ、と嫌な音を立てている。崩れる数秒前だ。なまえは素早く走り出す。周囲の受験生はまだこのロボットが壊れておらず点が取れるチャンスとばかりに、動かなくなった機体に走り寄ってきた。
「離れて! 崩れるよ!」
なまえは慌てて戻ってきた。グラグラ揺れるロボットの関節に気付いた何人かは、急いで場を去っていく。なまえはまだ点数をもぎ取ろうとするあきらめの悪い3人を突き飛ばした。支えを失いかけるロボットは、他の受験生の目の前で、ごきん、と最終通告してきた。ぼろぼろになった金属が、とうとう自重に耐え切れなくなったのだ。
「っ、うわあ!」
「きゃあああ!」
上空からは、金属の塊が降ってくる。逃げ遅れた数人がロボットの上半身に押しつぶされそうになった時だ。
「逃げてって言ったのに」
気付いたら、ロボットの残骸は塵になって風に吹き飛ばされていった。数名の男女が目に映したのは、涼し気な視線でこちらを一瞬振り返る、女子受験生だった。なまえは機体が落ちきる前に、なんとかロボットの端に触れることができたのだった。
なまえはそのままその場を去る。そこにいる受験生も、慌てて彼女に倣った。なまえが振り返ると、掌から黒煙を上げる色素の薄い髪の受験生が、なまえとは真反対の場所で、派手にロボットを破壊していた。