英雄譚エルダー・エッダ
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19
臨時休校が明ける日、なまえは病院の計らいで、学校に間に合う時間で退院することができた。病院は自宅よりも学校に近かったので、結果的には普段と同じ時間に、つまりは人通りが少ない朝早く学校へ行けたのだった。もちろん途中で飯田に会って、おはようとあいさつを交わした。彼は少し恥ずかしそうにしていたけれど、今までと変わりない態度で接してくれた。ただ、彼の表情はいつになく晴れ晴れしていた。
臨時休校明けのHRから体育祭の話をされ、麗日のヒーローを志望する理由がわかったり、緑谷が昼休みにオールマイトに昼食に誘われたり、その日は何もなく過ぎた。
ただ放課後、一緒に帰ろうと約束していた麗日と別れなければならなかったこと以外は、特に不満がない1日だった。
「廊下から私が来た!」
なまえは帰り際に、玄関でオールマイトに捕まえられて、事情も伝えられずに仮眠室で待機を言いつけられた。だが、要件は薄々分かる。彼の後継のことだろう。スツールの横に鞄を下ろし、足をぶらぶらさせていると、彼はきらんと効果音のつきそうな振る舞いで戻って来た。案の定、その後ろに話の見えていない緑谷がいた。
「あ、あの、オールマイト……」
「緑谷くん、早く入って」
なまえがスツールから立ち上がってちょいちょいと手招きすると、入り口で戸惑っていた緑谷が部屋に入って、そのまま後ろ手で引き戸を閉める。外から内部が見えなくなった拍子に、オールマイトは表向きのヒーロー体型から、がりがりに痩せたトゥルーフォルムに戻った。
「ええっ!? あの、オールマイト!? みょうじさんいるんですよ!?」
「大丈夫。彼女、知ってるから」
なまえはスツールをあと二つ用意して、その内の一つは自分の隣、もう一つは反対側に置く。まだ状況の飲み込めていない緑谷を、取り敢えず座れば、と自分の横のスツールに誘導した。オールマイトもどうぞ、となまえは手でスツールを示す。
「ありがとう」
「呼び出しの要件って、やっぱり緑谷くんのことだったんですね」
「そう。昨日言ったやつね」
自分だけ、確実に置いていかれている。緑谷はもぞもぞとスツールの横で動いた。しかも何だかこの二人、親しげだ。
消化不良を起こしている緑谷を見遣って、なまえは苦笑しつつ自分も座る。オールマイトも席について、指を組んだ。緑谷は、最終的に最後に腰を下ろした。
「USJの件で緑谷少年も感づいたというかなんというか……その話」
オールマイトは笑顔で緑谷に言った。そんなに深刻そうなことではなさそう。緑谷が隣のなまえに視線を向けると、彼女はオールマイトの視線を受け、こっくりと首を縦に振っていた。
「私、実はなまえ君の保護者なんだ」
オールマイトは気づかわしげになまえを見た。なまえは驚いている緑谷に笑いかけ、オールマイトの言葉を引き継いだ。
「そうなの。私、親いないの。親の顔も知らない。小さい頃路地裏で保護されて、それからずっとオールマイトに面倒見てもらってる。血のつながりはないよ」
なまえは何でもないことのように言う。緑谷は、さっきよりも驚いて、目を見開いていた。優し気な目には、悲しそうな光が浮かんでいて、食い入るようになまえを見つめている。
どうやら、なまえがそれ以上話すことが何かしらあることを期待しているようなのだが、生憎なまえ自身は自分の境遇を恨んでもいないし、悲しんでもいない。
だって、結局オールマイトと相澤と、ミッドナイトやプレゼントマイクにとどまらず、色んな人にお世話になって、育ってきたから。
悲劇的な境遇なんかじゃない。血のつながりはなくても、色んな人に愛されて、家族のように大切にしてもらった。自分のこれまでの人生は、遜色なく、幸せだ。
「オールマイトのファンからしてみれば、いいなーって思うよね。私も昔から、周りのオールマイトファンにごめんなさいって思ってた」
「そういう問題じゃなくない?」
想定より緑谷の表情が暗くて、なまえとしてはとても気まずい。気まずさから、なまえはおちゃらけてみせた。そうだったの!? と驚くオールマイトに、目で追及しないでくださいと合図すると、彼はさすがにそれを口に出そうとはしなかった。そのアイコンタクトは緑谷に気付かれないで済んだ。
緑谷は、逆に彼女に気を遣われてしまったのが申し訳なくなって、余計に彼女の顔を見られない。なまえもそれ以上何かを口にすることはやめ、ぽん、と緑谷の肩を叩いた。これ以上沈黙を避け続けても、なまえと緑谷の間の温度差が浮き彫りになるだけで、更に彼がいたたまれなくなるだろうから。
