英雄譚エルダー・エッダ
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
21
次の日、緑谷が登校する時刻には、なまえが既に教室にいた。彼女はいつも飯田と同じ電車で来るので、もちろん飯田と、決まって朝の早い尾白、八百万もいた。
緑谷はなまえの姿を見ると、昨日の胸の内を思い出して、気まずい。しかし挨拶してみると、彼女はいつもと変わらなかったので、これ以上緊張していても仕方がないと思った。
それでもついつい彼女の姿を目で追ってしまうのは、昨日なまえと自分が“秘密の共有者”だということに気付いてしまったからだった。“共有”とは、なんともむずがゆくなる言葉である。
「レポート終わった?」
「あ、いやまだ……資料が足りなくて」
隣の席のなまえに不意に話しかけられると、緑谷は思わず持っていた本を机の上に落としてしまった。それは、昨日図書館でなまえに譲ってもらった一冊だ。
「熱心だね」
そういう彼女も熱心でないはずがない。参考文献が3冊ほど増えている。飯田は本が机の上に山となって積み重なっていて、それもそれで驚いた。なまえのレポート用紙を覗いてみると、半分は埋まっている。一方緑谷のレポートはそれよりも進んでいない。急がないと、レポートにとられる時間はそこまでない。今日の放課後に完成させたいと思う緑谷であった。
今日の3,4限目にヒーロー実習がある。その時間は柔道の実技試験にむけた練習ではなく、体育祭に向けて各自で時間を使うという。
眠くなる英語と数学の授業が終わったら、ヒーロースーツに着替えてグラウンドへ。緑谷はグラウンドで、女子に取り囲まれているなまえを見ることになった。
「みょうじ! あのね、忙しいのは知ってるから! 一瞬柔道やろ! 実技んとこだけでいいから!」
広場に響くのは、元気印の芦戸の声だ。どうやら一定数、来る実技試験が不安な人がいるらしい。そのうちの1人は確実に緑谷だったのだが。
その様子を見ながら、飯田が言うことには。
「みょうじくんは優秀だし、強いからな」
飯田のコメントには、説得力がある。以前、電車で火男と対峙した時のことを聞いた。そのとき飯田は、彼女に助けられたのだという。
なまえの周囲の黒山の人だかりは、結局、全員一通りみょうじ塾による指導を受けたらしかった。
自分は、彼女のことをどう思っているのだろう?
緑谷は、まだ日の暮れない自習室に1人、レポートと向き合っている。今日はなまえに柔道の練習をつけてもらう日だったが、急遽彼女はオールマイトから呼び出されて、ちょっと待ってて、と言い残して早30分。その隙に緑谷はレポートを進めてしまおうと思ったのだった。
図書館は資料が大量にあって、探していたデータが見つかり、無事にレポートは終わりそう。3テーマ目の考察の終わりに差し掛かった。
柔道の授業についていけなくて、練習に付き合ってほしいと頼んだ。そもそも体裁きの基礎ができていなくて、オールマイトが「強いよ!」と彼女を褒めていたのを思い出したからだ。
何でみょうじさんなら、お願いを聞いてくれると思ったんだろう。
今まで女子とそうそう話したこともなかった自分が、オールマイトに推薦されたとはいえ、どうして図々しくも彼女にお願いできたのだろう。尾白や砂糖のほうが、同じ男子だし、気も遣わなくていいはずなのに。
確かに、なまえとは友達だ。だが緑谷にとって、それは飯田だって麗日だって同じであり、おしゃべりする頻度も特に差はない。せいぜい、席が隣のなまえとは授業の間の雑談が多い程度。
たぶん、取り繕いとかではなく、本音で、今まで好きじゃなかった“デク”という呼び名の意味を変えてくれた1人。
だから、麗日にもなまえにも、とても感謝している。飯田も含めて、彼らは自分に対し、小学校中学校のときからは想像できなかったほどに、肯定的だ。
だったらその中で、どうしてなまえを頼ろうと考えたのだろう。オールマイトとの話題にのぼったから? それとも、ヒーロー実習での彼女の戦いぶりを見て、すごいと思ったから?