その様子を、オールマイトは微笑ましく見守っていた。自分の教え子と、自分の姪のような子が仲良くしていて、眉間に皺を寄せるオールマイトではない。
なまえは思い出したように、オールマイトに続きを促した。
「ほら、前置きは以上。ですよね、オールマイト」
「そうだね。だからなまえ君は“ワン・フォー・オール”のことも知っているし、君のことも薄々勘付いていたようで」
「そうそう。何か手伝えることがあれば協力するから」
オールマイトがそう添えると、緑谷はなまえの方を向いた。なまえの目はもともと自分に向いていたようで、目が合うと、緑谷は照れて微かに顔を赤くする。そんな標準の緑谷になまえは苦笑して、片手を差し出した。
「改めてよろしくね、緑谷くん」
「あ、あの、こちらこそ! お世話になってばかりで……」
「いーの。友達の役に立ちたいのは当たり前だし。ね。遠慮することないんだよ」
緑谷は躊躇いがちになまえの手を取った。なまえはちっとも力を込めてこない緑谷より先に、ぎゅっとその手を握る。なまえは、やっぱり男の子は手が大きいな、と能天気なことを考えていたが、緑谷は恥ずかしさで真っ赤になった。それがやはり緑谷で、なまえはふふっと笑う。
「あの、みょうじさん。USJで、僕らを助けてくれてありがとう。言うの遅くなってごめん」
「あー……あのとき結構必死で、ちゃんと助けになってたならよかったよ。どういたしまして」
面と向かって言われると、むずがゆくて、なまえは照れをごまかすために笑ってみた。
オールマイトは、緩んだ表情で、自分の愛すべき教え子と養い子のやり取りを見守っていた。
その後、少し話があると緑谷を先に帰し、なまえはオールマイトとその部屋に残った。その話というのは、勿論保護観察の名のもとで行われるデータ採取のことで、何やら長い書類の束をオールマイトは持ち出してきた。
「たくさんありますね、それ。研究の内容の説明?」
「まあそんなものかな。体育祭あるだろ? それもしっかり記録されるから、是非上位を狙ってね。君なら心配いらなさそうだけど」
「はい」
体育祭か。
なまえの感想は、その一言に尽きた。入試の結果では、なまえはぎりぎり爆豪に届かないくらいの成績だった。それでも合格をもらえたので、今回も優勝しなければならないというわけではないと思う。
雄英生に、特にヒーロー科の生徒にとって、体育祭は将来に直結する重要なイベントである。みんなヒーローになりたくて、最高峰の教育を受けている。
一方でなまえは、ヒーローになりたくてここに来ているわけではなかった。流されるまま、ヒーロー育成最高峰に入学しただけ。そのことが引っかかって、なまえはオールマイトの言葉をうまく飲みこめないでいる。君なら心配いらなさそうだけど、という言葉の真意は、どこにあるのだろう。実力的に? それとも、モチベーション的に?
「その、さっき言っていたことは、本当かい?」
オールマイトは、難しい文章と格闘している(ように見える)なまえを見遣りながら、小さな声で尋ねた。なまえは一瞬紙面から目を上げて(内容はまったく頭に入っていない)、数回口を開け閉めしてから、オールマイトの目が見られなくて、また目を紙に落とす。
「私が言ってたこと?」
「私のファンにーってくだり」
「嘘です」
そのページの半分まで字面を目でなぞった。
「彼はあなたが大好きなんです。昔からオールマイトと暮らしていた、なんて羨ましいだろうなあ。でも、私の境遇を聞いたらそんなこと言ってられない。もっと軽ーいかんじで話せばよかったですね」
ぺらっとページをめくった。それは最後のページで、なまえは自分の名前を、かなりいい加減に書いた。複雑そうな顔をするオールマイトに書類をそのまま手渡して、自分のカバンを持ち上げた。
なまえ自身、自分の生い立ちが不幸だと感じたことはない。だからこのようにあっけらかんとした態度でいるのだ。他の人に同情されても、困ってしまうだけ。そのため、緑谷にも、オールマイトと一緒に暮らせていいなあ、と言われた方が、楽だった。
そして、その書類にざっと目を通すオールマイトに、ひとつ付け足したくなった。普段そんなに話さないのに、口が突然動きだした理由はわからない。
「今更そんなこと気にしないで。あなたとはテレビ越しに会うことの方が多かったけど、私にとって俊典さんは……消太さんと同じくらい、特別です」