不思議と彼女には、断られる怖さがない。拒否されるという印象がない。例えばそれを放ちまくっているのは爆豪なわけだが、みょうじなまえという人間はその正反対だ。
緑谷のレポートは、4テーマ目の考察に入った。欲張ってオールマイトのことを盛り込んで5テーマに分けて記述したのが時間泥棒たる原因なのだが、緑谷はそれに気付いていて、あえて書き進めた。オールマイトの情報は世のなかに溢れすぎていて、まだまだ緑谷の知らないことがたくさんあったからだ。
飯田の言う通り、なまえは強い。先のUSJのヴィラン襲撃のときも、彼女は相澤と並んで戦い、脳無と呼ばれていた怪物に立ち向かい、大きすぎる怪我を負っても、自分や蛙吹、峰田を助け、その上オールマイトをかばった。
器用な“個性”の使い方をするし、近接戦でも体格差をものともしないような体裁きで、判断力も高いし、センスもいい。それだけ言うとまるで爆豪のようだが、先ほどもいった通り、彼女が爆豪と決定的に違うのは、まとう雰囲気だ。
自分の実力には自信があるのだろう。けれど、どこか一歩引いている。戦えば強い。けれど、主張はしない。
謙遜かとも思うが、どうなんだろう。彼女の態度や表情がそれっぽくない。
そうこう考えているうちに、とうとう最後のテーマの考察も半ばにきた。もう一息だ。緑谷はシャーペンを早く動かしながら、これだけは絶対書くと決めていた文章を一気に完成させた。
彼女はやたら緑谷のことを褒める。そのたび照れてしまうのは、緑谷が悪いわけではない。彼女は、人を喜ばせる言葉を知っている。そしてそれは的確に緑谷のツボをついてくる。心を読まれたのかと思うほどに、なまえはその言葉選びがうまい。
もしかしたら、そんなに自分がわかりやすいのかもしれない。
浮かれる自分もいるにはいる。昨日も、“スーパーヒーロー”と言われて、そんなふうになるのが夢で、強いなまえにそれが現実的なものだと言われているようで、改めて嬉しくなった。自分は、恵まれて、ようやく目指すものの土俵に立てて、同じ場所に立っている人から認めてもらって、嬉しくないはずがないのだ。
そういえば、みょうじさんが雄英に入った理由、聞いてないな。
飯田や麗日がヒーローを志した理由は知っている。彼らが話してくれたとき、みょうじは飯田にはがんばって、と、麗日には親孝行だね、と言っていた。それ以上のことは、彼女は話していない。
レポートの考察は、ようやく5テーマ目を書き終えた。最後に考察のまとめを書いて出来上がりだ。
そして終わりの句読点を付けたときに、肩で息をするなまえが自習室の扉を開けた。
「ごめん、お待たせ」
ずいぶん急いできたようだ。髪の毛がはねている。緑谷は自然に顔が笑顔になるのがわかって、レポートをファイルの中に仕舞いこんだ。
「そんなに急がなくてよかったのに」
「だって40分も待たせてるんだよ。早く行こう。時間なくなっちゃう」
雄英の体育館は、今は3年生が優先して使用できる期間なので、1年生の緑谷やなまえはそこへ入れない。そのため、緑谷が彼の自宅近くの体育館を借りてくれた。時間は18時から1時間程度。実技の練習に1時間丸々かかるとはなまえは思っていないが、現在17時30分。体育館に着くのは、18時は確実に過ぎるだろう。
なまえも、すでにレポートは終わらせていた。適当に雑談をしつつ、緑谷となまえは電車に乗り、なまえは普段使わない地下鉄に乗り換え、緑谷の家の最寄り駅へ出た。駅の周りにはスーパーや弁当屋が並ぶ、いい意味での下町感がある。そこから家を数軒分通って、コンビニをすぎて少し坂を上ると、そこには小さめの体育館が建っていた。時間は18時10分。
なまえの思っていた通り、到着は18時を過ぎたが、復習は拍子抜けしたように早く終わってしまった。ついでに体育祭で使えそうな近接格闘の練習に、緑谷は付き合った。これをお礼にしてくれていいよとなまえが言うと、彼はすっきりした表情で笑った。
体育館をあとにしたのは、18時45分だった。冬と比べるとずいぶん日が延びて、まだ空はほんのりオレンジ色だ。吹き付ける風が冷たいが、筋肉ダルマとかつてやっかみで悪口を言われていたなまえは、そこまでつらくはなかった。それは緑谷も同じようだ。着替えるときにネクタイを適当に結んでいて、左にゆがんでいる。
「大丈夫だったね。そんなに心配しなくて。十分うまいよ」
「そうかなあ……」
「前のヒーロー実習のとき爆豪くん投げ飛ばしてたよね。あれでいいんだよ」
「あれ自己流なんだよ。柔道の試験だからきちんとできないと」
緑谷はどこまでも真面目なのである。
「みょうじさん、今日の実習中、色んな人に教えてって頼まれてたね」
「うん、まあ。みんなそんな心配することなかったと思うけど」
「みんなはあの3分くらいでよかったかもしれないけど、僕はそれだけじゃダメだったね。やっぱり要領悪いなあ……」
緑谷はぐっと拳を握り締めた。
そんなに思いつめることだろうか。緑谷の実力は。彼はなんだか卑屈すぎる。もっと誇ってもいいと思うのだ。なまえは詳細までは知らないが、“ワン・フォー・オール”は体にある程度の力が備わっていないと譲渡できないということはオールマイトから聞いている。それに緑谷はオールマイトに選ばれたのだ。立派な矜持も、目標も持っている。もっと胸を張っていればいいと思うのに。
緑谷ははっとして、暗い表情を振り払った。
「みょうじさん、付き合ってくれて本当にありがとう」
「いいよ。私のトレーニングにも付き合ってもらったし」
なまえが手をひらひらと振ると、緑谷は照れと嬉しさがごちゃまぜになったような表情で、頬をひっかいた。
「なんかね、みょうじさんには頼めたんだ。いや、わかってるとは思うけど、僕女の子とあんまり話したことなくて……」
「知ってた」
「でででですよねー」
なまえが微笑んで見せると、緑谷はさらに照れた。それで気付かない方が驚きだ。
「あと、オールマイトにも言われたんだ。君が強いって」
どきり。
心臓がはねた。
「格闘術なら頭一つ抜けてるから、って言ってて……。オールマイト、みょうじさんのことすごく褒めてたよ。だからってわけでもないんだけど、なんとなくみょうじさんにお願いしちゃって……」
動悸がする。どくどくどく、と末梢まで脈打つのがわかる。恋愛小説にありがちな、期待のこもった鼓動なんかではない。なまえはそれを経験したことはないが、違うと断言できた。背中を冷えたものが滑り降りていく。冷や汗ではない。そういう謎めいた予感だ。
少なくともその謎を抱いていることは心地いいものではなく、何なら今すぐ吐き出してしまいたかった。だが、何をどう吐き出せばいいのか、何もわからない。
会話が途切れたのは、ほんの2,3秒ほどだった。その間だけでも、なまえの全身に冬のような寒気が広がっている。
「飯田くんもみょうじさんのことすっごく尊敬してるみたいでね、やっぱみょうじさんすごいよね。USJのときもそうだったけど」
だめだ。吐きそう。心臓が苦しい。胸の中で肥大して、胃と肺を圧迫しているみたいだ。
なまえは緑谷に今の状態を気取られないように、無理やり口元をひん曲げて笑った。すると腹の奥底に巨石が落ちてくる感覚がする。
緑谷の表情は、生き生きとしている。今のなまえとは対照的で、足取りは軽く、まなこは晴れている。
「そういえば、みょうじさんってどうしてヒーローになろうと思ったの?」
ヒーローの志望動機。雄英では当たり前に交わされる会話のネタだ。それは単に憧れであったり、襲名のためであったり、様々だ。緑谷は少なくともオールマイトに憧れて、人を助けるためにヒーローになろうとしている。
緑谷の質問は、なまえの腹に特大の衝撃を加えたのと同じだった。
そう聞いてくる彼の目は、ただただ真っすぐである。ヒーローになりたい緑谷。雄英に来るからには、動機も憧れも熱意もあって当然。なまえはクラスの空気をそう感じている。そしてそれは間違っていない。緑谷は、かつては手が届かなかったものを手に入れられるようになって、この場所で必死にもがいている。
では、自分は?
「……私、“個性”推薦で……」
「えっ、すごいね!? あれめちゃくちゃ厳しいのに!」
私、“個性”推薦で。で、それから? それ以上、何かあったか?