その言葉に、オールマイトは呆気にとられる。ぱさり、と彼の骨ばかりの手から書類が数枚落ちた。なまえは慌ててスツールを片付けると、失礼しました、と一礼してから足早に部屋を出て行った。
オールマイトは、嬉しさが込み上げてくるのを感じた。彼女は表情をこちらに向けたがらなかった。しかし、彼女の赤くなった耳から想像することは、全く容易かったのである。
彼女に、かつてここまで愛情表現されたことはあっただろうか。例えばお父さんみたいだとか、お兄さんみたいだとか。彼女が言ったことはそういう意味だ。実際になまえには父親も兄もいないから、違う言葉になっただけ。オールマイトは浮足立った。
みょうじなまえという少女は、わかりづらい人間なのである。
死ぬほど恥ずかしい。
なまえは、夕暮れが窓から差し込む人気のない廊下を、俯き加減で、猛スピードで歩く。先程の自分の言葉を思い出すと、顔がじんわり熱かった。
オールマイトの期待に応えられない自分に対するかすかな罪悪感と、緑谷の影響だ。前者だけだったなら、何も言うことはなかっただろう。けれど、緑谷といたら、何だか口のチャックが緩んでしまったようだ。あんなにオールマイト大好きオーラを隣で感じていたら、仕方ないじゃないか。そう言い訳してみても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
家族、だって。緑谷にとって、親がいない、というのは、未知の感覚で、きっと彼の親はいい親なんだろう。
私は、“本当の親”を知らない。でも、“家族”、って、思っちゃった。俊典さんのことも、消太さんのことも。みんな優しくしてくれたのは事実だけど、そんなふうに思うのは、なんだか、血のつながりがないくせに、おこがましいというか。
みんな、それぞれ血のつながりがある人がいて、その人を大切にしているはずなのに、その人に捧げる分の愛情を私がもらってしまって、いいんだろうか。
いけないことなんじゃないだろうか。
オールマイトに愛情表現してしまった気恥ずかしさの隙間から、心の中のぬくもりを根こそぎ奪ってしまうような神経痛がぴりっと走った。
玄関につくと、なまえは自分の下駄箱から靴を取り出して、恥ずかしさと冷えた痛みとをごまかしたくて、いきり立つ感情のまま、その靴を床に投げつけた。ばんっと音が反響する。
すると、うわっ、と聞き覚えのある声がして、その声の主が、下駄箱と扉の間から、ひょこっと覗いた。この羞恥の、元凶だ。
「あ、みょうじさん……?」
どうしたの、と恐る恐る聞いてくる緑谷を、靴落としちゃった、と何とかごまかして、緑谷くんこそまだ帰ってなかったの、と聞き返した。自分の頬は赤くなっていないだろうかと、思わず顔を擦ってしまう。
「あの、いや、折角だから、一緒に帰ろうと思って」
君が迷惑じゃないなら。少し照れ臭そうに、緑谷は頬を掻いた。
そういう所に、自分は影響されてしまうのかもしれない。
オレンジ色の夕日が、今日も綺麗だ。なまえは緑谷と並んで、人通りの少なくなった登校坂を下る。
「緑谷くんって、いつぐらいからオールマイトのファンだったの?」
「えーっと……覚えてないなあ……」
そう尋ねると、緑谷は頭をひねりながら、指を5本立てたり3本折ったり、難しい顔でいつだっけ、と考え出した。なまえの口角がふっと緩む。
「物心つく前から好きだったみたい」
「そ、そうなのかも」
緑谷は照れ臭そうに頭を掻くと、みょうじさんの好きなヒーローって誰? と聞き返す。
なまえは少し考え込んでから、にっと笑って答えた。
「教えない」
「えー! 気になるよ!」
緑谷の反応を見て、なまえは面白そうに笑った。
好きなヒーローはいない。けれど、それをそのまま言ってしまうと、誤解を生む。私はヒーローたちのことは好きでも嫌いでもない。けれど、八木俊典や、相澤消太、香山睡たちは、大好きだ。
そんな本音は言えるはずがなく、なまえははぐらかすように肩をすくめた。
「あ、けど緑谷くんがヒーローになったら、迷いなく緑谷くんって言うかな」
「ちょっ、えっ」
予想していなかった切り返しに、緑谷はゆで上がった。そんな彼を見て、なまえは笑う。
「冗談じゃないけど冗談だよ。そんな照れる必要ないってば」
「っ、っ!」
何も言えなくなった緑谷が、林檎以上に赤くなった顔を腕でホールドする。ちょっと純情少年をからかい過ぎたかもしれない。いや、からかったわけではない。単に想像してみただけだ。将来、テレビにヒーロー活動を映された時、自分が一番応援したくなる人は誰だろうか、と。
それはきっと、緑谷出久や、飯田天哉、麗日お茶子であるはずなのだ。