「それで、“個性”研究の役に立てるならって……」
嘘つけ。そんなこと考えてない。自分の成績なら入れそうというだけで、ただ書類に名前を書いて、印鑑を捺した。
何も考えていない。将来、本当にヒーローになるのかどうかも。こんな自分でなれるのかどうかも。
そして、ヒーローになりたいと思ったことは1度もない。雄英に来てからもそうだ。
自分は何も持たないまま、ヒーロー育成最高峰へやってきた。そこではたまたま今の自分の実力が通用して、そして自分の中身が学友に知られていない。学友だけではない。俊典も相澤も、知らない。
自分の中身は、雄英に入学したころから知っている。燃える熱意も、激しく心を突き動かす憧れも、何物にも干渉されない固い意思も、自分の器には一滴も入っていない。
そんな私があの空間にいたら、周りの熱をいたずらに消費してしまう氷のような存在にしかならない。
ああ。吐けそうだ。
「えっ!? あの、みょうじさん……!?」
なまえは吐き出した。正確には、吐き出してしまった。たったの一粒だけだったが、夕暮れの冷たい風の中では、目じりから頬、顎にかけて、一筋が凍てつくように冷やされた。
それを見た緑谷の顔は、真っ青を通り越して真っ白だった。何が起こったのかわかっていないが、自分がなまえを泣かせたと思っている。それは正しいが、正しくない。
やっちゃった。なまえは自分にほとほと呆れた。
「ごっ、ごめんね! 何か僕、気に障るようなこと言って……」
「大丈夫、だよ」
緑谷は涙を流す友人を放っておける冷血漢ではない。が、彼女が泣いている理由が皆目見当もつかない。恐る恐るなまえの顔を覗き込んでみると、もう彼女は泣いていなかった。けれど、右の頬に、水滴が流れたあとが残っている。
彼女は緑谷が心配そうな視線を送っているのに気付くと、笑顔を浮かべた。心配しないで、とありありと顔に書いてある。それくらい、今のなまえは感情があふれ出している。溢れさせてしまったのは間違いなく緑谷で、その中には彼女がひた隠しにしていたものもきっと含まれていて、それが何なのかは緑谷にはわからない。
わからなくても、今、みょうじさんと別れたら、もう僕は一生この人を友人と呼べなくなってしまう。
彼女は、僕を救ってくれた。コンプレックスからも、命の危機からも。彼女が悲しむことがあるなら、今度は僕が救わなきゃいけない。
「あの、みょうじさ……」
「ごめんね、目にゴミが入ったみたい。もう大丈夫だから__」
「みょうじさん!!」
なんで、そんなわかりやすい表情で、ごまかそうとするんだ。
急にごまかされたことに腹が立ってきた。そのへらへらしたような笑みの裏で、彼女がどんな顔をしているのかは、今の自分にはわからない。間違いなく、彼女は泣いた。それを隠そうとする理由も、やはりわからない。
でも、わからない、で済ませていい問題ではない。それは間違いない。
なまえは、緑谷から今まで向けられたことのない声色に驚いたようだった。それに気付くと、申し訳なく思って、緑谷はすぐ声のトーンを和らげた。
「大きな声出してごめん……」
「う、ううん」
彼女は戸惑ったように首を左右に振る。すぐに先ほどのごまかすような笑みに戻ると、緑谷から一歩距離をとった。
「緑谷くんから褒められるなんて光栄だったよ。嬉しすぎて泣いちゃったのかもね」
逃げようとしてる。
緑谷は、なまえがしつこいほどに自分を持ち上げてくる理由を悟ってしまった。
こんなタイミングで、気付きたくなかった。
緑谷は咄嗟になまえの手首をつかんだ。思っていたよりもがっしりしていたが、肌の感触がきめ細かくて、自分とは質が違った。
「お願い。もう逃げないで。僕を見て」
手の中のなまえの手首が、ぎこちなく固まった。
真正面から緑谷となまえの視線が合う。それも一瞬で、なまえの黒い瞳はすぐに緑谷から逸れてしまう。昨日と同じだ。昨日もこうやって、目を逸らされた。
「……あの、近い……」
聞いたこともないような消え入る声で、緑谷はなまえに言われた。彼女の顔に書いてあったのは戸惑いで、緑谷はフライパンから跳ねる油のように、素早くなまえの手首を放した。
「あっ、そのあの、ごめんっ。ごめんなさい!」
「こっちこそごめ……」
「でも、みょうじさんに逃げてほしくないのは本当なんだ」
緑谷は自分の顔がいまだかつてないほど熱くなっているのを感じた。だめだ。これで僕が照れるから、いつもみょうじさんには逃げられてしまう。
ぱん、と緑谷は自分の頬を叩くと、ぽかんとしたなまえの目を、正面から見据えた。
「泣くのはSOSの印だって、僕はそう思う。だから頼ってほしい。僕ら、友達でしょ?」
緑谷には、彼女の返答を聞く気はなかった。じりじりと緑谷から離れたがっている彼女の足を見咎めて、こっちだよ、と緑谷は方向を指し示した
